カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

桜を見に。

2016-03-31 12:56:13 | Weblog

 ソメイヨシノの花びらもこのあたたかな陽射しを待ちわび、柔らかく微笑むように開花しているだろうと楽しみに今朝はあんを散歩に出かけた。

 しかしあんは違った・・・。

 天神山下、三沢川沿いを歩こうと向かったのだが、あんはある場所に行こうとはせず、違う道を選んだ。

 このある場所とは節分の日にあんと散歩をしていた道で急に節分を知らせる穴澤天神社の花火の空砲がなった場所である。

 あんはその時その音に恐怖におののき、ハァハァしながら無我夢中に逃げるように必死に走ったのであった、その恐怖がまだあんは忘れていなかった。

 今朝その音のなった場所の近くに行くと、あんは座り込んでしまった、そしてブルブル震えていた。

 柔らかな陽射しがあるにも関わらず、あんの記憶はあの恐怖の音に憑りつかれていた。

 あんの不安を取り除いてあげようと私はニコニコしながら「あん、大丈夫だよ。抱っこしてあげよう」と言ってあんを抱え上げ、あんの怖がる場所を歩いた。

 でも私の歩くゆっくりとしたペースではあんは一瞬でも早くその場を逃げたかったのであろう、耐えきれなくなり、「キャン!キャン!」{降ろして!降ろして!}と言い出したので仕方なく降ろすと、自慢の尻尾を垂らし、もうダッシュがし始めた。

 それでも柔らかな陽射しはあんを射し続けていた。

 もちろん節分でもないから、あの花火の空砲もない、でも、あんの記憶はあの時のままであったようだ。

 ある場所を過ぎても、あんはダッシュを止めず、尻尾を垂らしまま、リードを伸ばしたままにしていた。

 しかし、新芽芽吹くのどかな三沢川沿いの道を急いで歩く必要もないこと、安心して良いこと、あの時と違うこと、今日は今日であることに「あれ?あれ?何もないの?」みたいなことを感じたのであろう、立ち止まって座り、後ろ足で耳の辺りを掻いたりした。

 そして我に返ったのか、あんは尻尾を上げた。

 私のその後ろ姿を微笑みながら見ていた。

 あんの尻尾は後ろから見るといま綺麗に咲いているユキヤナギみたいだと思いながら。

 あんは負の思い込みと記憶を超えて、柔らかな陽射しのなかを新しく歩き出した。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花が好き。

2016-03-29 12:39:56 | Weblog

 彼は隅田川沿いに咲いている花を摘んで炊き出しにいつも並んでいる。

 「オレ、花が好きなんだよ」と照れもせず、しかし柄でもないように彼はカレーの列に挨拶に行く私にいつも言う。

 彼の柄とは、その服装、身なり風貌は一見カタギの人には見えない、上から下まで真っ黒できりっとしていて、普通の人なら話し掛けるのを退いてしまうオーラさえある。

 「最近、お休みだったね。どうしていたんですか?」

 「またしょっ引かれたよ。あの抗争の巻き沿いを食ってさ。間違えられてしょっ引かれてたんだよ」

 それは間違えられるだろうと思いながら、内心クスッとし、そのことは口にせず、「それはたいへんだったね」と私は答えた。

 彼が行った警察署には昔からの知り合いの警官がいて、誤解が解け、無事に外に出れたらしい、そうしたことを彼は臆することなく、また自慢するのでもなく、ただ仕方ないこと、あるがままを受け容れることをしているかのように私にいつも語ってくれる。

 炊き出しを終えての帰り道、私はまた彼を見かけた。

 彼の右手にはさっきはなかった、桃の花とユキヤナギがあった。

 「綺麗な花があって良かったね」

 「おう」その花束を少し上げて返事をしてくれた。

 春の到来を喜ぶ笑顔とともに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助け合い。その後のその後。

2016-03-28 13:03:00 | Weblog

 このことを書くのは四回目であるから、二人のその後のことを私と同じように心配してくれている人もいるかも知れないと勝手に想像している。

 先週の土曜日もやはり彼は私を待っていた。

 この日は寒く、まだ開花した桜は少しだけ、ほとんどのつぼみはちじこまり、また寒さに震えているような日だったが、彼の顔は一瞬見るだけで内から来る明るさを輝きだし、笑みを称えていた。

