カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

私の心体実験。

2018-11-29 12:19:24 | Weblog

 

 もう10数年前のことである、私は私に心底厭きれたことがあった。

 「何がマザーテレサだ、何がボランティアだ。オマエはただ偽りの善者の仮面をかぶった大バカ者ではないか」と私は私に絶望した。

 どうしてそのように思ったか、何があったかはここには書かないが、私はそれから自分自身と本気で向き合わなければならない、心底、自分を変えたいと思った。

 長いモラトリアムから解放を切望した。

 私は私がどう作られたかを探るために記憶のなかにある最初のことから親との関係を洗いざらい書き出し、何を我慢し、何を求め、何が嫌で、ほんとうはどうしたかったのかをひたすら書き出した。

 それは内観のようなものであった、誰にも見せられるものではなく、時に涙を流しながら書いたことも何度もあった。

 親のことから始まり、自分が関わった人たちのこと、すべてについて、心のなかにあるものを書き出し、私はそれを客観的に受け容れるようにしては、ひたすら私の心史を書き続けた。

 3年書き続けたある日、光りが私に射しこんだ。

 私の目に映る物が今までになくキラキラと輝て見えた、それは解放されたと言う感覚をまとい、生きる喜びにあふれ、私のうちには「私は私で良い」と言う肯定感に包まれた体験をした。

 それからも事あるごとに私は心史を書いた。

 何かモヤモヤしている時や怒りの感情に惑わされている時には紙切れにも書き出しては、それを読み捨てた、モヤモヤや怒りも一緒に捨てた。

 私が私になろうとするために、誰のためでもなく、私のために、私は本気になっていた、それは季節が変わるが如く、穏やかに胸のしこりを取り除いてくれた。

 {つづく}


心は見えるのか。

2018-11-27 11:54:24 | Weblog

 

 少し前のことであるが、ジェイソンの友人が神戸から来て山谷のMC{マザーテレサの修道会}のボランティアに参加した時のことである。

 私は炊き出しの配られる白髭橋に歩き向かいながら、ジェイソンの友人に山谷の歴史を話した。

 コツ{骨}通りや小塚原刑場、泪橋のことを話した。

 「霊感がある人はこの辺りでは霊が見えるようですよ。霊感はありますか?」と私はジェイソンの友人に聞いた。

 「ありませんね」

 「ジェイソンは霊感はある?」

 「自分もないです。テツさんはありますか?」

 私はまったく霊感はないので「ないよ」とジェイソンに答えた。

 ジェイソンは「テツさんは心が見えますよね?おじさんたちの。じゃ、ないと{ボランティアも}続かないでしょ?」

 私は日本語でもお世辞の言えるジェイソンに感心しながら照れて「さて心は見えるのかな、どうかな?」と曖昧な返事をした。

 私には炊き出しに来るおじさんたちの心が果たして見えているのだろうか、私は私のうちにある痛みを通して自分勝手な思い込みでおじさんたちを見ているのではないだろうか、私は私のその感情を超えて、神の目を借りて、おじさんたちの心を見る必要があると常に思っている。

 思っていながら私はすぐに私の目で見てしまい、感情に流されては調子に乗ったり、思い上がったり、驕りにまみれたりしている私の方にばかり気が付くことが多い。

 ほんとうに心で見るようにしなくてはならない、神の目で見なくてならない、大切なものを大切にするために。

 私はジェイソンの方が心でおじさんたちを見ているのではないかと思う。

 言葉や育った環境の違いを気にせずにおじさんたちと心を通わせようとジェイソンはいつもしていた。

 私はその姿からも学ぶ必要があると思えてならないのである。

 


「天に星 地に花」上下を読み終えて。

2018-11-26 10:57:37 | Weblog

 

 「天に星 地に花」は帚木蓬生氏の筑後三部作の一つである。

 江戸時代の筑後の農民の話しで克明に描いてあり、医師として成長していく主人公庄十郎を通して、当時の農民の生活の厳しさ・苦悩と大地とともに生きる健気さと気丈さを力強く描いている。

 もっとも心を惹かれたのは医についての言葉である「医は祈りに他ならず、祈りは、いかなるときでも人の復元力を損なわない」、これはまさに精神科医でもある作者の思いに他ならない。

 土曜日の山谷のボランティア帰りの電車のなかでこの本を読み終えた私にはこう思えて仕方がなかった「炊き出しは祈りに他ならなず」と。

 カレーを食べて安堵しているおじさんたちへの思いはいつも自然と祈りとなっていた、どうか命を繋いでほしい、生きる力を繋いでほしい、私には何も出来ないかも知れないが、何もせずにはいられない、せめて祈らせてほしい、祈らざるを得ない思いが常であった。

