カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

「第三艦隊沈没せんとす」

2013-01-31 12:42:19 | Weblog

 遠藤氏の「心の夜想曲{ノクターン}」に安岡氏と大好きな作家先生のことが書いてあった。

 遠藤氏は久しぶりに会った安岡氏と大好きな作家先生の両氏と二十年前のことを思い出し懐かしがった。

 その頃は「第三の新人」と呼ばれ、毎月銀座の「はせ川」で集まっていた。

 この「はせ川」のことは大好きな作家先生の奥さまから聞いたことがある、いつも作家先生はそこで食べ飲みするものは同じであることなど、いろいろと伺ったことを遠藤氏のエッセイを読んで、私もその時のことを思い出し懐かしく思った。

 話しを戻す、当時大好きな作家先生はアメリカ留学中、残った者たちも次々と芥川賞を取ったが、その当時芥川賞をとっても、一生食いつないでいけるような状態ではなく、文壇からは「スケールが小さい」「日常生活に密着しすぎた」「いつかは消えるだろう」と言われ、パッとしない毎日を送っていたと言う。

 ある月に「はせ川」に行くと、安岡氏、吉行氏が居るだけで、その後、安岡氏はアメリカに留学中の大好きな作家先生に「第三艦隊沈没せんとす」と手紙を書いたそうだ。

 彼らは沈没はしなかったのである。

 だが、中には自殺をした仲間もいた。

 遠藤氏と安岡氏はある人物に自殺した仲間のことを相談しに行った。

 その帰り、夕暮れ、暗い気持ちで遠藤氏と安岡氏は小田急線の線路に沿って歩いていた。

 「俺は書くぞ」突然安岡氏が呻くように言った。

 記憶は曖昧だが、そのような意味の言葉を彼が彼自身にむかってきかせるように叫んだの覚えている、私{遠藤氏}も「うん」と答えた。

 短い行間から二人の混沌とした思い、そこから這い出したい思いが滲んで来る。

 遠藤氏も吉行氏も大好きな作家先生も、そして、最後に安岡氏もみんな天に召された。

 そんな彼らが戦後を作家としてどう生きたのかと想いを馳せれば胸を熱くする。

 安岡氏は遠藤氏の影響により、カトリックになり、その安岡氏の娘さんに私がカルカッタのマザーハウスでもらったメダイを大好きな作家先生の奥さまがおくってくれた。

 小さな繋がりだが、あのお方がそうしてくださった。

 そして、遠藤氏の作品を読み漁らなければ、こうしたことも私は何も知らなかったのである。

 あのお方がそうしてくださったのである。

 「第三艦隊は沈没しませんでした」与えられた命を精一杯生きたのです。

 そして、多くの生きる種をこの世のなかに蒔いて行きました。

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カルカッタの香り。

2013-01-30 12:38:00 | Weblog

 カルカッタ「コルカタ}にいるママからメールが来た。

 その文面からカルカッタの香りがしてくる。

 香りだけではなく、あの騒音、ムスリムの祈り、タクシーやリクシャー、市場の音など、目に見える埃までも目の前に浮かび上がってくるようだ。

 メールはママ{ジョアン」の声で語られる。

 ジョンが素晴らしいミサをあげているとあり、そのジョンの調子の良いミサでの話し声、必ず一度はシスターたちを笑わすことを欠かさぬ、彼の神の愛溢れる明るさを思い出された。

 彼の咽喉の調子はどうだろうか、しっかりと歌えているのだろうか、ミサの間、何を話しているのだろうか、それを考えると私はすでに微笑んでいるのだ。

 ママは昨日シスタークリスティーとラブリートークをしたとあり、彼女はほんとうに愛らしい人だとあった、きっと二人の会話、二人の仕草、あたたかく思い出される、それは傍から見ても愛溢れるような姿に移っているのだろう。

