カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

連鎖。

2010-11-30 11:41:39 | Weblog

 以前、ダライラマの講演に行った時に、彼に一番最初にこう言った。

 「私もあなたたちと同様に破壊心を持った者です。」

 自分はずっとこの言葉を語るダライラマの謙虚さを忘れない。

 自分のうちにも破壊心はあってしまうものである。

 だが、認めるものと認めないもの、また受け容れているものと受け容れられないでいるものとはかなりの違いがあるだろう。

 仕事場では感情的になる人の力に振り回され、周りのものはそこに自己の過去の怒りを投影し、その否定の渦に呑み込まれて怒りのうちに我を忘れ、自己と周りを破壊していく人たちがいる。

 短気は損気である。

 自分で自分を苦しめていく。

 短気な人、否定的な人はどれだけ他人に迷惑を掛けているかと言うことは知り得ない。

 なぜなら、その根底には「私は悪くない」と言う歪んだ正義の盾・心の武器を硬くない固持しているからだろう。

 それはいじめと何も変わりはしないものだろう。

 戦争の初めと何も変わりはしないものだろう。

 だが、怒りの感情のなかに居る者には決して気付けない。

 マザーの言うように自分の感情を乗り越える必要があるがそこを観ることは出来ない。

 昨日知人がこんなことを話してくれた。

 彼女は以前働いていた施設では「蹴落とし会議」なるものがあったと言う。

 信じられないことだが、そこに働いていたものは皆ベテランであったと言う。

 50代の彼女らは何かを失い、また謙虚さなどとは程遠いものになってしまっていたのだろう。

 人間は周りの環境に良いものにも悪いものにも生きるために適応し順応してしまう。

 怒りの人の傍や環境の悪いところに居れば、そこに染まってしまうだけでなく、恨みの感情も密かに蓄えてしまう。

 そこで自己を見失わず、そこから離れる勇気を持つ者は自分を救う。

 このような否定的で短気な母親を持った子たちはどんな成長をするのだろうか。

 胸を痛まずには想像すら出来ない。

 人の感情は人に移る。

 自分たちはほんとうは何を伝えたいのだろうか。

 怒りなのか。

 愛なのか。

 それを問い続けることが必要ではないだろうか。

 それに答えて行くことは大切なのではないだろうか。

 にもかかわらず、人間は容易くそれを忘れてしまいがちになる弱いものでもある。

 だから、マザーは言う。

 いつでも祈っていなさいと。

 
 自分は愛を伝えたい。

 自分は心を伝えたい。

 あなたはどうだろうか。

 愛ある人のそばにいてほしい。

 
 