 農民は飢饉との闘い連続であった、それは今から70年ほど前までそうであったことを私たちのほとんどが知らないのでないだろうか、私もその一人であった。

 昨日読んでいた谷川健一氏の「心にひびく小さき民のことば」には昭和九年の大凶作では身売りが激しく行われたことが書かれていた。

 岩手秋田地方からはたくさんの女の子(約300人)が売られ上野に向かったという。

 彼女らを見て、祈らざるを得なかった多くの人がいたのも事実であろう。

 空腹を知らない私たちは何かを忘れている、祈ることを、あるものに感謝することを、切なるに。


私の人体実験。

2018-11-22 11:44:47 | Weblog

 

 普段私が食べるものは大抵が決まっている、身体を鍛えながらであるが身体に良いものを毎日取るようにして、どう身体が変わっていくかの人体実験をこの一年していた。

 するとこの前の健康診断では視力以外はオールAになった。

 肝機能は問題なく、中性脂肪は30以上減り、善玉コレステロールは増え、悪玉コレステロールは減っていた、私の人体実験は成功したと言えよう。

 私がほぼ毎日食べるものは豆乳、アーモンド、カカオ88%のチョコ3~4枚、ゆで卵二つ、チーズで仕事中の飲み物は水か白湯である。

 週三回のトレーニングのうち、二回はその直後に鳥のささ身を食べたり、プロテインは飲んでいない、そして普段からもささ身を食べるようにしている。

 やはり胸肉よりはささ身の方が筋肉が付いてくる体感を感じる。

 ブロッコリーやトマトも良く食べるようにしている。

 甘いものは一切食べないようにして、ラーメンやパスタも食べないようにしてきた。

 しかしラーメンはたまに無性に食べたくなるので月一回ぐらいは食べることがあるくらいにしている。

 お酒は週に一回の休肝日を除いては普通に飲んでいるし、タバコも辞めれていないが、この調子であれば問題はないと思っている。

 仕事場では毎日10分ほどリンパストレッチを行っている、これもデトックスが出来、身体と心に良いと実感している。

 「何を目指しているの?」と良く聞かれるが、特に何を目指している訳でもなく、ただあるとすれば、自分を道具にしようとしている。

 平和の道具である。

 どんなに辛い仕事でも平気な顔をして行いたいと思っているし、身体の疲労を軽減させ、心は穏やかでいたいと思っているゆえにトレーニングはしている。

 それは心と身体のバランスを保つためにでもある。

 やり続けては分かることはやはりトレーニングは裏切らないと言うことである、効果は必ず体得される。

 トレーニングはやりたくないと思った時でもやった方が良いことも実感している、トレーニング後の心理状態は改善されている。

 もし続かないと言う人がいるのであれば、こうは考えられないだろうか、これは人体実験だと、私がその観察者であり、被験者である、それを楽しみながらやるようにしてはどうだろうか。

 自分を変えられるのは自分自身だけである。

 そのチャンスはいつも与えられている。

 それを喜んで受け容れてみようではないか、微笑むことを忘れずにである。

 自分の知らない自分が微笑みながら、ずっと待っているのである。


あんがあんになった日。

2018-11-21 13:05:16 | Weblog

 

 今日は愛犬黒柴のあんがうちにリンゴのダンボールのなかに入って来た記念日、それはあんがあんになった記念日である。

 あっという間にあんはうちに来て9年になる。

 今朝はあんと多摩川に行ってきた。

 多摩川上空を軽快に調布飛行場に着陸していくセスナ機の音に呼ばれ、見上げた青空のなかにはらせん状の白い雲があり、青空はそれを引き出させていた。

 公衆トイレの近くのベンチにウッドベースを練習している人がいた。

 最初ウッドベースを練習している人は録音しているトランペットの音に合わせて練習しているかと思ったが、あんとともに短く刈られた草むらを歩いていると、離れたベンチにはトランペットを練習している人が見えた。

