カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

雨の中。

2008-05-31 19:23:39 | Weblog

 今日も多くのおじさんたちがカレーを食べに来てくれた。

 あの84のじぃーちゃんも、ナンクルナイサーのおじさんも会えなかった。

 今頃、彼らは何を見ているのだろう?何をしているのだろう?そんなことを思い浮かべる。

 きっと、心強く生きていること。自分にとって都合の良いものであろうが、そう考える。そう願う。祈る。

 そう、すべては希望である。

 しかし、彼らは強いのも事実である。きっと、また会える、そんな気を感じる。

 また逢わせてくれるだろう。・・・誰かが。

 今日は仕事を終えて配った場所から帰ろうとすると、一人のおじさんがうなだれていた。

 「どうしたのよ?身体の調子が悪いの?」

 「いやー、飲んだんだよ。友達から焼酎もらってね」

 「そうか、良かったね。ご飯、食べた?」

 「一日一食食べればいいよね?お弁当を食べたよ。友達から、今朝、焼酎もらってさ。有り難い。飲んだよ。オレなんか、5、6円しか持ってないから買えないしさ。でも、友達が買ってくれたんだよ」

 「そうか、そうか、良かったね。でも、ここで寝ないでね。雨も降って寒いし、風邪引くよ」

 「いやー、これから、上野の炊き出しに行くんだよ」

 「そうか、気をつけていくんだよ。ほんと、気をつけてね。それじゃ、またね」

 彼はまだうなだれていた。
 彼にとって、友達が嬉しいのか、焼酎がうれしいのか、さて、どうなのだろう?焼酎を買ってくれた友達がいることが何より嬉しいことで、彼の生きる力の一つになっているのだと思った。

 あまりいいことのない毎日、辛いことの方が多い毎日のなかで、その一つの出来事が彼を意気揚々とさせるのだろう。酔いどれているが、彼の生きる力は彼が輝かせている。傘も持たず、雨に濡れた汚れた服を着ていても、輝かせている。

 「友達が・・・、友達が・・・」そう連呼した彼はその友達の気持ちがほんとうに嬉しかったのだろう。

 それは身にしみるようにして感じた。そうした友達がいることが、彼が自分に分かってほしいことの一つだった。

 自分たちは生きていく上で何を持っていればいいのだろう?
 
 そんなことをあたたかく考えた。言い訳も誤魔化しもなく、自分を責めることもなく、ただあたたかく考えた。

 降る雨を見ては、いつか止むだろうと思いながら。
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コイのカレー。

2008-05-30 11:34:36 | Weblog

 自分で知る上でカルカッタで一番と言っていいくらい美味しい店は自分のホテルの裏側にあったカレー屋だった。

 もう95年から、あの店に行っている。
 洗濯物を干すテラスから、その店の裏側が見える。仕事が終わりシャワーを浴びてから、洗濯物を干していると、「カレーを食べに来ないのか!」よく声をかけられたものだ。

 「もうすぐ行くよ!コイのカレーは出来た!」

 「あぁ!出来たよ!早く来いよ!」

 そんな会話を何度も交わしてきた。

 何度食べてもほんとうに美味しい。いくら食べても飽きない。そして、その店はいつでもフレッシュなものを用意していた。

 作る時間、出来上がる時間が分かっていたから、その時間を見計らって食べに行った。インド人の食事は日本人より、一時間半か、二時間ぐらい遅い。
 インド人は店に多く集まる時間は一時半過ぎくらいからである。その前にゆったりとした空間のなかで美味しくご飯を食べることは何よりのリフレッシュになり、明日への力になった。

 魚のカレーがメインの店である。ベンガル語でそのときに出来たカレーを店員が言う。そのカレーが無くなれば、お終いである。常に古いものは置かないのが良い。

 魚のカレーはオリッサにサイクロンが来て何万もの人が亡くなった年から、魚の値段は上がったままだった。今回、鳥インフルエンザによっても魚の値段は上がった。

 店には中流階級より上の人たちが来ていた。決して安くはない店ではあるが、身体がまだカルカッタの空気などに慣れていないとき、元気がないとき、疲れているとき、病気になりそうだと感じたときには必ずお腹一杯に食べに行った。