 バーニーも変わらずシアルダーで働いている、この世のなかに有名な立派方たちもたくさん居るだろうが、彼女のように世に出ることなどを拒み、ただただ謙虚でひたむきに貧しい人のために埃まみれになって一生懸命に働き生きている人を知りえた、友達になれたことはほんとうに幸せである、彼女は天に富を捧げている、神さまのために美しいことをしている素晴らしい女性である。

 私はまた彼らから学びたい、まだまだ学びたい、そう胸の奥の奥底から湧き上がる泉の如く思いが溢れてくる。

 祈りの中、今静かに、あの歓喜の街カルカッタを想う。


 それと今日は遠藤氏の一年先輩、大好きな作家先生の友人安岡章太郎氏の冥福を祈る。
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名医。付け足し。

2013-01-29 12:50:03 | Weblog

 この名医と言う題名でブログを書いた。

 そこで私自身が疑問に思ったことの一つに吸引器を使わなかったのか、と言う問いがあったが、この前遠藤氏の単行本を六冊買ったなかの「心の海を探る」と言う対談集にその時のことを遠藤氏は「求む!あたたかな病院」の冒頭から語りだしていた。

 その医者はやはりネブライザー{吸引器}をかけても、患者{老人}の咽喉に詰まった血が取れなかったので、自分の口を患者の口に当てて血を吸い出したとあった。

 この一つの知るだけでまた遠藤氏のあのエッセイの読み方が少し変わるように思える。

 今日またその抜粋した箇所を載せてみよう。

 「立派な医者がいた。若い医者だがキリスト教の信者でそのため同僚から多少、つき合いが悪いと言われていたらしい。しかしある日、大部屋で突然、喀血した患者が咽喉に血をためて苦しんでいた時、この医者は自分の口でその血を吸い出してやっていた。
 それは大部屋の患者はみんな目撃していたのだが彼が引き上げたあと、一人の男がポツリと言った。
 {俺、あの人に手術をうけて、それで死んでも本望だね}
 皆は黙ってうなずいた。ほんとうの名医とはこういうものであろうと私はその時思った。」

 あなたは何か変わっただろうか。

 私には吸引器を使ったと言うことを知ったので時間の流れが今まで以上に切羽詰ったものに感じるのである。

 そして、その医者の冷静さと必死さも前よりも増すように思える。

 短い文章ではあるがその行間からは老人の死を感じるほどの苦しみ、それを目の前し何も出来ない患者たちの苛立だしさ、また自分たちも同じ苦しみを味わうかもしれない恐怖、その場の緊張感、緊迫した空気の流れ、患者に手を差し向けている医者が出す音、そして、老人を復活させた安堵感と患者たちの安堵感、それは周りのすべての者の不安や恐怖からの解放、身も振りも構わず患者を助けた医者に対する誰もに染み渡った畏敬の念、その味わい深い喜びなどが感じられよう。

 書けばいくらでも書ける小説家であるがあえて言葉数を少なくし、読者の想像をかき立てさせる憎いところだと思わざるを得ない。

 遠藤氏は対談の中で言っている。

 「彼{医者」は医学とともに患者に人間としての「心のかよい」を与えたからです」

 ほんとうにそうだろう。

 何十年も経っても、その医者の行いは遠藤氏の中でまさにイエスの姿のように決して忘れることなど不可能なかけがえのない体験であり、真実であり、宝物のようになったであろう。

 
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勉強。その3。

2013-01-28 12:36:03 | Weblog

 一昨日のカテキズムの勉強はロザリオの祈りの後に行われた。

 その日はカレーとご飯の余りがなく、午後配りに行くことがなかったためである。

 勉強と言っても、分かち合いのような形でダニエル神父と話しをする。

 私は前日にまた遠藤氏の単行本六冊買った。

 その中には「王の挽歌」上巻下巻をあり、これを選んだのは大友宗麟とザビエルの出会いが書かれていることを知ったからである。

 もう少しダニエル神父の修道会ザベリオ会{ザビエルをイタリア語読みでザベリオとなる}のもととなる聖ザビエルのことを知りたかったからでもあった。

 私がこの一年隠れキリシタンなどのことを描いている遠藤氏の小説を中心に読んできたことをダニエルに話すと、彼は何と遠藤氏の小説「沈黙」「侍」「イエスの生涯」「火山」「深い河」をイタリア語で読んでいた。

 そして、「深い河」は彼の大学の同級生の友達が遠藤氏に実際に会い、インタビューをして「深い河」の論文として書いた物を読んでいたである。

 友達のその論文には遠藤氏にサインをもらったと言っていた、それは容易に遠藤氏に好意的に書かれたものであろうことが伺える。

 それをダニエルは読んでいるのである。

 不思議な繋がりを感じざるを得なかった。

 これを神さまの計らいと言わずして何と言おう。

 ダニエルはザベリオ会の神父なので、もちろん聖ザビエルが日本でどのように布教し、当時の日本人がどうあったかなどは勉強しているのである。

 フランシスコ・ザビエルが布教を初めて日本で始め、わずか二十数年で一時は約65万人の信者もいたと言われている、そして、禁教令により、ある者は転び、ある者は殉教{数千人}し、ある者は隠れになったのである。

 250年ほど経って、隠れキリシタンがいたこと{信徒発見}のことをダニエルも実際にそれを当時目にしたかのごとく嬉しそうに話していた。

 そんなダニエルにカテキズムを教えてもらっているのはどう見ても幸せであり、その意味は深いのである。

 土曜日一人のおじさんが久しぶりにカレーをもらいに白髭橋まで来てくれた。

 彼は以前飲んだくれてよく暴れていた、他人に暴力も振るうこともあったり、独り言も機関銃を撃つようにあたり構わず放っていた、その姿は孤独のなれの果て、統合失調症の症状のように思われた。

 その彼が身なりを整え、最近カレーを求め、MCの施設に来るようになった。

 「本当はここでは配れないから、今回だけだよ」と二回ほど、その場でカレーをあげた。

 ダニエルは彼が酒を飲まなくなり、身なりを綺麗にするようになったことを満面の笑みを浮かべ喜んでいた。

 その彼が私たちの約束を守り、カレーをもらいに白髭橋まで一昨日着てくれた。

 「良く来てくれたね」と言うと彼は照れ臭そうにしていた。

 あとでダニエルに会うと、彼はまた満面の笑みを浮かべ、「・・さん、来てくれましたね」と喜んでいた。

 私はこうした一人ひとりに愛情深く、憐れみ深いダニエルを尊敬してやまないのである。
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さつまいも。

2013-01-26 00:58:15 | Weblog

 分かった!

 あんは金時よりも紅あずまの方が好きです。

 「違いが分かる男」を好きな私のようにあんも「違いが分かる」のである。

 今日は仕事の合間に100円で買った紅あずまであるが、その威力はあんの今の寝顔が語り続けている。

 そして、私も同じように床に着こう。

 いい夢を。

 あなたも私も。

 
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女の一生 二部・サチ子の場合。

2013-01-25 13:01:42 | Weblog

 遠藤氏の「女の一生・二部サチ子の場合」を読み終えた。

 さて、何を書き出そう、そう問いながら、またその単行本を手に取ってみる。

 パラパラ開くページからは遠藤氏の実体験から描かれたこの小説が静かに涙とともに呻くように声を出してくるようでもあり、また聞いたこともない空襲警報などが辛い時代を生きた人たちの心と同じく耳に残る。

 あとがきの中に「おたがい、よく生き残れましたね」と遠藤氏は同年代の主婦を見て、親近感を生むとあったが、そこの奥、その向こうの意味深い、苦く苦しい戦争体験がリアルに描かれている小説であった。