 そのトランペットの音は河原に心地良く流れていた、とても綺麗な音を流していた。

 少しずつあんと私は彼らがいる方へ歩いて行った。

 まず近くにいたウッドベースを練習している人の傍を通ると、あんはその低音が怖かったのだろう、自慢の尻尾を下げ、そそくさと逃げ足になった。

 続いて、トランペットを練習している人の傍を通る時にはあんはその音には何の警戒心もなかった。

 あんの耳にはどう聞こえているのだろうか、もしかすると、ウッドベースの低音の波動が怖いのかも知れないと思った。

 怖いと言うか、あんにとっては初体験する音に慣れていないだけのことかも知れなかったが、近くに寄って初めて聞こえ出したので驚いたのだろう。

 それは花火の大きな音を聞いて、ダッシュで逃げ出す感じではなかった。

 トランペットのジャズが流れていた多摩川、良い風も吹いていた。

 多摩川の沿線道路を渡ったところには寒桜が咲いていて、しばらくそれを私は眺め、あんは楽しそうに辺りをクンクンしていた。

 今日はあんと出会えた記念日のセレブレイトをしよう。

 そう言っても特別なことはあまりしない、ただ仕事から帰って来る途中でスーパーに寄って、あんの大好物のメカジキの切れ身を買ってきてあげよう。

 あんはメカジキをボイルしてのがほんとうに好きである。

 あんは不甲斐無い飼い主の私にも関わらず、9年も一緒にしてくれたこと、いつも晩酌のともをしてくれていたこと、元気でいてくれたことに惜しみなく感謝をしたい。

 

 

 昨日の夜、「手術はスムーズにうまく行き、傷も小さくて済んだこと、マザーがイエスさまに伝えてくれた。 ほんとうにありがとう」とスキップから来ただろうメールを送ってくれた。

 私はすぐにマザーの写真と「良かったね」と返信した。

 彼女は「ありがとう」とかえって着た。

 私は「こちらこそ祈らせてくれてありがとう」と返信した。

 彼女は号泣しているキャラクターを送ってきた。

 


12時から。

2018-11-20 11:41:29 | Weblog

 

 いまアピア出演者の友達からメールが着た。

 「今日、スキップ{彼女の友達}が12時から手術だから祈ってね。祈る力をかしてください」と。

 彼女は私と同じようにマザーのことがとても好きなので、私は「マザーに祈るね」と返信した。

 「ありがとう」とすぐに返信が帰って着た。

 友達のことが心配で気が気ではないのだろう、そして、何か大切な友達のための出来ることはないのだろうか、何かせずにはいられず、藁をも使う思いで私にメールし、また他の友達にも「祈る力」をかりようと連絡しているに違ない。

 どうかこれを読んだ人はほんの一瞬でも良い、昼12時から手術するスキップのために祈ってください。

 時間が遅れて読んだ人も祈ってください、無事に手術が終わっているように。

 スキップがどんな人なのか、どんな病状か、私も知らない、だけど、彼女の友達スキップを思う心は美しいと思わずには居られない。

 祈る力が無だとは私には思えない、他人ために祈ることが無だとは私には思えない、マザーは祈る力をかしてくださいと言う彼女の心と行動を喜んでいるに違いない。

 その思いを通して、私はマザーに祈る、スキップのことを、彼女のことを。

 "Love is in action" Mother Teresa

 


貧しい人びととは。

2018-11-19 10:54:40 | Weblog

 

 前回ブログに書いたどん底の男は先週の土曜日は久しぶりに顔を見せなかった。

 どこで何をしているのだろうか、どこのどん底を生きているのだろうか、いまは何を思い、何に飢え、何を欲しっているのか、お腹は空いていないか、孤独ではないか、誰か何か彼の孤独を癒すものは彼の傍にないのだろうか、同じ陽射しを受けているこの陽射しが少し温めてくれてはいないか、慰められてはいないか、思いは尽きず、祈りも尽きない。

 マザーの言葉。

 「あなたたちと分かち合うことを許してくださった神にとても感謝しています。

 神のおかげで私たちが接する人びと、貧しい人びと、イエスがその苦しむ貧しい人の姿に身をやつしているのですが、こうした貧しい人びとの喜びと感謝の気持ちを、あなたたちに伝えることが出来るのです。

 あなたたたちは、神に対する愛を実行に移す方法を、神やあなたたちの隣人に見い出そうという素晴らしく貴い目標を持っています。

 信仰を行動に移すことは愛です。

 愛を行動に移すことは奉仕することです。

 信仰を愛の生きている行為に変えることで、私たちは神御自身に、私たちの主イエスに触れることです」

 {1976年8月30日、マルタ共和国クリスチャンの男子学生たちへの講話より}


どん底の男。

2018-11-15 11:53:37 | Weblog

 

 以前ブログに書いたどん底のおじさんは毎回土曜日の炊き出しには来てくれている。

 相変わらず、どん底の状態をたんたんと私に話してくれる。

 「先生、これを見てよ」と彼は自分の太もものジーパンの大きな穴に手を入れた。

 「先生だから言うけど、オレ、パンツ履かないんだ。これさ、タバコの火で燃えちゃってね。危ないところだったよ。もう少しで大火傷するところだったよ。もう寝ようと思ってたんだけど、タバコ吸ったら、ボケーっとしてたんだろうね。火が落ちたのが気が付かなくてさ。ジーパン、燃えてたよ。ほんと、もう少しで大火傷するところだった。危なかった・・・」