 「その後、どうなりました?」

 「社長さんが来たんです。菓子折りを持って」

 「えっ、菓子折りを持って、おじさんちに来たの?」

 「うん、まだ半分残っている」

 「半分って?なに?あっ、お菓子の半分?」

 「そう、まだ半分ある」

 彼女が働き始めた会社の社長が彼のところにその菓子折りを持って挨拶にきたとのことだった。

 彼はそのことが驚くほど嬉しかったのだろう、そしてそのお菓子を嬉しくて嬉しくて堪らなくなりながら食べ、それが無くなるのが惜しくなるくらいだったのかも知れない、だからまだ半分あると言ったのかも知れない、そこに彼の愛らしさが輝く、白髪の無精髭を汚く伸ばしていたが、吹いてはいないが春風を浴びたようにニコニコしていた。

 「オレ・・・」と言いながら、彼は自分の胸を軽くたたき、「ずっと気にしていたんだ。出ていけって言っちゃったけど・・・」

 「そう、心配していたんだね。でも、ほんとに良かった!彼女は良いところで働いているんだね」

 「うん、社長さん、二回電話くれて」と言い、彼はケイタイを開いて見せてくれた、「この番号が社長さん」。

 ただそこには番号だけが並んでいたが、彼はきっと物凄く嬉しかったのであろう、社長さんの番号を覚えていた、太い指で小さな番号を指した。

 「ほんと、良かった!良いことをしたね!」

 「うん、良かった!」

 彼は彼女に自ら口にした言葉を悔いていた。

 その悔いた思いにあの方は答えてくれていたようだ、こう思うのは私だけであろうか。

 ただ彼は彼女の生活が落ち着いたこと、優しい人がそばにいることを心から喜んでいたことは紛れもない事実であった。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライブの帰り。

2016-03-25 12:09:17 | Weblog

 昨日はミスの多いライブではあったが来てくれた人たちは喜んでくれていた。

 もう何回も歌っている曲ではあったが、ふぅーっと歌詞が飛んで行ったことに一瞬遅れて気が付き、次の一瞬でそのまとめをし始め、集中が途切れていくのと歌い上げるのを諦めてしまう恐怖を必死に闘い食い止めながら歌い続け、まとめきれないところは間奏し、どうにかぼろきれを縫い合わせたようにして歌い上げた。

 聞いていた人はもしかしたら新しいアレンジだと思ってくれたかも知れないが私としてはあたふたしていたのだった。

 不承不承の状態はあったがそれをどうにか乗り越えた解放感を春の陽射しが後押しするように射している。

 あんと家の前で日向ぼっこした。

 昨夜ライブの帰りに深夜のラーメンと小ライスを食べてしまったので、さて、ゆっくりと体幹トレーニングをこれからしようと思っている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助け合い。その後。

2016-03-22 12:53:19 | Weblog
 
 先週雨のなか、彼は私をいつものようにいつもの場所で待っていた。

 重い腰を上げるようにして私に近づき、例の女の子のことを話し始めた。

 「もうダメだよ、オレ、出てってくれって言ったんだ。帰って来ても、ただいまも何も言わないし、何も片付けないんだよ。半月も泊まったのに、何にもしないんだよ」

 「そうだったんだ・・・、でも、良くしてあげたね」

 「オレにはもうダメだよ」

 「そうか、でも、彼女、仕事はしているんでしょ?」

 「うん、今日も行ったけど、帰ってくんな!って言ったから」

 「そうか、今まで良くしてあげたね」

 「うん、いろいろとオレが全部してやったけど、何もしないから、オレにはもう無理だ」

 彼は少し酔っていた所為か、赤い目をしていた、それが涙目のようにも見えた。

 良いことをしても、それが報われることがない時があるが、それでも、マザーは言う、「し続けなさい」と、それは簡単なことでは決してないが、生きる力となる愛の深い意味がある。

 その時、彼にその思いを伝えようとは私は思わなかったが、それにしても彼がしたことがまったくの無であったとは思えない、事実彼女は仕事を見つけられたのである。

 彼は思い通りにならず、傷付いたかもしれない、いまは悔しい思いで一杯かも知れない、がしかし、その彼もあの方に見守られている。

 私にはそのことを伝える喜びが残された。

 これから、その女の子と彼がどうなるかなど、誰にも分からない。

 だけど、彼はまた私を待っているだろう、その時は桜と春風と一緒に会いたいと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんは騙せない。

2016-03-21 13:07:23 | Weblog

 もうベランダに出て一服していると、天神山からウグイスの声が聞こえる。

 春の陽光は小さく芽吹く木々の葉たちに祝福を与えている。

 私もその同じ祝福を与えられている。

 それを肌で感じ、瞳を通して伺い見、心で撫でるように愛でる。

 私は私が好きな季節、春の到来を喜んでいる。

 昨日の午後はあんの爪切りに出かけた。

 前回は二ヵ月前、あんの爪切りは二ヵ月に一回の割合で行っている、その前回の行く道すがら、あんは目的地のトリミング店のあるホームセンターまで真ん中ぐらいになる矢野口の駅辺りですでに何かを察し、帰ろう帰ろうと座り込んだりした。

