カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

Good Friday.

2013-03-29 12:44:23 | Weblog

 今日はGood Friday{聖金曜日}である。

 ヨハネによる福音書を読もうと開くと、ちょうどサマリアの女のところだった。

 神への「渇き」の話のところである。

 私はこの聖書の場面が好きである。

 それはマザーが愛した場所だからである。

 マザーは1946年9月10日ダージリンに向かう列車の中で神の啓示を聞き、その後ダージリンでの八日間の黙想を終え、ロレット修道会に学校に戻った時に、このサマリアの女について、担任していたクラスにその教訓を分かち合い、黙想を指導している。

 未だ誰にも神への啓示があったことを公にしていない時である。

 それからもマザーはイエスの声を聞いていた。

 そして、イエスの声に従うためにロレット修道会を出たのである。

 イエスの渇きを潤すために。

 
 イエスからマザーへの声。

 「わたしの小さき者よ、わたしのもとに来なさい。来て、わたしを貧しい人々のところに連れて行ってください。来なさい、そしてわたしの光りとなりなさい。わたしは一人で行くことが出来ないのです。彼らはわたしを知りませんし、それゆえわたしを望んでいません。あなたは来て、彼らの中に出かけて行きなさい。あなたと一緒にわたしを連れて行ってください。どれほどわたしは、彼らのところ、彼らの暗くて不幸せな家に入りたいと望んでいることでしょう。来て、彼らのための犠牲となりなさい。あなたの犠牲の中に、あなたのわたしへの愛の中に、彼らはわたしを見るでしょう。そしてわたしを知り、わたしを望むようになるでしょう。もっと犠牲を献げなさい。もっとやさしく微笑みなさい。もっと熱心に祈りなさい。そうすればすべての困難は消え去るでしょう。」

 マザーの心にわたしたちの心を今日は深く合わせましょう。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穏やかな散歩。