 そして、元気になった。

 カルカッタでは病気にならず、元気よく働くことは簡単なことではない。よく食べ、よく寝ること、そして、清潔第一を心掛けていないとかなり難しい。

 食事は落ち着いて美味しく食べることがほんとうに大切である。それはカルカッタだけに限ったことではない。

 心理的にも健康でいるためにも、いろいろと心掛けることが、その基となるのが食事と睡眠である。あの店は何を食べても美味しかった。ここに来るだけでもカルカッタに来た意味があるとさえ何度も思ったくらいだ。

 またあのコイのカレーが食べたい。

 
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荒れ寺を。

2008-05-29 11:55:12 | Weblog
 
 あるお年寄りとの会話。

 彼は教師だった。今は肩麻痺もあり、寝たきり、会話も出来るとき、そうでないとき、を繰り返している。

 彼は10歳で住職の父親が亡くなるまで、寺で育った。

 年を老いていく最後のときに、また幼年期の記憶のなかへ戻るようにして帰っていく様が、今であろう。

 「野田さん{自分の本名は野田哲也}、荒れ寺を建て直して、みんなに説法をしよう」

 「えっ、荒れ寺ですか?」

 「そう、早く荒れ寺を直して、そこで説法を二人でしよう」

 「良いですね、説法ですか。みんながいろいろな気持ちを話し合える場所があるといいですよね」

 「そうなんだよ。時間はないから、急いでやろう。大分あたりには荒れ寺があるって、前に友達に聞いてことがある。まず、場所を見つけたら、誰かに取られないように縄で場所をくくらないといけないよ」

 「荒れ寺を直すなんて、フランチェスコみたいですね。フランチェスコを知っていますか?」荒れた教会を立て直すように神の声を聞いたフランチェスコが行った話しをした。

 「そんな人がいるんですか。良いですね。そうです、立て直すんですよ」

 「そうしましょう。では、今度来るときまで、寺の名前は何するか、決めといてくださいね」

 「さぁー、忙しくなってきたぞ!」彼は笑みを浮かべ、嬉しそうにしていた。

 自分も嬉しかった。また次に彼に会うときに、この話しが出来る可能性は100%ではない。出来ない可能性の方が大きい。しかし、彼はこの瞬間、まだ生きて来れなかった幼年期からの思いを歩けないその不自由な身体で夢見る。

 それは夢であるが夢ではない現実でもある。

 生きていく上で身体がすべてではない。生きていく力は心から生まれる。

 最後の時をゆっくりと迎えるその前にして、心のなかで何かを生き直していくように生き生きと生きるその様はなんて素晴らしいものだろう。

 彼は死ぬその最後のときまで教師であり続けるのだろう。誰かに何かを教えることの意味を大切にあたため続けていることがありありとしている。そして、仏さまへの切なる憧れが輝いている。

 彼のなかには仏さまが生きている。

 そんな彼のなかの仏さまと出会えることはかえがえがない。胸が熱くなった。

 人間は生き直すことをする。それがそのとき、どんな状況でもそうするのだろう。その心は常に自由であり続ける。
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「世界でただひとり」への思い。

2008-05-28 14:33:31 | Weblog

  マザーのこの言葉「今という時に接しているそのひとりが、私にとって世界でただひとりしかいない人なのです」から、自分はこうした勇気をもらう。

 自分は山谷、カルカッタ、また、自分の仕事場で働く上で、理想の職場などにはなかなか出会うことは出来なかったように思う。しかし、そこで働くを止めずに続けてきたことは、マザーのこの言葉がいつも胸にあったからだと思えてならない。

 決められた時間のなか、決められた仕事のなか、思うようにならないなか、心を騒がすような人のなか、祈りが実行されていない空しさのなか、壁のそとと壁のなかの違いに戸惑いを表すことも許されないようなときでも、そう、いつでも、自分を勇気付けたのは、自分が出会い続けさしてもらった目の前の人である。

 多々ある問題のなかで、自分に許され自由なのは、目の前に人へ、どれだけの思いで関わるかということに尽きていた。その愛は限りなく自由であった。
 それ以外は何があろうと、何を言われようと、どう思われようとも、大切なことではないと傷付きながらだが、長い時間をかけて思えるようにもなってきた。

