カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

反省。

2008-12-31 11:49:16 | Weblog

 今年もほんとうにいろいろと反省しなくてはならないことがあった。

 許してもらえるのだろうか。

 胸の奥には痛みとしてはっきりと感じられる場所がある。その責任を感じている。その痛みを十分に味わうことをしている。

 十分に味わった痛みは何かに姿を変えていくだろう。

 誤魔化した痛みはそのまま何かに姿を変えてでもあり続けてしまうだろう。それはしないように努めたい。

 自分自身が非合理、非論理、利己的なものであることを認めざるを得ない。

 こうした自分に向き合って生きたい。そうすることによって、他人ともほんとうの意味で向き合えるようになるのではないかと考える。
 
 痛みとともにあり続けることでいいと思っている。そこには痛みだけがあるのではないことを分かっているからだ。

 一つのものへの執着が他のものへの可能性を奪ってしまう。一つのものへの意識が他のものへの気付きを感じさせなくなってしまう。

 きっと何度でも自分は過ちを繰り返すだろう。にもかかわらず、そこにあり続けることへの意味の意志に答えて生きたい。

 今朝、目が覚めるとケイタイにパトリックからメールが来ていた。
 五年前に一緒に働いていたアメリカ人のSTジョンのブラザーだった。彼は修道会を辞める決意をしにカルカッタに来ていた。
 自分たちはほんとうに仲が良かった。よく笑った。同じゲストハウスに彼が引っ越してきてから、なおさら、仲良くなった。彼がどうして修道会に入ったか、そして、離れるのかをよく聞いたりした。

 今はどうしているのだろう?

 また会えるような気がしている。

 何年ぶりかの彼らの短いメールに彼の声まで付いてきたように思えた。

 さて、今年の仕事納めを丁寧に働いていこうと思っている。

 良いお年を。
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今年も暮れて行く。

2008-12-30 11:27:16 | Weblog

 振り返れば、時間的にはいつものように早く感じ、だが、心的には何だかとっても長い一年だったように思う。
 一年前はカルカッタに向かうということでこの胸は緊張しながらも踊っていた。そこから思い出せば、いろいろなものと出会ってきた。

 その一つひとつをかみ締めるようにして思い出している。

 それは同時に未来への可能性へと繋げられるようなものであるかもしれない。

 あらゆる意味からそれ以上のものが用意されているのかもしれない。先のことは誰にも分からない。

 ただ常に自分は小さくあり弱くある。

 だからこそ、あたためていく。またこの世の中からあたためられていく。自己の内側から外側へ、反対に外側から内側へと、その壁を壊し、影も光も必要なものとしてあることを認めていく。身に付けいていく。

 分かっていることを分からなくして、その可能性を膨らましていく。

 あなたに会いに行く。

 今日は今日で今日の祈りを空に向かって祈る。

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中と外。その3。

2008-12-29 22:42:14 | Weblog
 ミサを立てる中谷神父が来た。
 久しぶりに会った彼はいつものようにあたたかな柔らかい感じがあった。

 中谷神父は「岩間さん、ミサ、一緒にやりましょうよ」と誘ったが岩間さんは笑いながら、「今日は少し寄っただけですから」と言ってブラザーにも会わずに帰っていった。

 それを見て、自分と和田さんは笑ってた。

 少ししてからミサは始まった。あまりにも人が多かったので自分は一人外に出ていた。
 まだ西日があたる道路ではおじさんたちが太陽で暖をとっていた。

 食べ終わったお弁当のゴミを集めながら声をかけていた。

 すると、「先生、オレにはパンツがなかったよ。こいつにはシャツが二枚入ったたよ。」
 「そうか、ごめんね。」
 「先生、見てないもんね。悪くないよ。」そう言って笑いながら声をかけてくれた。

 いつもMCの近くにいる釣り好きなおじさんが話しかけてきた。
 「オレ、知ってんだ。あの三人組さ。いつもああやって弱いものを見つけてはぼこぼこにして金とってんだよ。まったくひでぇ奴らだよ。」
 「そうか、そんなことしてるんだ。それは酷いね。」
 確かに話しを聞きながら、そうかも知れないと思った。あの目つき、あの歩き方、周りのおじさんたちは目も合わせないようにしていた。
 そうやってしか生きていけない彼らの苦悩、それを恐れ、そして、見下さずにはいられない他のおじさんたちの苦悩も同じように感じた。

