カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

観葉植物たち。

2011-08-31 12:35:50 | Weblog

 最近、とてもクワズイモが大きくなってきたのが気になっていた。

 もううちに来て二年ぐらいになるクワズイモは百金で買ったのだが気付けば、かなり大きくなっており、小さい鉢では風に耐え切れなく、何度となく倒れてしまうので、少し大きな鉢に鉢替えをしようと思っていた。

 ようやく時間の空いた日曜日に百金に行って、素朴な白い鉢を買った。

 ついでに弟も思い、小さなクワズイモを買ってみた。

 弟のクワズイモは兄の三分の一ぐらいの大きさで、家に帰ってきて、一緒に鉢植えすると、これがとても仲が良さそうに見れて嬉しくなった。

 このまま二人仲良く大きくなっていくのを見るのが楽しみである。

 それから、緑のカーテンの修復をした。

 あまりに成長が良いので、最初に買ってきた網を止めたフックでは何度もはずれてしまっていた。

 それをフックの数を増やし、成長する朝顔の重さに耐えられるようにすると、安定して、もうはずれ落ちることはなくなった。

 その下でのんびりと朝顔鑑賞が出来るようになり喜んでいる。

 夜香木はベランダより、駐車場のところに引越しさせ、長い間太陽を浴びれるようにすると、その成長も早い。

 また花芽を持ち、勢い良く成長している。

 こうした成長を見るのがやはり楽しいものである。

 花咲く夜まで、たくさん太陽を浴びて成長してほしいと願い、毎日その成長を喜び眺めている。

 柔らかな陽射しの秋の朝、こうした観葉植物が何とも心地良さを増し与えてくれる。

 それを静かに味わい、心と身体で喜ぶのである。

 穏やかに時が流れていく。

 優しく柔らかく、そして、微笑ましくである。

 何とも有り難いことである。

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畳のうえのマザー。

2011-08-30 12:37:00 | Weblog

 山谷のMCにはアルバムがある。

 そのなかに色あせたマザーの写真は二枚ある。

 いまの施設の前の前の施設で初来日の時の写真であろう、畳のうえで正座しているマザーは片手上げ、周りの者たちに話をしている。

 きっとイエスの愛を語っていると思われるそのマザーの姿はとても深く力強い。

 山谷に来たときにマザーは路上で酔って寝転んでいる人たちを見て、こう言ったらしい。

 「どうして、この人たちはこれまでも酔わなくてはならなかったのか・・・」。

 多くの人たちが路上で酔って寝ている人たちを見て思うことと言えば、仕事もせず、昼間から飲んだくれて、また汚い服を着て、どうしようもない人だ、と思うのかも知れないが、マザーは違う。

 その人を思う、その人の苦しみを思う、その人の渇きを見て、その人の孤独を感じ思うのである。

 マザーのこのような愛を実際に聞いたものたちが、その意志を受け継ぐのだろうか・・・。

 ふと最近考える。

 イエスが弟子たちに伝えようとしたものが、弟子たちにはまったく分からず、保身のためにイエスを見捨て裏切るような行動をしてしまう、このようなことに似てはいないだろうか・・・。