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家族。

2010-11-29 12:29:39 | Weblog

 カレーを配り終え、食べ終わった容器を集めているときに、あるおばちゃんに会った。

 彼女は以前カレーを配っているそばのテントで暮らしていたが、生保を受けられるようになり、今はアパートで暮らしている。

 彼女は犬を二匹飼っていた。

 今は近くのテントに住むおじさんが面倒を看てくれてもいるが、おばちゃんがご飯をあげにいつも来ていた。

 そのおばちゃんに「調子はどう?犬は元気にしている?」と聞くと、二匹の犬のうち母親の犬が居なくなって一ヶ月経つと悲しんでいた。

 だから、子供の犬はいつも母親を探していると言う。

 人事では聞けなかった。

 聞きながら、すぐにあんのことを同化させて胸を痛めた。

 おばちゃんは「心配だよ。もう一ヶ月になるし、どこかで優しい人が育ててくれれば良いけれど、誰が連れて行っちゃったのかな。心配だよ。家族だもの。」

 「そうだよね、心配だよね。犬は家族だものね。帰ってくると良いね。」

 「うん、家族だもの。心配だよ・・・。」

 おばちゃんは「家族」と言う言葉を涙目で何度も使っていた。

 「そうか、あまり気を落とさずにね。帰ってくると良いね。」とそう言って別れた。

 あんもきっと自分がインドへ行ったあと、何日間は自分の姿を探すだろう。

 それを思うと胸が痛んでしょうがなくなる。

 だが、あんもきっとその状況に適応していくことと思う。

 その力はあんのなかにちゃんとあることも分かっている。

 にもかかわらず、胸の痛みはあり続けるものでもある。

 ここに自分が持つ問いがある。

 それに目を背けずに大切に観続けていこうと思っている。

 あんは間違えなく家族である。

 自分の帰りをほんとうに楽しみに待っている、信じて疑わないあんがいることも帰ってくる喜びになるだろう。

 同じように向こうでは生涯の別れとなる患者たちとの別れもあるだろう。

 またそこで自分は何を思うのだろうか。

 それも丁寧に観て行こう。

 おばちゃんの家族の母親犬が帰ってくることを願うばかりである。

 一日一日を愛おしく大切に生きていようと教わる日々は続いて行く。
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よく飲んだ。

2010-11-28 11:02:44 | Weblog
 昨日はよく飲んだ。

 ライオンの旅に参加したあやちゃん、このみちゃん、ちづさんと飲んだ。

 楽しすぎて飲みすぎた。

 途中からあやちゃんのミシガン大学の同級生だった友達とこのみちゃんの彼も来て、ワイワイガヤガヤ飲んだ。

 夢が覚めて気が付いたら高幡不動だった。

 久しぶりに寝過ごした。

 冬場の電車シートはあたたかく座るとすぐに寝てしまうことにノーマークだった。

 運良く地元の友達高橋が飲まず起きていて迎えに来てくれた。

 ほんとうに迷惑な男である。

 であるが、友達がいることは嬉しいことでもある。

 人は人に迷惑を掛けずに生きてはいけない。

 昨日はちづさんが言っていた。

 「私は人に迷惑を掛けないって言うのが大嫌い。だって、迷惑を掛けなくては生きてはいけない。人間は弱いですもの。」

 自分もそう思った。

 過度に人に迷惑を掛けないと思う人は、心のどこかで他人を信用しきれないところがあり、また適度に甘えることを出来ないのだろう。

 そして、それは怒りにすぐに繋がっているものである。

 エリクソンも言う。

 生きていく上で適度に人に甘えられることが必要である。

 
 家に着いたのは一時半くらいだったが、あんと散歩に行った。

 あんは喜んで散歩に出かけ、そして、一緒に寝た。
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月末の山谷。

2010-11-27 16:01:31 | Weblog

 やはり月末になるとおじさんたちは多くなる。

 今日は580個のカレーを作ったが30人ほど足らなかった。

 足らない人たちにはビスケットを配った。

 ご飯を食べたいと何人かのおじさんには言われた。

 ほんとうにそうなのだろう。

 あたたかいご飯を食べれることなど少ない日々を過ごしている彼らである。

 足らなくて申し訳ないと丁寧に謝った。

 先週カレーを配ったあとにあるおじさんにマシュマロを二箱もらった。

 それを近くにいる人たちに配った。

 カレーに間に合わずに一人の40代の男性が来た。

 彼は川崎で生保を受けていたが、それがダメになり、山谷に来たらしい。

 お金も無く路上生活をして忍んでいた。

 話を良く聞けば、自立支援を受けたいとのことだったが福祉センターでは相手にしてくれないと胸を痛めていた。

 その痛みを感じながら話した。

 「どうか諦めないで欲しい」と彼の背中に触れながら話した。

 彼は服装もきれいだったが不精髭は一週間以上伸ばしているようだった。

 その表情が彼の辛さを物語っていた。

 彼のような人は山谷に居てはいけないと思った。

 ここに慣れずにしっかり這い上がる力を持ち続けて欲しいと、彼と別れたあと、願い祈っていた。

 その彼は今日姿を見せなかった。

 どこかで自立支援を受けれるようにあってくれると嬉しいのだが・・・。

 ただ祈るばかりである。

 彼の痛みを感じながら祈るばかりである。
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かじられたコロッケ。

2010-11-26 12:56:26 | Weblog

 ライブが近くなるとやはり忙しくなる。

 昨日はあんと散歩して、それから、ビザを取りに行き、少し休んで仕事に行き、帰ってきて、雨もかなり降っていて散歩は難しいと思い、ギターを持って練習に行こうと思えば、あんは玄関で座り込み、いつものように散歩の前の追いかけっこをせず、無言の訴えを起こしていた。