 山谷でも、カルカッタでも、ここでは到底書けない空しさもあります。多くのボランティアが自分の理想、思い込みと違うと、一つの出来事、一瞬の出来事、あるいは誰かの一言によって、その場を離れて行ってしまうようなことも多くありました。

 どんなに傷付いたのか、どんなに自己のなかで言い訳をして、何を無理やりに誤魔化して行ってしまったのか、彼らはほんとうに納得しているのだろうか、満足した心、満たされた心は・・・、数々の問いが溢れる。

 そうしたことを感じ、目にするたび、心は痛みました。

 では、どうしてこのようなことになるのだろう、ずっと問いを掲げていた。

 分かりだした答えのようなものがある。

 それは、誰もが、自己が何のために、何がしたくて、何を期待して、何を求め続けているのかに自分が気付かないでいる場合、それを持続していく力が生まれていくことはかなり困難になるのではないか。

 誰にも認められなくても、し続けていれば、誰かが認めてくれる。同様に、認められるがためにし続けているのであれば、傷付くことも多く、持続していくことはさらに困難を要する。

 人は変わる。し続けていれば、その過程で自分も変わっていける。それは思い続けれてることによってもそうであろう。そこは、自分にとって都合の良くないものほど、実は自分を根強くしてくれる。

 純粋性は必要である。
 自分がどう純粋であるのか、問うことから身に付いてくるものだろう。そこに影があっても、影を認め、影に光を注ぎ込めば、そこはまた新しく生まれ変わることもするだろう。ただ、観ないままでいれば、そこは生きていなくなってしまう。

 そして、柔軟性、何よりも相手への思いやりが必要であろう。そのなかで自己の心への思いやりを忘れてはならない。

 自己の怒りを観て行くことも必要なのであろう。

 怒りと愛は共存しないからだ。

 怒りを大切に観て行ってほしい。きっと何か変わり始めます。その治癒力は誰にも備わっていること、人間はそうしたものをしっかりと実は備えて生き続けているのです。

 怒ることがあっても当たり前です。うまく行かないことがあっても当たり前です。転んでも、また立てる。しゃがんで休んでから、また立ち直ることができる。

 マザーからの教えはすでにあなたのなかにあるのです。それを輝かしていきましょう。そこは誰からも邪魔されることはありません。

 心は自由であり、あなたの愛は自由であり続ける。

 世界でただひとりの人との間に。



 
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ごめんなさい。

2008-05-26 14:31:04 | Weblog
 「世界でただひとり」のコメントをこうもらいました。
 
 「急変の中、家族に見守られながら最期を迎えられた方。その一方では家族がなく最期の最期までもがき苦しみ、最期を迎え天国へ。家族がなくとも決してそれが哀れなことではなく。孤独を感じることなく逝かれたことを今はお祈りします。“私にとって世界でただ一人の人へ。”この温かい言葉が今日、響きます。
そして、雨の季節、彼らはどこへ。今日もまた彼らからも温かい気持ちをもらいお祈りします。」

 そして、自分はこう書きました。

 「カーリーガートの遺体安置所の壁には「私は天国への道を歩んでいる」そう書かれていました。きっと、そうなんだろうと信じます。そして、祈ります。」

 こう書いたあと、何かずっと心が騒いでいました。
 それはごめんなさい、きっと何かの言い訳のようにして、返信した節があったように思うのです。もちろん、何を書いてもいいのでしょうが、それでも、どうしても腑に落ちないのです。

 答えのないところへ無理やり答えを書き上げたような罪悪感を感じたのだと思います。

 どうしようのない、どうすることもできない、あまりにも理不尽すぎるほどの人の最後を自分も何度も目にしてきました。
 どう救って良いか?何を使い、何が行き届くのか?自分が思う愛というものがその人に入る余地もない、にもかかわらず、それを伝えようとする、その憤りのなか、自己の感情だけが自身を支配している瞬間を何度も味わいました。そして、出会う人たちに心を正してもらいながらありました。

 人間の領域超えたところを祈り、願う。そして、見えないものを必死になって見ようと貪欲なりつつあったことも確かにありました。しかし、最後には手を合わせ、祈ることしか出来なかった。

 それは祈ることがすべてあり、すべては祈りのなかにあり、神のなかにあるのだろうということを感じるようになりました。

 カーリーガートの遺体安置所に書かれた言葉はマザーによって書かれたものだと思います。すべての決め事は彼女がしてきました。

 「私は天国への道を歩んでいるのです」その言葉しかなかったように思えてなりません。

 そして、誰もが、この今も、そうあるのだと思うのです。

 自分たちはかけがえのない今を大切に生きることで、天へ向かった彼らの思いを受け継いでいるのでしょう。確かなことは分かりませんが、そうただ感じるのです。

 マザーの切なる祈りを身体のなかにしみ込むほどに祈るのです。

 「すべての人が生涯を終えるときに{愛されている}ことに気づきますように」

 中国、ミャンマーのためにも祈りましょう。
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世界でただひとり。

2008-05-24 20:10:19 | Weblog

 今日は570人分のカレーが隅田川、いつもの白髭橋ではけた。
 天気も良く、今日はたくさんのおじさんたちが来てくれた。

 自分はいつもようにカレーを待つ彼らの列に向かう。
 こちらから迎えるようにして彼らに挨拶をしていく。

 それからも彼らの顔をなるべく多く見れるように歩きながら声をかける。

 食べ終わったゴミとなるプラスティックの容器とスプーンを集めながら、一人で座って食べているおじさんたちのそばに腰を下ろして会話をする。

 今日は84歳のおじぃーちゃんと会話をした。とても心に残った。
 もちろん、以前から顔は知っていた。しかし、なかなか落ち着いて話すチャンスはなかった。

 「もうカレー食べたの?」

 「いやー、これから食べるんだよ。これは美味しくてねー。ほんとうに美味しいよ。」

 「どう、ご飯はちゃんと食べているの?食べれている?」

 「・・・・・・」

 「これから食べるんだよ。有り難いよ。」

 少し大きな声で、
 「身体の調子はいい?」

 「元気だよ。元気でいなきゃー、イチコロだよ。今頃、南無阿弥陀仏だよ。あっ、アーメンか。」

 始終、お互いに笑いながら会話をしていた。
 話している途中でやっと分かった。ほんとうに耳が遠くて、彼の耳元で少し怒鳴る感じぐらいで話さないと自分が話す声が聞こえていなかった。
 細身で小さい顔、ほんの少しの歯が笑うとよく見えた。その笑顔はこっちが困り果てるほど素敵な笑顔だった。
 84になることを教えてくれた。それでも、カレーにほんの少ししょう油をかけて、抱え込むようにして、カレーを感謝の姿で、彼はほおばっていた。その姿はとてつもなく愛らしかった。

 食べている姿をそばでずっと見ていたい思いにもなったが、やはり気になるだろうから、声をかけて、その場を去った。

 また、一人でいるおじさんたちを一人ひとり回って話した。

 韓国人のボランティア二人が「何をしているんですか?」と自分に話しかけてきた。

 「彼らと話しをしているんですよ。マザーは食べ物を与えていれば、それで良いとは言っていません。マザーの言うようにしているだけですよ。」

 「そうですよね。食べ物を与えているだけはいけませんよね。」

 「良いですか、彼らと話しをするときは一人で行くんですよ。二人で行く場合に彼らに与える影響がどんなものか、想像できますか?それよりも、そっと、彼らのそばに向かい、優しく声をかけていけば良いですよ。」

 「でも、何かされたら怖いですから。。」

 「そうですか、怖いかも知れませんね。だったら、みんなの目の届く場所でそうしていけば良いじゃないですか。」
 
 もちろん、酔っ払ってきている人のなかに困ったおじさんもいるが、決して、そう多くはない。孤独で人見知り、人間不信のおじさんたちが少なくないだろう。そうした人にどう接すればいいか、どう愛を届ければいいか、常に自分たちの内側の問題としてあるのだろう。

 彼女ら二人にも思い込みがある。勝手にそう思い込んでしまっている。かなり前から山谷にボランティアをしに来ていても、そうしてしまっている。
 その思い込みがあるために、彼女らは彼女ら自身の愛を与えることを自らが閉ざしてしまっていた。

 しかし、話しをしたことによって、次は何かが変わっていくのかも知れない。彼女らは自分がそうした話しをすることに少し驚きながらも真面目な顔で聞いていた。なかなかこうした話しを山谷に来ている韓国のボランティアの子達と話す機会を持っていなかったこともあった。その理由はいろいろとあるだろう。だが、その機会は神さまがくれたのだろう。

 彼女らはきっとまたマザーのことを思い感じながら来てくれることに期待した。

 84のおじぃーちゃんがカレーを食べ終わる頃、また彼のもとに戻った。堪らない笑顔をまた見せた。

 大きな声で「また来週ね!身体には気をつけてね!」
 彼は「うん、うん!」笑顔で言っていた。

 彼は自分の常識を遥かに超えた世界を持っている。質素にひとり強く、そして、感謝深く、必要のないものは持たず、人に迷惑をかけず、にもかかわらず、弱気にもならず、笑顔を絶やさず、忘れずに生きていた。きっと仏さまを信じているのだろう。守ってくれているのだろう。そう感じさせてくれる人だった。いい笑顔、仏さまのようだった。会えてよかった。

 あのナンクルナイサーのおじさんには今日も会えなかった。山友会にも行ったが来ていないとのことだった。またもし彼が来たら、よろしくお願いしますと声をかけてきた。

 マザーの言葉。
 「今という時に接しているそのひとりが、私にとって世界でただひとりしかいない人なのです」

 
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メインのギター。

2008-05-23 12:09:20 | Weblog

 二回目のインド。94年にカルカッタで買ったものをライブのメインギターとして使っている。
 
 いつも、インドへは日本でマーティンの弦を買って持っていく。あまりにもインドの弦は良くなく、輸入品のものは日本で買うより高いからだ。

 カルカッタに着いた次の日はいつもの楽器屋に行ってみる。そこで何本かのアコースティックギターを弾いてから買うことにしていた。

 今回は中国産のクラシックギターを2500Rsで買った。これでも安めのものを選んだ。アコースティックギターはそれ以上に高く、ほんとうに迷った。三年半前とはかなりギターの値段が上がっているし、日本で中古で買えば、もうちょっといいものが買えるからだ。

 それでも、部屋にギターがなければ、何となく納まりが悪い気がしたので買ってみた。たまに弾いて一人で歌ったりもしていた。それで少し気が紛れたり、元気になったりしていた。寂しくなったりしたときもあったが、それはそれ、自分に必要な感覚として味わったりしていた。

 うたうことは必要だった。何かを取り戻す。何かを思い出す。そんな機会をいつも与えてくれた。

 ライブで使うギターはなかなか良い。インドギター独特のFホール{ボディーに開いている穴}はバイオリンのような感じである。ボディーも表と裏にも膨らみがある。ギターは軽いが、乾いたさらりとした感じの音を出す。ギターが鳴っている感じが良くする。

 最近、新しいうたを作ろうとしているが、これがなかなか出来ない。

 なぜ、出来ないか?

 複雑な感覚感情がなる音に絡み合う。きっと必要でないものまで抱え込んでいて、ピュアな感じを取り戻せなかったり、満足いかない心が踏み出す勇気を生み出させていない感じもする。

 いいうたを作りたいと思いながら、その道を細くしている感じもする。しかし、うたうたいとしては、これが当たり前のことでもある。自分のようなちっぽけなうたうたいではあるが、その思いは真面目にありたいとも思っている。

 うたうたいは何かを伝えたいと思う心から、うたうたいになる。

 さてさて、そのバランスはどう取るか、常に問われている。

 それを楽しめるような思いを持ち続けていたい。
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安心した。

2008-05-21 11:49:11 | Weblog

 3月29日、カーリーガートのシスターに患者を二人駅に帰してほしいと頼まれた。

 元気になった患者を家や故郷に帰すことはほんとうに嬉しいが、そのときの場合はあまりしたくはない仕事であったが引き受けた。一人は若い男性、問題はもう一人、肩麻痺があり歩けない認知のある老人だった。

 若い男性の方は会話もでき、自分でも理解していた。老人は感覚的に理解していたような感じだった。常にたばこを吸いたがっていた。

 カーリーガートにきていた「風に立つライオン」の医大生二人にも手伝ってもらい、シアルダーに向かうことにした。

 タクシーを自分で呼んできて、患者たちと自分たちが乗った。だが、タクシーはすぐに停まった。故障し、これ以上走れないとのことだった。こうしたことも良くある。すぐに違うタクシーに乗り換えてシアルダーに向かった。

 胸は相当に痛んだが、そうせざるをえない状況に怒りもあったろう。しかし、このカルカッタではどこの施設も常に一杯である状態が慢性的に続いていることも知っている自分は怒りを抑え、その次を考えていた。

 カーリーガートから列車で2、3時間のシャンティナガールまで運び移すようなこともシスターたちはしている。カルカッタで一番大きな施設グリーンパークではほんとうに患者が多く、300人の精神障害者が一緒に暮らしているセクションもある。そこはほんとうにたいへんである。詳しくは書くことを避けるが想像してほしい。

 シアルダーでは日陰のある場所にその老人を運んだ。若い男には少しお金を渡し、気をつけて生活していくように言い、彼と別れた。

 老人には食べ物と水、そして、たばこを買って与えた。彼はほんとうに嬉しそうにたばこを吸っていた。その姿がほんの少しの慰めにもなった。

 こうしたカルカッタの現状を医大生の彼らが受け容れるにはほんとうに難しく、胸を痛めることであったろう。しかし、回りを知ることにより、身近なことの意味を深めていけることも確かであると自分は考えていた。
 そこで思ったこと、感じたこと、判らなかったこと、涙したこと、その意味は大切にすればするだけ、意味の価値を深く見出し、形を変え、何かに変わっていくことを期待した。

 次の日の朝、シアルダーのボランティアには、その老人を会った場合にしてほしいことを伝えた。彼の状態が良くなくなれば、プレンダムに運ぶように、元気でいれば、食べ物、水、洋服、たばこをあげるように伝えた。

 次の日から、実は彼に会えなくなっていた。

 その彼が一昨日、プレンダムに運ばれたことを知らせれた。泣き出しそうな顔をしながら喜んでいたとのことだった。
 認知のある患者でも愛情は分かる。路上生活の厳しさが愛情深く、感情深く、感謝深く、彼をさせたのだろう。神は彼を見捨てはしない、そう思えてならない。

 良かった。ほんとうに嬉しい。安心した。

 医大生の二人もこのことを知って喜んでくれることを思うと、それもまたほんとうに嬉しいことだ。
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逃げの祈り。その2。

2008-05-20 12:39:41 | Weblog

 逃げの祈りに気付いている方がいいと自分は考えている。
 
 どうしても使ってしまうことが有り得てしまう。
 今回、病院の訪問をしているときにはほんとうに気をつけていた。

 祈りを大切にする、神を信じているインド人の前ですら、その言葉が相手にはまらないときも度々あった。

 バーニーは献身なカトリックであるから、よくこの言葉を彼らにかけていた。ベンガル語が自分より不自由な彼女にとって、そこにはそれ以上の言葉が見つからない思い、苦悩、戸惑いから発した瞬間もあったように思う。その言葉を発して、どうにか、次の患者のところへ足を向けることが出来るがために使っていたことも確かであろう。

 患者が無理に自分を納得させるような瞬間も何度も観てきた。

 こう思うのは自分も、そこで逃げの祈りを発してきた影から来る思いでもあろう。だからこそ、今回はそこで、その瞬間、何を自分は感じ、何を逃げ、何を誤魔化し、そして、何が相手にとって良いものか、何が相手にとって良くないものか、何が今出来るのか、そう感じれるだけ感じ、考えられるだけ考え抜いていた。

 何の言葉を発せずに、ただ、その人の前にあたたかさを持って立ち、その痛みを出来るだけ共有出来るように思い続けた。

 誠実さは伝えるためには、どう自分があればいいか、何度も何度も考えた。

 言葉の必要性ない瞬間もある。思いにならない言葉を身体全体で表し、それを伝えることも人間には出来る。表情から、思いを伝えることが出来る。体温から愛を伝えることが出来る。