 その度ごと、私はあんを励まし、「大丈夫、大丈夫、あん」と言うのであるが、あんにしてみたら、「何が大丈夫なの?またあの怖い、爪切りでしょ!私は大っ嫌い」と間違えなく心のなかで言っているようで、すでにブルブルブルブル震えていた。

 あんがそんな状態になると私としても、あんの心が私に移り、緊張して嫌な思いになったのであった。

 だから昨日は前回とは違う道を通り、ホームセンターに向かったが、やはりもう矢野口の駅辺りで感の良いあんは感づいてしまっていた。

 それでももう予約も入れてあるし行かなくてならない、あんの嫌がる気持ちは痛いほど分かっていたはいたが、あんを歩かせた、どうしても歩かないところは少し抱っこして向かった。

 ホームセンターに着き、あんをカートに乗せるとあんの自慢の尻尾は垂れていた、そして「ひゅーん、ひゅーん」と怖い怖いと言ってブルブルブルブル震えていた。

 そんなあんを見ると私の緊張と不安も否応なしに高まって行った。

 動物の心も人の心に移るものであることを痛く感じた。

 その最たる不安のなかにも、神さまはいてくれた、と言うのは、私が一番信頼しているトリマーさんがあんの爪切りをしてくれることが分かったからである。

 行く前からそのトリマーさんだったら嬉しいと思っていた、その彼女はその店で一番うまいトリマーさんだと思えた、理由は純粋である、あんはその彼女が爪切りをするときはあまり吠えないのである、そして愛情豊かにあんにいつも接してくるのである。

 以前あんがキャンキャン吠えたときにはそのトリマーさんは「とてもおしゃべりさんですね」と言ってくれたのであった、そんな表現があるのかととても感心したことを私は忘れられなかった。

 そして今回もあんは前回ほどキャンキャン言わなかった。

 「終わりました」とあんを抱っこして、そのトリマーさんが来た。

 「良かった!良かった!すぐ終わったでしょ。尻尾をあげて!」とあんに言うと、あんの尻尾はぐるんとまき、背中に付いた。

 「もうたいへんです、来る道を変えたりしても、もう矢野口の駅のところからブルブルブルブル震えるんです」

 「そうなんですか、頭がとても良いんですね」と目を細めた笑顔でそのトリマーさんは言ってくれた。

 やはり私はそのトリマーさんはプロだなと感心した、キャンキャンわめくたいへんだったあんの爪切りの苦労など態度に絶対に現さず、否定的なことは言わない、素敵な仕事をしていると思わずにはいられなかった。

 その後、苦しみから解放されたあんと一緒に春の陽光が何とも気持ち良い多摩川を行き、少年野球を見た。

 「桜井、先輩に変な球を投げて、何にも言わないのか!」コーチが叫んだ。

 「すいません!」と帽子を取り、「よろしくお願いします!」と言って、振りかぶってボールを投げる少年を見た。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助け合い。その2。

2016-03-15 12:31:56 | Weblog

 「そうなんだ・・・」と私は彼の話しの途切れるところに声を入れ、しかしあまりにも唐突に話した出したその話しを正確に理解するためにもう一度私が理解した彼の話しをまとめるようにして質問した。

 ようやく話しの道筋が分かりかけて来た。

 その彼女は一週間前に渋谷のどこかで持ち金などを全部盗まれ、どこをどう歩き、どう生活していたかは分からないがそれ以来ずっと路上で暮らしていた、食べるものもろくに食べていなく、行く当てもなく、することもなく、絶望のなか、動く気力も体力も無くなり、きっと死も考えたであろう、夜の寒さに凍えながら、山谷にたどり着き、ただ長い時間そのベンチに放心状態で座っていたのだろう。

 親には連絡できず、それゆえ警察にも連絡できなかったのかもしれない、それに友達でもいれば、どうにかして連絡をすることもしただろうが、それも出来ない環境に今まで生きていたのかも知れない。

 その暗闇に急に光りが射したのか、彼が声を掛けた。

 彼女は疲れ果てていただろう、見も知らずのおじさんに藁にもすがる思いで厄介になり、安心して寝る場所を与えられ、空腹からも解放され、生きる気力を取り戻し、生きて行くためにどうにか日払いの仕事の見つけたようであった。

 まだどこかに泊まるほどのお金はなく、今日も仕事に行ったが帰って来るようだった。

 ほんとうに今時、住所もない状態で日払いの仕事が簡単に見つかるのだろうか、そうした疑問は尽きなかった、だが、彼はその仕事場の住所も知っていて、何人で働いているかも知っていた。