 しっかり雨が降っていても、もうあんは気にせず、散歩に行くようになった。

 家の前に出て少し歩くとバイクのバックフャイヤーの「パン!」って音に驚き、「キャ、キャ、キャン!キャン!{こわ、こわ、怖い!怖い!}」もう身体をシャコタンのように低くし、家に一目散に走り出した。

 仕方なくあんを抱き上げ、大通りは抱っこして、静かな脇道まで行ってから下ろすと、また遠く逃げるように歩き出した。

 それもしばらくすると落ち着き、大きなウンチをした。

 雨も降っているから帰ろうと家の方向へリードを引くとあんは動かない。

 「まだ散歩するの!」の態度を示した。

 さっき怖かった思いをしたので、それを少し柔らかくするためにも散歩をしようと思い、あんの思いを尊重した。

 すると、愛ちゃん{雑種犬}に会った。

 あんは大喜びした。

 良かったと思った。

 愛ちゃんはあんの初めての犬の友達かも知れない。

 多摩川で行くようになって、ボールを追いかける愛ちゃんの周りを楽しそうにいつも走りまわっていた。

 愛ちゃんは子供のあんにも興味なく、にもかかわらず、嫌がりもせずに居てくれた。

 そして、愛ちゃんと一緒に水を飲むのが好きだった。

 愛ちゃんはカッパを着ていた。

 愛ちゃんのお母さんは「いっちょうらです!」と笑いながら言った。

 愛ちゃんも最初はカッパを嫌がったらしいが昨日はちゃんと着てくれたらしい。

 あんのカッパもちゃんとある。

 自分のカッパよりも高いものあるが、以前試して着させたがしょぼんとしていたので、それからは諦めていた。

 がしかし、愛ちゃんが着れるようになったのなら、もしかしたら、成長したあんも着てくれるかもしれないと言う希望が湧いた。

 雨のなかの散歩だったが、あんが喜んでくれたので、自分は嬉しかった。

 それから、うたをうたいに行った。

 やっと晩酌の時間。

 もうすでに12時になっていた。

 いつもよりもつまみは少なめにした。

 それでも、鮎の塩辛うるかがあったので豊かな晩酌になった。

 海童と小鶴くろのお湯割りを交互に飲み比べ、昨日は小鶴くろが勝った。


 今朝は雨上がりの靄があるから、紅葉している天神山の方に散歩しに行った。

 そして、帰ってきてから、あんと二度寝。

 迷子の黒柴を保護し、仕事に遅れる夢を見て慌てて起きた。

 それから、あんに「迷子になるなよ」と伝えた。

 
 だらだら書いた。

 今はいろんなものをベランダに干し、シーツなどを洗濯中である。

 ビザを取りに行くために休みにしていたのでのんびりしている。

 あんは隣で幸せそうに寝そべっている。

 散歩から帰ってきたあんは一瞬のすきを見て、テーブルの上のコロッケを一かじりした。

 たまねぎは入っていなかったコロッケだったが、それでも心配になる。

 もうほんとうに食いしん坊万歳だ。

 あんの口の届くところに置いた自分が良くなかった。

 さて、多摩川にでも久しぶりにあんを連れて行こうかな。

 あっ、ワインでも飲もうかな。
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インドビザ。

2010-11-25 13:02:09 | Weblog
 いま、茗荷谷にあるインドビザセンターに行ってきた。

 とりあえず、ビザの申請が終わり、ほっとしている。

 これでビザを自分で取りに行くのは11回目になるが、不思議なくらい緊張するものである。

 きっと一番最初のことを身体が思い出しているのだろう。

 ほんとうにどきどきしながらビザの申請に行った。

 当時はまだ武道館の隣にある大使館でビザの申請をしていた。

 武道館の前の坂道を歩くときはいつもあの大きなたまねぎをみては、あのうたを歌いながら歩いたものだった。

 その先のことを何も知らずに、未知なるインドへの不安だけが一杯あった身体を引き連れて、あの坂を上がっていった。

 その不安を少しでも落ち着かせるためにあのうたを歌っていたのだろう。

 そこにはマザーのことも何一つ知らなかった自分が歩いていた。

 それから、生まれて初めてのボランティアをすることも、そして、今や愛してやまないマザーに会うことも、それが長い時間とカルカッタでの経験を経て今日に続いていくことも想像すら出来なかったことを省みていている。

