カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

アピア40の無観客ライブ。

2020-05-28 11:27:12 | Weblog

 https://t.livepocket.jp/e/apia0611

 上記のアドレスは私の6月11日{木}のライブのお知らせである。

 アピアはこの5月でミチロウさんの一周忌、そして50周年を迎えた。

 しかし、コロナの影響で、ライブハウスは大打撃を受け、アピアでは特別に用意していたライブも多くがキャンセルになり、行ったライブはすべて無観客・生配信ライブとなった。

 自粛を守り、アピアの6月のライブもすべて無観客・生配信で行われる。

 どこのライブハウスも経営はとても厳しい状態であろう。

 アピアの店長のレイ君も相当悩んであろう。

 私は何も出来ないが、ただ有り難く歌わせてもらおう。

 この機会である、ネット生配信であるから、遠くにいる人にも私のライブを見てもらうことが出来る。

 私の出番は21時くらいからである。

 良かったら「投げ銭」をしてくれれば良いが、もちろん、ただ見てくれるだけでも良い。

 私の最初で最後になるかも知れない無観客・生配信ライブである。

 良かったら見てください。

 
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ガンガーへ。その6。

2020-05-25 11:27:45 | Weblog
 
 私の傍にいたれい子ちゃんも疲れ切っていた。

 私はれい子ちゃんに「何か冷たいものでも飲もう」と言って立ち上がり、彼の近くに行った。

 「あと、どのくらい待たなくはならない?時間はどのくらいある?」

 「遺体が一つあるから、まだ一時間以上はある」

 「だったら、何か飲みに行こう。何か少し食べに行こう。時間はあるんだから、飲み物でも飲みに行こう」
 
 私は落ち着きを持って笑顔で彼に話しかけた。

 すると、彼の不貞腐れた顔がだんだんと笑顔になってきた。

 お互いの間の空気が晴れたように和らいでいった。
 
 れい子ちゃんは笑顔で彼に握手を求めるように手を差し出した。
 
 彼も手を差し出し、握手をした。
 
 れい子ちゃんはその繋がった手を離そうとせず、彼を飲み物を飲みに行かせようと立ち上がらせた。
 
 ほんの少しことで私たちの心はほんとうに和らいだ。

 私はそのとき「れい子ちゃん、Good Job!」 心のなかで思っていた。

 三人の間の空気が軽くなり、すると、疲れも少し取れた気がした。

 ほんとうに些細なことで私たちは相手を誤解したり、見下したりしてしまい、心の平穏をなくしてしまう。

 それがいかに大切なそのときですら、簡単にしてしまうことがある。
 
 私たちが簡単に他者を誤解するように、他者からも誤解を受けることもありえる。

 そのとき、自身をどうあるか、どういう態度であるか、が問われるのである。

 そして、そこには無理やりに自分の心を押し殺して、行動するのでは決してない。

 内省し、深く反省し、心が満足・納得してから、行動に移すことが望まれる。
 
 自己の弱さ、醜さをも受け容れる勇気が必要であり、そこから謙虚さ・愛が生まれる。

 それはありのままのあなたから愛が生まれてくるということ、あなたの、あなたらしい、愛が生まれてくるということ、その可能性は誰へが持ち合わせているものである。

 過ちや失敗は、私たちにとって、無下にするものではなく、大切にすべきものであり、必要なものである。

 それがなければ、心の成長、豊かな愛をどうして生み出して行けるだろうか?

 学びえるものから学べるような姿勢と柔軟さを育てること、日々、問われ、問いかけられているのだろう。

 私は私を彼から教わった。

 
 彼はその場を離れることはなかった。

 彼にはきっと義務があり、その場を離れられなかったのだろう。

 ただもう彼は穏やかになっていた。

 サラにも、彼と私たちが変わった関係、穏やかな感情になったことを見せてあげたかった。

 患者を亡くし、なおかつ、困惑・混沌としたまま帰宅させるようなことよりは、何かをもっと納得し、必ず愛があるということを感じてから、その場を離れるようにしてあげたかった。

