カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

患者のいないベッドの前で。

2017-03-31 17:25:52 | Weblog
今日はティックラを病院の訪問に連れて行った。
今日も三体の遺体があった。
その一人は右足の膝から下を切断していた老人だった。
彼は私に良くこう言っていた。
「私は良くなりますか?」
私はいつも「良くなります」と答えていた。
実際、少しだけは、ほんの少しだけは、良くなっていた。
だが、いつも誰も傍にいなく、仙骨部、踵には褥瘡があり、それは何の治療もされていない事を知っていた。
私が傍に行くと、微笑むのも苦しいのであろうが、ゆっくりと顔を動かし、笑みを作っていた事が忘れられない。
彼が運ばれて行くのを見た後、彼のベッドを見ると、仙骨部の褥瘡から出たであろう、黒い浸出液がビニールシートに溜まっていた。
私はその前で祈った。
私の瞳に涙が溜まって行くのが分ったが、どうにも出来なかった。
私は彼に何をして来たのだろうか、私の祈りは上辺だけではなかったのか、嘘を付いてきたのではないのか、問い続けた。

シアルダーでは一人の老人の身体をアイミイとマッセンシアが洗い、彼のケアをし、私とイネス、ベッティー、ティックラはホープの病院に行き、院長に会い、私の引き継ぎとして、ベッティーとティックラを紹介した。
そこで先週の水曜日にプレンダンからホープの病院に入院した女性の事を院長に聞くと、次の日に亡くなったとの事だった。
この患者は私とイネス、マッセンシアが私の誕生日にプレンダンに運んだ患者であった。
私はまた患者がすでに亡くなった事、患者の友達に伝えなければならない。
この女性患者を心配していた人たちは一人二人ではない、明日、私は彼女の死を皆に伝えなければならない。
この事が身体をかなり重くしている。
ゆっくりとアドレーションで祈りたい、祈る事なしには辛すぎる。
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シスタールーツの甥っ子。

2017-03-30 22:16:18 | Weblog
アドレーションに午後の門番のシスタールーツの甥っ子の家族が来ていた。
シスタールーツは甥っ子の家族と一緒にボランティアの所に椅子を持って来て祈っていた。
時に甥っ子の娘(二歳くらい)をあやしながら祈っていた。
アドレーションのあと、その甥っ子の娘を嬉しそうに抱きながら、マザーハウスの門の外にいるボランティアたちに会いに来た。
シスタールーツは長くいるボランティアの名前はほとんど知っている、それだけフレンドリーなシスターで、とても愛嬌もあり、ボランティアからとても好かれている。 
ミサの聖体拝領ではシスタールーツが一番最初にもらい、二番目がマザーのお墓の管理をしているシスター、三番目が私の姉のシスターカリーナである。
昨夜シスタールーツの甥っ子が来る事を知りながら、ボランティアが終わらず、マザーハウスのアドレーションに間に合わなかったケンは、今夜シスタールーツの甥っ子に会えて、ほんとうに嬉しがっていた。
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マザーのお墓の管理。

2017-03-30 17:44:00 | Weblog
今日は朝のミサの帰り道にケンがカーリーガートのシスターから聞いた話しを教えてくれた。
マザーハウスのマザーのお墓の管理をしているメガネを掛けたシスターは随分長い間、その仕事をし続けている。
彼女は以前もう死にそうなくらいな病気になったが、マザーのお墓の管理をするようになり、それから一度も病気にならないようになったとの事だった。
これはほんとうの話しである、しかしシスタークリスティーからも、もう少し詳しく話しを聞こうと思う。

今日もあっという間にもうすぐアドレーションに行く時間である。
今もケンが私の部屋のドアをノックして、アドレーションに行くか、と聞いてきた。
こうした事もあと少しで終わってしまい、また日本に帰れば夢のような事になってしまう。
しかしすべては記憶され、それはいつか忘れてしまうかも知れないが、私の内のどこかには残り続ける。

今日もいつもの木曜日と同じように部屋、トイレを掃除した。
来週の火曜日にはここを出るので、もう掃除はしなくても良いとも考えたが、この部屋で過ごした三ヶ月間の部屋への感謝を思い、いつもの木曜日と同じように部屋を掃除した。

もう日中は体感温度四十度とグーグルの天気予報は語っている。
皮膚が赤くなる所が出て来た、これが全身に広がり、もう二十年前になるが入院した。
一日に何度もシャワーを浴び、ケアをしている。
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最後のオリエンテーションも終わった。