2013-03-28 12:57:29 | Weblog

 今日あんは小さな犬に吠えられ追われ、逃げ腰で尻尾を少し垂らして吠えた。

 「嫌だぁ、あの犬。なんで吠えるの?」のようなしょげた顔をしていたので、その犬と少し離れたところで立ち止まって、あんをちゃんと慰めた。

 「あん、サクラを見に行こう。今日は暖かで気持ち良いね。さぁ、元気を出して行こう」

 三沢川のサクラ並木はとっても綺麗。

 あんも私の横をちゃんと歩く良い子である。

 サクラ並木の下でコーギーに会った。

 初めて会ったその飼い主さんと柔らかい春の会話をした。

 あんは「可愛い、可愛い」と言われ、その飼い主さんに頭を撫でられた。

 暖かな陽射しもあんにとっては少し暑く感じられたらしく、あんは舌を出す。

 そのために穴澤天神社に向かう坂道ではあんは座って一休み、私も座ってウグイスの鳴き声と爽やかに吹く春風を楽しんだ。

 そこでリュックを背負ったおじさんに声を掛けられた。

 「神社ももっと先ですか?」

 「あと300メートルぐらいですよ」

 「名水はどこですか?」

 「あぁ、三沢川沿いを少し歩くとありますよ。水は沸かして飲んでくださいってあいてありますよ」

 「そうですか、ありがとう」

 あの湧き水は名水なのか、確かに毎日ペットボトルを持って汲みに来ている。

 私は一度も飲んだことがない、いつかお湯割りのお湯として飲んでみようか。

 ご利益もあるのかもしれない、なんて考えた。

 帰りはあんの大好きな石坂に会った。

 そこであんと少し座ってゆっくりとした。

 あんは普通のお座りも出来るのだが、女の子座りもする。

 これがなかなか可愛い。

 いつも石坂をクンクンペロペロしてすぐに帰ろうとするのだが、今日はあんのお尻に根っこが生えたかのように帰らない。

 石坂にカワセミを見たこと、サクラが綺麗だったこと、この時期の散歩はとっても気持ちが良いなどを話した。

 「さぁ、帰ろう。おやつ食べよう」

 ようやくあんは女の子座りからお尻に生えた根を切り、耳をピンを立て立ち上がった。

 今日は有り難い散歩であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日おめでとうございます。

2013-03-27 13:09:45 | Weblog

 先生、誕生日おめでとうございます。

 今日は三寒四温の寒で冷たい雨がサクラを濡らしています。

 昨日も私は先生のエッセイを読んでいました。

 「春は馬車に乗って」です。

 やっと私の生まれる前の年の70年の時事エッセイまで読みましたが、戦後という混沌とした時代から否応なしに雑な復興をしてきた日本が見えてきました。

 雑な復興というと言葉が過ぎますね、これは敗戦国としての必死の復興だったのでしょう。

 そのような時代を生き抜く小説家は自己のアイデンティティーと凄まじく変わっていく世の中のアイデンティティーの狭間で真実{ほんとうの私}を見つけ出そうと創作意欲をかき立て、それは自然と育てられていたのではないでしょうか。

 もちろん、そうできなかった小説家もいたでしょうが。

 私は先生の小説などを読み、それを時に羨ましく思っていました。

 ですが、こんなないものねだりは先生も嫌でしょう、「お前にはお前の時代がある」と思われるでしょう、私もそう思います、私も嫌ですが先生の時事エッセイの中でドストエフスキーの生涯に対して、先生が彼の生涯に対して作家として羨ましく思われているように書かれているのを読んで、私は何かほっとしたんです。

 先生がドストエフスキーの文章に圧倒され、「私はシベリア抑留の経験もなければ、死刑台にあがる寸前で助かったこともない」と書かれたのは正しく小説家としての一種変わった憧れのないものねだりだったでしょう。

 それでも晩年にはそんなことは考えていなかったかもしれませんね。

 私には、いや、私たちには先生が生き抜いてきたような時代の困難や貧しさ、その中にあった様々な苦悩などはありません。

 がしかし、現在も形の違った困難や貧しさはあります。

 私も大好きですが、先生も大好きなマザーテレサが言う貧しさです。

 先生の亡くなった後に出されたマザーの本などは先生もほんとうに読みたかったのだろうと思います。

 それはまたお話します。

 また近いうちに先生に先生の好きな菊正宗を持って会いに行きますね。

 少し騒がしくなりますが、どうかお許しください。

 特になんてことのないことを書いてしました、すいませんでした。

 最後に一番伝えたいことを。

 小説家でいて下さってありがとうございます。


 遠藤周作 1923年3月27日巣鴨で生まれる。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木。

2013-03-26 12:58:20 | Weblog

 最近土曜日の山谷に行く電車のなかで読む本はヘルマン・ヘッセの「庭仕事の愉しみ」である。

 もう彼の文章に圧倒されっぱなしである。

 14歳の時に神学校に入り、六ヶ月目で「詩人になれないのなら、何にもなりたくない」と言って脱走した彼はその後自殺未遂も起こしたりし、精神病院にも入っていた経歴を持つ。

 それゆへ繊細で感受性豊かな彼の表現力はずば抜けて素晴らしい。

 今日は「庭仕事の愉しみ」のなかにあった「木」というエッセイから私がとても心惹かれた箇所を載せたいと思う。

 ・・・私たちが悲しみ、もう生きるに耐えられないとき、一本の木は私たちにこう言うかもしれない。「落ち着きなさい!落ち着きなさい!私を見てごらん!生きることは容易でないとか、生きることは難しいとか、それは子供の考えだ。おまえの中の神に語らせなさい。そうすればそんな考えは沈黙する。おまえが不安になるのは、おまえの行く道が母や故郷からおまえを連れ去ると思うからだ。しかし、一歩一歩が、一日一日がおまえを新たに母の方へ導いている。故郷はそこや、あそこにあるのではない。故郷はおまえの心の中にある。ほかのどこにもない」・・・

 私はこれを読みながらマザーの言葉を連想し、胸のうちであたためた。

 「あなたの遠くにイエスを捜しに行かないように。彼は外にではなくあなたの内におられます」

 分かってもらえるでしょうか。

 感じてもらえるでしょうか。

 信じてもらえるでしょう。

 あなたを何が何でも愛しているものがあなたのうちにあることを。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌って。