 明日、ちゃんと話しをしようと、そのとき、ずっと考えていた。

 れい子ちゃんには、そのことも伝え、そして、カルカッタで、マザーはどのように患者たちを見送ってきたのかを話し合った。
 
 死、そして、その過程、そのあと、どんな思いで、彼女は天に召された人たちを見送ってきたかをマザーの思いに、私たちの心を寄せてみた。

 私たちがケアしていった患者たちがどのように天国に旅立つかを知っていることの必要性も話した。

 私たちがしているのことの繋がりを強く知ることにより、ほんとうに小さな些細なことにも愛を持って接することが出来るようになるのではないかと私は思う。

 患者に一杯の水を持っていくこと、患者と手をつなぐこと、治療をすること、洗濯をすること、掃除をすること・・・、一つひとつの小さな行いが愛であるということを感じ判り、知っていくことが大切である。

 彼女が焼かれるまでの間、今ここにいることの意味を話し合った。

 彼女は焼かれる番がきた。
 
 ほんの3時間ほど前まで息をしていた彼女が焼かれるそのことをどう理解すればいいか、時間が必要であり、確かな答えはないだろう。

 しかし、そのときの感覚は忘れないようにしておきたい。

 焼かれた後、彼女はガンガー{フーグリーもガンガーの支流であるから、インド人はガンガーと呼ぶ}に流される。

 瞬間に開けれた火の光が次の世界への道のように見えた。

 ここではない世界へ旅立つことを意味しているように感じた。

 ほんの数時間前には彼女は息をしていた。

 その彼女が、違う世界に行ってしまっていることを否応なしに認めるように誰かに言われているような気もした。

 そして、そのとき、私はそれを恐れていることも感じていた。

 ほんとうにお別れだと誰かに言われている気がした。

 だが、このお別れがすべてではない、受け継ぐものは受け継ぎ、命は形を変えていき、魂は残るものである、それに関わった私たちのうちに。

 私たちの仕事は終わった。
 
 彼と三人でチャイを飲み、別れた。

 精神と身体はほんとうに疲れきっていたが、今日この日、このことを知る必要が私にあったことは疑う余地はなかった。
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ガンガーへ。その5。

2020-05-18 11:14:04 | Weblog
 
 シュシュババンのドライバーは仕事があり、戻らなくてはならなかった。

 もちろん、それは当たり前のことであった。

 私たちが急遽、彼を呼び出したのだ。

 彼は私とマーシーとのもめ事を目の前にして、この場から離れるのを少し申し訳なさそうにしていた。

 私は彼に「心配しなくて良いから。あとはサラをマザーハウス{サラはマザーハウスの前のゲストハウスに住んでいた}まで乗せていってほしい」と伝えた。
 
 サラには私が残るから大丈夫だと伝えた。

 ほんの数時間前に、患者を目の前で失い、その後、ほんとうに精神的にも疲れているだろう彼女にこれ以上を重い気持ちにさせたくはなかった。

 申し訳なかったが、れい子ちゃんには私と一緒に残ってもらった。

 そして、マーシーに私は私たちがここに残ることを伝え、彼とは少し離れたところで座った。
 
 火葬場は重い空気がずっと漂っていた。

 私の心の中にも重い空気が漂っていた。

 私は判っていた。
 
 なぜ、怒ったのか、感情的になったのか、それを認めるのに少し時間が必要だった。
 
 彼が私に言ったことはほんとうだった。
 
 「あなたたちは死体を運んで来て、ハイ、さようならでハッピーだろうけど、あとの仕事はどうする?...」
 
 私はほんとうにそう思っていた。

 もう面倒なことはこれ以上したくないと思っていた。

 この影の感情を乗り越えることが出来ずに、彼の怒りに反射するように未熟な私は怒りとして、それを表に現してしまった。

 その弱い自分を認めることがただ出来なかった。
 
 精神も身体も疲れ切っていたのは事実だったが、怒りでは何の解決にもならない。

 怒りを伝染させて嬉しいことがあるだろうか、愛を伝染させることがしたいと思っていたにも関わらず、それが出来なかった。

 出来ないことも認められなかった。

 何度も祈るように思い返さなくてはならない、この私の弱さ、思いやりのなさ、愛のなさ、影の意味、そして、周りに与える影響を。
 
 何を私は他者に与えたいのか?

