カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

片足を引きずったおじさん。その2。

2020-11-26 11:34:34 | Weblog

 河原を巡回している警備員に様態の悪い彼が発見されるまで、どのくらいの時間があったのだろうか。

 きっとそうなるまでに身体の調子は日々どんどん悪くなっていただろう、彼は「助けて」と誰にも言えなかった。

 その孤独と恐怖は如何なるものであろうか。

 しかし、私はこうも思う。

 彼はいつどうなろうと、その覚悟はいつもあったのではないかと。

 給付金のことを彼と話した時、彼は笑って言った。

 「もうはなからもらおうなんて思っていないよ。本籍地だけでしょ。実家なんか、もう何年も帰ってないしね」

 金に執着がなく、何の未練もない、誰も羨んでいない、すぅっと良い風が吹いているような潔さすら感じる笑みで彼は言った。

 多くのものに執着しながら生きている私には頭が下がるばかりだった。

 
 次の週、またあの男性が私のところに来て、こう言った。

 「Sさん、亡くなったみたいだよ。警察がSさんのテントに来て、いろいろと調べていたって聞いたよ。死なないと警察がそこまでしないからさ」

 {つづく}
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片足を引きずったおじさん。

2020-11-25 11:45:05 | Weblog

 白鬚橋の炊き出しで彼の姿を見なくなった二週間後、あの戸籍を売ってしまった男性が私の傍に来て、こう言った。

 「Sさん、知っているでしょ?足の悪い」

 「あぁ、Sさんて言うんだ。名前は知らなかったけど、もちろん知っているよ」

 「この前、動けなくなっているところを警備員{河原を巡回している}が発見して救急車を呼んだんだよ」

 「そうなんだ。先週から姿を見ないから、どうしたのかな、と思っていたんだよ。ありがとう、教えてくれて。また何か分かったら教えてね」

 「分かりました」

 Sさんとは片足を引きずりながら歩いていたおじさんのことである。

 {以前、「びっこのイエス」と言う題名で彼のことを書いた}

 私は何度か、彼のために二度目のカレーの列に並んだ。

 彼が片足を引きずって歩いていたため、たくさんのおじさんたちに抜かれてしまうからだ。

 しかし、それをするまで、私はいつも迷っていた。

 彼一人特別扱いをするのは良いのだろうか、私がしたことで彼が周りのおじさんたちから嫉妬されないか、私がしたことが彼の迷惑にならないか、数々と問いが私に投げかけられた。

 だが、その問いすべては私の弱さから来ていた。

 聖書にある「一匹の羊のために」の言葉が私に勇気を与え、私を救った。

 私の行動を決めた。

 そして、私は彼のために二度目のカレーの列に並んだ。

 最初何も知らない周りのおじさんたちは少し驚いていた。

 だが、後からゆっくりと歩いてきたおじさんを呼び、私がいた所に並んでもらい、前後にいるおじさんたちに「ごめんね、代わりに並んでいたんだ」と言うと、みんな微笑んで喜んでくれたことが私は忘れられない。

 {つづく}

 
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あんと紅葉を。

2020-11-23 12:19:16 | Weblog
 いまホットレモンならぬ、ホットシークヮーサーを飲みながらブログを書き始めた。

 家の裏にある、庭と言うか、猫の額のような小さな畑にあるシークヮーサーは今年なり年である。

 いくら取っても、どこからは溢れてくるのではないかと思うほどではないが、それに近いぐらい、取っても取ってもシークヮーサーは減らず、徐々に「ここにもいるよ」と言わんばかりに色付き始めたシークヮーサーはその存在を主張し始めている。

 
 昨夜のうちから、私は今日は愛犬のあんを三沢川の方に散歩に行くことを楽しみにしていた。

 しかし、家を出て、あんはすぐにウンチをすると、もう舵を家の方に取り、踵を返すのであった。

 「おい、おい、あんは帰らないよ!三沢川に行くよ!」と私はリードを引いて、何度か、あんに言う必要があった。

 しばらく歩くとあんは楽しそうに電柱をクンクンし始めた。

 あんのエンジンは旧車のように温めるのに時間が掛かるのである。

 そうすると、私も目に映る木々の移り変わりの発見を楽しみ始めた。

 天神山沿いを流れる三沢川の様子はかなり変わった。

 洪水を繰り返していた三沢川は両端が高いコンクリートの壁になっている。

 しかし、長い間に土砂が少しずつ流れてきて、陸地も出来ていた、その陸地は場所によっては1メートル以上の高さもあったがすべて取り去り、平らな川になっていた。

 これは昨年の台風で多摩川との合流近くの地域が1メートル以上の浸水になったからであろう。

 そんな平べったくなった三沢川を複雑な気持ちで覗き込み、魚たちにどこに避難したのかを探したりもし、また枯れ葉舞う天神山の紅葉も眺めた。

 あんはもうすっかり楽しそうに電柱やちょっとしら草むらをクンクンしていた。

 帰り道、アリちゃん{柴犬}ちに寄った。

 アリちゃんのおばさんがいると、あんと私を庭に入れてくれるのである。

 あんはアリちゃんのおばさんが大好きで、すぐにおばさんのところに駆け寄っていく。

 そこでしばらく犬あるあるの世間話をしてから、あんの帰ろの合図、あんが門の方に歩き出すと、「では、また。ありがとうございました。アリちゃんもまたね」と言って、私とあんはその場を離れた。

 家の前まで来ると、家の近所に住んでいる女の子と弟がいた。

 女の子は小学校三年生で弟は二歳ぐらい、やっと立って歩ける感じであった。

 私はまだ赤ちゃんだと思っていたら、いつの間にか歩けるようになり、お姉ちゃんの真似をして、あんのことを撫でていた。

 まだおっかなびっくりと撫でていたが、あんは大人しくしていた。

 穏やかな瞬間、優しい時が、そこには流れていた。

 あんはいま窓越しに太陽をたっぷりと浴びながら、昼寝中、幸せのなかである。
 

 
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コロナ禍の山谷のクリスマス。

2020-11-16 11:46:52 | Weblog

 お知らせです。

 今年の山谷MC{MCとはマザーテレサの修道会の略}のクリスマスは今までとは少し違った形になります。

 今までは施設でクリスマスプレゼントを配っていましたが、今回は白髭橋で11時から配ります。

 日程は12月26日{土曜日}です。

 12月19日{土曜日}を炊き出しを終えた後でクリスマスプレゼントのパッキングをします。

 場所は違いますが、このクリスマスの会が出来ることがやはり嬉しいです。

 この一年、いろんなものが中止になったり、延期になったりしているなか、おじさんたちのための細やかなこの時が無くならなくて、私はほんとうに嬉しく思っている。

 この日は私たちにとっても喜びの時ですから。

 今、長く長く続くコロナ禍ですが、この厳しい日々にどんな意味を見い出すか、{その選択}は、いつでも私たちに委ねられている。

 私はこう考えている。

 {その選択}をどうすれば良いかは、私が接している人たちから、私は教えてもらっている。


 
 
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「お世話になりました」

2020-11-09 12:02:28 | Weblog

 私の父親が九月の半ばに亡くなった。

 それ以来、いろいろと忙しくになり、ブログを書くことは出来なかった。

 きっと書こうと思えば、書くことはあったし、その時間もあったが、それをする心のパワーを使うよりは休めることを私の魂は欲していたように思う。

 またゆっくりと立ち上がるように書き始めて行こうと思っている。

 もちろん無理はしない程度にである。

 父親の死に方を詳しくはまだ書きたくはないが、前立腺がんのステージ4で骨に転移している状態が分かってから、約10ヶ月後の急変であった。

 父親はその日の昼間まで普通に過ごしていた。

 私が仕事から帰って来ると、父親はもう死にそうになっていた。

 私にとって、生涯忘れられないだろうことがあった。

 それは下血・嘔吐で激しく苦しんでいた父親が私を呼び、「テツ、手を握ってくれ。お世話になりました」と言ったことであった。

 私は数十年ぶりに父親の手を握った。

 私は何も世話をしていないし、その言葉も待ってもいなかった。

 ただ父親はそう言いたかったのだろう。

 この言葉の受け取りは私特有なものがある、それを今も時々思い出しては私のうちにいる小さい子供の私から現在の私まで代わる代わる対面し、会話をし、解釈を深め、無意識と意識の間で何かに繋げようとしている。

 少し肌寒くなったが穏やかな陽射しが私を照らしている。

 時は間違えなく流れて行く、そのなかで私自身は変わらずに心を整えるように身体を鍛えているし、元気である。

 
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