2013-03-25 12:25:18 | Weblog

 土曜日曜ととても有意義な時間を過ごすことが出来た。

 山谷白髭橋ではカレーを待つおじさんたちに挨拶していくと、あるおじさんに「歌、ベリーグッド!」、またあるおじさんには「ナンバーワン!」と嬉しそうに言われた。

 山谷のコンサートでは日本語の曲を歌ったのであるが、にも関わらず、そのおじさんたちは未だにどうも私のことを日本人のように思っていない節があるのを感じて笑った。

 その夜は久しぶりにカラオケをした。

 普段まったくカラオケなどしない人たちとのカラオケだった。

 それゆえか、楽しそうに歌っている姿は私の胸を躍らせ、喜びのメロディーが鳴り響いた。

 昨日は岡さんと岡さんの友達アン・サリーさんがコンサートに招待してくれて見てきた。

 さて、何をどう表現しよう、どの言葉を選び、私が感じたことを書き出そうか。

 だが、到底思いつかず、言い表せず、解けない魔法に掛かったように喜びのメロディーだけは未だ鳴り響いている。

 駄文ながら言葉にすれば。

 ただ幸せそうに楽しそうに歌っていたアンさんの思いと喜びは春の新緑に優しく降り注ぐ雨のようにすべて生きさせるがためのように、時に陽射し差し込み小鳥のさえずりを聞く心地良さのように柔らかく優しく会場を包み込み、それは一人ひとりの何かを治癒していき、それを土産に胸あたたかに笑顔で誰もが家路に着いたことだろう。

 素敵なコンサートだった。

 それから、打ち上げにも参加して、ワインをたくさん飲んできた。

 私はやはり思うのである。

 歌って素晴らしい。

 そして、もう一つ。

 幸せな人は人を幸せにする。

 あなたも愛ある人の傍に。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝物。

2013-03-24 13:24:29 | Weblog

 「先生、宝物見つけたよ」

 穴澤天神の境内で小さな男の子がその小さな手のひらにサクラを一輪置き、一緒に来ていた保母さんに見せた。

 「うあー、可愛い!・・君!宝物だって!」

 その保母さんは何のてらいもなく、小さなサクラを宝物と思うその心の純粋さと愛らしさに感動していた。

 その男の子はきょとんとしていた。

 きっと自分の想像とは違った保母さんの喜び方に少し驚いたのだろう。

 その子にとっては小さなサクラ一輪、それはほんとうに綺麗であり、宝物であったのであろう。

 小さな男の子の頭上には宝物が満開に咲いていた。

 春はあなたにもきっと宝物を届けてくれる。

 心で見れば、それはあなたのすぐ傍にあり、微笑みかけている。

 宝物も待っている。

 「どうか私を見つけてください」と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あんとお花見。

2013-03-22 12:39:29 | Weblog

 この時期の散歩は格別である。

 一日一日と生命の誕生を喜ぶような瞬間を気付かせてくれるのである。

 夜は夜でユキヤナギはその花言葉のように愛らしく静かな思いで咲き誇っている。

 あんの自慢の尻尾も後ろから良く見れば、ユキヤナギのように愛らしい、ユキヤナギは風にゆれ、あんの進歩は歩く度にゆれている。

 夜に白は目立ち、それは静かな思いを馳せている。

 今朝は三沢川にあるサクラ並木を歩いてきた。

 暖かな春の風に微笑み返すようにしてサクラは満開、ちょっと三沢川を覗けば、コイは浅瀬を音を立てて登り、流れの穏やかなところでは亀が平泳ぎをしていた。

 川岸のあった小さなヤナギにはカワセミのつがいは綺麗な声で語り合っている、天神山からウグイスの心地良い鳴き声も聞こえてくる。

 太陽から祝福を受けながら、生命たちは春を歌い喜んでいた。

 外界のすべてから私もあんも穏やかな優しいものを内面に満たしていく。

 あんはクンクン楽しくしている。

 私は昨日読んでいた遠藤周作氏のエッセイを思い返していた。

 それは「春は馬車に乗って」と言う50年代から80年代までの新聞や文芸誌に載せた
時事エッセイ集である。

 その中で彼はため息を履くように失敗談を書いていた。

 それは彼の作中に良く出てくる九官鳥の死や犬の目などを一般の読者は遠藤氏の意向と違って読み取ることを「失敗」と書いていた。

 遠藤氏は九官鳥や犬にイエスの面影を投影していたのだが、キリスト教徒でもなければ、聖書も読んだことのない一般の読者はそれを感じずに読み通してしまうことを悔やんでいるようだった。

