カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

今年の抱負。

2021-01-28 11:45:30 | Weblog

 三月の誕生日までに腹筋ローラーで綺麗な立ちコロに出来るようになる計画は息をひそめていない、全力で続行中である。

 この前、朝のテレビで嵐の櫻井君が立ちコロが出来ると堂々と語っていたのを見て、より一層努力が出来そうな気がした。

 「オレにも出来る。きっと出来る」と自己にマインドコントロールをしながら、ほぼ毎日立ちコロをするようにしている。

 筋肉は嘘を付かないことを信じてやり抜こう。

 私は私の身体を使い、楽しみ遊びながら筋トレをするのである。

 元々は筋トレを始めたのは酷い腰痛からだった。

 朝、腰の痛みで目が覚めることも度々あった。

 常に腰がゴリゴリと悲鳴をあげていた。

 それで当時売れていた長友選手の体幹トレーニングの本を買い、トレーニングを始めた。

 半年ぐらいで劇的に腰痛は改善されていった。

 身体も疲れづらくなるし、体幹トレーニングはほんとうに良かった。

 もう何年前になるだろう、5,6年前から初めて今に至る。

 今ではいろいろとトレーニングの器具も増え、ヨガマットも数枚買い替えてきた。

 そして、昨日ふと思った。

 「逆立ちがしたい」と。

 と言うことで今年の抱負の一つは逆立ちが出来るようになることである。

 逆立ちも体幹トレーニングの一部である。

 どこまで頑張れるかは私次第である。

 さて、どうなることであろうか、楽しみである。

 
 今日は私の洗礼記念日である。

 2014年の今日、私はマザーハウスで洗礼を受けた。

 喜び感謝をし、私の二度目の誕生日を祝う。

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お腹を空かせたまま。

2021-01-25 16:07:31 | Weblog

 いま読んでいるマザーテレサの「あわれみの招き」にはマザーがシスターたちに施設に来た人をお腹を空かせたままでは帰らせてはならないと言っている箇所がいくつかある。

 マザーは「お腹が空いていては神さまのことを考えるのも難しいでしょう。イエスはまず人びとに食べ物を与えました」と言っていた。

 私はこのマザーの言葉に反することを山谷でもコルカタでも何度もして来た。

 いまは食べ物がない、時間が違う、時間がない、もう食べ物を配る時間は終わった、あとであげる、明日なら大丈夫、明日持ってくる、など、空腹の辛さなど一ミリも知らない私が勝手な都合ばかり話し、弱り切り困っている相手を激しく傷付けてきたのである。

 マザーはそうしたことはしなかったのに・・・。

 長年マザーのボランティアをしてきて、私は私に愛がないことを徹底的に知った。

 でも、いまはそれで私は安堵している。

 私が私に愛があるなどと思っていたら、神さまに愛を乞うことなどはしなくなり、傲慢になったまま、それに気付かず、私は柔和だと勘違いをしながら他人を審判し、あっという間に一生を終えてしまうだろう。

 だから、私は安堵しているのである。

 私には徹底的に愛がないということに。

 ただ私のなかに私がいない時にだけ、無心な時にだけ、愛があるとも言える。

 私はそれが嬉しい。

 マザーハウスでマザーテレサの医者であったナンバー3のシスターゲルトルートに言われたことがある。

 「神さまに愛を乞いなさい」と。

 私はこの言葉を大切にしている。

 マザーもシスターゲルトルートも何度も何度も神さまに愛を一緒に乞うたことであろう。

 そして喜びあってきたのだろう。

 先週の土曜日、カレーの炊き出しを終えようとしていると、一人のおじさんが「まだお腹が空いている、カレー、一つじゃ足りない」と言ってきた。

 私は内心、良し来たと思った。

 私はあなたを空腹のままで帰したりはしないと。

 すでに二回目のカレーを配り終えていた。

 だが、遅れてくる人のために数個カレーを取ってあった、その一つを彼にあげた。

 笑顔で喜んで「どうぞ食べて」と優しく言葉を添えて。

 そこで思う、やはり私こそ与えられているのだと。
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優しい人たち。

2021-01-19 13:21:21 | Weblog
 土曜日、山谷から帰って来ると、マスクが届いていた。

 静岡の友達が山谷のおじさんたちのためにマスク10箱を送ってくれた。

 山谷の白鬚橋の炊き出しの終わり頃、若い男性二人がコーヒーを3箱持って来ていた。

 以前、おじさんたちにコーヒーを配ったとのことだった。

 この日は日時を間違えたようでコーヒーは配らなかったが、私はおじさんたちを思う人と出会え嬉しかった。

 きっと優しい人たちはもっともっといるだろう。

 私が知らないだけで、私が出会わないだけで。

 これはほんとうのこと。
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それでも生きる。

2021-01-18 12:10:05 | Weblog

 最近MC{マザーテレサの修道会の略}ファーザーブライアンが編集したマザーテレサの「{A Call To Mercy }あわれみの招き・愛する心、仕える手」を読み始めた。

 これはマザーの講演やシスターたちへの講話、インタヴュー、またシスターたちの証言などが集められた本である。

 題名にはあわれみの招きとあるが、その題名に囚われることなく、マザーはどんな人となりであったのか、どのように生きたのか、神のあわれみのなかを一心に生きたマザーと言う聖女を知るうえで読みやすく良い本だと思う。

 まだ少し読んでいないが、また改めて心が魅かれた箇所があったので紹介しよう。

 {人としての尊厳を重んじ、愛と思いやりのこもった世話をする}・・・・・貧しい人たちの傷付いた身体に触れるときには、祭壇で司祭がご聖体を揚げるように、またそれを謹んでわたしたちが拝領するように、敬い尊ばなくてはならない、とマザーはいつも言っていました。

 カトリック信者でない人には分かりづらいかも知れないが、要するに貧しい人たちの傷付いた身体、それは正にイエスの身体と同じであると言うことである。

 そしてカトリック信者である人にも難しいかも知れない、貧しい人たちをイエスだと思うことである。

 どこまで貧しいのか、貧しくないのかと悩み、またその悩みのうちに相手を知らぬ間にジャッジしているのであれば、到底、マザーの言うように働けないのである。

 先週の土曜日、白髭橋のカレーの炊き出しで一人のおじさんがわたしのところに来て、こう言った。

 「先週、桜橋で一人亡くなったって・・・。でも、誰も誰だったかと言わないんだよ」

 「そうなんだ。自殺?餓死?病気?」

 「分からない。でも死んだみたいだよ」

 「そうなんだ・・・」

 わたしはこうして書きながら思う。

 わたしには人の痛みを聴く資格があるのか、どうか。

 わたしは彼を神さまだと思っていたのか、どうか。

 わたしは問わずにはいられない。

 そのなかをわたしは生きる。

 反省ばかりかも知れない、にもかかわらず、それでも生きる。

 それでも彼も生きる。

 すべてにおいて、それでも人生にイエスと言いたい。

 「いつも喜んでいなさい」とマザーの声が木霊する。

 
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再チャレンジ。

2021-01-11 11:23:38 | Weblog

 幼なじみの近所に住む石坂だけに11月末に言った。

 「オレは今年中に立ちコロが出来るようになる!超回復など気にしない!もう毎日、腹筋ローラーをして、立ちコロが出来るようになる!」と。

 私には誰に何かを言って、自分を奮い正せ、有言実行の糧にするところがある、それであった。

 この日の前日YouTubeでスレンダーな女性が立ちコロを連続で20数回している動画を見てしまった。

 それが原因であった。

 彼女に出来るのであれば、私も出来るに違いない、なぜなら「筋肉は嘘を付かない」らしいからだ。

 まず立ちコロを知らない人に少し説明しなくてはならないだろう。

 腹筋ローラーとは写真を載せてある、それである。

 初心者はまずヒザをマットに当てて、腹筋ローラーを前に進め、また戻し、主に腹筋トレーニングする。

 これですら、すぐにはなかなか出来ない。

 立ちコロとはその名の通り、立って腹筋ローラーを前に進め、戻し、腹筋を鍛えるのである。

 しかし、これがもの凄くハードである。

 話しによると腹筋ローラーを使用する者の一割ぐらいしか立ちコロは出来ないらしい。

 私はまずその一割の仲間に入ろうと思った。

 日々の生活のなかに何の目標もなく、頑張る意欲も、何の成長を感じることも無くなりかけていたコロナ禍には、私には良いチャレンジだと思った。

 だがやはり、簡単ではなかった。

 一日数回、戻れるところまで腹筋ローラーを進めるが、戻るのに身体がブルブル震えるほどに全身に力を入れて戻らなくてはならないようなことの連続であった。

 いつでも両肩には何かの鎧でも着ているかのような硬さと重さを感じながら、仕事しなくてはならなかった。

 その結果、私は私に負けた。

 除夜の鐘が鳴っても立ちコロは出来なかった。

 七割、八割の立ちコロしか、まだ出来ないのである。

 全身を一本の棒のように延ばす綺麗な立ちコロがまだ出来ないのである。

 自分自身に負けたことは悔しいが、諦めるのはもっと悔しいと、負けた私は思った。

 と言うことで次で五十なる三月の誕生日までには立ちコロが出来るようになることをここに誓う。

 私はまた私に挑戦する。

 私はまた私と遊ぶである。
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計らいとして。その4。

2021-01-06 12:43:58 | Weblog

 何の計らいだが分からないが、私たちはその場にいた。

 ヒデ君は3年ぶりにたまたまその日、山谷に来れた。

 その朝、南千住駅で待ち合わせ、MC{マザーテレサの修道会の略}の施設まで歩いている途中、私たちは今年起った芸能人の自殺のことを語り合っていた。

 私は自殺をこう考える。

