遠藤氏の「心の夜想曲{ノクターン}」に安岡氏と大好きな作家先生のことが書いてあった。
遠藤氏は久しぶりに会った安岡氏と大好きな作家先生の両氏と二十年前のことを思い出し懐かしがった。
その頃は「第三の新人」と呼ばれ、毎月銀座の「はせ川」で集まっていた。
この「はせ川」のことは大好きな作家先生の奥さまから聞いたことがある、いつも作家先生はそこで食べ飲みするものは同じであることなど、いろいろと伺ったことを遠藤氏のエッセイを読んで、私もその時のことを思い出し懐かしく思った。
話しを戻す、当時大好きな作家先生はアメリカ留学中、残った者たちも次々と芥川賞を取ったが、その当時芥川賞をとっても、一生食いつないでいけるような状態ではなく、文壇からは「スケールが小さい」「日常生活に密着しすぎた」「いつかは消えるだろう」と言われ、パッとしない毎日を送っていたと言う。
ある月に「はせ川」に行くと、安岡氏、吉行氏が居るだけで、その後、安岡氏はアメリカに留学中の大好きな作家先生に「第三艦隊沈没せんとす」と手紙を書いたそうだ。
彼らは沈没はしなかったのである。
だが、中には自殺をした仲間もいた。
遠藤氏と安岡氏はある人物に自殺した仲間のことを相談しに行った。
その帰り、夕暮れ、暗い気持ちで遠藤氏と安岡氏は小田急線の線路に沿って歩いていた。
「俺は書くぞ」突然安岡氏が呻くように言った。
記憶は曖昧だが、そのような意味の言葉を彼が彼自身にむかってきかせるように叫んだの覚えている、私{遠藤氏}も「うん」と答えた。
短い行間から二人の混沌とした思い、そこから這い出したい思いが滲んで来る。
遠藤氏も吉行氏も大好きな作家先生も、そして、最後に安岡氏もみんな天に召された。
そんな彼らが戦後を作家としてどう生きたのかと想いを馳せれば胸を熱くする。
安岡氏は遠藤氏の影響により、カトリックになり、その安岡氏の娘さんに私がカルカッタのマザーハウスでもらったメダイを大好きな作家先生の奥さまがおくってくれた。
小さな繋がりだが、あのお方がそうしてくださった。
そして、遠藤氏の作品を読み漁らなければ、こうしたことも私は何も知らなかったのである。
あのお方がそうしてくださったのである。
「第三艦隊は沈没しませんでした」与えられた命を精一杯生きたのです。
そして、多くの生きる種をこの世のなかに蒔いて行きました。