 だが、もちろん、それではいけないと思い立っていた65年のことである。

 そこから、また彼は試行錯誤しながら一般の読者にも通用するイエスの姿を作中に登場させていったのであろう。

 私などは実はこんな遠藤氏の思いにまるで気付かなかった。

 私は私で遠藤氏のその作中に出てくる九官鳥や犬にイエスの姿しか思い浮かばなかったからである。

 こうした遠藤氏の苦悩を知れば知るほど、また彼の作品が面白く読めると言うことである、そんな思いの新芽を私はうちから生み出し、春の風に当てていた。

 未だ楽しそうにクンクンしているあんに「あん、ホーホケキョ」と言ってみた。

 「えぇ、何、それ」と両耳を立てて、ニコッと顔をあげた。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マザーのタオル。

2013-03-21 12:54:55 | Weblog

 この前コンサートを終え、食事をしてから、私は御堂で一人少し祈った。

 マザーの修道会にはどこの御堂にもイエスの十字架の横に「I thirst」とある、この言葉を胸のうちに何度も反芻しながら祈った。

 それは感謝の祈りであった。

 私はそれをしばらく味わい、十字架のイエスに深く礼をして御堂を出た。

 キッチンにはブラザーノアスがいて、お茶を飲もうと言うので付き合った。

 すると、シスタールークの話になった。

 シスタールークはマザーが亡くなる前にマザーのケアをしていた長い間カーリーガートの院長を務めたナースのシスターである。

 シスタールークは多くのシスターたちより群を抜いて威厳高きシスターである。

 それゆえ、ブラザーであるノアスにとっても同じであり、ノアスはシスタールークは怖いと良く笑いながら言っていた。

 マザーが亡くなった後、シスタールークは年老いた母親のケアをするために母国のシンガポールに帰った。

 そこで当時シンガポールにいたノアスと一年だけだが一緒に過ごすことがあったのだ。

 シスタールークは何よりも患者を大切にする素晴らしいシスターであり、ノアスはその仕事のことで良くルークに怒られたとのことだった。

 だが、次第にルークも自分の家族のことなども話すようになると、とても優しい感じになったようである。

 そこでノアスはルークからマザーのタオルをもらった。

 ボロボロになったタオルである、マザーをはじめシスターたちは物を大切にするので、ボロボロになるまでタオルを使ったのである。

 そのマザーが実際に使っていたタオルをノアスは人にあげてしまった。

 その人はあるMCブラザーの姉でガンの末期、医者からは後半年の命を告知された女性だった。

 「泣いてばかりいるので何も出来なかったから、マザーのタオルをあげた」とノアスはしんみりとした口調で話してくれた。

 そして、それから余命半年と言われた女性はなんと6年も生きたらしい。

 マザーのタオルと彼女の日々はノアスにも分からない、それはいったいどんな日々だったのだろうか。

 その日々の奇跡の物語り、どうかあなたも物語ってください。

 苦しむ者のために大切なものを手放すノアスの優しさ、そこに生き続けるマザーの愛を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山谷のコンサート。その4。

