もう10数年前のことである、私は私に心底厭きれたことがあった。
「何がマザーテレサだ、何がボランティアだ。オマエはただ偽りの善者の仮面をかぶった大バカ者ではないか」と私は私に絶望した。
どうしてそのように思ったか、何があったかはここには書かないが、私はそれから自分自身と本気で向き合わなければならない、心底、自分を変えたいと思った。
長いモラトリアムから解放を切望した。
私は私がどう作られたかを探るために記憶のなかにある最初のことから親との関係を洗いざらい書き出し、何を我慢し、何を求め、何が嫌で、ほんとうはどうしたかったのかをひたすら書き出した。
それは内観のようなものであった、誰にも見せられるものではなく、時に涙を流しながら書いたことも何度もあった。
親のことから始まり、自分が関わった人たちのこと、すべてについて、心のなかにあるものを書き出し、私はそれを客観的に受け容れるようにしては、ひたすら私の心史を書き続けた。
3年書き続けたある日、光りが私に射しこんだ。
私の目に映る物が今までになくキラキラと輝て見えた、それは解放されたと言う感覚をまとい、生きる喜びにあふれ、私のうちには「私は私で良い」と言う肯定感に包まれた体験をした。
それからも事あるごとに私は心史を書いた。
何かモヤモヤしている時や怒りの感情に惑わされている時には紙切れにも書き出しては、それを読み捨てた、モヤモヤや怒りも一緒に捨てた。
私が私になろうとするために、誰のためでもなく、私のために、私は本気になっていた、それは季節が変わるが如く、穏やかに胸のしこりを取り除いてくれた。
{つづく}