 そして、信仰への問い、苦しみへの問いに遠藤氏は身震いするほどの力を込めて書き上げただろうことが容易に感じられた。

 生前遠藤氏がマザーテレサと同様に聖人と崇められていたコルベ神父も登場する。

 アウシュヴィッツで他人の身代わりになり、飢餓室で死ぬコルベ神父にこの小説で語らせた言葉には深く心に残る。

 何に関しても無感動・無関心にしかなりえようがないアウシュヴィッツでの日々、コルベ神父は若者ヘンリックに言う「まだここは地獄ではないよ・・・、地獄とは愛がまったくなくなった場所だよ」。

 「愛がなければ、作らなければ・・・」

 
 今は時間がないので、ゆっくりと感じたことを書くことは出来ないのでこの辺で。

 コルベ神父の言葉を思い出しながら今日を有り難く生きよう。
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癒やしの散歩。

2013-01-24 12:55:36 | Weblog

 雨上がりの散歩は何とも言えぬ気持ち良さを与えてくれる。

 あたたかな陽射しが差せば、喜びは増し、感謝の心で満たされた世界が潤う。

 実は最近あんは右前足を捻挫したようで少しぎこちなく歩くので散歩は短めで走らせたりはしないようにしていた。

 たぶん天宿公園の砂場であまりにはしゃぎすぎ砂ですべって挫いたように思う。

 それにプラス、一度追いかけっこしていた時にあんは自ら逃げ走り回ろうとして砂場の固いプラスティックの壁に激突したのである。

 その瞬間、「痛い・・・、あぁ、痛いよ~・・・」となり、楽しく遊んでいたが一瞬にしてしょんぼりとなりトボトボ帰ってきたことがあった。

 と言うこともあり、散歩はほとんどウンチ散歩であった。

 だが、今日は雨上がりの美味しい空気を頂こうと三沢川の方へ向かった。

 足がまだ全快ではないので山登りはしないことにし向かったが、自然遊歩道の登り口近くに来ると、やはりあんは山に行きたがったが、その気持ちも良く分かるが我慢してもらった。

 その分ゆっくりとあちらこちらをクンクンさせてあげた。

 天神山は湯気が出ているように霞むところもあり、春の兆しすら感じさせた。

 カワセミも見た。

 三沢川の水面ギリギリとカッコ良く低空飛行していた。

 メジロやスズメにもたくさん会えた。

 湧き水の香りも心を和ませる。

 癒やしの散歩。

 その癒やしのかたまりのあんはトコトコ、そして、クンクン。

 私はゆっくりと深呼吸し、命を続けていた。

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良かった。

2013-01-23 12:51:19 | Weblog

 年末からジョアンにメールを送っていたが、今日まで返信がなく、もしかしたら入院しているのかもしれないと心配していた。

 ジョアンはカルカッタの私の母であり、私の代母になりたいと言ってくれている。

 今日カルカッタからいる彼女からメールがやっと来た。

 アイルランドの神父ケビンが昨日国に帰り、今日はオーストラリアの神父ジョンからカルカッタに戻り、バーニーはいつものようにシアルダーで働いているとあった。

 ここのところ少し疲れ気味であった心と身体にあたたかいものがじんまりと満ちていく感じを味わう。

 あの埃舞うカルカッタの風景が一瞬のうちに私を包み込んで行くようだった。

 そして、ジョアンの愛が、肌で感じられるほどあたたかく私を抱きしめてくれた。

 彼らのために祈らずには居られなくなるのであった。
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名医。