 20メートル先に頭突きをされていたおじさんが千鳥足で歩いていた。
 その後姿を見ては彼は言った。
 「・・さんはもうダメだ。アル中になっちゃったよ。アル中になったらお終いだよ。あれじゃダメだよ。前にさ、・・さんは・・寺の花筒とか盗んだりしてさ。たぶん、泥棒市で売るんだろうね。オレ、そんなことしちゃいけないよって言ったんだよ。でも、・・さんはお供えものの饅頭まで食べたりしてこう言ったんだ。仏様は早く食べてあげないといけないんだって。腐った饅頭はおっかないよ。腐ったあんこはおっかないよ。・・さんがそんなことしているから、・・寺のところは鍵が掛けられるようになったんだ。あぁー・・さん、ダメだ。あんなになっちゃうんだから・・・。」
 「そっか・・・。」

 日が沈みかかった山谷の町並みは彼の話しからの影響をかなり受け、どうしようもないほどの寂しく虚しく見えていた。
 堪らなく、タバコに火をつけた。
 深く吸い込んで吐き出したこのタバコの煙のようにこのやるせない思いは消えないのだろうか、そんなことを考えた。

 中ではミサが始まっている。
 外では日も沈みかけ、寒さに震える。

 こんなに近くにいても、心の在り処は中と外ではこんなにも違うものなのだろうか。
 何がどう隔たりを作っているのだろうか。それは知ることと知らないこと、感じることと感じないことの違いだけなのか。彼らの心にもっと自分たちの心を寄せなくはならないと感じた。だが、自分はこの心だけに縛られてはならないとも意識する。それは他の可能性を見捨てることにもなりかねない。

 ただ分かっているところから分からないところへ向かう必要性があるのだろう。

 そして、こんなに近くにいても分かり合えないと見下す意識を捨てようと思った。それは虚しさを増すだけ、美しいことではない。
 ただ自分はこのやるせない思いを知るがゆえに彼らへの態度、思いを増していくことを期待した。そして、自分に問われている問いを受け容れた。

 こんなにも近くにいても相反するものがあるならば、こう願った。
 喜びは苦しみのすぐ傍にあると。

 外から祈り続けた。
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中と外。その2。

2008-12-27 10:31:43 | Weblog
 外では和田さんと二人でいた。
 そこに岩間さんも来た。彼はMCのボランティアだったが、今は神父になった人だ。三人で今年のMCのクリスマスのことを話したりしていた。

 すると行き成り大声が聞こえた。
 MCの道路を挟んだ向こう側でケンカが始まった。

 一人焼酎を飲んでいたあのおじさんと三人組みの兄貴だった。
 すぐに治まることを期待しながら少し見ていた。服を握り閉めるぐらいだったので、まだ大丈夫と思っていた。

 しかし、期待とは違いなかなか終わらず、道路を渡ってMCの方まで来た。
 どうみても兄貴の方が一方的にケンカが強そうで、その相手のおじさんが何かつまらないことを通りかがった兄貴に言ったようでケンカは始まったらしい。

 殴られることも覚悟して、そばに行き仲裁に入った。兄貴が手を出し始めたからだ。

 「もういいでしょ。誤っているしね。許してあげなよ」
 「てめぇー、誰に向かって言ったんだって、このオレに」相手のおじさんに怒鳴り続けた。兄貴の興奮は収まらず、そのおじさんに頭突きをしていた。

 「てめぇー、なめんな!取ったるからな。いい気になっているな!」
 「すいませんでした」
 それからも何度が頭突きを入れていた。かなり迫力はあった。自分は怖かったが、その場を離れることは出来なかった。刃物が出てこなければいいと願っていた。
 
 岩間さんと和田さんも仲裁に入ってきてくれた。

 自分はやられていたおじさんを引き離すようにした。相手を離すことによってしかうまく治まらないように思った。
 「ほんとうに命取られちゃうよ。離れよう。」そう言ってゆっくりと彼と歩き出した。

 30メートルぐらい離れた福祉センターの角までおじさんを連れて行った。その間、岩間さんたちが兄貴を落ち着かせていてくれた。兄貴の連れの二人もずっとケンカを止めていてくれたが、それでも、止まらなかった。元ヤクザという面子がその人のなかには消えることがない刺青のようにあるのだろう。その刺青の色は酔いととも色を増すのかもしれない。まだ体力があり、ケンカも出来るまでは。

 センターの角では5、6人のおじさんがたいへんだねというよう顔をして頷きながら自分を見ていた。彼らはそうしたものに絶対に関わらない。そうしなければ生きてはいけない。

 一先ず、ケンカは治まった。
 
 それでも、またやられたおじさんはMCまで歩いてきてしまった。やられたおじさんの心の治まりはついてはいなかったのだろう。何かを吐き出すため、寂しさを紛らすために、また話しを聞いてくる人のところに来たのだろう。
 
 だが、その彼が兄貴の目に入り、同じようなことをまた二度続け、ようやく兄貴は二人を連れてその場から離れていった。

 静まりを戻したところに練習している聖歌は聞こえ続けていた。

 {つづく}
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中と外。

2008-12-26 11:49:52 | Weblog
 今年はたくさんのおじさんたちが来た。
 750人以上来たので、そのプレゼントとお弁当は足らなかった。

 遅れてきたおじさんに渡せるものを渡し切り、何も無くなってから誤り続けていた。

 施設の近所の人からはかなりきついことを言われた。
 おじさんたちが家の前で酒を飲んで寝ていたからだ。すぐに誤っておじさんたちにも動いてもらった。
 気を付けていたつもりだったが、それはやはり「つもり」で終わってしまった。

 どんないいことをしていても、そのために誰かが何かを我慢したりしていることをほんとうに感じ気付いていかなくてはならない。
 恨みは我慢すればするほど、その壊れるときには想像以上に大きなものになっていってしまう。

 ほんとうに反省した。この胸の痛みを次には良いものに変えていこうと切に願った。

 家の前で酔っ払って一人のおじさんだけは飲みすぎて起きれなかった。
 二人の仲間のおじさんは「すいません、申し訳ない」と言って少し動かすのを待って欲しいと言ってきた。
 それでも、歩道から頭が道路に出ているのでとても危なかったその頭を歩道側に動かすことだけはしてもらった。
 「兄貴、兄貴、少し動いてください」その二人はかなり丁寧に寝ているおじさんを扱っていた。
 寝ているおじさんは体格もよく頭は坊主頭、指にも刺青が入っていた。彼らの兄貴であることは、彼らのその態度と彼の風貌からも分かった。

 一人の酔っ払ったおじさんが焼酎を飲みながら話しかけてきた。いい調子に酔っていた。後頭部には何度も切った傷がたくさんあり、以前は堅気ではなかった感じを受けた。プレゼントも何もなくなっていたので誤りながらも話していた。

 暫くすると、道路に頭を出して寝ていたおじさんも酔いながらもMCの前を行ったり来たりしながら三人は歩いていた。どこへ行きたいのか、何をしたいのか、予定など何もないようにありながらも、彼らの真ん中にいた兄貴は肩で風を切りながら歩いてた。その目は据わっていた。

 施設の中から、ミサのため練習している聖歌が聞こえていた。

 {つづく}
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グレックの写真。

2008-12-25 21:51:47 | Weblog
 夕方、ドイツ人の親友グレックの奥さんタンからメールが来た。

 髭を長く伸ばしたグレックの写真がメールにはあった。顔は反射的にほっぺたが上がり、笑みはこぼれた。脳裏には彼との数々の思い出が溢れ流れた。

 それまで見ていた風景はカルカッタの風景と混ざりあうようにして目の前には広がり、あたたかなものが自分の内側にあることを感じていった。

 素敵なクリスマスプレゼントになった。
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疲れました。

2008-12-24 11:40:44 | Weblog
 昨日はほんとうに疲れました。

 何を書こうかと迷っています。
 昨日も言いようのない痛みを感じました。それは書くべきではない、書けないとも思います。

 いつでも、自分の思うようには行かないことを知っていると認識している自分ですが、理不尽な行いを受け容れるしかないことに激しく痛みを感じました。そして、いい加減疲れました。カルカッタであったら、アドレーションに行きゆっくりと祈ることをしただろう。

 それでも、止めることはしません。そのことは書きません。

 午前三時からおじさんたちはMCの前に並んだようです。この寒さのなかです。震えながら待ったことでしょう。750人ぐらいのおじさんたちが来てくれました。
 
 ミクシィなどにも書き込みをして、三人の方が来てくれました。去年は誰もいなかったのですごいことだと思っています。

 ボランティアは聖心の学生たちがかなりいました。総勢80人以上はいたのかも知れません。

 伊藤さんはかえりにポツリと「どうしてこの日だけしか来ないんだろう」と言った。
 「クリスマスだからです」と肩に手を置いて答えました。

 やはり一年に一度、彼らとゆっくりと話せる機会は自分にとってもほんとうに嬉しいものでした。
 何度も「来てくれてありがとう」彼らに言い続けた。

 配る前に彼らの前で、「いい!これから配るけど、ゆっくりと着てね。押したりしたら、もうろくしている人もいるからね。危ないからね」
 「ケーキはないの!ケーキはないの!」一人おじさんが言った。
 「えっ、なに。今は景気が悪いよ」そう言うとかなり受けていた。つかみはいいと思った。
 「一年に一度だから、ゆっくりとやりたいからね。ゆっくりと歩いて着てね」
 列の前はみんな笑顔を見せてくれた。
 自分の会話を聞きながら、ボランティアも笑っていた。

 施設のなかでプレゼントとお弁当を配る子たちにはこう言った。
 「いいですか、丁寧に笑顔で配るんです。一人ひとりにです。顔をしっかりと見て、そのプレゼントを渡すんですよ。いいですか。」

 配り始めると一時間しないうちに終わった。
 去年もゴミ拾いの掃除を手伝ってくれたおじさんが今年も丁寧にしてくれた。

 昨日来てくれたおじさんたちのなかにはこの冬を越せない人もいるだろう。だからこそ、その瞬間、その時を大切に彼らと向き合った。

 長い間歩き続け、立ち続けていたので寝ていたら足をつった。
 カルカッタの夢をみた。

 その夢を見て、今の気持ちを分かってくれていたように感じた。

 まだ少し書きたいものがあるので、それはまた書きます。

 
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今日は山谷のクリスマス。

2008-12-23 09:02:58 | Weblog

 今日はどんなことがあるのだろう。何を感じ、何を思い、何を思い出し、何を考え、何を受け取り、何を受け容れるのだろうか。

 そして、何を問われるのだろうか?

 胸をあたたくして、それを待っている。

 一年に一度、いつもとは違う形になる今日は彼らと少しゆっくりと向き合うことが出来る楽しみである。それは自分へのクリスマスプレゼントになる。

 愛の贈り物である。

 それはきっとマザーから。
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ヨウスケ君ちで鍋。

2008-12-22 20:29:54 | Weblog
 昨日はヨウスケ君ちにお呼ばれされて鍋を食べた。

 結婚式ぶりに会った。

 奥さんのやすよちゃんの料理は美味しかった。何もせずに座っているだけで飲んでいるのはとてもいいものだった。

 八年前と五年前にヨウスケ君とはカルカッタで会った。気が付けばだんだんと長い付き合いになってきている。それはとても嬉しいこと。

 昨日は五年前のカルカッタの写真を見た。懐かしさに顔も心もとろんとしながら見ていた。

 山谷でも一緒に働いていたときに死にそうなおじさんに出会い、二人で汚れた洋服を着替えさせ、救急車を待ったこともあった。
 ヨウスケ君がそのときとっても驚いていた。その顔をはっきり思い出せる。

 社会人になり、いい大人になってきている。それを感じ知れることはほんとうに嬉しいことだ。

 そんな楽しいときには決まってお酒も飲みすぎて、しっかりと電車のなかで寝てしまった。ほんとうにこの時期の電車のシートには困る。
 終点まで行き、そこで目が覚め、地元の駅まであと三駅まで帰って来れた。
 
 石坂に迎えに来てもらった。

 今日は明日の山谷のクリスマスに備えて休肝日にしよう。
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おじさんたちへのクリスマスプレゼント。

2008-12-21 14:08:36 | Weblog
 昨日で23日に配るおじさんたちへのクリスマスプレゼントはだいたい用意が終わった。

 その中身は肌着、下着、靴下、手袋、ホッカイロ、ビスケット、石鹸、歯ブラシ、コーヒー、カップラーメンなどが一つずつある。
 そして、当日はみかんとお弁当を配る予定だ。

 昨日は午後久しぶりに自転車に乗って、カレーを少し配りに行った。
 出会ったおじさんたちにクリスマスのことを伝えていった。

 ほとんど人が知っていたが、それでもしっかりと忘れないように伝え続けた。

 一人下を向いてとぽつんと座っている彼らの周りには話す相手も何もなく、ただ時が過ぎていくのを待っているだけ、寂しさのかたまりであるかのように感じる。

 空腹を満たすことよりもその孤独を壊していくように笑顔で彼らに声をかけていった。人間としての繋がりを感じ思い出してもらえるように願いながら、彼らを見詰めていった。

 いつも思う、「なんて人間的なあたたかな笑顔をこの人たちは見せるのだろうか」。
 その笑顔に魅了される。

 きっと笑顔は命から来るものである。

 自分は彼らの笑顔のなかに命を見る。

 
 山谷のMCではドンボスコから片柳君が出した来年のマザーのカレンダーをもらった。
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