 他に履くズボンがないんだろう、下着を履かずに15センチぐらいの大きな穴が開いているたぶたぶの大きなジーパンを履いたままだった。

 私は危ない所を助かった彼に良かったねと何度も言った。

 誰一人、彼にそうした言葉を掛ける者はいないだろう、その分を補うように何度も言った。

 「命拾いしたよ」と言った彼の苦笑いの顔に向かって、私は「命を大切にして」と微笑んで返事をした。

 


アンさんの歌声。その2。

2018-11-14 13:00:23 | Weblog

 

 アンさんが登場した。

 「アンさん!」と私たちが声を掛けると、ニコッとしてくれた。

 最初は音合わせしていた、開場がオープンな場所なので、すでにお客さんを前にしているため、たぶん最低限の音合わせだったに違いないが、それも見れて良かった。

 たぶんそこにいたお客さんたちもそう思った人が多かっただろう、それに蚤の市の入場料だけ見られたのだし。

 野外で聞くアンさんの歌声は初めてだった。

 岡さんはアンさんの新しいアルバムが出るたび、いつも持って来てくれる。

 アンさんの一番新しいアルバムのなかには小沢健二の「僕らが旅に出る理由」があって、私はそれをとても気に入っていた。

 だからYouTubeではアンさんの小沢健二の「僕らが旅に出る理由」の野外ライブを何度か見ていた。

 この曲を歌ってくれたら思っていた。

 そうしていたら、一時間のライブの最後の方に歌ってくれた。

 天気の良い夕暮れ時の空にアンさんの歌声は綺麗に伸びていた、きっと多摩川を超えていくほどに。

 アンさんの後ろ姿越しに見えるお客さんたちの笑みのお花畑を眺め、その幸せそうな顔たちはアンさんの歌声が癒しの泉となり、潤していることが見て取れた。

 アンさんが神さまのために美しいことをしているのだと思えた。

 そう言えば、リハーサル中にアンさんの後ろ姿を写真に取り、それを岡さんも知っているカオルコに「誰でしょう?」と送ってみると、すぐに「アン・サリーさんだー!」と返信があった。

 カオルコもアンさんのファンだが、その後ろ姿だけで分かるのは凄いと思った。

 岡さんと一緒に驚いた。

 アンさんの歌声に私も間違えなく癒された。

 幼稚な夢の捨て方すら忘れてしまったしがないうたうたいの私にまた歌う勇気をも与えてくれた有り難い一日であった。


アンさんの歌声。

2018-11-13 13:00:49 | Weblog

 

 土曜日の朝、山谷に向かうために駅で電車を待っていると、岡さんから「アンさんのライブに行きませんか?」とメールが着た。

 隣駅の京王多摩川で開催している蚤の市でアンさんが15:30から歌うとのことだった。

 山谷のボランティアの後は何も用事がなかったので「良いよ」とすぐに返事をした。

 500円の蚤の市の入場料だけで見れるということだし、それに近所だし、しばらくアンさんにも会っていないのでこれは良い機会だと思った。

 山谷ではボランティア後の昼食を食べ、掃除をしてから蚤の市に向かった。

 たぶん毎年やっているのだろう蚤の市であるが、私は近くに住んでいるのに行くのは初めてだった。

 岡さんとは駅の改札で待ち合わせ、京王閣でやっている蚤の市に向かった。

 普段人ごみなどには滅多に行かない私は人の多さに酔いそうになったが、こんな時はマンウォッチングをするのが良い、すれ違う人たちのドラマを想像し勝手に垣間見ては楽しんでいた。

 とりあえず、岡さんとビールを買って乾杯して、アンさんが歌う八角テントを探した。

 人波をかき分けて、何度か働いている人を見つけては場所を聞き、入り口からかなり離れたところにあった八角テントを見つけた。

 とりあえず、まだ空いている席に座ると、そこは一番前だったが、アンさんが歌う真後ろだった。

 「前の方で見ますか?」と岡さんに言われたが、後ろから見ることも滅多にないだろうと思い、そのまま腰を据えることにした。

 そこで岡さんはアンさんに私も連れて来たことをメールしていた。

 アンさんは岡さんの先輩で二人はとても仲が良い、まだ医大生だった時、岡さんは一度アンさんを山谷に連れて来たこともあったくらいである。

 それはもう20年ぐらい前のことになってしまっている、ほんとうに時が経つのは早いものだと思わずには居られないとぼんやり思いながら、カップに入っていた生ビールの減りが気になったので、私は御代わりを買いに腰を上げた。

 {つづく}