2013-01-22 12:32:44 | Weblog

 毎週土曜日は山谷に行く電車の中で単行本を読んでいる。

 最近は遠藤氏の「心の夜思曲{ノクターン}」を読んでいた。

 そのエッセイの中で心に留まった話しを紹介しよう。

 もう電車は山谷のある南千住に着きかけた頃だったにも関わらず、私はそのエッセイを途中を閉じることが出来ず、南千住に着いてからも歩きながら読んだ場面であった。

 遠藤氏が三回の手術を受け、死をも感じた長い闘病生活でのことだった。

 「立派な医者がいた。若い医者だがキリスト教の信者でそのため同僚から多少、つき合いが悪いと言われていたらしい。しかしある日、大部屋で突然、喀血した患者が咽喉に血をためて苦しんでいた時、この医者は自分の口でその血を吸い出してやっていた。
 それは大部屋の患者はみんな目撃していたのだが彼が引き上げたあと、一人の男がポツリと言った。
 {俺、あの人に手術をうけて、それで死んでも本望だね}
 皆は黙ってうなずいた。ほんとうの名医とはこういうものであろうと私はその時思った。」

 これを読んだ時、これは本当のなのか、もちろん本当であろう、だが吸引器はなかったのかとまず考えた。

 しかし、この話は40年以上前のことである、その近くに吸引器はなかったのかもしれない。

 では、この医者は患者の病気が移ることを考えなかったのか、私と同じようなことを考えた人もいるだろう。

 ヘビに噛まれ、その傷口から毒を吸い上げているという話しを聞いたことがあるが、それもやはり良くないことであり、口の中には入れれば、その毒を何パーセントか、確かなことは分からないが吸収してしまうのでやらない方が良いということも聞いたことがある。

 しかし、昔はこの手段しかなく、口で毒を吸い上げたのだろう。

 こうした問いが生まれるが、この若い医者はそれらすべて超えて最良のことを我振り構わず行ったのだろう。

 愛と言っても良いだろう。

 この行為は私に西田幾多朗氏の言う「純粋体験」であり、フランクルの考え「いわゆる無意識だけが無意識だけではなく、意識そのものもその根底において無意識である。しかも、その無意識の状態こそ、意識がもっとも純粋に働いている状態」と言うことを思い起こさせた。

 そして、何よりも、それを実際見た患者たちを深く感動させた医者と言うことは、何をどう言われようと変わらないのである。

 その医者は一人を救いながら、実は大部屋の全員の患者の心の闇を払い、希望と何とも言えぬ安らぎを与えたのである。

 それはまさしく無私の愛の力であろう。

 私も思った、本当の名医は彼のような人であるだろう。

 
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勉強。その2。

2013-01-21 12:32:26 | Weblog

 私はこの山谷のMCで洗礼への準備カテキズムの勉強が出来ることを幸せに思うと同様、神さまの計らい、導きのように思わざるを得ない。

 苦しむ者と身近に生活している場所、世間から見捨てられ、自らをもさげすみ苦しむ者の悲鳴悲嘆が聞こえてくる場所、その彼らを愛する者たちに囲まれての信仰への学びを私はずっと心のどこかで待っていたのかもしれない。

 それにようやく気付けたのである。

 またあの方もその私を見守りながら待っていてくれたかもしれない。

 そのことも感じれるようになり、感謝するようになったのである。

 そして、ダニエルが日本にキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルを手本するザベリオ会の神父であることも不思議な繋がりを感じる。

 それはこの一年ぐらいであろう、ブログには何度も書いた遠藤氏の小説に夢中になったことも意味深い証しではないだろうか。

 日本人のキリスト者になる者として、日本人のキリスト教の歴史、その類を見ない迫害を乗り越えた信仰の上に私もいるのだと言うことを殉教者たちがささやき、また見守っているようにも思えるのだ。

 遠藤氏がぶかぶかの洋服のような西洋のキリスト教を長い時間を掛け、彼に似合ったちょうど良い日本人の服に仕立て直したように私にも時間が必要であったし、これからも信仰へのチャレンジは続くであろう。

 祈りに祈る。

 思いに思う。

 私には分からないことが未だ多い。

 それは学ぶべきことが多いことを示す。

 それは可能性を多く含んでいることを示している。

 私は求める。

 行いとともに。

 神さまの計らいと導きには決して終わりはないことを知り始めたのだ。

 {つづく}

 
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