 まだ少しどきどきしている。

 明日の夕方にはビザを取りに行く。

 そこでまた確実にカルカッタへ近づいていることを実感するのだろう。

 そして、またその先にある描き切れぬ未来を神さまに委ね、祈りながら帰ってくることになるだろう。

 いまはまた胸に手をあて、この自分を受け容れていく祈りのなかにある。

 
 今朝発見した観葉植物のクワズイモの小さな葉が帰ってきたら、少し大きくなっていた。

 それをまた発見して微笑んだ。
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初来日したマザー。

2010-11-24 00:04:00 | Weblog
 1981年に初来日した際、テレビ版「心のともしび」に出演したときの映像を久しぶりに見ました。

 http://www.tomoshibi.or.jp/video/MTheresa.wax

 71歳のマザーが見れます。

 どうぞマザーを見て感じてください。

 
 マザーの言葉。

 「親切で慈しみ深くありなさい。あなたに出会った人が誰でも前よりも、もっと気持ちよく明るくなって帰るようになさい。親切があなたの表情にまなざしに、微笑みに温かく声をかける言葉に表すように。子供にも、貧しい人にも、苦しんでいる孤独な人すべてにいつも喜びにあふれた笑顔をむけなさい。世話するだけでなくあなたの心をあたえなさい。」

 マザーはとんでもないことを言う。

 自分はこのマザーの言葉が大好きだが到底出来ないでいる。

 にもかかわらず、心はそこに惹かれていく。

 相手からの評価や期待に応える演技ではなく、また愛されたいと望む依存でもなく、ただ自然にそうあれるようになれるのだろうか。

 喜びのなかにそうあれるのだろうか。

 そこへは自己認識なしにあれることはないだろう。

 マザーもそう言っている。

 祈りなしにはあれないだろう。

 マザーは常に祈っていた。

 自分が見たマザーはいつも人を明るくして帰していた。

 マザーが通った場所は笑顔の花が一瞬にして咲き誇るようにあった。

 病気で体調を崩していた自分もマザーに祝福してもらった後は、ほんとうに不思議なくらい身体が楽になり、仕事に行ったことを忘れはしない。

 だからこそ、自分の心はそこに惹かれ続けているのだろう。

 心のなかの影を丁寧に見続け見守り、あたためていくことにより、マザーの心の近くに寄り添えるようにあれるのかもしれない。

 その可能性は誰もが持っているものであろう。

 諦めることはない。

 祈ることにより、その可能性は想像を超え、自分自身をも救うものとなりえるだろう。

 心から祈ることにより。

 
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研修生。

2010-11-23 12:24:29 | Weblog
 
 大仁温泉のバイキングでは中国人の研修生がたくさん働いていた。

 大沼さんは北京語で彼女らと話していた。

 研修生の若い子もこんな場所でまた日本人が北京語で話すのを興味深く感じたのだろう、大沼さんと良く話していた。

 研修生の大体は三年間日本で働く。

 一年目は月五万円、二年目は六万、三年目は八万で働く。

 ホテルでの仕事は長く、身体的にも精神的にも辛いことだろうが、彼らにとってはそれでもビザがあり、仕事があることが良いのであろう。

 そのなかから仕送りもするらしい。

 研修生を牛耳るものたちにはすごいビジネスにもなっているのだろう。

 世のなかの憤りも感じてしまうが、それは自分だけのなかにあるものなのだろうか。

 そして、それ自体を真正面から考えることを拒否し、生きてきたことへの罪すら感じる罪悪感からのだろうか。

 また自分が生きている社会への拒否をするのではなく、また改革を望むのでもなく、矛盾する自己から外界へと融合し統合することのなかに、自分はどうあれば良いかと考えざるを得ない気がした。

 答えは分からないが大切に扱いたいと思った。

 大沼さんの北京語の発音は台湾や中国の人に褒められていた。

 親しげな笑顔で自国の言葉を話してくれる日本人がいることも何かの癒しになっているかのような笑顔を彼女らは見せていた。

 答えの一つはこのような些細であるが愛情あるふれあいのなかにあるのかもしれない。

 そう思った。

 そう感じた。

 愛こそ、愛を用いてこそ、そして、相手を思う純粋さこそ、きっと何かを越えられるものになるのではないか。

 そう思えてならない。

 そのなか笑顔は続いていった。
 

 
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月夜はおよしよ。

2010-11-22 12:27:15 | Weblog

 大仁温泉では、みんなでカラオケに行った。

 ホテルにはてっきりカラオケボックスがあるものと思いきや、スナックのような感じのカラオケ場でいろんなグループが一つのステージで順番に歌っていた。

 最初は歌う順番がぜんぜん来ず、ずっと待っていて眠気もあり、どうなることかと思っていたが、これがどうしてなかなか面白い時間になった。

 カラオケ場にはバイキングの時に仲良くなった台湾と中国の女性の三人グループも来ていた。

 大沼さんは北京語を話すことが出来、スーザンも台湾に一年間居たことがあるのでまた北京語を話せた。

 クロードアンヌも息子が今北京の大学にいるので北京語を勉強していたのですぐにみんな仲良くなっていた。

 まず自分が大沼さんのリクエストの花を歌った。

 なかなか来ていた皆さんに好評だったが、カラオケの点数76と低かったので来ていた人たちはみんなカラオケの機械に向かってブーイングをしていた。

 次にスーザンがスーザンボイルの歌を歌った。

 スーザンがゴスペルをいつも歌っているので素晴らしい歌声だった。

 そこにいたお客さんは皆かなり高齢の方たちがいたがとても喜んでいた。

 時間はすでに11時をまわっていたので、あるグループが帰ろうとすると、そのグループに大沼さんや広瀬さんが声を掛けた。

 「フランス人が歌う「悪女」を聞いた方が良いですよ。もう聞けないですよ!」

 ほんとうにそうかもしれなかった。

 なかなかフランス人女性の歌う中島みゆきの「悪女」は普段聞けないだろう。

 声を掛けられた人たちはまた席に戻った、なかには「聞きたい」と言う人もいた。

 自分もほんとうに久しぶりに「悪女」を聞いた。

 「まりこの部屋へ電話を掛けて~」から始まる歌詞を一緒に歌った。

 カラオケは12時までだったので他のグループは徐々に帰っていったが、皆笑顔で挨拶を交わし部屋を出て行った。

 お腹も一杯、お酒も程よく入っていて、かなり眠気もあったものの、歌っているうちに、それらはどっかに飛んでいった。

 不思議と「悪女」の歌詞の「悪女になるなら、月夜はおよしよ。素直になりすぎる~」が耳から離れなかった。

 夜空にはきれいなお月さまがあった。

 その月夜のお月さまがあった。

 それから、また部屋でオヤジたちは晩餐会を続けた。
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月夜。

2010-11-21 22:16:23 | Weblog

 伊豆から帰って来ると、まだ寝ていなかったあんが大喜びで迎えてくれた。

 ずっと自分の足元から離れようとせず、ちょこちょこをついて歩き回っていた。

 その姿は可愛くてしょうがない。

 今日であんがうちに来てちょうど一年になる。

 ぬいぐるみのように小さく可愛かったあんも、あのときの4倍ぐらいの大きさになり、元気に成長してくれた。

 初めて会ったあんの可愛さにすべて奪われたことは生涯忘れることはないだろう。

 すぐに散歩に行った。

 雲間に現れる月夜がとってもきれいだった。

 今日は満月かな。

 それも嬉しかった。

 あんと出会えた記念日、お月さまも祝福してくれているようだった。

 今日はあんと一緒に寝よう。

 最近あんは自分の足元のモーフの上で寝ていることがある。

 あんがモーフに乗ると自分は寝相をあまり変えることを我慢する。

 そんなことをしている自分も何か楽しい感じがしてならない。

 伊豆で買ってきた鮎のはらわたの塩辛うるかも絶品だった。

 伊豆での楽しい思い出とあんとの思い出が味を深くする。

 今夜は良い夢を見よう。

 雲間に隠れたお月さまも目を閉じれば、美しく現れてくれるだろう。

 
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