 今日出来なかったことは明日には。
 今日伝えられなかった思いは明日には。
 今日傷つけられた心は明日には。
 今日誤解された思いは明日には。
 今日逃げた出してしまった心は明日には。
 今日大切に出来なかったことは明日には。
 今日乱してしまった心は明日には。
 今日の弱さを明日の強さに。
 明日はないかもしれないけど、明日には。
 今、出来なかったことは次に出会う人には。
 今日愛を通い合わせた思いを明日にも。
 そう希望を持ち続けた。祈り続けた。
 
 自分は逃げの祈りからも学び続けた。
 逃げの祈りを使うとき、結局は相手から逃げるようにして、自分からも逃げている瞬間が多いのではないか。精一杯になっている自分の瞬間に気付く必要もあるだろう。祈りを自身の都合の良いものとしてのみ使っていることに気付く必要があるだろう。

 深く自己を省みることにより、自分たちはゆっくりと成長していくのではないか。そして、それは誰にでも与えられているものではないか。

 答えはひとつではない。そして、答えは自分たちの内側にある。あり続ける。

 最良のものを作り出すためには切なる思いで行いをし続けることにほかならない。

 それがあなたに出来ないことはない。その可能性を誰が消すことが出来るだろうか。

 
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逃げの祈り。

2008-05-19 11:42:11 | Weblog
 マザーのところでボランティアをするようになり、よく聞く言葉がある。

 「あなたのために祈ります」

 自分は今回、この言葉を慎重に使おうと思っていた。
 それはかなり前から、この言葉を使うときの自己の心理と状況、相手の期待、望み、影響など、気がかりになっていた。

 祈りはとても強く必要なものとしてあり続ける。しかし、この言葉を発したがために相手の苦しみを言葉に出してあげられなくなる瞬間があるのではないか。また、それに付き合うことができない、付き合いきれないと感じ、その場しのぎのために逃げるようにして使うことはないか、よく考えるようにしてきた。

 祈りを押し付けのように使ってはならないと思う。
 マザーが言うように最良のものを与えると考えているならば、祈りとともに行動も必要である。

 教会やマザーのところ、宗教に救いを求めるものに実際多いのは心理的苦悩を抱えてくる者たちである。それは当たり前のことでもある。この世の中に悩みのない者などいないだろう。
 それが祈りで治ればいいが、そうでない場合も多いのではないだろうか。

 人間は肌で感じるレベルで、相手の感覚を読み取るようなところもある。相手の問題が大きければ、意識せずとも巻き込まれないように逃げることもする。それと同様にして、自己の苦しみと相手の苦しみを同化させ、その相手の苦しみを思っていると勝手に思い込みながら、実は自己の苦しみのなかでしか動けずに、結果として、自己も相手も苦しみを増させてしまうこともしてしまう。

 以前、山谷に来ている二人のシスター{二人とも違った修道会のシスターである。}に、このことを話してみた。

 一人の若いシスター{30代}は「逃げの祈り」について訊いた。
 彼女はしばらく思い込んだが、「祈りにも素晴らしい力はあります。」そう答えた。

 もう一人初老のシスターは「確かにそうして祈りを使ってしまうことがあったと思います。」そう答え、深く自己を省みていた。

 マザーはいつも目の前のその人に似合うものを提供してきた。祈りだけではない、その人の、その状況のなか、一番良いものを与えるように努めてきた。

 シュシュババンでこんなことがあった。
 ある子供が母親を亡くし、シュシュババンに来た。
 その子は母親が亡くなってしまったことで、どうしても泣き止まなかった。
 そこでマザーはシスターのなかから、その子の母親に一番に似ているシスターを選び、他に何もしなくていいから、その子を抱き続けなさいと命じた。そして、祈った。

 もちろん、これですべて解決する訳でもない。母親は母親であり、そのシスターではない。しかし、切なる思いから、そのなかでマザーは最良のものを与えようと努めていたことがよく判る。

 「つづく。」

 
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