 だが、弟子たちは自分たちの罪を受け容れ、認めることによって、新たな救いを見出すようになっていく。

 復活をしていくと言うことである。

 私たちには、これが足りていないのかもしれないと感じる。

 マザーの孤独を思いやる心が足りていないのかもしれないと感じる。

 それはマザーが言うように、まず自己認識しなければならないと言うことである。

 そこにまた祈りありきである。

 簡単なことでは決してない。

 マザーは簡単なことをしてきた訳ではない。

 イエスのように血の涙を伴うような苦しみと孤独を超えて、その身体を神のためにお使いになった方である。

 それは畳のうえであろうと、カルカッタの雑踏のなかであろうと、世界中のどこにいてもそうであったに違いない。

 あなたもきっとそう信じるであろう。

 ならば、忘れてはいけない、マザーがそうあったことを。

 マザーの孤独を。

 そして、あなたの孤独を。

 他人から見れば笑われてしまうだろうとあなたが思うあなたのどんなに小さな復活をも、あの方は見守り、また喜ばれるであろう。

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極楽。

2011-08-29 12:45:10 | Weblog

 「極楽」はインドで会ったまほちゃんのおじぃちゃんのお酒である。

 まほちゃんのおじぃちゃんは熊本の球磨で球磨焼酎を作っている。

 その酒造場は江戸中期から球磨焼酎を作っている。

 それも聞けば、おじぃちゃんはカトリックと言う。

 おじぃちゃんはいつもロザリオを持ちながら働いているらしい。

 熊本と言えば、隠れキリシタンの末裔かとも思ってしまう。

 そのおじぃちゃんが作った「極楽」を昨日頂いた。

 まほちゃんはうちから車で15分くらいのところに住んでいるので、ミニに乗って、あんと一緒にお酒をもらいに行った。

 初めて行く場所ではあんは落ち着かないので、まほちゃんちの近所を少し散歩してきた。

 行く前に圧力釜で作った豚足の煮込みをつまみに「極楽」を美味しく頂いた。

 おじぃちゃんの揺るぎない信仰心が入っていると勝手に想像して飲む「極楽」は格別美味しかった。

 「極楽」は常圧タイプのものを頂いた。

 常圧とは「圧力を変えずに加熱のみにより、焼酎をもろみより取り出し、冷やして液体にする旧式の蒸留方法」らしい。

 そんな説明文をしっかりと読めながら、熊本の球磨郡に思いを馳せ、グラスを傾けた。

 「この三年貯蔵の極楽は今失われつつある球磨焼酎本来の味と風味を頑なに守り続けている逸品です。独特の甘味とキレ、そして、香ばしい薫りのオペラをお楽しみください」とあった。

 この「頑なに」が何とも心を騒がした。

 「頑なに」と言う言葉は、「し続ける」と言う行動を伴う。

 そこに思いを寄せる。

 揺るぎない信仰心に勝手に繋げてしまう。

 そこにまた「オペラ」と来る。

 「オペラ」なのかとそのハーモニーを探し味わいながら、丁寧に頂いた。

 「オペラ」の鑑賞はしたことはないが、それも十分楽しんだ。

 友達から「自分のおじぃちゃんのお酒です」とお酒を頂けるなんて、生まれて初めてだった。

 まったく有り難いことである。

 それもいつもロザリオを持ちながら働いているおじぃちゃんのお酒である。

 神さまの配慮を感じる。

 そして、もちろん飲みながら、温泉には入っていないが、「極楽、極楽」と言ったのは言うまでもない。

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久しぶりの山谷。

2011-08-28 12:58:34 | Weblog

 昨日はすでに10時15分くらいから、白髭橋ではなく、MCの前でカレーを配った。

 いつもカレーを配る白髭橋では隅田川の花火大会のため、入ることが出来なくなったので急遽MCの前で配ることにしたらしい。

 250個のカレーと寄付されたパンを配った。
 
 前日に隅田川の場所には入れないことを知ったらしく、おじさんたちには知らされていなかった。

 だから、白髭橋まで行ったおじさんたちもかなりいた。

 そこにボランティアが誰一人居なかったためにずっと白髭橋で待っていた人も居たらしい。

 それにいつも11時に配り始める約束になっていたのを10時15分くらいから配り始めたためにカレーがなくなってから来る人も何人かいたので、またカレーを少し作り足したりもした。

 昨日はインドで会ったまおちゃんを連れて行ったが、やはり緊張していた。

 250人ほどのおじさんたちが炊き出しをもらう姿、まじかで見る今まで見て来なかった現実を目の当たりにすれば、緊張するのも当たり前である。

 愛を伝えると言うことなど到底出来ないことを知る、またそれを知ることすら忘れるほどに何かが騒ぐのかも知れない。

 だが、また山谷に来たいと思ってくれることで、それは彼女のなかで何かに変わっていく。

 硬く緊張したままのものではなくなるだろう。

 そうすれば、愛を注ぐ場所も生まれるだろう。

 それで良いと思っている。

 そこから離れなければ、そのものを深く観ることも可能だからである。

 自己を深くしていくことに意味はある。

 彼女はすでに与えられているだろう。

 それを嬉しく思っている。

 昨日は久しぶりにおじさんたちの笑顔を見れて嬉しかった。

 豪雨や暑さを乗り越えた彼らの笑顔は豊かであった。
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ライブの前は。

