今日はGood Friday{聖金曜日}である。
ヨハネによる福音書を読もうと開くと、ちょうどサマリアの女のところだった。
神への「渇き」の話のところである。
私はこの聖書の場面が好きである。
それはマザーが愛した場所だからである。
マザーは1946年9月10日ダージリンに向かう列車の中で神の啓示を聞き、その後ダージリンでの八日間の黙想を終え、ロレット修道会に学校に戻った時に、このサマリアの女について、担任していたクラスにその教訓を分かち合い、黙想を指導している。
未だ誰にも神への啓示があったことを公にしていない時である。
それからもマザーはイエスの声を聞いていた。
そして、イエスの声に従うためにロレット修道会を出たのである。
イエスの渇きを潤すために。
イエスからマザーへの声。
「わたしの小さき者よ、わたしのもとに来なさい。来て、わたしを貧しい人々のところに連れて行ってください。来なさい、そしてわたしの光りとなりなさい。わたしは一人で行くことが出来ないのです。彼らはわたしを知りませんし、それゆえわたしを望んでいません。あなたは来て、彼らの中に出かけて行きなさい。あなたと一緒にわたしを連れて行ってください。どれほどわたしは、彼らのところ、彼らの暗くて不幸せな家に入りたいと望んでいることでしょう。来て、彼らのための犠牲となりなさい。あなたの犠牲の中に、あなたのわたしへの愛の中に、彼らはわたしを見るでしょう。そしてわたしを知り、わたしを望むようになるでしょう。もっと犠牲を献げなさい。もっとやさしく微笑みなさい。もっと熱心に祈りなさい。そうすればすべての困難は消え去るでしょう。」
マザーの心にわたしたちの心を今日は深く合わせましょう。