2013-03-20 12:54:41 | Weblog

 コンサートが終わると、おじさんたちは残ったお菓子をビニールに入れて、それぞれ持って帰る。

 私はイエスがそれをすることが出来ずにおろおろしているので、彼にお菓子を詰めてあげた。

 それはマザーの口癖「You did it to me」。

 だが、それを私だけがしているのではない、イエスの前に座っていたおじさんも彼にビスケットを三枚渡していた。 

 イエスはおろおろしながら、それを受け取っていた。

 小さなことであるが、それが孤独を打ち破る愛であることに違いない。

 他のおじさんたちも私に笑顔で丁寧に挨拶してドアから出て行く。

 コンサートの演奏者や聖心のシスターたちも楽器を片付けると、ダニエルとの最後の挨拶をして帰って行った。

 それから、コンサートを聞きに来ていたおじさん三人とおばちゃん一人がMCの中を掃除してくれた。

 普段はカレーをもらう彼らだが、実に良く働いてくれていた。

 それは私にカルカッタでマーシーたちと働いていた時のことを思い出させた。

 三人のおじさんの中でその日初めて掃除を手伝ってくれた人がいた。

 不器用なのか、手順などが分からないためか、いろいろと教わりながらも一生懸命に掃除してくれた。

 彼も「You did it to me」をしていた。

 人間の本心本能の中の一つには誰かのために何かをしたいと言う思いがある。

 だが、なかなかそうできない人もいる。

 それにその人なりの勇気が必要であろう、私は彼の勇気を見れて嬉しかった。

 彼らでは義理を返すと言うことになろう。

 それが彼らの心を活き活きと復活させる糧になるだろう。

 なんと素晴らしいものを見ているのだろうと、私はほんとうに嬉しかった。

 掃除が終わり、土曜のカレーを作る準備を終え、彼らはお弁当と少しの食べ物をもらって帰っていった。

 外に出れば、春の陽気を誰もが楽しんでいた。

 二階のキッチンでは食事当番のダニエルがパスタを作っていた。

 私はまたいつかおじさんたちに歌を歌いたいと思い始めていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山谷のコンサート。その3。

2013-03-19 13:05:30 | Weblog

 冷静になった言えば、まったく嘘のまま、とりあえず、コンサートを見に行った。

 先ほど声を掛けられた聖心のシスターにまた「どうぞあそこに座ってください」と言われたので、「今日はあとでダニエルが最後なので二曲歌うつもりなんです」と言うと、笑みで返事してくれた。

 コンサートはチェロ一人、ヴァイオリン二人、フルート一人、ギター二人で行われていて、おじさんたちには前もって童謡などの歌詞を渡し、一緒に歌う形になっていた。

 おじさんたちはテーブルに座り、お茶とお菓子を食べながら、歌う人は歌い、聞く人は静かに歌われていく歌を聴いていた。

 そして、私が一番嬉しかったのはダニエルやブラザーたちがおじさんたちの間に座り、一緒にコンサートを楽しんでいたことであった。

 小さな声で間奏の間に何かを話したり、相手の肩を触れたり、分かち合いの姿のまま、彼らがおじさんたちと共にいることが何よりも嬉しかった。

 それは窓から差し込む暖かな日差しに良く合っている心の触れ合いであった。

 私も曲の間に彼らの傍に行き、彼らに触れた。

 普段のカレーの炊き出しにはないものを感じながら、私の心は暖かく満たされていった。

 マザーが言うように彼らに触れると言うことはほんとうに神さまに触れることと同じである。

 おじさんたちも普段コンサートには居ない私を見ると、ちょっと驚き、そして、喜んだ笑顔で挨拶してくれた。

 その日のコンサートの最後の曲は「365歩のマーチ」であった。

 その曲の前に聖心のシスターチアキが私がダニエルのために歌を歌いに来たことを紹介してくれた。

 喜んでばかりいた私はチューニングしたギターをケースの中に入れたままだったので少し時間が掛かったその間に末森さんが「上を向いて歩こう」を歌ってくれた。

 そして、私は「花」を歌い、「満月の夕」を歌った。

 たぶん、聞いていた人は信じてくれないかも知れないが、声が出なかった。

 昼前に発声練習やリハもなしで行き成り歌ったので、私自身は声の出て無さを感じた。

 それに二曲目の「満月の夕」を歌っている時などは口の中が緊張のあまりカラカラになっていることに気付き、曲の間に飲み物を飲まなかったことを後悔した。

 だが、それも一瞬である。

 おじさんたちがどんな顔をして歌を聞いているのか、どんな思いで今居るのか、それをしっかりと確かめるように私は彼ら一人ひとりを見詰め歌い上げていった。

 ブラザーたちや私がイエスと呼ぶ彼も来ていた。

 残念なことだが、彼は私から見て後姿のまま身動き一つせずにいた。

 私は彼の孤独の背中に向かって祈る思いで歌った。

 歌い終わるとおじさんたちの多くは笑みと共に拍手をしてくれた。

 そして、365歩のマーチが終わり、コンサートは終わった。

 おじさんたちや聖心のシスターからは「プロなの?」「ぜんぜん知らなかったよ」「歌、うまいね、また歌ってください」などなど言われ、緊張感からの解放と同じようにそれらの言葉が心地良かった。

 いつもとは違う形で彼らの心に触れたようで開け放たれた窓から入り込んでくる春風のように心地良かった。

 {つづく}
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする