カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

元型の繋がり。

2018-12-31 11:47:42 | Weblog

 昨夜谷川健一氏の「わたしの天地始之事」を読み終えた。

 天地始之事とは250年間潜伏キリシタンが司祭のいない間に信者であった貧しい漁民、農民の手で作り上げられた聖書である、もちろん、いつそれが出来たのかはもう誰も知ることは出来ない。

 この「わたしの天地始之事」は谷川氏の戦時中の青年期の精神史として自らの天地始之事のとの関わりを物語り調に書かれたエッセイはある。

 私にとっても、それはとても興味深い物語りであった。

 いろいろと書いておきたいこともあるのだが、今日はこの本のなかで紹介されていた沖縄の古宇利島と奄美の宇検村に伝わる神話を紹介する。

 古宇利島の話し。

 「昔はじめて男の子と女の子がその島に出現したが、二人は裸体でも恥じる心を知らず、毎日天から降ってくる餅を食べて無邪気に暮らしていた。

 餅の食べ残しを貯えるという分別が出てくると、いつしか餅の配給はとまってしまった。

 二人は食うために働かねばならず、朝夕、海辺で貝を漁って命をつないだ。

 ある日、ジュゴンが交尾するのを見て、男女の道を知った。

 そこでようやく裸体を恥ずかしいと思うようになり、クバの葉で恥部をかくした。

 沖縄三十六島の住民はこの二人の子孫である」

 宇検村の話し。

 「大昔、マジン{ハブ}には翼があったという。

 島には赤い実のなる木が生えていた。

 天の神が人間たちにその実は毒だからぜったいに食べていけないと禁じていたのに、マジンが飛んできて、ある夫婦に{その実には毒なんかない。食べるなというのは、天の神が独り食いしたいがためだ。食べろ食べろ}とそそのかした。

 まず女が食べた。

 美味しかったので、次に男が食べると、うまくノドを通らず途中でひっかかった。

 これを見た天の神はたいへん怒って、男には「おまえは一生、その実をノドにかからせ」といい、女には「おまえが子種を生むときには、うんと苦しめ」と罰を下した。

 それで男にはノドガメ{喉仏}ができ、女はお産に死ぬ苦しみをなめるようになった」

 この二つの話しを読んで、どうしても創世記を思い出さずには居られないだろう。

 古宇利島の話しには天を疑い、餅を貯めると言うことをし、天から餅が降ってこなくなった、この天が神に他ならない、神を疑うようになり、ゆえに、楽園から追い出され、労働させられるようになったのである。

 宇検村の話しも同じように神を裏切り、罰を下されている、それも禁断の実を食べてである。

 太古から人間にとって大切なのは神の存在であり、神を裏切ってはならないということに他ならないことが聖書の生まれた場所以外にも神話としてあることはユングのいう無意識の繋がり、元型の繋がりではないだろうか。

 今日は大晦日、太古からの日本の二つの神話をぼんやりと内省したり、考えみてみたり、その続きを自分が物語って見たり、あーでもない、こーでもないと思いを巡らしてワクワクしながら時間旅行をするのも良いのではないだろうか。

 そうこうしている間に歳は明けて行くのだから。

 
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夜中のYouTube。

2018-12-27 12:04:24 | Weblog

 昨夜は晩酌も終え、最後の一杯と決めた、年末年始のお酒として買ったジョニーウォーカーのダブルブラックを丸めのグラスにいれ、手の平でゆっくりと温めながら、チビチビと口の中に含み転がして、少しフェイスブックでもチェックして寝ようと思っていた。

 フェイスブックのなかに私が「良いね」を付けていたミスタービーンのニュースフィードがあり、短い三分ぐらいのものを見て寝ようと思ったのが最後、一話だけでは終わらず、二つ、三つと行き、開いたYouTubeには私のお気に入りらしいものが左画面の上の方に出てきた。

 それは見たら最後、いや、二回目の最後、この最後は終わらなくなる最後であった。

 その間ダブルブラックはチビチビではあるが継続的に口に運ばれ行った。

 来年20日に私はちょっとした縁があり、清水にある新聞屋さんの新年会で歌うのであるが、その日歌う曲はもうほとんど決まっていたが、ダブルブラックの所為であろう、中島みゆきさんの「ファイト」を歌いたくなり、何人かのYouTubeを見たり聞いたりしていた。

 ちなみに中島みゆきさんの「糸」は歌うつもりでいたので、二曲も同じ歌手の歌を歌うのはどうかとも思ったが、満島ひかりさんの「ファイト」を聞いたりしたら、ちょっとほんとうに歌いたくなってしまった。

 言うまでもなく、ここでも最後の一杯と決めていたダブルブラックはすでに二杯目から量を増して三杯目に突入していた。

 夜中のYouTubeは「走り出したら止まらいぜ~」と言った感じになることを重々承知していた、だからこそ、ミスタービーンを一話だけ見ようと思っていた私であったのだが、気が付けば、あっという間に一時間、一時間半となり、深夜二時半になって、ようやく私のブレーキがやっと効き、パソコンをオフに出来た。

 目が覚め、「ファイト」を少し歌ってみた。

 「私の敵は私です」の歌詞に昨夜もそうだったと思った。

 それでも「ファイト」と今日を笑顔で生きようと思った。
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私のクリスマスプレゼント。その3。

2018-12-26 12:44:12 | Weblog

 この日、ミサのあとに食事会があった。

 それが終り、掃除をし、ほとんどのボランティアが帰宅したあとに、まだ残っていたプレゼントとお弁当を配った。

 一つのグループが自転車に乗って上野に配りに行き、私はMC{マザーテレサの修道会の略}の施設に残り、センターにいるおじさんたちにお弁当を配ることにした。

 MCの施設のすぐそばにはおじさんたちにセンターと呼ばれている城北労働・福祉センターがある。

 暖房が効いている地下の部屋ではおじさんたちがテレビを見たり、友達がいる人は将棋などをしている、また何もせずに他者との関わりを持たず、蛍光灯の明かりのした、ただベンチに座り、有り余る時間を潰しながら寝ている人もいる。

 私はその場所に行き、おじさんたちにまだお弁当があることを伝え、MCまで取りに来てもった。

 50人ぐらいは来てくれたが、それでもまだお弁当は残っていた。

 院長のブラザーセバスチャンが白髭橋近くにあるブルーテントで生活をしている人たちに配りに行こうと言うので、4人のボランティアとともに向かうことにした。

 小雨ではあるが冷たい雨が降りだしてきた。

 私は合羽を借りて自転車に乗った。

 お弁当と食事会で残ったパンとパンケーキを詰めたものを持って行った。

 隅田川沿いにあるテントに外から優しく声を掛けて、一人ひとりに丁寧にお弁当とパンを渡して行った。

 優しく声を掛けなければ、誰かの悪戯や襲撃のように思われ、脅かしてしまう可能性があるからである。

 ある橋のたもとまで行った、そこには午前中にプレゼントとお弁当を渡したおじさんがまだ居た、彼はそこを寝床にしていた。

 「また来たよ、まだお弁当があるから、良かったらもらって」

 彼は午前中にもらったお弁当を持ち立っていた。

 「そんなにもらっても、オレ、トイレに行かなきゃならなくなるよ。トイレはあそこまで行かなくちゃ行けないから」と隅田川の反対側にあるトイレを指さして言った。

 「そうか、そうなんだ」

 「うん、いまね、ちょうどこのお弁当を隠そうとしていたんだよ。いつもね、こうして食べ物を隠しておくんだよ」と言い、川沿いに縁にあるツタの植物の下に彼はお弁当を詰め込んだ。

 私はそれを見て感心した、こうして彼はどうにか食べ物を食べながら日々を生きているんだと思った。

 彼の左目は見えないのだろうか、左目は閉じたままだった。
 
 上下の服は泥やホコリや汗で汚れきっていたが、そんなことを少しも気にすることなく、私の目を見て、笑顔を絶やさずにいた。

 「へぇーそこに隠すんだ。ネズミに食べられないの?」

 「ここは大丈夫!ネコがいるから!この前もネコがネズミを捕まえていたよ!」と明るい口調で彼は言った。

 「それじゃ、安心だね。まださ、食べ物があるから、良かったらもらって。パンだったら少しは日持ちするから」

 「うん、ありがとう」と言って、パンの入ったビニール袋を手にしてくれた。

 それから彼はお話好きなのか、普段は誰とも話さないからなのか、彼は笑顔のままでしばらくいろいろと話してくれ、「ここにこんなバカがいるのを忘れないでくれ」と最後に言った。

 彼にはそう言わざるを得ない孤独があるのだろう、にもかかわらず、人懐っこい笑顔で居られるのはなぜだろうか、やはり神さまがそこには居るのではないか、私はそう思わずには居られなかった。
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私のクリスマスプレゼント。その2。

2018-12-25 11:55:49 | Weblog

 山谷MC{MCとはマザーテレサの修道会の略}のクリスマス会には400人ぐらいのおじさんたちが来てくれた。

 一時は800人ぐらい来ていた時もあったが年々おじさんたちは少なくなってきている。

 この日500人分のプレゼントとお弁当を用意していたので、余ったものをミサが始まる前まで浅草方面に自転車に乗って配りに行った。

 土曜日の炊き出しは白髭橋でカレーを配るボランティアと自転車に乗って浅草方面を回るボランティアとに分かれて行われる、私は毎週白髭橋の方に行っているので自転車に乗って浅草方面に行くのは久しぶりだった。

 いつも決まった場所に決まったホームレスのおじさんが居るとのことだったが、私は歩いている一人のホームレスにあった。

 「お弁当食べませんか?」

 「・・・・」

 「良かったら食べて。今日はクリスマス会があったからプレゼントもあるんだよ。毛糸の帽子やカップラーメン、ビスケットや下着もあるから、どうぞ」

 「あっ、こんなに。ありがとう」

 「良かった。こちらこそ、もらってくれてありがとうね。{身体を}大事にね」

 彼は疲れたビニール傘を杖のようにして背中を丸めて下を向いて歩いて行った。

 背中に背負っているバックは随分前に紐は切れたのだろう、そのところを無造作にぐるぐると結び直されていた。

 冬の寒さのなか、どこに行く当てもなく歩くその後ろ姿は孤独そのものであった。

 私は「メリークリスマス!」とは言えなかった。

 彼には何にも関係がない言葉を明るい口調で言ったところで、それが何になる、それが愛になると言うのか、それよりもこの彼に愛と言うものを伝えようとしているのか、その言葉は。

 ただこちらの都合でその言葉を彼に使うのであれば、彼をまたどこかに、世の中の端っこよりも端っこに押しやってしまうものではないのか、そう思えてならなかった。

 マザーは言う、「貧しい人たちは神さまである」と。

 ならば、神さまに対して、もっともっと謙虚でなくてはならない、もっともっと愛さなくてはならない。

 それゆえ、私は私の放つ言葉に十分気を付け、態度はなおさらのことである。

 それは祈りとともにあるべきである。

 私は彼の後ろ姿を見て、祈らずには居られなかった。

 何も出来ないが、せめて、この胸を痛め、祈ることしか出来なかった。

 これも私のうちに愛を生まれさせてくれる有り難い私のクリスマスプレゼントであった。
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私のクリスマスプレゼント。

2018-12-24 12:03:47 | Weblog

 先日一件の利用者の宅の仕事を終え、車に戻り、スマホを確認すると、イタリアにいるマッセンシアから着信があり、一枚写真も送られていた。

 その写真には彼女とスペイン人のアイメイが写っていた。

 二人とも前回のコルカタ滞在時に一緒にシアルダーの駅で働いた仲間である。

 すぐに私は折り返し、マッセンシアに電話を掛けた。

 すると、一度出たが、少し間を置いて、アイメイの声が聞こえ始めた。

 その一声は「アンケルー!」であった。

 それは「兄さんー!」とでも訳して良いだろう、英語が少しなまった形になったインド語とでも言って良い言葉であり、親しみがある言葉であった。
 
 私はすぐにコルカタに居た時と同じようにベンガル語で対応した。

 私の声を聞き、喜んでいるアイメイの雰囲気や笑顔が耳から心に勢いよく届いて来た、それは私がアイメイと同じように喜んでいたからに他ならない、愛の繋がりであった。

 もうそろそろ二年ぶりになる彼の元気な声を聞けて、私はスイッチがオンにした電気にようにピカッと笑顔になった。

 前回一緒に働いた中では私の次にアイメイが一番ベンガル語を話していた。

 もちろん、それは完璧ではなかったが、ただ思いを伝えようとする熱意と愛の現れであり、間違った使い方をしても、恥や外聞などを気にせずに、何度も言葉にしていた態度は私をとても感心させた。

 アイメイはコルカタのボランティアを終えてからローマのMCファーザーの会{マザーテレサの司祭の会}に入会した。

 そこにマッセンシアが訪問し、私に連絡してくれたのであった。

 コルカタではアイメイはたまに寝坊したり、誰にも何も告げずにどこかに居なくなったりして、駅のボランティアに迷惑を掛けたりしたこともあった。

 それを結局直接アイメイに注意するのは私の役目だった。

 しかし一度言えば、アイメイはすぐに了承した。

 いま思い出した、何度も注意したことが一つあった、それはメダイの紐をすぐ噛む癖がアイメイにはあり、「汚いから止めなさい。メダイにキスをするのは良いけど」と何度か言った。

 アイメイは一度も私にNOと言うことはなかった。

 その当時からMCファーザーの会に入りたいと言っていたが、それがどこまで本当なのか、また続けられるのか、私には分からなかった。

 MCファーザーになるのは決して容易なことではない、もちろん、すべては神さまの計らいによるものであるから祈るしかないのであるが、アイメイはもう半年以上辞めずにいたことを私は神さまに感謝した。

 二人との会話は短いものであったが、私の心を急激に喜びに導いた。

 アイメイと話すことが出来るなど、私は予想だにしていなかった。

 それはとても素晴らしい私のクリスマスプレゼントとなった。

 今夜は仕事を終えてから深夜のミサに行くのを楽しみにしている、これも私の大切なクリスマスプレゼントになるだろう。

 Happy Christmas to everyone!

 
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三輪さんの言葉。

2018-12-20 11:47:39 | Weblog

 昨夜フェイスブックを何気なく見ていて、私の目に留まった言葉があった。

 三輪明宏さんの言葉である。

 「世の中には人には言えない苦しみや地獄を抱えた人もいる。それでもニコニコ朗らかに生きる人がいる」

 これは三輪さんの思いやり深い心からの目線から生まれた言葉であろう。

 私は山谷でこうした人たちに何人も会ってきた。

 もちろんカルカッタでも、それは同じだった。

 前回のカルカッタの滞在時に私が一番最初に駅のプラットホームからマザーの施設プレムダンに運んだ男性患者は右足の甲から踵までがウジ虫に蝕まれ、足からウジ虫は溢れこぼれ落ち、指の骨なども見えていた患者であった。

 それがどんな痛み苦しみかは私には到底計り知れなかったが、まさに地獄のなかに生きているようなものだったに違いなかった。

 しかしこの患者は私に微笑み感謝したのだった。

 三輪さんのような思いやり深い心を持っていない私であれ、心が奮えるほど感動せずには居られなかった。

 この人{患者}は神さまだと思わずには居られなかった。

 明後日の土曜日は山谷のクリスマスである。

 この日はたくさんのボランティアが来る、その人たちが三輪さんのような目線でおじさんたちを見てくれることを期待したい。

 良かったら、山谷のクリスマスに来てみませんか?

 マザーが言うように「Come and See」をしに来ませんか?

 自分自身の価値観からの目ではなく、神さまの目を借りて、彼らを見に来ませんか?
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続けると言うことは。

2018-12-19 12:56:25 | Weblog

 何をやるにもしても続けられる人、続けられない人がいる。

 そこにはどんな違いがあるのだろうか、とよく考えることがある。

 続かれない人を無下に見下しては意味はない、たまたま続けられる人が勝ち誇った勝者の驕りのうちに優越感に浸りたいがためのそれは不健全であり、思いやりに掛ける。

 私たちは自分自身のことも知りきることが出来ないのに、なぜ他人のことを知ることが出来ようか、それは思い込みに過ぎない、誤解に過ぎないのではないか、要らぬことに時を使う必要はない。

 私は続けられる人の方だと思う、私がなぜそう出来るのかを考えみた。

 私は続けられることが出来なくなることを知っているから続けられるのではないかと思った。

 何事も続けられないのは事実ではないだろうか。

 それゆえ、一つひとつのことに感謝することに大切な意味があるのではないだろうか。

 私はカルカッタのマザーテレサのボランティアをしている時に、何千何百と言う死と死に行く人たちに会ってきた、それが私のなかで生を働かせ、死の意味を学ばせてくれたように思っている。

 人の死を目の当たりにすると、人は否応なしに何かを感じずには居られない。

 例えば、ホームレスへの偏見を持っている人もいるだろう、そうした人であれ、もし行き倒れのホームレスを目の当たりにした場合、どんな心境になるのだろうか、考えてみても良いのではないだろうか。

 そして、その次にその前に何か出来るのではないかと行動できるようになれば良いのではないだろうか。

 命は永遠ではない、ゆえにかけがえのない日々を私たちは生きている、それをどのように尊いものにしていくかは私たち次第ではないか。

 続けられる人はまだ知らぬ自己に会い続けていると言うことに他ならない、本を一冊読めば、読む前の私と読んだ後の私では何かが違うように。

 続けられない人は待っているあなたの知らないあなたがたくさんいることに他ならない。

 どうか出会ってほしい、あなたの知らないあなたに。

 
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クリスマス前に。

2018-12-17 11:34:36 | Weblog

 先週の土曜日の山谷の炊き出しにはたくさんのフランス人の子供たちが来ていた。

 たぶん40人以上の子供とその付き添いの大人たちも来ていた。

 毎年クリスマス前のこの時期に毎年彼らは自宅からそれぞれパンケーキを焼いて、それをおじさんたちのために持ってくる。

 炊き出しを配る場所では寒中のなかではあるが大人がギターを弾き、それに合わせて子供たちや付き添いの大人たちがクリスマスの歌を楽しそうに歌っていた。

 その歌の輪に入らない子供はカレーをおじさんたちに手渡しているか、そこら中を駆け回っている子もいた。

 この日は横須賀の米軍の海軍からも15人くらいのボランティアが来ていた。

 だが、日本人のボランティアは少なかった。

 海外ではクリスマスを迎えるこの時期にイエスに倣い、貧しい人たちや困っている人たちに奉仕する習慣がある現れだろうと思う、これはアドベント{待降節}に行うべき愛の行いなのだろう。

 おじさんたちがフランスの子供たちの歌をどう思ったかは一人ひとり違った感想を持つものだろう。

 だが、来たフランスの子たちは歌を歌ったり、はしゃぎ回ったり、そこら中を走り回ったりしていたが、この寒さの中、炊き出しに来る貧しい人たちがいることを肌身で感じ、記憶することであろう。

 それを神さまが後にどう計らってくれるのかは分からないが、体験したことが何もなくなる訳では決してないだろう。

 寒さを感じた時に、心のなかで路上生活をせざるを得ない人を思ったりもするだろう、ご飯を食べる時にも彼らはご飯を食べられているのだろうかと思ったりするだろう、哀しくなった時に、彼らはどれだけ哀しいことがあったのだろうと思ったりもするだろう。

 この日の寒さは一段と厳しかった、私の手、その指先はかじかんで痛みが走ったほどだった。

 この痛みが彼らと同じものだとは決して言えない、言えないが私はその痛みに感謝する、なぜなら、ほんの少しでも彼らの状況の中を垣間見たように居られたような気がするからである。
 
 それは思いやりとなり、愛のない私に愛を注いでくれる、愛を生んでくれる糧となるからである。

 
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雪のサンタマリア。

2018-12-13 12:09:41 | Weblog

 一人の司祭も居なくなった江戸時代にある地域の潜伏キリシタンたちは宣教師たちから教えてもらった聖書を命がけで受け継ぎ、日本古来の民間信仰と自らの生活に馴染ませ、彼ら独自の聖書「天地始之事」として語り続けられた。

 もうすぐクリスマスなのでその箇所を紹介しよう。

 「マリアは大雪の夜、旅先の家畜小屋に宿を借り産気づく。寒中のことなので、馬と牛が左右から息を吹っかけて、生まれたばかりのイエスをこごえないようにしてやった。夜が明けると、家主の女房が出てきて、哀れに思い、自分の家に連れて行ったが、薪がないので、大切にしていたはた織りの道具を折って、マリアとイエスの身体をあたためてやった。ご馳走にソバ飯をこしらえて差し出すと、イエスは母のふところから手を出して、それをいただいた」

 まったくと言って良いほど、聖書とは違うものになっているが、この話しを潜伏しながら、250年間、親から子へと代々カクレながら語り続けていた貧しい農民、漁民の姿に心を寄せれば、彼らの信仰の糧となっていた、この話しの美しさが際立つのではないか。

 私は上記の話しを読んだ時に、子供の頃にたぶん日本昔話で見て覚えていたであろう、「鉢木」を思い出した。

 「鉢木」の場合は貧しい武士が大切にしていた盆栽を折って、雪道から来た僧侶に暖をとってあげた話しである。

 潜伏キリシタンの場合、はた織りの道具を折って、生まれたばかりのイエスとマリアに暖をとってあげているのは、どこか繋がっているように思えてならない。

 はた織りを折っては、その後、はたを織ることは出来なくなるにも関わらず、生活の糧となる、その大切なものを捧げると言う点では聖書的なものを物凄く感じる。

 それは何よりも自らの命よりもイエスとマリアが大切だったと言う信仰の証しが描かれているように、私には思えた。

 そしてこの二つの話しには日本人の「おもてなし」の精神が鮮やかに示されている。
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神さまを悲しませないように。

2018-12-12 12:56:44 | Weblog

 気が付けば、と言うか、気が付かない訳ではなかったが、時が経つのはあまりにも早い、今年の白髭橋のカレーの炊き出しもあと一回になった。

 そのことを今度の土曜日はちゃんとおじさんたちにアナウンスしなくてはならない。

 それと22日の土曜日、山谷のMCの施設で行われるクリスマスのことと二回目のカレーのもらい方を変えることである。

 この二回目のカレーをもらい方とは、これまでは一回目をもらった人がかなりの距離を歩き、またカレーの列の最後尾に並び直すことにしていた。

 空腹をどうにかするために、二回目をもらおうと走る人も少なくない、足の悪い人も老いた人も急いでいたし、体調の良くなくても急がなくてならなかった。

 急いでもカレーが無くなればもらえないことも覚悟で皆急いで列に並び直していた。

 その光景は私の胸をいつも胸を痛めるものであった。

 それよりも良くないことは、その長い距離を走らずに、カレーが余っていると声が聞こえれば、近くに寄り、カレーをもらってしまう、まだ真面目に正直に空腹のまま走っている人がいるのに関わらず、カレーを渡してしまうことである。

 いつもではないが先週もそうだった。

 私は長い距離を走らせ、二回目のカレーを渡すことをも、ずっと良くないと思っていた。

 何度か、これまでもブラザーたちにこのことを言ったことがあったが曖昧に流されていた。

 しかし、この前は院長のブラザーセバスチャンにはっきりと言った「これは神さまを悲しませることだよ」と。

 「カレーの二回目をもらう人は長い距離を歩かずに、そのまままた列の後ろに並んでもらうことにしよう」と。

 神さまを悲しませると言う言葉が効いたのかどうかは分からないが、私の意見に喜んで同意してくれた。

 あとは一回目の列に二回目の人が横入りしないように注意すること、危ないから走らないように言い続けることで、たぶん神さまは喜んでくれるのではないかと思っている。

 もっと早くそうするべきであったと私の罪悪感は拭えないが・・・、私は正真正銘の罪人であると、あの方に許しを乞うしかないのである。

 

 

 
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