カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

今度のライブでは。

2012-05-31 12:45:38 | Weblog

 ライブが近づくと忙しくなる。

 毎日のスケジュールにうたの練習が入ってくるからだ。

 やはりいつも以上にギターを持つ時間も増えるし、新しいうたも作ろうとすると自分の脳はそれに力を費やす。

 ライブのその日までにステージに立てるモチベーションを整えると言うか、何だろう、そこに標準を合わせ、意識せずとも緊張やらも生まれてくるようだ。

 甘えとやる気の小さな戦いとも言うべきものが静かに起こっていて、またそこを治めるものまで現れたりもする。

 しかし、間違えなく時間はそこを流れていく。

 残酷と思えれば、そこには甘えがあり、喜びと思えれば、そこには創造性への期待が生きてくる。

 またそこで自分の思いを超えて、何かを感じ、感じることを主体に、丁寧に観て行こう。

 複雑に絡み合うものすべてが自分を成しているその事実を改めて知るのである。

 今度のライブには20年間使ってきたカルカッタで買ったギターにお休みをあげて、新しく買ったギルドのギターを初めて使おうと思う。

 宝の持ち腐れにならないようにギルドのギターの音が自分の声と仲良くなってくれるように、今はその具合をみている次第である。

 次のライブは6月12日アピア40である。

 さて、ほんの少しでも成長出来るようにギルドのギターをならしてみよう。

 成長すること、より良く変わることは自分次第である。

 それは常に問われ、これに答えられるようにありたいと、イエスと言えるようにと、自分は自分を観るのである。

 
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どうして?

2012-05-30 11:27:02 | Weblog

 月末の炊き出しにはやはりおじさんたちは多く来た。

 インドの学生たちはカレーを作る施設内では仕事がなく、先に白髭橋に行ってもらった。

 彼らはおじさんたちを見て、その生徒のほとんどが「どうして彼らの子供は面倒を看ないか?家族はいないのか?」と言うことが気になったと引率してきた先生が自分に話してきた。

 そこでこう言った。

 「私たち、一人ひとりのそれぞれのドラマがあるように、彼ら一人ひとりにもそれがあります。ある人は精神病かまた人格障害を持つ人もいるでしょうし、ある人は刑務所とここを行き来を繰り返している、一人ひとりのそうせざるを得ない理由があり、ここに来ています」。

 先生はそれを納得してくれ、学生たちに話してくれた。

 引率のボランティアをしていた坂本君の友達には、こう言った。

 「どうして?とその問題をその人の価値観で決めてしまえば、それはそれだけに映ってしまう。それは結局、おじさんたちを見ているのではなく、自分の想像、また価値観を見ているだけで実際の彼らを見ていないことになる。またそれにも気が付かない。自分の思いを超えて、そこを深く思いやること、彼ら一人ひとりを良く看ることによって、また何かを発見し、可能であれば、そこに愛を注ぐことも出来る。だけど、自分の考えだけで固まっているものには愛などは思いつかず、ただ表面的なことを感じ、勝手に解釈して、それで終わってしまう。それはあまりにももったいないことなんだよ。だから、良く見るんだよ。自分が何を感じているかに注意しながらね」

 インドの子供たちにとっては、この状況はまずやはり理解するのが難しいだろう。

 ヒンドゥーの場合は子供が親の面倒を看るのが当たり前、そして、その役は長男の絶対的な仕事である歴史のなかに育っているハイカーストの彼らには瞬時に「どうして?」と言うことになってしまったのだろう。

 しかし、それは物事を自分の色眼鏡で見ていることに過ぎない、一人ひとりに愛を与えると言う視点から外れてしまっている。

 分かったことを分からなくする、その答えを求めない、そこに何があるのだろうかと深く物事を見る姿勢と想像性、思いやりを意識し続けるのがやはり大切であろう。

 だが、生まれて初めてこの光景を目にするものは、それに圧倒されてしまうのも事実かもしれない。

 この日は月末と言うこともあり、570人のおじさんたちが来た。

 
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精神的無意識。その2。

2012-05-29 12:46:40 | Weblog

 少し前にこんなことがあった。

 用があり、区役所に行った。

 市役所の前のバスの停留所に小さい女の子と若いお母さんが居て、ベンチの上に立っているその子に対して、「座ってください」と優しく声を掛けていた。

 その優しい関係の香る横を自分が通り過ぎた。

 用が済み、区役所を出ようと自動ドアの方に向かう、そこにその親子が居た。

 二人は自動ドアから入ってきた。

 母親は一瞬左を向いていたその瞬間、小さな女の子の女の子の右手が自動ドアに挟まれてしまった。

 その瞬間、自分は走り出していた。

 十センチほど入り込んだしまった小さな手を挟む自動ドアの間を開けようした。

 すぐには手は抜けず、その一瞬母親は「どうしよう・・・」と漏らした。

 自分は持っていた荷物を落とし、「ちょっと待ってください」と落ち着いて言い、もう一度力を入れなおして、その隙間を広げると小さな子の手はそこからすっと抜けた。

 それと同時に女の子は泣き出し、自分と母親は手が抜けたことに安心し、泣き出す女の子を抱き上げた。

 その事態を見ていた二人の女性が近寄ってきて、泣き出す子供をあやそうと来た。

 子供の手がどうにかなっていないことを確かめると、立ち去ろうとする自分に母親はあたふたしながらも何度か礼を言った。

 その時、自分は母親と同じ気持ちになっていた。

 それは女の子の手がどうにかならなかったか、どうしてこんなことにあったのか、自分の不注意だろうに、女の子は怖い思いを、痛い思いをしてしまったけど、大丈夫だよ、もう大丈夫だよ、女の子の恐怖と痛みを必死に引き受けようとしていた。

 そこに居た母、子、自分の心は一致していた。

 だが、女の子の手が挟まれたのを見た瞬間、自分は無意識だった。

 良い行いをしようとか、どうにかしようとか、考える術もなく、すでに走り出していた。

 これがフランクルの言う精神的無意識と言うものであろうと実感した。

 フランクルは言う、誰にもこの精神的無意識はあると。

 自分は思う、誰かが見守っている、必ずであると。

 その場を離れて歩き出しても、しばらく、まだ緊張していた。

 きっと母親の心もそうであろうと感じ思うと、そこから祈りが生まれてきた。


 フランクルの言葉。

 「愛するとき、私は自分を忘れます。祈るとき、自分のことなど眼中にありません。そして死ぬとき、同じようなことが起きるのです」

 
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黒じょかとそらぎゅう。

2012-05-28 12:35:01 | Weblog

 昨日はインドのプリーにあるNGOサンタナの坂本君と彼の友達二人がうちに遊びに来てくれた。

 彼らとは土曜日に山谷で会っていた。

 彼らはインドの高校生の修学旅行の手伝いをしていたが、昨夜は時間が空き、急遽うちに来れるようになった。

 少し時間があったので豚軟骨の赤ワイントマト煮などを作って待っていた。

 もちろん、あんは彼らが来ると大喜び、玄関での歓迎を終え、ゆっくりと飲んでいるときですら、一人ひとりの顔をペロペロしてまわった。

 日中は暑かったので割り水していた芋焼酎に氷を入れて飲んでいたが、坂本君が黒じょかで飲みたいとの希望で、黒じょかで燗をして飲んだ。

 そこで穴空きそらぎゅうも用意して楽しんだ。

 これは飲み干すまでずっと持っていなければ、穴から焼酎がこぼれてしまうお猪口であり、別名飲んべえ杯とも言われている。

 そらぎゅうの名前の所以は、「そら」「ぎゅー」と飲めと言うことで、これで勢い良く飲んでいるとあっと言う間に酔う。

 自分も酔う。

 あんの毛並みがとてもきれいとか、あんが可愛いとか、言われるといっそうに酔った。

 一人は仙台、一人は名古屋から来てくれたお客さん、遠いところから何かの縁でうちに遊びに来てくれたことは有り難いことであった。

 彼らはインドの高校生をディズニーランドに連れて行っている今日は今日でかなりのエネルギーを費やしていることだろう。

 インドの高校生の一生忘れないだろう想い出に関わっている喜びを思い描けるように今日も笑顔であって欲しい。

 
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精神的無意識。

2012-05-26 17:57:17 | Weblog

 フランクルには精神的無意識と言う大発見あった。

 「この考えは、いわゆる無意識だけが無意識なのではなく、意識そのものもその根底にはおいて無意識であることを指摘しているからである。しかも、彼{フランクル}は、その無意識の状態こそ、意識が最も純粋に働いている状態なのだと言う。「人格は自らの精神的作用の実現のなかで完全に忘我の状態になっていまうから、自らをその真の存在において反省することは不可能」である。しかもその時こそ、人格は最も完全な姿で「実現の現在」として「実存」するのである。」

 フランクル回想録 解説フランクルと現代 山田邦男氏より。


 今日山谷で久しぶりにインドのプリーにあるNGOの仕事で4年半を終えた坂本君に会った。

 彼のインドの仕事の繋がりから山谷にデリーにある高校生の修学旅行のガイドとして、12人のインド人の高校生を連れてきた。

 久しぶりに会った彼が言っていた。

 「こんなに人ごみの日本で自分が生きれるか、ほんとうに帰った着た当初は辛かったです。コンクリートの建物ばかりで耐えられない感じがしました。Tetsuさんが言っていた「まずはゆっくりとした方が良い」と言った意味が分かりました。

 彼には以前カルカッタのボランティアが日本に馴染めずに精神的に発病する子達が多いことを話し、そうならないように話をしたことがあった。

 「そうか、否定的な自分が多くなったら、なぜそうなのか、良く自分に聞くことが大切だよ」

 「そうですよね。やっとどうにかなりそうです」

 少し経ってから、彼にカレーを配っているところで話しかけた。

 「どう、山谷に来ると少し落ち着かない?」
 
 「そうですね、でも、それはどうしてでしょう?」

 「たぶんね、誰かが誰かを支えていると言う事実を目の当たりにし、それを心のどこかで無意識に感じ安心しているかもしれない」

 「そうですね、自分もそうだと思います」

 自分はこう感じる。

 この精神的無意識はそのなかに居なくても、それを実際に自分が行っていなくても、それを見た者の精神的無意識に連鎖するものであるということ。

 自分が意識する意識しない関係なく愛・良心は連鎖するのである。

 それは誰のなかにも「価値の実存的根源」としてあることをフランクルは語り続けた偉大なる人である。

 {つづく}

 
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生田緑地。

2012-05-24 12:52:41 | Weblog

 今日あんはワクチン接種に行った。

 一ヶ月前に狂犬病の注射の時に痛かった思いのトラウマからか、病院で注射を打つ時に「ワンワン」言って嫌がった。

 嫌がっているあんを見て、獣医さんはまずあんに試供品のご飯をあげてから打つことにした。

 それでも、嫌がった注射だったが、どうにか無事に終えて一安心した。

 今日は今朝から暑かったので、ミニに乗って病院に行ったので、注射を終えると一目散にミニの方へ歩き出した。

 せっかくミニで行ったので、あんが喜びそうな場所に連れて行こうと、日曜日に駐車場がいっぱいで入れなかった生田緑地に行った。

 想像以上に気持ち良い場所だった。

 ここには民家園や岡本太郎美術館などがあり、また長い自然遊歩道も散歩には最適な場所である。

 今日は自然遊歩道を歩いた。

 油断すると道に迷うくらい道が複雑にあり、注射を打ったばかりのあんを疲れさせないように注意しながら歩いた。

 湧き水も湧いていて、ホタルの里もあり、マムシ注意の看板があったり、そのなかに畑もあり、また自然がそのまま残っている素敵なところだった。

 自分もあんも森林浴にうっとりしながら40分ほどの軽く心地良い散歩を楽しんだ。

 あんの脳も活性化しただろう。

 自分の脳も同じような反応を見せていただろう。

 家の近くにこうした場所があることは幸いであると同時にこうした場所に導いてくれるあんにはやはり感謝である。

 心地良い散歩にあんは注射の怖さを忘れてくれたようにニコニコしながら、トコトコ歩いてくれた。

 あんの心は自分の心と繋がり、穏やかで喜びを感じていた。

 また一つあんの大好きな場所の発見にほっぺが自然と上がってしまうのである。
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うんち散歩。

2012-05-23 11:58:28 | Weblog

 うんち散歩とは、「さあ、今日は雨が降っているから、うんちをすぐして帰ろう」とか、「さあ、晩酌が待っているから、早くうんちをして帰ろう」とうんちをするあんを応援しながら、散歩に出かけ、うんちをしたあんをたくさん褒めて帰ってくることである。

 昨夜は休肝日明けでそのうんち散歩の夜だった。

 いつも出掛ける時に思う、昨日はあそこでしたから、今夜はこっちの方が良いかな、なんて考え、自分がリーダーとなり、あんを連れて行く。

 昨日は大通りを前日右に行ったので、左に向かった。

 まず天宿公園まで行った。

 その前にうんちをするかと期待したが、なかなかしなかった。

 おまけに天宿公園では雨で水浸しの公園のなかをはしゃぎまわった。

 よし、ここで無理なら、今度は芝間公園に行くことにし、その間もあんがうんちのしそうな駐車場には、あんに思う存分クンクンさせ、その後ろで魔術のように「うんち。うんち」と声を掛けたが、それは虚しい努力に変わった。

 芝間公園でもいつも走り回ったりしない、土の山の上から下、その周りを走り回った。

 もう傘を持ってついて行くのがたいへんだったので、小雨を受けることにして傘はたたんで、あんの遊びに付き合った。

 そこであんはその夜二度目のおしっこした。

 これがあんの「今日はもううんちはしませんよ」の合図であり、晩酌が待つ家への解放された道が許されたことを意味する。

 気が付けば、もうすでに50分も小雨の降るなか散歩していた。

 帰りにあいちゃんとあいちゃんのお母さんに姿を見えたので、「あん、あいちゃんだよ!」と言うと、もうダッシュで会いに行き、尻尾フリフリでまずあいちゃんのお母さんに寄って行った。

 あいちゃんのお母さんにあいちゃんのうんちのことを聞くと、一日に二度の時もあれば、一度のときもあるとのこと。

 あんも最近は一度のときもあるようになった。

 これはひとえにあんも成長してきた証しである。

 一時間ぐらいのうんち散歩になってしまったが、あんの成長の喜びをかみしめ、小雨が止んだなかを帰ってきた。
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一人ひとり。

2012-05-22 13:07:17 | Weblog

 土曜日の山谷は穏やかな陽射しのある良い陽気だったこともあり、500人のおじさんたちがカレーを食べに来てくれた。

 ボランティアはその週によって多かったり少なかったりする。

 先々週は53人のボランティアだったが、先週はたぶんそれよりはかなり少なかった。

 とは言え、何が変わると言うこともでもなく、いつものようにことが進む。

 ボランティアが少ないと、気にすることは食べた後の容器集めである。

 配るところだけにボランティアが多くては容器が集められなくなるので、何人か声を掛け、容器を集めてもらうようにお願いする。

 クレームが入り、ここで配れなくなることは自分たちとおじさんたちにとって大きな問題になってしまう。

 そうならないように最善の注意を払うことと、一人ひとりのおじさんとの会話を持てるようにボランティアに願う。

 大切なことは相手の尊厳を守り、心を配ると言うこと、それはマザーの願いに沿うということである。

 
 「一人、そして、また、ひとり。

 私は決して助けた人を数えたりしません。

 ただ一人ひとり、そして、また一人。

 私は大仕掛けのやり方には反対です。

 大切なのは、一人ひとりの個人。

 愛を伝えるには、一人の人間として相手に接しなければなりません。

 多くの数が揃うのを待っていては数の中に道を見失い、一人のための愛と尊敬を伝えることはできないでしょう。

 「一人ひとりの触れ合い」こそが何よりも大事なのです。

マザーテレサ


 この炊き出しでのおじさんたちとの一つひとつの出会いは神さまから与えられた奇跡である。

 これにどう答えていくかはその人次第であるが、どうありたいか、どうあるべきか、何が最良であるかを祈り求めるものは祝福を得られるのではないだろうか。

 場所は違えど、今日誰にもその奇跡は与えられている。

 受けることにイエスと言えるようにありたいものである。

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アンさんのライブ。

2012-05-21 12:38:00 | Weblog

 アンさんと言っても、いつもブログに書いているうちのあんのことではなく、医師であり、シンガーのアン・サリーさんのライブに昨日行ってきた。

 アンさんの後輩の岡さんに招待してもらい、世田谷美術館でのライブだった。

 久しぶりにアピア以外に他人のライブを見たが、アンさんはとってもうたがうまく、ほんとうに気持ち良さそうにうたい、それをそこに来ていた人たちをすべて包み込むようだった。

 彼女がライブ中に何度か言っていたように「一風呂浴びたような感じ」にそこにいる人たちを同化させていた。

 以前から岡さんにはアンに会いたいと言っていた。

 それは自分のうたに対する思いを引き上げて欲しいと言う欲求と甘えとがあり、それが昨日は十分に満たされた気がした。

 愛らしいアンさんはそのうたからも表れるように人生を惜しみなく楽しんでいる感じを受けた。

 ライブがそれを証明しているかようの素敵なライブだった。

 そのような人は他人を陽に誘う力があるように思えてならない。

 穏やかに伸びやかに、あまりに心地良いを一時を頂いた。

 ライブが終わり、楽屋に挨拶に行き、岡さんとアンさんが一緒に行った秋津にある立ち飲み屋に一緒に今度は飲みに行きましょうと伝えてきた。

 これもひとえに神さまから授かりものとであると、溝の口で飲みながら、岡さんと話し合った。

 尊く有り難い日であった。

 さて、自分もより良くうたえるように、新しく買ったギルドのギターをならして見る。

 
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トイレの神様たち。

2012-05-18 11:35:00 | Weblog

 ガンディーは自分のもとに来た者たちに良く聞いた質問がある。

 「汚い仕事は出来ますか?」

 その汚い仕事とはトイレ掃除のことである。

 インドではこのトイレ掃除の意味が日本のそれとはかなり違う。

 まずカーストの高いものは絶対と言って良いほどトイレなどの掃除はしない。

 ましてや、貧しい人たち{アンタッチャブル}が住むところにカーストの高いものは行かない。

 ガンディーの真理にもあったが、ハイカーストの者が貧しい人たちのケアをしたいとのことで貧しい人たちの住む場所に行ったが、親からの言いつけで、その後には必ず風呂に入ることしていたことなどが書いてある。

 こうした文化のなか、トイレの掃除の意味は日本のそれと違うことを分かってもらえるだろう。

 ガンディーの妻カストゥルバも南アフリカ時代に一緒に住むようになったアンタッチャブルの人のトイレ掃除を激しく拒否し、ガンディーと激しいケンカをしたことなどからも、インドのトイレ掃除の意味を知ってもらえるだろう。

 ガンディーはいろんなところでトイレ掃除をした。

 清潔の意味を自分の真理への純粋性に同一視していたのかもしれない、もちろん、そこには人間としての平等をも移していたのかもしれない。

 また自分の出したものものへの責任もあったかもしないし、人の嫌がることを率先してやる勇気の意味もあったのだろう。

 マザーもトイレ掃除が好きだった。

 彼女はマザーハウス内の質素に出来たトイレの掃除を自分の特権としていた。

 ガンディーもマザーも、トイレ掃除は神さまのために美しいことをしていることに違いなかっただろう。

 ならば、自分たちもトイレ掃除好きになろう。

 トイレを綺麗にすれば、心も綺麗なるかもしれないのである。

 トイレの神様たちからの言いつけである。

 そして、それを喜んですることにより、その意味は増すであろう。

 
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