 自殺は自分だけの死に留まらず、身近な人、またはまったく知らない誰かの何かまで殺し、破壊し、連鎖しかねないものである。

 ほんとうに苦しいのであろうが、自殺はほんとうに良くない、その選択をしてはいけないと語り合っていた。

 そうしたことを話し合っていたことが繋がっていたのか、どうか分からない。

 私も26年山谷でボランティアをしているが、川から上げられた身体を見るのは初めてだった。

 無数の糸が複雑に絡み合うように何かが重なり、必然に私たちの前にその事情は現れた。

 その時だけではなく、前々から用意されたものとしてあったかのように、そして、これから課題となるものとして現れた。

 私たちはこれは何かの計らいとして意味あるものだとして受け容れようと話した。

 だが、死に行く人の苦しみや哀しみについては、まだその時点では話せなかった。

 未確認のショックがあったに違いない、無意識にその話しから逃げようとしていたのかも知れなかった。

 だが、私は急に以前会った一人のおじさんのことを思い出した。

 彼は私に会うなり、その時、こう言った。

 「先生、オレ、ずっともう死のうと思ってさ。どこから飛び降りようか、ずっと考えながら、ここまで来たんだけど。今日は先生と会ったから、死ぬのを辞めるよ・・・」と。

 私は夢を見る。

 私と会ったことで、誰かが自殺を辞めることがあるように、無力だが、有り得ないことだが、夢を見、期待し、私の行いに深い愛情を増すことが出来たならと、祈り、願う。

 そして、もう何度も祈ったマザーの言葉を内省した。

 {親切で慈しみ深くありなさい。

 あなたに出会った人が誰でも前よりも、もっと気持ちよく明るくなって帰るようになさい。

 親切があなたの表情にまなざしに、微笑みに温かく声をかける言葉に表すように。

 子供にも、貧しい人にも、苦しんでいる孤独な人すべてにいつも喜びにあふれた笑顔をむけなさい。

 世話するだけでなく、あなたの心をあたえなさい}

 私は無理かもしれないが、しかし、諦めることは出来ない、マザーのこの言葉のように働こうも強く思った。

 それが私への計らいであった。

 
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計らいとして。その3。

2021-01-05 13:02:37 | Weblog

 数分間、ヒデ君は白髭橋の上で心臓マッサージをしていた。

 私は道路を挟んだ反対側で、緊張しながら、それを見ていた。

 硬く固まったかのように、かたずを呑んで見守り、無言になっていた野次馬のなかに、新しく加わった買い物の帰りの主婦が「どうしたんですか?」と不安げな表情で私に聞いてきた。

 「飛び込み自殺です」

 「そうですか・・・」と言い、哀しい顔をした。

 普段なら、こうした場所で野次馬にはならない私であるが、友達のヒデ君が必死に働いている姿を見逃がしたくはなかった。

 しばらくして、ヒデ君の代わりに救急隊員が患者の心臓マッサージをしながら救急車に向かった。

 それからヒデ君は警察官たちと何かを話していた。

 野次馬を散り始めた。

 私はヒデ君がいる方に渡り、その信号のところで待っていた。

 警察官たちの話しが終わったのだろう、待っている私に気が付いたヒデ君は急ぎ足で私のところに来た。

 「お疲れ様。大変だったね」

 「いえ、そうでもないです。緊張した?病院でも心臓が止まった患者も来ますから」

 「そうか、凄いね。どんな人だった?」

 「60~70歳くらいの男性でした」

 そんな話しをしながら歩いていると、後方から救急隊員が「先生ー!」と大声で呼びながら走ってきた。

 救急隊員はヒデ君の働いている病院を聞いてきた。

 ヒデ君は自分の名刺を見せ、すでに警察の人に話したと答えていたが、また改めて働いている病院名を教えていた。

 緊急時に医師として働いたお礼らしきものが出るようだったが、ヒデ君は断っていた。

 救急隊員と別れた後、ヒデ君は少し怒ってた。

 と言うのは、ヒデ君は心臓マッサージするまで、救急隊員には橋の上では「どいてください!」と何度も言われたらしかった。

 その場で私服でいるのはヒデ君だけだったし、緊迫していたので仕方がなかったかも知れないが、心臓マッサージをした途端、「先生!先生!」と呼ばれたのは何か腑に落ちなかったらしく、嫌だったと言っていた。

 それを聞いて、私は少し笑った。

 「いや、ヒデ君、カッコいいね」

 「医者といての姿をTetsuさんに見せることが出来て良かったです。5年前に初めて来た時、自分は何も出来ませんでしたから」

 ヒデ君が初めて山谷に来た時、まだ医大生だった。

 MC{マザーテレサの修道会の略}の施設の近くの路上で倒れているおじさんのために救急車を呼んだだけでヒデ君は何も出来なかった、そのことを忘れていなかった。

 {つづく}
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