 にわかには信じられないウソのような話しではあるが、これは間切れもない事実だった。

 その彼女は彼にどうしようもない苦しみのなかから救われたようだ。

 彼はやはり優しい男だ、酒を飲むが暴れるようなタイプではなく、その表情には不器用さも現れているがどことなく親しみ深いところがあり、笑顔も可愛い感じのする男性だから、傷付いた彼女は彼を信じることが出来たのかも知れない。

 彼もまた困っている人を手助けすることにより、愛と誇りを取り戻し、自らをも救ったような思いになっていたのではないかと私には思えた。

 与えたものは与えられる、信じたものは救われる、どうしようのない苦しみのなかにいるものにはあの方がいる、このことをやはり私には信じざるを得ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助け合い。

2016-03-14 12:46:53 | Weblog

 この前の土曜日も彼は白髭橋のたもと近くで私を待っていた。

 彼は65ぐらいの男性、以前何度かブログに書いたことのある、アパートの住人との関わりはうまく行かず、アパートを移ったが、そこでも同じように深夜の騒音の問題やらがあり、夢か幻覚に悩まされ、精神的に苦しみ、いつもアパートには帰らず、隅田川沿いの首都高の高架下で寝泊まりをしていた、だが、ここ最近は私に会う度、アパートには帰っていますと言い、心配しないでくださいとの思いを漂わせる笑みを見せていた。

 ちなみに、この彼は一度もカレーをもらったことがなかった、良かったらカレーを食べてと何度も言っても、お金はあるからと、誰からの世話も受けないでいた、いつも一人でいたのでこうして私が話しかけるようになり、それから、いつも自転車に乗ってやってくる私を挨拶のようなほんの少しの会話のために待ってくれていた。

 この日も彼は私の姿を遠くから見つけると片手をあげて近寄って来た。

 「元気にしていますか?」

 「はい、元気です。いま沖縄出身の23歳の女の子をアパートに泊めているんですよ。この前そこのベンチにずっと座っていたんです」

 誰かに打ち明けたい話しを疼くようにずっと待っていた彼であったのであろう、彼は彼が話したかった本題を行き成りは放し始めた。

 そして女の子がいたそのベンチとは彼の立っていた場所の奥、通りを超えたところにあるゲートボール場を囲むようにしてあるベンチである、彼のいつもいる場所から良く見える場所だった。

 「彼女は渋谷で働いていたんだけど、何もかも盗まれて、お金も持っていなくて、ずっとベンチに座っていたんです」

 彼は彼がどのようにして声を掛けたのかを説明せずに話し続けた、何もせずにただベンチに座っていた彼女の佇まいに自分と似た哀しみを見たのかもしれなく、声を掛けずにはいられなかったのだろう。

 「一週間もお風呂に入っていなくて、だからお風呂に行って、それから洋服を着替え、仕事を探すって。だから4000円貸したんです。沖縄に帰ればって言ったんだけど、親とはケンカしているから帰れないって言うんで・・・」

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足あと。

2016-03-11 12:47:46 | Weblog

 あなたはこの素敵な話しを知っているだろうか。

 
 「足あと」

 「ある夜、わたしは夢を見た。

 わたしは、主と共に、なぎさを歩いていた。

 暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。

 どの光景にも、砂の上に二人分の足跡が残されていた。

 一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。

 これまでの人生の最後の光景が映し出された時、

 わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。

 そこには一つの足跡しかなかった。

 わたしが人生で一番つらく、悲しい時だった。

 このことがいつもわたしの心を乱していたので、

 私はその悩みについて主にお尋ねした。

 『主よ。わたしがあなたに従うと決心した時、

 あなたは、全ての道で、わたしと共に歩み、

 わたしと語り合って下さると約束されました。

 それなのに、わたしの人生の一番つらい時、

 一人分の足跡しかなかったのは何故ですか。

 一番あなたを必要としていた時に、

 あなたが、何故、わたしを捨てられたのか、

 わたしには分かりません。』

 主はささやかれた。

 『わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。

 あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に、

 足跡が一つだったのは、

 わたしがあなたを背負っていたからだ。』」

 
 あなたがもしこの話しに感動したのなら、マザーの言う「いつも喜んでいなさい」の深い意味を知っていることになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Let's pray.

2016-03-10 12:45:39 | Weblog

Morning Prayer

Lord, teach me to be generous,
Teach me to serve you as you deserve;
to give and not to count the cost,
to fight and not to heed the wounds,
to toil and not to seek for rest,
to labor and not to ask for reward.

Missionaries of Charity in Yemen
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする