カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

「同じ道」を読み直す。

2015-05-31 16:43:34 | Weblog

 以前書いたものを一つにして読み直そうとアップしてみた。

 普段はまったくと言うほど読み直したりしないのだが、たまにはちゃんと読み直し、そして書き直したりするのも良いだろうと思ったが、少し疲れたのでその作業は後日をまたゆっくりとやりたいと思う。

 綺麗な夕焼けが外で待っているのであんと散歩に行こう。

同じ道。

2015-05-31 16:38:04 | Weblog
 
 「同じ道」

 
 その1。

 1948年12月21日、この日マザーは初めてTaltalaのスラムに出かけたのである。

 マザーが亡くなった後、発見されたマザーの日記から、シスターたちはこの日のことを知り、それ以来、毎年12月21日、マザーハウスのチャペルのボードにはマザーが初めてスラムに向かった日と書くようになった。

 マザーは21日から23日、Taltalaと、そして、PanBaganに向かっている。

 そのどちらも小さな場所である、そこのスラムの家族たちを訪ね始め、路上の貧しい人たちのケアを一人で始めた。

 クリスマスイブ、クリスマスの後に、26日Tiljalaのスラムに向かい、27日28日とMotijihilに行き、一月の最初の週にそこで木の下で青空教室を始めた。

 物を教えるためにマザーは地面に字を書いて教えていた。

 教えることの大切さを知ると同様に恐ろしいほどの貧しさの中で苦しんでいる病人たちに会い、セントテレサ教会の一画に同じく一月の最初の週にディスペンサリーを開いた。

 マザーはこの頃、Little Sister of the Poor修道院に身を寄せていた。

 朝晩吐く息が白くなる寒さ、この寒さが時に貧しい人たちの息を止めさせていく中である、その日々の仕事を終え、マザーは一人また身を寄せていた修道院までの長い道のりを、その当時ロードサキュラーロード{現在のAJCBossRoad}をどんな思いで歩いていたのであろうか、私は今回のカルカッタの滞在時、同じ道を歩く度にマザーの当時の思いを感じようとしていた。
 


 その2。

 その日私は午後のシュシュババンでのボランティアをする日本人へのオリエンテーションを終え、二人の日本人の子をマザーハウスのアドレーションに誘った。

 彼女らはカルカッタに着いたばかりで、アドレーションが終わる時間だと夜道になり、危険なこともあるかもしれないので、私がホテルまで送ることを約束していた。

 マザーハウスでアドレーションまでの時間をしばらく過ごしていると、マリアとシスターライオニータが帰ってきた。

 彼女らはあの路上の患者バブルーのオペのために、彼をその午後病院に入院させていた。

 その朝ライオニータはバブルーの入院が急きょ決まったために、わざわざ午前中にマリアのゲストハウスまで行き、入院に必要なマリアが持っていたバブルーの血液検査の結果のレポートやレントゲン写真などをマザーハウスに午後に持ってくるようにメモを置いていったのだが、それをマリアは見ることが出来ず、何も知らずに午後のオリエンテーションに来ていた。

 そこへ待っても来ないはずのマリアをマザーハウスで待っていた、すでに少々怒り気味のライオニータがやってきた。

 もちろん、ほんとうに怒っている訳ではなかったが、マリアに急いで入院に必要なレポートなどを持ってくるように伝えた。

 マリアは慌てて走って、オリエンテーションをしているシュシュババンから、彼女のゲストハウスまで向かい、そして、息を切らし帰ってきた。

 私がバブルーの入院にライオニータと付き添っても良かったのだが、その日は日本人のボランティア登録も多く、不可能であった。

 それを知っているライオニータはマリアについてくるように言い、彼女らはバブルーのいるところに向かったのであった。

 ライオニータに会って、私はバブルーの入院のことを聞くと、また夜八時に医師が血液検査をしに来るので、そこに行くようにと、そして、バブルーの入院生活に必要な物を用意して持って行くように言った。

 私は驚いた、アドレーションの後に病院に行くなんて、そんなことをしなくてもどうにかならなかったのか、そして、もし自分がここにいなかったらどうしたのか、それにすでに私は日本人の子との約束もあるに・・・、と思ったのだが、ライオニータの後ろから疲れた顔をして申し訳なさそうにしているマリアを見て、私はNOとはとても言えなかった。
 


 その3。

 マリアは背も高く、見た目は25、6歳に見えるのだが、まだ高校を卒業したばかりの18歳のポルトガルの女の子である。

 そして、小心者であり、カルカッタに着いたばかりの時は、母国ポルトガルとあまりの違いに良く泣いていて、それを知ったボランティア担当のシスターメルシーマリアはマリオにマリアの面倒を見るように言ったほどであった。

 他にもメルシーマリアに彼女を駅の仕事に参加させることを知らせた時、メルシーマリアに午後に呼び出されただけで午前中の仕事の間、「シスターに何を言われるんだろう?毎日会っているのに・・・」と長い髪に指を突き刺し、頭を抱えて不安がっていた。

 ただメルシーマリアはたぶん駅の仕事へ向かうための心準備のようなことを優しく伝えるだけであるだろうに。

 マリアははた目からみて面白くなるくらい不安がっていた、私は大丈夫だと何度も言った、日本語で話せるのなら、「シスターは捕って食べたりはしない」と言ってやりたいほどだった。

 今思い出しても、その時のマリアの不安げな様子はとても愛らしくて、私を微笑ます。

 彼女はとても細やかな神経の持ち主であり、シスターライオニータと一緒に帰ってきた時、私をアドレーションが終わってから病院に付き合わせることを申し訳ないと思っていることはすぐに分かった。

 以前バブルーのCTスキャンを撮りに行った時、この時はただそれだけのために7時間もかかったのであった、彼女は「私はベンガル語が話せないから、彼と会話が出来ないので来てほしい」と申し訳なそうに話してきたことを思い出していた。

 マリアはほんとうに疲れ果てていた、私が八時に病院に行かなくてはならないことを知った時に驚いたことも彼女の疲れを増させてしまったことも感じていた。

 私は日本人の子たちに事情を説明し、少しだけアドレーションに出て、食事をしてから送っていくことに伝えた。

 私が途中でアドレーションを出る時、彼女の傍を通ると、彼女は泣いていた。

 私は彼女に大丈夫だと伝えるように、彼女の頭に手を少し置いてから、チャペルを出た。

 私は日本人の子たちとマザーハウスから、わりと近いところで夕食を済ませると、ここからは帰れますと言うので、そこで別れ、またマザーハウスに戻った。

 すると、マリアの姿がなかった。

 アドレーションを終えて出てくるボランティアたちにマリアの姿を見かけたかと聞くと、途中で出て行ったとのことだった。

 私は慌てた、彼女が泣いていたのを知っていたからである、そして、私の愛の無さに後悔した。

 アドレーションを終えて出てきたジェニィにマリアが泣いていたことを伝えると彼女も心配し、一緒にマリアのゲストハウスまで行ってもらったがマリアはいなかった。

 また二人とも慌てて、マリアを探しながらマザーハウスに戻ると、マリアはマザーハウスの近くのレストランでエッグロールを注文し、待っているところだった。

 マリアもお腹を空かせていたのである、そして、これから行く病院の仕事が簡単に終わらないことも想像していたのであろう、まず腹ごしらえしていたのであった。

 彼女の顔を見て、まずほっとした。



 彼女がバブルーのケースを抱えきることが出来ずにどこかへエスケープしてしまったとも、私は考えたのであった。

 その時、もうすでに七時半を過ぎていた。

 私にも疲れもあり、病院の仕事を楽に終わらせたいと考えていた。
 


 その4。

 私はマリアがどこかへ行ってしまったのではないかと言う不安から解放されると、彼女の疲れ果てているだろう心を顧みることなく、すぐに病院に行くことに囚われていた。 

 シスターライオニータから言われた私たちが病院に行かなくてはならない時間になろうとしていたからである。

 マリアに彼女が注文していたエッグロールが手に渡ると、すぐにマザーハウスに向かった。

 バブルーに必要なモーフをマザーハウスから持っていくように、ライオニータはマリアに告げていたのである。

 しかし、マリアはそれをすっかり忘れていて、すでにアドレーションも終わっていたので、もうマザーハウスには入ることが出来なかった。

 仕事を楽にスムーズに終わらそうとしていた私は、そこでマリアの手際の悪さを心の中で責めていた。

 それから、二人とも肩を落しながら病院に向かった。

 夜八時近い、シアルダーに向かうバスはほとんど信じられないような混みようである、インド人はバスの手すりにつかまりながら、身体を外に出したまま乗っている者もいるくらいであった。

 そんなバスに私は乗ることが出来なかった。

 夜の闇にすら目に見える噴煙を巻き上げ、疲れを倍増させていく騒音とともにバスは何台も通り過ぎていく、歩いていくにはあまりにも疲れていた。

 思い通りには行かない重苦しさにどうにでもなれと言う諦めが悪魔のようにまとわりついていた。

 少し落ち着きを取り戻すために立ち止まり、マリアがエッグロールを食べ終わるのを待った。

 そこでマリアに言った、「今時間がある今日の午後仕事をしていないMJ{韓国人の女性ボランティア}に着いてきてもらったどうだろうか」と言うと、マリアはそれは頼めないと答えた。

 マリアがなぜそう答えたのか、確かな理由は分からなかったが、ただ彼女は優しかったのである。

 こんな夜の時間に、それもうまく行かないであろう病院のバブルーの付き添いと言うきつい仕事をMJに頼むことは出来なかったと思ったのであろう、マリアは私よりも数倍も優しかったのだ。

 だが、私はその時、自分のことしか考えれなかった。

 サポートする人が一人増えれば、病院内の血液検査で医師を待っている間に、私が外に行き、一人でバブルーの入院に必要な物品を買いに行けると考えたのである。

 それに私たちがモーフなどを決まって買う店は病院から少し離れていた。

 その店はクリスマスの時に1000枚のモーフを路上生活者にプレゼントのために買った場所であり、私たちが行けば、安い値段でモーフを売ってくれた。

 しかし、そこまでも歩きたくないと私の身体が強く言い始めていた。

 マリアがエッグロールを食べ終わりて、しばらくすると運良く空いているバスが来たので、慌てて飛び乗った。

 病院近くで降り、まず手さげ袋を買い、食器、水、ビスケットなどを買って、そこに入れて歩き始めた。

 夜の八時も通りの人の多く、ごった返していた。

 その中をただひたすら安い値段をモーフを売ってくれる店まで速足で歩いた、それでも、やはり歩きたくない衝動から途中モーフを売っている店に値段を聞いたりもしたが倍の値がして高くて買うことなど出来なかった。

 別に高くても買ってしまえば、もう余計に歩く必要はなくなる、バルブーの入院に必要な物品を買うお金は医師であるシスターマイケルから600ルピーはもらっていた。

 しかし、それを使うと言うことは、私のまったく会ったことのない誰かのご厚意の寄付に違わない、ならば、少しでも無駄なお金は使いたくなかった。

 それもただ身体が疲れていると言うだけの理由で使うことなど到底出来なかった。

 私がお金を出し、もちろん、高いモーフを買っても良かったが、しかし、これも同じくただ身体が疲れていると言うだけの理由では使えなかった。
 


 その5。

 私は時々後ろを振り向きながら、しかし、マリアと顔を合わせようとはせず、歩き続けた。

 マリアは舗装されているがでこぼこの多い道路をただ転ばぬように下を向いて、私に必死に付いてきていた。

 その時マリアに私の感情を知られないように出来る唯一のことは顔を合わせないことだけだった。

 しかし、私の全身からはどうしても負の感情が拭い切れず、マリアは間違えなく、私のそれを感じていたであろう。

 私はイライラしていた、どうしようもなくイライラしていた。

 しかし、同時にこのイライラしている自分を激しく嫌ってもいた。

 マリアだって疲れ切り辛いだろうに、そのことを思いやりもせずに、私は私の感情にすっかり呑み込まれていた。

 今までも何度も感じきたであろう、身体が疲れている時や体調の良くない時に私が私の感情を乗り越えられない弱さ、それをどうにかしたくて、どれだけ祈ってきたことであろうか、だが、私は何も変わっていない、私は心の狭き男である、そのことを認めざるを得なかった。

 目も回るような雑踏の中、私は私の弱さと戦い、敗れ、また戦い、そうした葛藤の連続、ただひたすらに自己からの解放を願いながら、どうすることも出来ずにただ足を動かし続け、身体は吐きそうなほど疲れ、息は上がっていた。

 やっと馴染みの店に着き、一枚のモーフを買う。

 買い物を済ませると、ほんの少しだけ心は落ち着き始めた。

 そこはマリアが初めてくる店だったので、彼女にこの店でクリスマスの時にモーフを1000枚買ったことを伝えると、彼女は驚いていた。

 会話をすることによって、私は私を取り戻していくことを感じていた。

 そして、病院のバブルーに会いに向かった。

 私にはバブルーに会う前に考えなければならないことがあった。

 それはバブルーが私が毎朝訪問をしに行く病室に入院したからであった、そこで彼だけを特別扱いすれば、私は他の貧しい患者たちから、どう思われるかが心配だった。

 病院では誰もがお金を必要とし、一人に何かをすれば、私にもと言う患者や患者の家族たちがいるのである、そこで私は彼らにどう説明をすれば良いのであろうか、と胸を痛めたこのことも私が私の感情を乗り切ることが出来ないことに発射をかけていた。

 しかし、私にはもうどうすることも出来なかった、誰かを傷付けることになるであろうと、半ば諦めていた、もうどうにでもなれと思ったことも確かにあったと同時にすべてを神さまに委ねるしかないと言う結論にたどり着いた。

 聖書を思い出していた、イエスは一匹の羊を探した男であること、私にとってバブルーがそうであることを決心した。

 門番の警備員に挨拶して、薄暗い広間を歩き、毎朝私が訪問している二階の病室に向かった。
 


 その6。

 病院内は朝の慌ただしい様相とは違い、暗く静かだった。

 死するものが夜の闇に命を途絶え、苦しみからの解放と家族の嘆きの絶え間ない繰り返しから来る重苦しい空気にも夜の静かさの幕は覆っているようだった。

 ここでは常に死臭が漂っている、だが、それは朝のそれよりも音の少ない夜に哀しみを倍増させていくように感じられた。

 その雰囲気に呑み込まれないように襟を正して、暗い階段を上がっていく。

 重たい脚は変わることがなかったが、その時の私の意志はすでに感情に左右されることのない状態であった。

 胸に手を当て、心の在り処を知るとともに祈りをともにして、病室に入った。

 患者たちと始終患者の付き添いをしている家族たちは思わぬ時間に現れた私に驚きもしたが喜んでくれた。

 その日の朝と同じように患者たちの手を取り、挨拶をし、付き添いの家族にも同じように声を掛け、どうしてこんな時間に来たのかと聞く彼らの質問に答えて行った。

 「今日、シスターたちが運んだ患者のためにシスターから頼まれて、ここに来た」と言うと、彼らは一同に納得してくれた。

 私の悩みだった問題が解決していく、私は彼らに嘘を付かずにありのままに答えたことにより、彼らは私がただMCシスターの患者のサポートをして、こんな時間まで病院に来るのだと受け入れてくれたのであった。

 私は神さまに感謝した、私の弱さ迷いを一瞬して払拭してくれたこと、しかし、それはいつものことであることに気付き直し、胸と目頭が熱くなることを感じた。

 私は朝と変わらぬように患者たちに言葉を交わして行き、午後にシスターと一緒に来たマリアには、その時ベンガル語で患者たちと私が話していることが分からなかったのと、たぶん、マリアは私が朝と変わらぬように全員に挨拶するのではないか、バブルーのことはどうするのかとも一瞬思わせてしまったかもしれない、それに彼女はまだ心落ち着かずにいたのかも知れない、しばらく私の傍にもいたが、先にバブルーのところに向かっていた。

 MCのシスターの姿はほとんどのカルカッタのインド人ならマザーテレサのところのシスターだと言うことが分かる、あのサリーは目立つのである。

 それ故に私の患者ではなく、シスターの患者と言う形式が彼らの中にすでに整っていたのだ。

 私はただバブルーを特別扱いせずにいれば良いと確信を得た。

 ただシスターから言われたことをサポートするに過ぎない者である、となれば、患者たちからお金の苦心を頼まれることはなく、それを断ることによって相手を傷つける心配もなくなった。

 患者たちの手や身体、笑顔に触れていく内に、私は私になっていく、それは私の中の神さまが活き活きとしていく感覚なのであろう、私の悩みは軽くなっていった。



 その7。

 それは神さまのために美しいことをしている瞬間でもあろう、そして、それをしている時、私はいつも必ず喜んでいる、それは私だけではなく、私の周りのものたちと、きっと私のうちの神さまも同じように喜んでいたことと思えるのである。

 私のうちの神さまのことを書いたが、宗教心を持たない人には分かりづらいかもしれない、やはり多くの人が私がそれを言う意味をつかみかねることとも思う。

 しかし、この逆を、例えば、私のうちの悪魔が何々したと言えば、宗教心のない人でも、それは理解が可能になるのではないだろうか。

 私たちのうちには悪魔もいるだろう、悪魔に支配されている時もあるだろう、ならば、神さまもまた居るとは言えないだろうか。

 そして、悪魔に支配されている時より、もちろん神さまが居てくれた方が幸せではないだろうか。

 私たちは私たちの自身のそれを知る必要があるように思えてならない。

 それは完全には無理かもしれないが、それ故、人は祈るのではないだろうか。

 私たちは負の連鎖を望むのではなく、生きていくために本能的に愛の連鎖を望むのである。

 マザーがいつも言っていたように、神さまのために美しいことをすることこそ、それは愛の連鎖を生み出し、育み、慈しむものではないだろうか。

 私は私の神さまを喜ばさせたい、しかし、私は私の神さまを悲しませることがどうしても多い、弱い人間であることも告解せねばならない。

 そんな私であれ、神さまは愛してくださると感じ、信じることにより、信じられることにより、私はどうにか過ちを繰り返しながらも、彼らの前に立ち続けることが出来たのだと思えてならない。

 マリアの少し後に続いて、私もバブルーのところに向かった。

 バブルーは運搬用のベッドに寝ていた。

 マリアの話を聞くと、昼はその前の運搬用ではないベッドに居たのだが、今来ると変わっていたと言う。

 良く話を聞けば、昼にシスターライオニータが勝手にあそこのベッドが空いているからと言って、そこに寝かせたと言う話だった。

 しかし、この病院ではそうしたことは通用しないことを私は知っていた。

 その病室はまずどんなに悲惨な状態であれ、最初は運搬用のベッド、収容されたままの状態で過ごさなくてならないのである。

 そこまでマザーのシスターであるからと言って優遇はされないのである、それはバブルーを最初入院させようとして、何人も医者たちに診られるだけ診られ、何時間も掛けたが結局入院させることが出来なかったことを彼女が忘れたのであろうか。

 いや、彼女はただ諦めない強く深い意志を持つ快活なシスターでもあることがそうさせたのかもしれないと私は感じた。
 


 その8。

 「バブルー、大丈夫か?見てみろ。水、ビスケット、食器、ブランケットを買ってきたよ」

 バブルーは私が渡したバックの中身を興味深く点検するように一つひとつ品を取り出しては見ていた。

 「バブルー、医者は来た?八時に血液検査があるって、シスターに聞いて来たんだけど」

 「誰も来ていない」

 「そうか、それじゃ、ちょっと聞いてくるか」

 やはり時間通りには何も行われないと思いながら、疲れた肩をまた落しては、夜の八時に病院に現れた私にバブルーの周りの患者たちも気になっているようだったので心を整えて、バブルーのことを説明し挨拶をしてから、私とマリアはナースのいるところに向かった。

 一人のナースにバブルーの医師のことを聞くと、今はオペ中だと言うことで話をすぐに切られてしまった。

 いつ終わるのかと聞いても、分かりませんと答えるだけで忙しそうにし、私たちとは目を合わせようとはしなかった。

 近くを若い医師が通り、聞いてみると、私は彼の担当ではないから、何も分からないと言うことだった。

 初めから分かっていたことだが、向こうから言われた時間だろうが時間通りにこの病院では何も進んでいない、時計がないのと同じである、そう思わざるを得ないほどの経験をずっとしてきたのだ。

 だが、まだ若いマリアはシスターから言われたことをしっかりとしなくてはならないと思う正義感から苦しんでいるのが色濃く分かった。

 「どうする?マリア」

 「・・・、オペ室に行って聞いてみよう・・・」彼女はもう泣きそうになっていた。

 「そうか」

 とだけ答え、彼女についていった。

 しかし、やはりここでも同じことだった。

 私は確信していた、今夜はシスターから言われたバブルーの血液検査のことは何にも進まないと言うことを。

 そして、今マリアが感じているだろう身体の疲れを除いた苦悩だけは、私が引き受けると言うことを、明日になり今夜のことをシスターに話すのは私の役目であり、マリアには何の責任もないように計らうことを心に決めていた。

 私は怒られるのは慣れている、いや、しかし、シスターライオニータは感情にのまれ怒りを起こすようなシスターではないことも分かっていた。

 私たちは常に心しなくてはならないことがある、それは私が好きなラインホルト・ニーバーの祈りの中に深く見出すことが出来る。

 「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。}

 私たちには出来ることと出来ないことがあり、またそれを見極める勇気と冷静さが必要である、と同時にそれは諦めではないことを含み、マザーの思いを重ねるのであれば、出来るものは私たちのうちの最良のことを出来るように切に願い、ひたすらに行いをすると言うことである。

 私はこの夜のバブルーの血液検査は無理であると結論付けた、そして、それは何よりもまず命に関わる問題ではなく、ここは病院であるし、バブルーは少しおかしな顔はしているがメンタルな患者ではない、必要であれば、彼がどうにかするだろうと考えたのである。

 何かあれば、マザーハウスのシスターライオニータに連絡が行くのである。

 私たちは今夜とりあえずバブルーの入院に必要な物を持ってきただけで、それだけで十分であった。

 私は未だ笑顔を見せぬ疲れきり困惑した顔のマリアにそう言い聞かせた。



 その9。

 病院の廊下には音もなく静まり返っていたが、何かを語りだしたいのものたちがその痛みにうずきながらも、夜のとばりに従い、ただ沈黙せざるを得ない空気が漂っていた。

 私たちはまたバブルーのところに戻ろうとしていた。

 ふと廊下の汚れきったガラス窓から室内にいるバブルーの姿を見た。

 「マリア、見て。バブルーを・・・」

 私たちはバブルーの一挙一動をじっと見つめた、彼は何と一人で起き上がりベッド上に座り、そして、ベッドから降り、ベッド下に置いてあった、トイレに行けぬものが使う洗面器に何の痛みを感じずに普通に身体を動かし、用を足していた。

 私は思わず苦笑いしながら、疲れた溜息を吐き出すように「バブルーは大丈夫だろ。ちゃんと一人で出来るんだよ。昼間のバブルーはどうだった?」とマリアに言った。

 「そうなんだ、昼間は身体を動かすにもたいへんで、一人で立ったり歩いたりはまったく出来ない状態だった・・・」

 そう言いながら、マリアは少しショックを受けていた。

 「大丈夫だよ、バブルーは。ほんとうはどうにか身体は動かせるんだよ。ただいろいろとしてくれるから、それに甘えることを覚えただけだよ。ちゃんと賢いしさ。一人でどうにか出来るんだよ」

 汚れきった窓の向こうのバブルーはもうベッド上に何ら障害もなく戻っていた。

 私はマリアに期待した、バブルーのズル賢さに騙されても、何があっても差し伸べるその愛の手は変えないことを。

 小さいことかも知れないが、それを意識して本心から許すことにより、その愛は輝きを失わない。

 こうした助けた相手に騙される経験を数々味わってきた私と違って、マリアの心境はかなり複雑だったであろう、だが、現実を見てほしかった。

 何よりもマザーも同じような経験を想像を絶するほど味わってきたことを自身の今の苦しみのうちに見出してほしかった。

 なぜなら、そこでマザーは必ず慰めを与えてくれるからであり、生きたマザーとの出会いがあるからである。

 「さぁ、バブルーに挨拶をして今日はもう帰ろう」

 「うん・・・」疲れ切った顔ににわかに安堵の色を伺わせ、マリアは答えた。

 バブルーの前に行き、今日はもう自分たちは帰ると伝えると、バブルーは何が欲しいあれが欲しいと言い始めたので、今日はもう何もない、ここでは特別扱いはしない、ときっぱりと断った、心のうちのどこかではバブルーの甘えを制する思いもあったであろう。

 バブルーは私の言うことをなくなく聞きいれたその情けない顔をした表情を見ると、どうしても憎めない男としか思えなかった。

 それから、周りの他の患者たちに声を掛けながら、その病室を出た。



 その10。

 バブルーの病室を出て、すでに身体はぼろぼろになるほど疲れていたが私にはどうしても気になる患者がいたのでマリアを連れて彼のもとに行った。

 前日のことである、朝いつもように挨拶に行くと、歳は50ぐらいだろう、腹部が異様に腫れた大柄な彼は私の顔をまじまじと見ると「昨日、ドクターからもう何も出来ないと言われた・・・」とその言葉を口にすると静かにむせび泣いた。

 私はただ涙に濡れる彼の顔をただ見つめた。

 今朝も彼のところに行くと、彼は何も話さず、私の顔をただじっと見ていた。 

 もう言葉が何の慰めにならぬことを私は瞬時に感じ、私も彼の顔、彼の瞳をじっと見て、瞳で会話をした。

 すると彼の瞳から大粒の涙がぽろぽろと落ち、頬を伝っていった。

 もう言葉ではどうにもならなかった、瞳を通して、心で、魂で、会話するしかなかった。

 その夜、だからどうしても彼に会っておきたかった。

 彼の窓のない病室の空気はねばりを含んだように不気味に重く、この部屋にこもって拭い切れない患者たちの嘆き苦しみがそこらじゅうにへばりつき、重苦しく薄暗くしているようだった。

 彼は頭の下に両手を合わせ置き、心に塊となった死の宣告に悲嘆にくれていた。

 私はそっと彼に近寄り、無言で彼の右手を取り、両手でしっかりと握り、彼の瞳を見続けた。

 数秒後、彼の瞳から堰を切ったように涙が溢れ出してきた。

 私は瞳をそらさずにずっといた。

 心から吸い上げられ、瞳に映し出された私の言葉は「私はあなたの痛みをいま背負っている、あなたの痛みをこの手を通して感じている」と言う思いだった。

 しばらくして、私は思いを言葉にし、「私はあなたのために祈る。私はあなたを絶対に忘れない。いつもあなたのために祈る」と伝えた。

 彼と傍にいた彼の付き添いの男性は両手を合わせ、私に頭を下げた、私もそれに答え、その場を去った。

 その後、マリアは歩きながら吐き出すように呟いた、「私たちは何も出来ない・・・」と。

 私は答えた、「私はシェアした」と。

 私は彼と彼の痛みをシェアした、それは無意味なこと、何も出来ない、何もしないことでは決してないが、18歳のマリアが何も出来ないと思うのも、それはしょうがないことである、彼女から見れば、そう見えたかもしれない。

 しかし、私は彼に触れた。

 私は彼の心、彼の命に触れたのである、それは紛れもない事実であろう。

 何時もどんな境遇でも何も出来ないのではない、それは死の宣告を受け悲嘆にくれた無力のように見える彼もそうであり、彼は私に命の愛の繋がりとそのかけがえのないの価値と意味を伝えたのである。

 そして、祈りは無意味ではない、祈りのなかにある思いは無価値無意味では絶対にない、祈りこそ、言葉を超えて、時に魂、時に神様を通して分かち合えることを可能するのだと私は真剣に純粋に感じてきたのである。

 私はマリアにも、それを知ってほしかった。



 その11。

 「マリア、きっと分かるよ。きっと感じるようになる。彼には何も出来ないと無力のように思うかもしれないが死の恐怖、その痛み苦しみを分かち合うことが私たちには出来るんだよ。何も出来ないんじゃないんだよ・・・」

 私はマリアの後ろ姿に見ながら心の中で呟いた。

 それと同時に18歳のマリアの無力でしかないと嘆く心にも私は「ほんとうに辛いだろうな」と感じられずにはいられなく寄り添った。

 一階に戻り、血液検査の部屋の前を通ると、真面目なマリアはまだシスターからの言い付けが気になっていたようだったので、私は「もしかしたら、すでに血液検査は終わっているかもしれないから、そこで聞いてみるか?」と言うと「うん」と言い、彼女はバブルーの名前の入ったカードを検査員に見せた。

 その時である、私の肩に優しく手を置いた者がいた。

 私が振り向くと病院に勤務していた警備の男性だった。

 彼は夜に病院にいる私が気になったであろう、私の肩に手を置いたのである。

 私はその手の置き方、柔らかく優しくそっと手を置いた彼の心を感じた、私への思いやりと労りを感じたのである。

 私は「シスターから頼まれて来たんだ」と彼に言うと、「ご苦労様」と微笑み去って行った。

 私は神さまが私の肩に触れたのではないかと思うほど、彼の手の優しい置き方、触れ方に不思議なくらい安堵した。

 やはり愛は言葉だけで伝えるものではなく、態度、表情、その瞳、手のひら、その指先でも伝えられると深く魂に届くほどに感じられた。

 結局バブルーの血液はその場所にはなく、やはり約束の時間にドクターは来なかっただけだと改めて知らされた。

 「もういいよ、マリア。もう帰ろう。私が明日シスターに話すから、お前は心配しなくていいから・・・」

 すでに9時半をまわっている、これ以上病院にいても今日はもうバブルーのために何も出来ることはないとマリアを納得させ、私たちは病院を出た。

 彼女の誠実さが彼女を苦しめていることも私には分かっていた。

 18歳の女の子でマザーの施設外で働くことの過酷さも分かっていた、にも関わらず私は彼女を少しでも責めたことを悔いた。 



 その12。

 私は悔い改めることで息を吹き帰した。

 狭く暗い病棟から出ると、そこは雑音ひしめく大通り、また雑踏のカオスである、人の営みが溢れに溢れ、生き死にを繰り返している汗や涙が舞い上がるホコリと同じように漂っている。

 そこはマザーが何度も何度も歩いた同じ道である。

 病院のすぐ傍にはマザーが一人で住み始めたアパートがある。

 その当時マザーは手も足も上がらなくなるほど疲れ切り、やっとの思いでそのアパートを見つけたのである。

 それから一人でスラムに向かっていた。

 どれだけの血の滲むような苦労があったのであろうか、どれだけの非情の痛みに触れ、助けたいと思う人も助けられず、無力に嘆き苦しみ抜いたであろう、にもかかわらず、マザーは諦めず、祈りに祈り、ただひたすらに貧しい人のなかのもっとも貧しい人たちのなかにいるイエスに会うこと、そして、そこにイエスを連れていくこと、その啓示のままにし続けた。

 胸が張り裂けるような思いを何度もしたことであろう、罵声を浴びせられたこともあったであろう、思い通りに行くことなど少なかったかもしれない、すべてを投げ捨てたい、もう一度ロレット修道会も戻りたいとも思ったであろう、心身ともに疲れたその激しい苦しみ、それはイエスのカルワリオと同じ道を歩いているとマザーは感じたに違いない、そして、イエスとの約束・あの啓示が勇気を与え、マザーは彼女の十字架を置き捨てることはしなかった。

 それはイエスの愛に抱きしめられていたことに他ならない。

 私が今歩いている道はマザーのカルワリオのように思えた、どこかで子供が空腹を紛らすためにシンナーを吸い、重なり合い眠りにつき、どこかで病人が死の恐怖にふるえ、どこかで貧しい人はゴミのなかから食べ物を拾い上げ口に運び、どこかで誰かが空腹のまま行き倒れになり、どこかで家族が平穏な日常を営み、どこかで誰かが誰かのために祈り、神様とともに生きている、今日を生きている、そのカオスのなか、私には至る所にマザーの面影が肌身に感じられ、それに守られているという実感と確信から生まれる愛の塊が、私を絶望より、泥のような疲れより、何も出来なかったという無力感より解放してくれた。

 この大通りは私のマザーのカルワリオであり、その向こうにはイエスのカルワリオもおぼろげに見えるのである、私にはマザーのようにははっきりと見えないかもしれないが、イエスのカルワリオが漂うようにそこに見えるのである。

 私が苦しいと嘆けば嘆くほど、マザーが同じ道を一緒に歩いてくれているような感覚に包まれるのであった。

 私はもう満面の笑みであった。

 その笑みをマリアにもうつした。

 私とマリアはもう微笑むことしか出来なかった。

 マリアは数日後にはCome and See{ノビスたちと一緒に二週間生活する}に入ることが決まっていた、だから、しばらくの間タバコはやめなければいけなかった。

 そこでもう必要がなくなるであろう彼女のタバコを一本もらい、彼女と一服した。

 怒声のような音とホコリを立てて、滑り込んできた路面電車に私たちは乗った。

 「マリア、あそこがマザーが初めて一人で暮らしアパートだよ」

 彼女は嬉しそうにそこを眺めた。

 ワット数の少ない電灯がぼんやりと優しく車内を照らしていた。

 私たちの前にはインド人の家族がいた。

 小さな男の子ははしゃぎすぎて、足をシートの縁あたりにあてて、痛がり泣き顔になった。

 私たちはその光景に微笑んだ。

 すると、母親と父親が私たちの視線に気づき、次に泣き顔の小さな男も気が付いた。

 彼は恥ずかしさに少し縮こまり、泣き顔を笑顔に変えた。



 

掃除。

2015-05-31 15:48:28 | Weblog

 今日は教会のミサの後、教会のホールで初めてうどんを食べて帰って来た。

 私が教会の機関誌シャロームに二回目の記事を出したのでいろいろと話を聞いてくださる人たちと出会った。

 やはり読むのが怖いと言う人が居たりもした。

 私の書いた内容があまりにも非現実的でお年寄りには衝撃的だったのかも知れないが、ただその怖さの何倍ものものをマザーは目の当たりにし、その苦しみを背負ってきたことをどうにか考えて欲しいと私は願わずには居られなかった。