 何度でも問う必要があった。

 それは愛である。
 
 マザー・テレサは「あなたは神に愛されている」そのことを伝えることのみのために働いたと言っても良いだろう。
 
 私にその瞬間にあった感情は、このかけらもない。

 反射的に怒りを怒りで返してしまっていただけだった。
 
 私の嫌らしい感情を見つけられ、それに反応しただけであった。

 弱さも認めることも出来ず、その自己の感情を乗り越えることも出来ず、相手を思いやることなど、到底出来ていなかった。

 彼も昼食の時間に遺体を火葬場に運ぶ仕事などしたくないと思うのは当たり前だった。

 そして、一人ではどうにもならない仕事がだった。

 彼を思いやる心がなかった。

 そして、自己を正当化するのみの心で怒りを表し、思うようにならないことを無理やりに思う通りにしようとしていた。

 ほんとうに情けなかった。

 彼が悪いのではない、この私に愛が無かっただけだった。

 この私が心の落ち着きを無くしていただけだった。

 この私が楽な方へ逃げるために勝手に考え、その思い込みを捨てることが出来なかっただけだった。
 
 私はその場を立って、彼に近づいていった。

 「つづく」
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満月の夜に。

2020-05-09 18:55:35 | Weblog

 その夜、最期の一杯をベランダに出て、満月を眺めながらゆっくりと楽しんでいた。

 数人の友達に「元気でいるかい?とても綺麗な満月だね」と無事を願い、祈りを込めてメールした。

 次の日、昨夜メールを送った、現在コルカタにいる友人から返信があった。

 「ハレルヤ!ちょうど昨日、素晴らしいことがありました」と。

 彼いわく、少し前から、私のゴットファーザーである、ステーションワークをし切っているジムが入院の手配を進めていた路上の患者が、昨夜遅くにアイルランドのNGOの病院に無事に入院出来たとのことだった。

 写真を載せるかを迷ったが、上記の写真が無事に入院出来た患者である。

 この患者をピックアップする前に患者の確認が必要だったらしく、私の友人は朝にシアルダー近くの路上にいる患者に会いに行った。

 患者は精神障害者であり、数日前にタクシーに轢かれ、臀部を骨折していた。

 動けないはずの患者が友人が見に行った時、何故かは分からないが道路の真ん中にある生垣にもたれ、足を延ばしていた。

 またいつ車に足を轢かれてもおかしくない状態だった。

 一人でその場に行った友人はその光景を目にし、少しパニックになった。

 患者を急いで安全な場所に移動させなくはならなかったが、骨折している患者を一人で運ぶのは不可能だった。

 友人は近くでその状況を見ていたインド人に助けを求めたが断られてしまった。

 友人は絶望した。

 もう患者を救うことが出来ないのではないかと嘆いた、その時だった。

 友人の脳裏に祈ると言うアイデアが浮かんだ。

 友人は目をつむり、必死に祈った。

 祈り終えて、後ろを振り向くと、見るからに親切そうなインド人がいた。

 その彼は進んで手助けをしてくれ、無事に患者を安全な場所に移動させることが出来たとのことだった。

 友人は改めて「祈ること」の大切さを学んだと、神さまから素晴らしい贈り物を頂いたと、心の底から喜んでいた。

 患者は精神障害者であった。

 「助けて」と声に出すことが出来なかった。

 そのままであれば、数日後には間違えなく死んでいただろう。

 いま世界中、厳しい状況下のなか、「助けて」と声に出すことが出来ない人がいるだろう。

 その「声なき声」に気付けるように祈りたい。

 そして、私たちの内に在る痛みのなかにある微細な「声なき声」にも気付けるように祈りたい。

 祈っても何も変わらないかも知れない、にもかかわらず、私は祈らずにはいられない。

 大切な想いは誰かと必ず繋がっているのであるから。
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