ここに来たくて来たくてしょうがなかった日々をときどき思い出す。その思いがまた少しの力をここにいる自分に与えてくれる。
今日はここに来たくてしょうがなかった女性、ここに来てボランティアをしたくてしょうがなかった女性を思い、仕事をした。
その女性はここに来れなかった。彼女は自殺をしてしまった。
彼女はどんなにこの街を思い描いたのか?マザーに何の救いを求めたのか?彼女は何から逃れたかったのか?彼女はどう生まれ変わりたかったのか?マザーの愛がどう欲しかったのか?マザーに何を求めたのか?
あらゆる問いが巡りめぐる。彼女の思いを自分のなかに生かして仕事をした。そうしようと決めた今朝、歯を磨いていると涙がぼろぼろと流れた。
涙は流れる必要があるため流れる。それを無理やり押さえつけることはしなかった。一人だったから、そのままにした。あらゆるもの、感じきれるもの、判っているもの、それ以上のものから、何かしらの影響を受け、その涙は流れた。
涙は流れるだけ流れれば、いつかは止まる。そこまで出してあげたい、そうした方が次に向ける。
無理やりの押さえ込んだものは、何であれ、いつかは飛び出してしまう。
自分はここでこのカラダを使って働いているが、魂は自分だけのものからではない。ここに来たくてしょうがない人や来れない人、永遠の別れをした人・・・いろいろな人たちの思いものせて、このカラダを動かしている。決して、自分だけの力ではない。そのことをいつもしっかり判っていたい。
昨日はハウラーまで友達を見送った。
帰りのフェリーから見る夕日がとてもきれいだった。風がとても優しかった。バブーガートまで着くまでに、その夕日は夕焼けを残して沈んでいった。
ふと思った。ほんとうにこの街は美しい。生きていることがうれしい。いま、あることがうれしい。そう思った。言葉にならない思いもすべてあたたかく感じた。