カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

山谷のゲストハウス。

2021-02-25 11:45:58 | Weblog

 日韓サッカーワールドカップの頃からだろう、山谷にはドヤ街のなかに安く宿泊できるゲストハウスが出来てきた。

 コロナ以前では外国人観光客がたくさん泊まっていたが、今はほんとうに悲惨なものである。

 こうしたゲストハウスが危機になっているのは山谷に限ったことではなく、インドや他の国でも同じことである。

 ちなみにこのコロナ禍、ずっとインド・コルカタでマザーテレサのシスターたちとボランティアをしていたダイスケ君が泊まっているモダンロッジは宿泊しているのは彼一人と言うことである。

 コルカタに滞在する日本人が泊まるサンタナにはもう看板すらないとのことである。

 いつになったら旅行者が以前にように各国を行き来できるようになるのか、まだ誰にも分からない。

 たぶんワクチン接種が希望者の国民に打ち終り、コロナの薬が出来てから、数ヶ月後になるのだろう。

 現在山谷のゲストハウスは以前よりもっと宿泊する価格を下げ、生活保護者を宿泊させている。

 あるおじさんから聞いたことだが、渋谷区などで生活保護申請をした人でも区を超えて、台東区の山谷に住まわしているとのことである。

 先週50人くらいの若者が来たとのことであった。

 確かにカレーの炊き出しには見たことのない若い男性が数人増えていた。

 彼らはまだそこには慣れず、緊張した感をマスクが守っていた。

マザーの逸話のように。

2021-02-23 13:11:17 | Weblog

 マザーテレサには都市伝説のような逸話がいくつもある。

 例えば、マザーハウスの時計が壊れた時、シスターがそのことをマザーに伝え、困っていると、玄関のチャイムが鳴った。

 ドアを開けてみると、男性が時計を持って立っていた。

 男性はその時計を寄付しに来ていた。

 シュシュババンで食べ物が無くなった。

 すると、トラックが来た。

 トラックは急遽休校になった小学校の給食を持って来ていた。

 マザーはいつも「神さまを信じていれば大丈夫、神さまがどうにかしてくれる、何か困ったことがあったら祈りましょう」と言っていた。

 私も少し困ったと言うか、どうしようかと考えていたことがあった。

 山谷のおじさんのためにと友達からマスクをもらい、私も持っていたマスクを足して、山谷の炊き出しの時に今まで二度配った。

 あと一回は友達のと私のマスクを合わせれば配れるが、それを次の炊き出しで配ると次にいつマスクは配れるかは分からない。

 先々週、一人のおじさんに「今日はマスク配らないんですか?」と聞かれた。

 先週、同じおじさんはマスクのことをもう聞かなかった。

 私に気を使ってくれた。

 もうマスクは安くなってきてから、私がまた買えば良いかなと思っていたところ、10数年ぶりに友達から連絡が来た。

 「山谷のおじさんたちのために何か出来ることはないですか?」

 私は「今はおじさんたち、マスクを喜ぶ」と伝えると。

 「聞いて良かった。では近いうちに送らせてもらいます」と言ってくれた。

 神さまはマザーの言う通りだった。

 

私の人体実験。

2021-02-18 11:38:57 | Weblog

 私は私の身体を使い、些細な人体実験して遊ぶ。

 今回は朝食を今まで食べていた納豆ピザトーストを食べず、その代りにゆで卵二個と野菜を食べ、後は腸活のきな粉ヨーグルトである。

 ゆで卵効果が私の身体にどのように出るのかが楽しみである。

 昔からの習わしのような「卵は一日一個」はもう古い。

 現在は一日に卵二個から三個を食べた方がアンチエイジングにもなり、他にも良い効果があるのとの研究結果が出ている。

 私はそれに乗ってみようと思ったのである。

 面白いもので良いと言われているものを食べると、すでに良いに私がなってしまっているのである。

 ここでも「信じる者は救われる」と言うことなのだろうが、卵には信じる以上にエビデンスがあり、私はそれを疑わない。

 きっと神さまのとの関係も同じようであれば良いのだろうが、私は弱き人であることを認識せざるを得ない。

 でも、これも忘れてはならないと思っている。

 あともう一つ昨日から始めた人体実験がある。

 それは私のO脚の改善実験である。

 実は今まで何度かO脚改善の努力したが長続きはしなかった。

 残念ながら努力ではなかった。

 心を入れ替えて、また挑戦しようと思った。

 いま膝と膝の間が指二本半ぐらいの隙間がある。

 これをいつか指一本くらいにして足を延ばしたいである。

 それがおじさんの初春の儚い夢である。

 ただ努力すれば良いだけ。

 やれば良いだけ。

 夢を抱け。

 私は私に言う。


三本の傘。

2021-02-15 11:45:06 | Weblog

 今日はひさしぶりに雨が良く降っている。

 今、ぼんやりとこの雨を眺めていた。

 きっと、この雨が春を連れてくるだろうと思うと、雨音が優しく聞えてくる。

 だが、最近は山谷にこの雨を三本の傘で凌いでいるおじさんがいる。

 それも新しいアパートの他人の家の玄関の前である。

 そこは少し屋根があり、壁と反対側に三本の傘をさして寝ているのである。

 なぜそこに居続けられるのかは分からない。
 
 普通の人なら、そんな場所では寝ようとは考えない場所である。

 そう、そのおじさんはやはり普通の人ではない、私が話しかけたおじさんの反応を見ると、認知症かも知れないと思った。

 他のボランティアの話しだと、おじさんに食べ物を渡そうと話しかけても食べ物を見るまで食べ物だとは分からないらしい。
 
 それでどうやって生きているのかと心痛まずにはいられないが、きっと本人には他人のことなどいっこうに関係なく今日を生きているのだと思う。

 ただ健気に生きているのだと思う。

 私たちには本人の同意なく、施設などには運んだり、生活保護の申請をしたりは何も出来ないのが現状である。

 例え、相手が精神疾患を持っていたとしてもである。

 無理に何かをしようとすれば、相手を激しく傷付けかねない。

 善意で相手を激しく傷付けかねない。

 それはほんとうに気を付けなくてならない。

 私は他のボランティアに誰にも見つからないように食べ物を持って行ってほしいと伝えた。

 もし誰かに見られ、良くないと思われたならば、警察に通報され、せっかくのおじさんのお気に入りの場所を変えなければならなくなるのである。

 それが死に繋がるかも知れない。

 なぜなら、おじさんはまた路頭に迷うからである。

 そして、私たちが食べ物を渡すチャンスを見失うからである。

 にもかかわらず、私は私の考えを超えて、こうも思う。

 あの方が守ってくださると。

 精神疾患がおじさんを守ってくれると。

 きっと。

 きっと。

 

彼の傍に。その2。

2021-02-11 11:46:10 | Weblog
 彼には面白い所がある。

 私は今年になってから知ったのであるが彼は英語が話せる。

 日本語を話している時は会話のつじつまはまったくかみ合わないが、彼は幻覚を見ているのではない。

 ただ激しい妄想が彼を支配しているように思う。

 しかしこれが英語で話すと普通の会話が成り立つのである。

 それが不思議である。

 彼{50歳代に見える}は若い時に1年ちょっとアメリカにいたとのことだった。

 たぶん、その時は精神を病んではいなかったのかも知れないとも思えた。

 彼は普通にすらすらと口から英語を放っていた。

 だからまだ日本語を上手く話せないブラザーとも英語で話していた。

 それは彼やブラザー、お互いにとっての何かしらの救いのようにも私には見えた。

 そんな彼の面白い話しを一つ聞いた。

 今、山谷のMC{マザーテレサの修道会の略}にはレイミッショナリー{ブラザーと同じ生活をする}の高木さんが住んでいる。

 先日、夜の10時半、誰が施設のチャイムを鳴らした。

 その時間はすでにブラザーたちの就寝時間であるが、高木さんが玄関のドアを開けると彼がいて、こう言った。

 「今日はお弁当をありがとう」とだけ言って立ち去ったと言うことだった。

 高木さんは笑いながら教えてくれた。

 普通であれば、何か食べ物はないですか、寒いです、モーフはないですか、というのであろうが、彼は違った。

 ただ感謝を伝えたかっただけだった。

 私たちは彼のようにいつでも誰かに感謝を伝えることをしているのだろうか、望んでいるのだろうか。

 やはり彼の傍には神さまがいるのではないかと思わずにはいられなかった。

彼の傍に。

2021-02-08 11:45:49 | Weblog

 彼は何をするのでもなく、MC{マザーテレサの修道会の略}の施設の外にあるマリア像の壁に独り身体を寄せていた。

 その日、彼は白髭橋のカレーの炊き出しには姿を現さなかった。

 私は彼に声を掛けた。

 「お腹、空いていない?カレーを食べない?」

 「はい。頂きます」

 「んじゃ、ちょっと待っててね。いま持ってくるよ」

 私は施設のなかに入り、白髭橋で配っているカレーと同じものを作り、彼のところに戻った。

 「はい。どうぞ食べて」

 「ありがとう」

 「あれ、少し右目が腫れていない?大丈夫かな?」

 「うん、これ、少し腫れているんだ」と言いながら、彼は真っ黒な汚れた指で右目を開け広げ、眼球を動かした。

 「たぶん、砂糖と空気汚染が原因なんですよ。空気が悪いから、空気汚染が。砂糖がいけない・・・」
 
 そう言いながら、彼はずっと赤い目を指で広げ続けていた。

 「もうあんまり触らない方が良いよ。山友会{無料のクリニック}には行っている?」

 私の声が届いていないかのように、彼は指を右目から離さずに続けた。

 「いや、大丈夫。空気汚染だから」

 「そう、大丈夫。じゃ、早くカレーを食べて」

 「はい」と言って、彼はようやく右目から指を離し、汚れきった髪の毛を掻き上げた。

 私は彼との会話がほんとうにかみ合わない、と言うか、何を言っているのかは分かるが、その意味がまったく分からない。

 以前、彼は終わったばかりのカレーの炊き出しに来たことがあった。

 「ごめんね、今日はもうカレーがないんだよ。この後、施設の方に来て。カレーを渡すから」

 「いや、歩いていたら、こっちに風が吹いて、犬のあとをついてきたら、ここに着いたんだよ」

 「そうなんだ」

 きっとお腹が空いているだろうが、それを感じないのか、何かしてください、食べ物をくださいとは言えない、何かが在るのか、私には彼の言っていることがまったく分からなかった。

 彼は何かの精神病であることは確かだと思った。

 そのような彼だからマスクなどはしてはいない。

 先週もマスクを配ったが、いまや炊き出しに来るおじさんたちのほとんどがマスクをするようになっているし、マスクを欲しがるおじさんたちは多い。

 だが、彼はコロナなどはまったく恐れず、いや、何者にも恐れていなかった。

 彼はどのようにどうやって日々路上で生きているのだろうか。

 たぶん何も食べれない日もあるだろう。

 ゴミをあさり、拾い食いをすることも度々、お腹を壊すこともあるだろう。

 寒さには毎日震えることだろう。

 だが、陽の暖かさに微笑むこともあるだろう。

 人間は弱いものであるにもかかわらず、強いのであろう。

 私は誰かが彼を見守っているに違いないと思えてならない。

 神さまが彼を見守っていなければ、彼はとっくに生きていなかったのではないか、そう思わずにいられない。

 その彼の傍に私はいる。

 私はひれ伏すように、もっと丁寧に彼に接する必要がある。


私とあんの腸活。

2021-02-01 12:42:28 | Weblog

 すでに結構健康オタクのようになっている私は最近毎朝きな粉ヨーグルトを食べるようになった。

 ヨーグルトは夜に食べた方が良いと言われているが、夜は晩酌なので朝に食べている。

 ヨーグルトのなかにはブルーベリーやナッツを入れ、ハチミツを少し足して食べている。

 私は元々お腹が弱く、すぐ壊していた方だったが、これが見違えるほどに毎日ナイスなお通じになった。

 これで勝手にセロトニンも良い調子に作られ、また免疫力アップに繋がっているだろうと信じている、そう、ここで思う。

 たぶん、何事も同じ、信じる者は救われるだろう、それが真実である。

 愛犬あんには毎朝夕納豆を少しあげている。

 肥ったら元子もないので、あんまりあげていない、少しだけあげている。

 私はあんに納豆あげる時には必ず言う言葉がある。

 「あん、長生きするんだよ」と。

 私はまじないのようにあんに言い聞かせ、魔法を掛けているのである。

 あんの口と私の手が納豆の糸で結ばれる。

 あんは私の手を強く噛まないように気を付けながら納豆を食べる。

 あんは口をペロペロする。

 私はあんが元気にいることをいつも願わずには居られない。

 あんに「ありがとう」と何度も言わずには居られない。

 あんが私のセロトニンを作り出していることも確かである。