 カトリック信者の中でもどのように憧れのマザーのような行いをしたら良いのか悩む人は多いと思いし、思っていても出来ない自己矛盾に悩む人もいる。

 私はその悩む人はとても正直ものであり、信仰心が深いと思う。

 なぜなら、その悩む人は見て見ぬふりをしない人であるからである。

 マザーはまさにイエスがカルワリオを歩いた如く、自らの人生のすべてをイエスと似たように激しく苦しみながらも、イエスのように神さまの愛と福音を伝えようと生き抜いた女性である。

 そのマザーをイエスを通して、もっと身近に内省出来れば、怖いと言うことは無くなるのかも知れないし、ただ歩き、そこに行くだけでも何かが起こるかもしれないのである。

 私にそのお手伝いが出来れば幸いなのであるが、時に私は調子に乗り、ピノキオのように鼻を伸ばしてしまい、相手を不快な思いにさせてしまうことが少なくない。

 他人に何かを教えると言う時には決まって、慢心であったり、驕りにまみれてしまう私である。

 私がその私を見逃さないであれるように、私の中のピノキオの気持ちをちゃんと分かってあげれるようになりたいと心底思うのだ。

 そんな私の思い上がりを払拭するため、今日は誰もお客さんは来ないが一生懸命に部屋やトイレの掃除をしたり、観葉植物の土変えなど、普段出来なかったことをしていた。

 こうした行いは祈りのようである。

 今、部屋の中に心地良い風がお迎えしているところである。

あんにランドセル?

2015-05-28 12:48:53 | Weblog

 先日母親が朝から善光寺参りに出かけたのであんは一人で長い時間お留守番をしなくてはならなかった。

 その日は土曜日で私は山谷に行っていたのだがあんのことが心配になり、わりと早く山谷から帰って来た。

 夜の帰宅時にはあんは出迎えてくれないが、眠くない時はちゃんと玄関に出迎えてくれ「おかえり~!遊ぼう~!」とワンワン言って私の帰宅を喜ぶのである、私はそれがとても嬉しいのだ。

 まずビールをプシュっと開けて、あんと散歩に出かけた。

 歩いていると小学3年生ぐらいの女の子4人が道路で遊んでいた。

 そして、あんを見るなり、「あっ、バイクだ!」と叫んだ。

 私はすぐにその子が人違い、いや、犬違いをしていることに気が付いた。

 バイクとは乗るバイクではなく、あんと同じ黒柴で釣具屋の裏に住んでいる柴犬である。

 「違うよ、バイクじゃないよ。これはあんだよ。バイクは男の子でしょ。このあんは女の子だよ」

 「へぇ~そうなんだ。バイクじゃないんだ」

 「触って良い?」

 「良いよ」

 あんは何気なしに彼女の真ん中に行き、澄ました顔をしてお座りした。

 「わぁ~毛が柔らかい」

 「あぁ、白い毛が抜けた!」

 「柴犬は良く毛が抜けるんだよ」

 「そうなんだ。でも、噛んだりしない?」

 「しないよ」

 「尻尾触っても?」

 「うん、ほら」と私は言ってあんの尻尾をフリフリさせた。

 「わぁ!」と一同驚きながらもあんをニコニコして触り続けていた。

 「あんは何歳?」

 「もうすぐ六歳になるよ」

 「そうなんだ。それじゃ、小学生だね」

 「ランドセルを背負えるかな?」

 一人の子があんの前足を持って「こうやってやれば、ランドセルを背負えるよ」と言って笑った。

 すると、一人の子が目の前の子に「パンツ見えるよ!」と言うと。

 言われた女の子は両手でスカートをわしづかみにして下ろし、私を見上げ笑うので私も笑った。

 女の子たちは始終笑っていた。

 そして、あんは女の子たちの真ん中で澄ました顔してなすがままにされていたが、あんは彼女らを友達と思っているようだった。

 ビールはすでに飲みほした。

 「じゃね、またね」と言って女の子たちと別れ、散歩の続きに向かった。

 あんはとても良い子だった。

 女の子たちもとても良い子だった。

 私は思った、私はあんに引かれて善光寺参りを毎日しているようなものだと。

 あんは気分よく気持ち良くトコトコトコトコ歩いていた。

 私も一緒に歩いた。

 気持ち良い午後の散歩だった。

 

譲れない一線。その2。

2015-05-27 12:46:55 | Weblog

 「俺もそろそろ考えているんだよ」眩しい陽射しから目を逸らすように下を向きながら、彼は呟くように言葉を吐いた。

 「最初に弁護士とかに相談すると良いみたいなんだよ・・・」

 その言葉を聞いて、私はようやく彼が悩み考えていることが分かった。

 それは生活保護を受けるかどうかを彼は悩んでいたのだった。

 「それは悪いことではないよ。生きていくために順応していくことだからね。もう辛いんでしょ・・・」

 「そうなんだよ。俺も疲れたから、どうしようかと思ってさ。俺も弱くなったのかな・・・」彼はきっとその時自分の弱さを私に分かってほしかったことを私は感じていた。

 自分の愚かさを笑い飛ばせるだけの気力と普段の路上生活の苦しさが彼の限界に達しようとしていたようだった。

 「うん、良いじゃない。生保を受けてもカレーを食べに来てよ」

 「いや、俺にはそういうことは出来ないんだよ。もらったからにはそれでどうにかしなくてはならないと思っているから」

 「そうなの、ここには生保をもらっている人もたくさん来るし、また友達に会いに来る人もいるからさ」

 「そうだけど、俺にはそれは出来ないんだよ」彼はきっぱりと彼の義理と言うか、心情を曲げることはなかった。

 それゆえに生保を受けると言うことも彼にとっては超えることの難しい譲れない一線なのだろうと私は思った。

 「じゃあさ、もし生保をもらったら一緒にボランティアをしようよ」

 「それは考えてもいなかった」と今までは違う新たな世界を見たようにハッとしながらも彼は喜んで言った。

 「顔を見れなくなるのも寂しいしさ、一緒にここでカレーを配るだけでも良いし、良ければ最初からでも良い、終わってから一緒にカレーを食べても良いから、一緒にボランティアをしようよ」

 「そうだね、それも悪くないね。良い気分転換になるな」

 「そうだよ。良いね。じゃ、その方向で」

 「分かった。考えておくよ」彼は片手を上げ、「また」と言うサインを私に送り、カレーをもらいに行った。

 その時列の一番最後に並んでいた彼もあと数人でカレーをもらえる場所まで来ていたのだった。

 笑顔の彼を見送り、私は彼を心の中で祈りとして彼の痛みが和らぐ期待を膨らませた。

 にもかかわらず、私の負の意識が心の一部で語り始める、もし彼が生保を受け、私たちと一緒にボランティアをしてもうまくいかないかも知れない、人間関係や自分の負い目を他者に投影し、自身の心を守ろうとして、そこから逃げ出してしまうかもしれない傷付くだけの結果しか残らないかも知れないと。

 彼は私との会話の中でこんなことも言っていた。

 「世の中であなただけしか話しの分かる人はいないよ・・・」この言葉がどんな意味を持っているのだろうか。

 私には嬉しい言葉であるかも知れないが一様には喜べない、そこにはそれだけ彼が傷付いて生きて来た過去が滲んでいるからだ。

 また彼は話しを聞いてくれる他のボランティア団体の人もいるだろう、その人から生保の受け方などのアドバイスも聞いていた。

 いつも一人でいる、独りでいるしか得ない彼のこと、彼の孤独をMCのボランティアが喜んで受け容れてくれるだろうか、私には不安が残る。

 だが、またその私の考えも貧しいだけかも知れない、なぜなら、先のことは分からないからである。

 私には祈ることしか出来ず、後はマザーが言うように神さまにお任せするしかないのである。

 ただ彼を彼の知らない新しい世界へと導くことは私の中の神さまのお望みのようであった。

 初夏の眩しいほどの陽射しは悩みを吐き出すものと悩みを受け容れるものとに同様に降り注いでいた。

譲れない一線。

2015-05-26 12:36:39 | Weblog

 「俺はどうしてもイヤなんだよ・・・。でも、やっぱり疲れたよ・・・。俺も疲れたんだ・・・」

 私は彼の話しを聞いていたが何がイヤなのか分からなかった。

 だが、そのまま彼が何がイヤなのか、何を伝えたいのか、何を分かってほしいのかを知ろうと心をそこに当てた。

 その彼と久しぶりに土曜日の白髭橋の炊き出しで会ったのはもう二ヵ月ぶりぐらいだったと思う、彼はいつもカレーの列の一番最後に並ぶおじさんである。

 以前にも何度もこのブログに書いたが、彼はいつもケンカを売られ、結局それを買ってしまい、力の強い彼は結局相手に怪我を負わせてしまい、拘置所に勾留されてしまう哀しい性を持つおじさんである。

 そのおじさんとの約束は「俺がここに来なくなったら死んだと思って線香の一つでも焚いてくれ」とのこと、私はその返事に「分かった。そしたら、この隅田川で線香を焚くから」と言うと彼は笑い転げた。

 その約束のまま、私は久しぶりに会った彼を見ると「久しぶりじゃないですか!どうしていたんですか?もう少し線香を焚こうと思っていました」と言うと、彼は顔をくしゃくしゃにして笑い転げた。

 「いや、疲れたよ。俺もさ。随分我慢してきたけど、もうキツイな・・・」

 「そうか、そうだよね。で、最近は仕事は?」

 「俺の知っているところがあるんだけど、俺がすぐに息切れしちゃうからってダメなんだよ」

 彼の言う「息切れ」とは分かってもらえるだろうか、その意味は体力的なものではなく、主な意味は精神的なものであり、また他者との関係をうまく保てないことにある。

 初夏の陽射しが彼の目を細めさせ、そこに人生の渋みとうまく生きれない苦しみ、分かっていることも出来ないダメな自分を滲ませ咀嚼出来ないままのように漂わせていた。

 そんな彼は炊き出しに来る時にはいつも髭を剃り、綺麗な身なりをしている背はあまり大きくないが身体のがっちりとした男性であり、一見したところではこの場に不釣合いの人のようにも見えるが、そこには私の想像も付かない彼の息苦しいドラマがあったに違ないだろう、それゆえ彼は私の前にいるのであった。

 私は思い込みや外見だけで判断することを恐れる、それは目の前の相手を私のそれで裁く可能性のある愚かさがある私を嫌うのであると同時にその私をも観察できるように努め、また私の感情と思い込みを超えたところに行けるように導こうと心を整える。

 それが愛と呼べるものになるように、それが神さまにとって美しいことであるようにとの願いとともに。

 {つづく}

 

本当のことまで。その2。

2015-05-20 12:51:17 | Weblog

 「先週、居なかったね」と彼はカレーを淡々と口に運びながら呟くように言った。

 「うん、先週は休んだよ」と私は答えながら、彼は私を探してくれたのだと思った。

 話しは次の話題に変えられると思ったが、彼は続いて「どこか行ったの?」と聞いてきた。

 その瞬間、その短い言葉の中に含まれる意味が私の心を騒がした。

 彼の言葉にしなかった先の言葉はこうしたものではなかっただろうか、「あなたは約束があって良いね。俺には何もない、ここにカレーを食べに来るしかないし、友達もいない・・・」

 私は感じなくても良いはずの罪悪感を感じた、それゆえ友達のところにBBQをしに行ったとは言えず、ただ「用事があったんだ」と彼の質問とは少し違った答えた。

 彼はたぶん私がプライベートのことを話さない心の狭さを感じただろう。

 私は彼に寂しさを与えてしまったように思ったそれがまた罪悪感として感じられた。

 私は彼のその心と向き合わずに話題を彼の肩のことに変えた。

 「また飲みすぎて転んで骨折しないように」私自身にも言い聞かせるように言うと彼はため息を吐き出すように答えた。

 「肩は転んで骨折したんじゃないんだよ。おまわり{警官}とケンカしたんだよ」

 「そうだったんだ。でも、どうしてケンカしたの?」

 「浅草でさ、生意気な若いヤツがいて、そいつとケンカになって、オレをちょうど上になって殴っている時におまわりが来てさ。そしたら、今度はそのおまわりとケンカになって、おまわりの服のボタンとか取れちゃってヤベェと思ったんだけど・・・。それですぐにパトカーも来て、おまわり六人に羽交い絞めされてパトカーに乗せられる時に暴れてさ。その時、折れたんだよ。医者も普通こんなところ折れないって言ってたよ」

 「そうか、そうだったんだ・・・」

 彼は三年ほど本当のことを話さないでいたことを私は知った。

 その間彼はどんな思いで本当のことを黙っていたのだろうか。

 恥ずかしくて言えなかったのだろうか。

 私がそう思わせる態度をとっていたのだろうか。

 分からない、分からないが、彼が今本当のことを話してくれた意味はもしかしたら私自身が本当のことを彼に話していないことへの無意識に近い反発かも知れないとも思った。

 そこにはもっと親身であってほしいとの渇愛があってのではないかと私に感じられた。

 私には愛がない、愛のない私を愛してくださる神さまに私はひたすらにお願いするだけ。

 彼の痛む心を私が柔和に受け容れられるようにと。

 私は思う心が足らない、私に思う心を、もっと思う心を。

 神さまに願うだけ、願った。

 二人の前には何事にも無関心であるとも疑われそうな河は流れているが、しかし、その淀んだ河であれ、休むことなく正しきことを常に全うしている完全さもあれば、すべてを受け容れる優しさも持ち合わているように静かに流れていた。

本当のことまで。

2015-05-19 12:37:37 | Weblog
 
 彼は一人階段に腰を降ろし、隅田川を前にしてカレーを食べていた。

 私は静かに彼の隣に腰を降ろし、隅田川を眺めた。

 その彼と出会ったのはもう五年以上前かも知れない、その時、彼はどうやったら生保を受けられるようになるのかを私に聞いた。

 「やっぱり親とかにも連絡が行くんですよね・・・」と彼は重苦しく呟いた。

 その言葉の中に彼の親との複雑な関係性が漂っていた。

 他人には到底語ることの出来ない事情があることだけ、私は察した。

 しかし、それから彼は生保を受けていた。

 どんな決断、どんな諦め、どんな新たな苦しみを彼は味わい背負い、生保を受けたのだろうか。

 生保は受けた彼は新たな苦しみを味わうようになった。

 彼は私に会う度にこう言った。

 「どんどん落ちていく気がします。このままではダメだと思っても何も出来ず、ただ急降下するように、怖いくらいにどんどん落ちていく気がするんです・・・」

 彼は私と同世代四十代の男性である。

 何もせずに生きられてしまうことへの恐怖、自分自身がどんどんダメな男になっていくような恐怖を味わいながらも、にも関わらず、そこから這い上がる気力がない慢性的なウツ状態にもなっていた。

 生保でもらったお金も月初めに大体は使い果たしてしまう、それが良くないことを十二分に知っているにも関わらず、そうせざるを得ない日々を送っていた。

 たぶん、あれは三年ぐらい前のことである。

 彼が肩の辺りを酔って転んで骨折したとしばらくぶりに炊き出しに顔を出した時、苦笑いしながら私に話したのは。

 それから、私は彼と会う度に彼の肩を気遣い、あまり飲みすぎないように言ってきた。

 最近は私が彼に近寄り、彼の肩に触れようとすると、彼は先生からふざけて逃げる子供のように私の手を笑いながらかすめ逃げたりしていた。

 そうしたことが続いたこともあり、私はそっと彼の傍に腰を降ろしたのであった。

 どんよりとした雲空の下で隅田川は何も言わずに静かに正しく海に向かって流れていた。

 何事にも無関心であるとも疑われそうな河の流れでもあるが、休むことなく正しきことを常に全うしている完全さもあれば、すべてを受け容れる優しさも持ち合わているようにも河は静かに流れていた。

 {つづく}

 

バタコさんちのBBQ。その3。書き足し。

2015-05-17 18:29:42 | Weblog

 ボブの歌が初めに流れて来た。

 あぁ、何て気分が良いのだろうと視覚で新緑を楽しみ、舌の上で丹念にビールの味を惜しむことなく味わい、だけど、そこに留まってはすぐ後に来る楽しみののど越しを待ちぼうけにさせてはいけないと意識するかしないうちに胃に着地するようにたどり着いたビールは、多くの初対面の人たちへの緊張もどこに届いたのかその行先も分からないボブの声と一緒に混じり合い解けて、空の中でウグイスやホトトギスの声と一体化して行った。

 しばらくするとバタコさんがスージーの歌を聞こうと言う、スージーはバタコさんの友達でバタコさんちに向かう車の中でギターリストと紹介された。

 それもハードロックを弾くと言うのだが、私には初めピンと来なかった。

 と言うのも、彼女は小さい女の子で一見激しくギターを弾くようには到底見えなかったのだ。

 ただ彼女の話を聞いて驚いたのだが、何と彼女はあのビリーシーンと共演していると言う。

 ビリーシーンとは「Mr.Big」のベーシストであり、世界中にいるベーシストの中で五本の指に入るほどの超一流のベーシストであり、ベーシストの革命家とも言うべき、信じられないような弾き方をする人である。

 まさかあのビリーと共演している女性と出会うなんで信じらない思いになった。

 思わず笑ってしまうほど驚いた。

 私がたぶん高校生の時、まだ髪の毛がフサフサでヘビィーメタルが大好きで長髪にしていた頃だと思う、凄いベーシストがいるとビリーのいるバンド「タラス」を聞いて愕然としたことを思い出した。

 いったい何をどうしたらこんな音が出て、どんな指の動き、どんな弾き方、どんなどんな・・・疑問符と興味と好奇心が沸騰し、まさに圧倒された。

 当時はインターネットなど今のようにはなく、YouTubeで簡単に見るようなことが出来なかった。

 だから、録音したテープを何回も聞いたものだが、その当時の私には到底手におえるものでもなく、もう神さまのような存在だった。

 その神さまのような存在のビリーと共演しているなんて、まったくほんとうに驚いたのだった。

 私のなかの生意気な長髪の男の子が憧れの目でスージーを見るように一瞬にしてなった。

 スージーの曲が流れる。

 あぁ、流石です・・・とハゲ頭のオジさんはスージーの音に感服した。

 それからスージーからレコーディングの時のことやビリーのことを聞くことが出来て感動に近いほどの思いに私はなった。

 私のなかの生意気な長髪の男の子は私よりも感動して、それを通り越してドキドキしていたと思う。

 スージーは「Jikki」と言う名で個人ですべてマネージメントしている。

 それゆえ商業ベースにはのらないのであまり有名ではないが素晴らしいアーティストだと思う。

 どうぞハードロックが好きな方は「Jikki」で検索すればビリーシーンと共演している動画を見れるので是非見てください。

 この世の中には素晴らしい人がいます。

 その確証を得ると、またこの世の中は随分と美しく、私には見えてしょうがない。

 あなたがそう思える人もきっとこの世の中にはまだまだいて、いつか会えるかもしれない、そう思うだけでも嬉しくなりませんか。

 そして、その可能性がゼロとは誰も言えないのです。

 まずは歩きましょうか、歩いて違う場所に行けば、違った風景が目に映りますから。

 普段は出会えぬ人と出会うことを差し出してくれたバタコさんに感謝です。

 バタコさんちのBBQのことを書こうと思えば、まだまだ書きたいこともあるのですが、とりあえずこの辺りまでしておきます。

 ちなみにスージーたちが帰るまで私はビールだけで我慢に我慢を重ね{傍からは決してそう見えないと思いますが}記憶はしっかりあり、八本ぐらいは飲んだと思います。

 一升瓶のワインも、そう飲み始めたスージーたちは帰りました。

 その後、そのワインも飲み終わり、日本酒の一升瓶を手にしながら坂本君の知り合いの大学生を捕まえて熱く語っている間に電池が切れたように椅子に寝てしまったとのことでした。

 

今日も。

2015-05-15 10:27:34 | Weblog

 今日はあんとの散歩も病院に行ったために行けなかった。

 右手の中指のバネ指に注射をしてもらいに行ったのである。

 それに今日は仕事がいつもよりも二時間半早く出勤になってしまったために昨日の続きを書きたかったのだがその時間もない次第だ。

 昨日はバタコさんのお母さんからもらったドン・ボスコの漫画を読んだ。

 久しぶりに漫画を読んだが、その内容と構成はなかなかものだった。

 ドン・ボスコの貧しい少年たちを救いたい強い思いが私の身体にじんと沁みわたり、涙として溢れ出たくらいだった。

 またいつかドン・ボスコの自伝をしっかりと読んでみたい思いにさせてくれた。