2011-08-26 12:53:45 | Weblog

 9月6日に学芸大学前にあるアピア40でうたう。

 このライブの前と言うのが、いつも忙しくなってしまう。

 普段はギターを持つことより、芋焼酎を飲むグラスを持っている方がはるかに長い。

 その芋焼酎を飲むグラスを持っている時間を割いて、うたの練習をする。

 昨夜も仕事から帰ってきてから、練習に行き、その後、あんの散歩をする。

 あんが夕方にうんちをしていなかった場合は、うたの練習の前にあんの散歩を行く感じになる。

 我慢しているのではないだろうかと心配になり、落ち着いてうたを歌えないからである。

 そんな心配をさておき、あんはいつも自分が帰ると寝ている。

 その寝ているあんを抱っこして、玄関まで連れて行き、散歩に行く準備をする。

 その準備をしている間にあんはその場寝てしまう。

 「あん、がんばって行こう!」と声を掛け、玄関を出る。

 出てからも、その雰囲気に合わないのか、まだ夢を見ているのか、すぐにトコトコとあんは歩き出さない。

 5秒から10秒くらいはその雰囲気に合わせる時間があんには必要なようだ。

 まぁ、寝ていたのだから、それは仕方がないのかもしれないと思う。

 そこでまた「あん、がんばって行こう!」と声を掛ける。

 すると、あんはブルブルと身体を動かしてチャンネルを外に合わせる。

 そして、トコトコとなる。

 すぐに決まった場所でおしっこする。

 それから、少し歩いてうんちをする。

 いつもあんが健康なうんちをしてくれると嬉しいものである。

 健康で居てくれて嬉しくなるのだ。

 こんな感じなので、ライブの前は飲み始めるのも12時を過ぎてしまう。

 さすがにあまりに遅いとつまみの量と芋焼酎の量も減らすようにしている。

 今夜は練習はお休み、明日はいつもよりも早起きして、一ヶ月ぶりの山谷に向かう。

 おじさんたちはこの夏を乗り切れただろうか。

 久しぶりに会えるのを楽しみにしている。

 今夜はクィッと飲んですぐに寝ることにしようと今のところは思っている。

 だが、先のことは分からないのである。

 今日もつつがない一日を。

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娼婦のように。

2011-08-25 12:46:20 | Weblog

 最近読み終えたキューブラー・ロスの本のなかにこうした一節があった。

 これは彼女の後期の講演での言葉である。

 「私たちのほとんどは、「もし・・・したら愛してやろう」と言われ、娼婦のように育てられました。この地球上で、いちばん多くの人間を台無しにしてきたのは、この「もし」という言葉です。この言葉のせいで、私たちは娼婦になりさがり、いい振る舞いをしたり、いい成績をとれば愛してもらえるのだと思い込み、自分自身を愛し大切にすることを忘れてしまったのです」。

 娼婦というのは言いすぎなのではないかと思ったりもするが、それはそうでないところもあるようにも思えてしまう。

 介護・看護・医師、またボランティアのなかにもこうした思い込みのままに生きてしまうものが多いと言わざるを得ないだろう。

 自分のなかにもこうした娼婦がいる。

 この娼婦はユングのメシアコンプレックスである。

 この娼婦をより良く会話をしなくてはならない。

 一人ひとりがどのように育てられたかを知る必要があるのだろう。

 「親の罪は子に受け継がれる」のような負の悲しい連鎖はどうにかしたいものである。

 だが、また多くのものは娼婦であることを認めようとしないのだろう。

 それはあまりにも自分が惨めであることを認めることが怖いのである。

 この認めない勇気の無さが自己と周りを破壊していくことに繋がっていく。

 自分は正しい、自分は間違っていない、そう思わなくては生きていけない息苦しさのなかで生きてしまう。

 そこに愛はあるのだろうか。

 片寄った考えではストレスを生みやすく、傷付きやすい、自律神経も乱れやすいだろう。
 
 柔和な心である。

 謙虚な心が必要である。

 私たちは自己の内面を感じ語り合う時を持つべきであろう。

 それは祈りのようなものでもある。

 この娼婦は娼婦のままでいることを望んではいない。

 愛を望んでいる。

 愛し愛されることを望んでいる。

 だが、「愛されるよりは愛することを望む」ことにより、この娼婦は成長し始めるのではないか。

 私たちはきっと成長できる。

 それは自らの人生が問い続けている。

 私たちはそれに答える必要がある。

 答えることにより、その前とは変わった自己になりえるであろう。

 あなたのそれを育てよう。

 それは愛の実に成りえよう。

 この今も、彼らはそれを待っている。

 
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のんびりと。

2011-08-24 13:10:02 | Weblog

 穏やかな陽射しのなか、あんとのんびりしている。

 いま、うちの畑のひまわりは良く咲いている。

 とってものっぽ。

 2メートル50センチぐらいはある。

 その一番高いところ辺りに花は咲いている。

 そのひまわりが風に揺れている。

 このひまわりは種を蒔き、出てきたものでなく、昨年育ち枯れたものの根がずっと土のなかで生きていたものがこうして今年も大きく育ったものである。

 緑のカーテンの朝顔も同じように昨年のものが今年育っている。

 枯れて死んだのではなく、土のなかでその時をずっと待っていただけであった。

 このように健気に生きる姿は自分の心に移るのであろうか。

 風に揺れるひまわりに勇姿すら感じる。

 「きれいだよ」そう言い過ぎることもないだろう。

 少し柔らかくなった陽射しのなか、あんもひまわりも自分もみんなものんびりとしている。

 そこを吹く風が優しい。

 その優しさはあなたのところにも届くように。
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酒の肴。

2011-08-23 13:06:30 | Weblog

 今日は久しぶりの太陽に会えた。

 緑のカーテンがあるので布団全部は干すことはできなくなっているが、干せるものは干してみる。

 そんなことをするのが気持ちが良い。

 観葉植物にも忘れぬように水をあげる。

 テーブルの上のテーブルヤシにも水をあげ、飾ってある花の水も変える。

 すべては今夜の晩酌を美味しく頂く準備のようなものである。

 あんも定位置の座布団の上で気持ち良さそうに寝ている。

 穏やかな雰囲気が外の秋の気配と良く合っている。

 今夜は佐賀のりかちゃんが届けてくれた酒の肴をつまみに晩酌をしよう。

 休肝日だった昨日の晩に芋焼酎紫薩摩富士は割り水しておいてある。

 この今もきっと美味しくなっている。

 福岡から来た玲子ちゃんは自分が大好きな柚子こしょうを持ってきてくれた。

 それも開けてみると自分が食べたことがない赤色のものだった。

 これはなかなかいけた。

 柚子こしょうは冷やっこにも良く合う。

 だが、最近のお気に入りの柚子こしょうの使い方は厚揚げをカラッと焼いて、それを柚子こしょうで食べるのがもうたまらない。

 柚子こしょうと焼いた厚揚げはベストカップルのようなマッチングである。

 芋焼酎も進む、その速度は増しっぱなしである。

 りかちゃんのつまみも今夜は新しいのをあけてみよう。

 長崎のものもあるので、思いをその場に寄せ、芋焼酎を合わせよう。

 それでも飲みすぎぬように、抑えて抑えて、美味しく頂こう。

 その人の気持ちを有り難く、想い出を有り難く、肴に添えて頂こう。

 友達は自分の人生を豊かにしてくれるかけがえのないものである。

 どうか健康で穏やかな日々を送って欲しいと杯を向ける。
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お魚ポストの危機。

2011-08-22 13:10:48 | Weblog

 最近お魚ポストの二回ほどラジオで偶然聞いた。

 震災後お魚ポストには想像していなかったほどの魚や亀が届いていると言う。

 どうすることもできない理由からのことであろうが、お魚ポストは危機状態であるとのことだった。

 たぶん、ニュースでも取り上げられているだろう。

 どんなことになっているのかと昨日雨が止んだ午後にあんと一緒に見に行ってみた。

 これまで二度見に行ったがなかに入れなかったが、昨日は職員のおじぃさんが一人居て見ることが出来た。

 そこで見た亀の多さには驚いた。

 お祭りの屋台の亀すくいと同じか、それ以上の亀がたくさんいた。

 それも皆多くなった亀ばかりである。

 この亀はこのあとどこに行くのかと胸を痛めた。

 そこに小学生の子供を連れた家族が来ていた。

 ウーパールーパーを預けに来ていた。

 それも仕方がないことかもしれないが、こうした飼えなくなったペットが運ばれてくる現実に悲しくなった。

 あんにも亀とか見せてあげたかったのだが、あんは早く帰りたいとリードを引っ張っていたので見せることが出来なかった。

 こうした問題はどうにかならないものかと考えざるを得なかった。

 難しい問題であろうがペットを飼うものは考えなければいけない問題であろう。

 あんがあまりにも帰りたがっていたので、ゆっくりは出来なかったが、お魚ポストを見れて良かったと思った。

 帰りは多摩川を歩いて家路に向かった。

 あんはトコトコ歩いた。

 このまま歩くと、あんが車にぶつかった信号のところを通って帰ることになることは分かっていた。

 自分はあの時から、そこに行っていなかった。

 やはり怖かった。

 多少なりともPTSDのようなものがあるとこのうちに感じていた。

 だが、そこに行くことにより、また何かが判るのではないかと思ったりもした。

 あんが同じところを通るのを怖がるのでないか、そんな心配しながら、その信号の下まで行くと、あんは以前とまったく変らず、階段を上がっていった。

 この階段はあんが小さい頃は上がりたがらず、何度も抱っこをしたところであるが、あんには何の恐怖もなく、いつも同じような感覚でその場を歩くのを見た途端、恐れていたのは自分だけであったことに気が付いた。

 何よりもあんが怖がっていないことを知れて良かった。

 それで自分のうちの何かが柔らかくとけて行った。

 涼しいとあんと散歩が出来て嬉しい。

 昨日は涼しかったこともあり、久しぶりにあんは自分のベッドに上がり、朝まで一緒に寝た。

 その前に夜の散歩から帰ってきてから、たくさん遊んであげたのであんは一緒に居たかったのかも知れないとも思った。

 危機は乗り越えたと同時に新たな成長を伴う。
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日本で初めて。

2011-08-21 16:57:16 | Weblog

 玲子ちゃんは4年前に一緒にシアルダーで働いた子である。

 今年の1月にもカルカッタでは会ったが、お正月休みを使って、カルカッタに来て、自分やなおみさんに会い、またコラムやバーニーに会い、すぐに帰らなくてならなかったのはほんとうに辛そうだった。

 長い期間来た者がやはり短い期間でカルカッタを離れると言うのには無理があるように思える。

 昨日は日本で初めて玲子ちゃんに会った。

 うちにも初めて来て、あんにも会えた。

 あんはいつものように大喜びで、玲子ちゃんの傍にずっと良い子でいた。

 あんは可愛くてきれいだって、玲子ちゃんは言ってくれた。

 自分はあんは女に磨きをかけているからねと微笑んで答えた。

 簡単な料理を用意した。

 新物さんまをさばいて、刺身を作った。

 前日に割り水して冷蔵庫にねかしていた芋焼酎もあった。

 楽しい一時を味わった。

 ちょっと玲子ちゃんに聞いてみた。

 自分が居なくなった辛いことはなかったかと。

 玲子ちゃんは自分が居なくなった後、半年間カルカッタにいた。

 その時はどうだったのかなと思った。

 彼女は辛いことはなかったと答えた。

 まあ、それは仕事では辛いことがあるのは仕方ないことだが、人数は居たのかと考えた。

 それは聞いたのには気になったことがあったので聞いたのである。

 今回のカルカッタで自分が居なくなった後、駅の仕事はたいへんだったと、カルカッタから帰ってきたたかし君に聞いたからである。

 パーティーがあった夜、明日は必ず行くと言ったのに、その約束をやぶり来なかったボランティアがいたり、それも人数が少ないのに来なかったりとたいへんだったと話してくれた。

 たかし君がいつも人数を気にしたりしていたらしい。

 それに人が少なくて、シアルダーを終え、ハウラーに行ったりもしてたらしい。

 たかし君が帰ったあと、ちよちゃんも駅の仕事に参加したらしいが、その仕事が辛くて、いつも泣いていたらしい。

 こうしたことがあると、どうしてもその負の部分を多く心に刻み込むようになってしまいかねない。

 これも神さまの配慮かも知れないが、それにどう答えていくかはその人に任されている。

 でも、玲子ちゃんは良かった。

 仕事の上の問題はなかったらしい。

 それでも、問題はない訳ではなかったろう、いつでも問題はあり続けるものである。

 昨日も良く飲んだ。

 カルカッタの思い出話はほんとうに良いつまみになり、良く酒が進みものである。

 カルカッタで出会い、その関係が今も変わらずにあることはほんとうに嬉しいことである。

 これも神さまの配慮であろう。

 良いことも良くないこともあるのが人生であろう。

 そこを自分たちは歩んでいく。

 共に泣き、共に微笑み。

 一人であり、一人ではない、神さまの配慮のなかを。
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