2017-03-29 19:42:25 | Weblog
昨日は駅の後で、私とイネス、ベッティー、マッセンシアでセントジョン教会に行った。
私はMCの観想会のカウンセラーのシスターラファエルに午後に会うアポイントを日本人のシスターモニカテレーズに伝えてもらった。
ベッティーはメキシコ人シスターに土曜日の午後に会うアポイントを取り、私たちは墓地に眠るMCシスターたちのお墓参りをして帰って来た。
午後三時約束の時間に行くと、シスターモニカテレーズが申し訳なさそうな顔でシスターラファエルがカウンセラーのミーティングに入ってしまい、いつ終わるか、分からないけど、私で良ければ話しをしましょうとの事で彼女といろいろと話しをした。
彼女はもともとボランティアをしていた、その当時から知っていた。
彼女との会話も盛り上がり、一時間近く話し合い、シスターラファエルが来た。
シスターラファエルとは三年前とあまり変わらない話しをした。
しかしマザーとシスターニルマラの人間性の違いの話しは興味深かった。
シスターニルマラもカリスマ性があり、人徳のある特別なシスターだったとシスターラファエルは言っていた。
弁護士でもあるシスターニルマラはいろいろ事を知っていて、また柔和であり、そして強い心、信仰心も持っていたと言っていた。

夜はすみ子さんと食事をした。

今朝はタダさんを病院の訪問に連れて行った。
毎日違う人を連れて行く事は決して良い事ではないが、タダさんは良い笑顔を持ち、患者たちと接していて、それにも癒やされた。

駅は穏やかだったが、私たちが帰ろうとしていると、タクシーに乗って痩せ細った患者が、家族らしき人たちと来た。 
シスターから話しを聞くと、HIV患者との事だった。
家族ケースなので、タングラのブラザーは引き受けないだろうと言っていた。
何もせず、私たちはその場を去った。
骸骨のような身体で目だけが浮き出ていた男性患者だった。
もう間もなく亡くなるだろう。
胸が痛かった、どうしようもなく、痛かった。

シュシュババンで最後のオリエンテーションをした。
終わってから子供たちに会いに行った。
フランス人のボランティアが二人居るだけだった。
彼女たちも今日が最後のボランティアだった。
子供たちとの別れが辛そうだった。

シュシュババンでシャンティダンの院長のシスターポリタに会った。
「アマル スピリア」(私の院長)と言うと、付き添いのシスターが笑っていた。

プレンダンのアンビランスがあったので、マザーに行くと、聞くと、これから行くとの事で、オリエンテーションに来ていた日本人の男の子も乗せ、マザーハウスに行った。

そして私の今日の行いをマザーに報告し、どうか祈って下さいと、私はマザーに祈り、マザーハウスを離れた。

今日マッセンシアは下痢と嘔吐で駅を休んだ。
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ベッティーの歌。

2017-03-29 19:05:53 | Weblog
昨日はベッティーを病院に連れて行った。
最初に連れて行った時から、ベッティーは病院の訪問が好きな事が私にも分かった。
しかし前日マッセンシアを連れて行った時と同じように三体の遺体があった。
やはり二十一歳のベッティーにしてはかなり心に重い物を感じたようだった。
駅のフロントを回る前に、私が立ち止まってタバコを吸うと、ベッティーは歌を歌い出した、その歌が祈りである事は十分私には分かった。
タバコを吸い終わり、少し歩き出してから、私はベッティーに言った、歌う事は祈りの二倍だね、と言うと、愛らしい優しい微笑みを浮かべた。
ベッティーは歌い祈る事で、痛みを癒やしている事、死者を憐れんでいる事が分かった。 
しかし駅の構内に入る所に一体の遺体があった。
私と一緒に彼女は祈った。
私は遺体があった場合に、私たちが出来る事をベッティーに教えた。
これで終わらなかった。
もう一体、駅の死体安置所に運ばれて行くビニール包まれ、竹で二人の男性に担がれて行く遺体にあった。
私は集合時間まで、まだ時間があったので、ベッティーにコーヒーを飲もうと言い、二人でコーヒーを飲みながら、駅の構内を行き交う人並みを眺めた。
集合場所に行くと、まだ誰も来ていなかった。
ベッティーはまた歌を歌い出した、優しい綺麗な声で、雑踏の中でも、私にも聴こえるような声で歌っていた。

ベッティーはメキシコでも、Come and Seeをしている、彼女はいつかほんとうにMCシスターになるかも知れない。
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モナの事。

2017-03-29 18:36:55 | Weblog
モナはサダルストリートの物乞い、と言うか、もう物乞いを引退した感じのある女性。
彼女とは1995年からの知り合いで、私と同い年である。
彼女の子供もすべて会っている。
もうみんな結婚して子供もいる、そんな事を知る度にずいぶん昔からここに来ているんだと改めて感じる。
今日はたまたまサダルストリートで会ったので昼食をおごった。
今回の滞在では二回目である。
別に何の気兼ねもなく、また私の内にある寂しさをも癒やしてくれる感じさえある。
今ティルパティはオーナーの体調が良くなく、代わりにスペインに五年居たと言うインド人男性がスペイン料理を出している。
とは言っても、やはりインディアンスパニッシュ料理である。
彼女にトマトパスタを食べるか、と聞くと、食べると言うので、注文したが、彼女の人生の中で初めてパスタになった。
ボチボチ食べていたが、やはりカリーの方が良さそうだった。
私たちの前を通る物乞いたちは、彼女の食べるパスタを見て、それは何なの、と皆聞いて行き、食べるのさえ断った物乞いも居たが、少し食べて、まあまあと言って行く者も居た。
私は食べ慣れない物を食べている彼女を見て、少し面白がっていた。
実は彼女は子供を一人MCに預け、養子縁組をしている。
その理由は育てられないのか、何なのかは分からない、それに私にはその事を言わない、それ故、私もその事は彼女に聞かないでいる。
もうたぶん十五年以上の前の事であろう、私が毎日訪問する病院で子供を産み、退院と同時に私のゴッドマザーのジョアンとともにブラザーの施設チタガールに赤ちゃんを連れて行ったとジョアンから聞いた。
その当時、チタガールではインド国内の養子縁組をしていた。
彼女が海外ではなく、インド国内の養子縁組を望んだと事だった。
産んだ子供が同じ国内にいる事を望むと言う、彼女の愛だったのかも知れない。
私が歳を取ったようにモナも歳を取り、今では薬なしでは生きられなくなっている。
だが、たくさんいたサダルストリートの中で私は何となく彼女とは気が合う気がしていた。
95年に会ってから、ずっと、そう思っていた。
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最後の一週間。

2017-03-27 18:20:17 | Weblog
最後の一週間が始まった。
やり残しがないように、今からいろいろとスケジュールを決めて行かないと行けない。
明日は観想会のシスターラファエルに午前中に会い、午後に会う時間を決める。
夕方はすみ子さんとタダさんと食事をする。
ホープの病院にベッティーとティックラを連れて行き、院長に紹介しなくてはならない。
シャンティダンの院長のシスターポリタにも会わなくてはならない、またもちろんシスターベネディクトにも、そしてHIV患者のプジャーにもサヨナラを言いたい。
プレンダンのシスターたちにも挨拶しに行きたい。
シュシュババンのオリエンテーションは今日シスターたちに水曜日で最後にすると伝えた。
三ヶ月はほんとうにあっという間に過ぎて行った。

私はほんとうに神さまのために美しい事が出来たのだろうか、出会う人たちに最良の事をして来たのだろうか。
私は分かっている、それは出来なかった。
出来なかったが、そうしようと常に祈って来た。
しかし今回もほんとうに楽しいカルカッタだった。
もちろん非常な、不条理なものもたくさん見てきた。
しかしそれだけではなかった、愛もたくさん見てきた。
私はこの街で普通に生きて来た、不思議なくらい普通に生きて来た。
マザーハウスは私の家のようにあり、いつも愛と笑みに溢れていた。
もう少しマザーとゆっくりと話しをしよう。

今朝病院では三人亡くなっていた。
久しぶりにマッセンシアを連れて行ったが、終わった後、緊張が解け、ショックを隠せないでいた。
ティックラがどうも無口だと思ったら、下痢で漏らしそうだったと山を超えてから、笑って言った。

プスゥポは昨日シュシュババンから路上に戻った。
心配は心配だが、一週間で二キロ増え、十五キロになって、シスターローズクレアは大丈夫だらうとさっきシュシュババンで言ってくれた。
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ベッティーの事。

2017-03-26 15:53:16 | Weblog
今朝もまだまだいろいろと駅の仕事について話し合わなければ行けなかった。
水曜日にカーリーガートに運んだ患者は金曜日の夜に亡くなった。

タダさんは下痢と発熱のため、昨夜入院した。
今日は何事もなく駅は終わったので、イネスとマッセンシアはタダさんの見舞いに行った。
私はベッティーをセントジョン教会に連れて行き、MCの観想会のシスターラファエルに会わせた。
ベッティーはメキシコ人の観想会のシスターに会いたかったようで、観想会の日々のスケジュールをシスターラファエルから教えてもらった。
シスターバーバラにも会えた。
ベッティーにはMCのお墓に眠るシスターたちの事をお墓参りをしながら話した。
ベッティーはMCのCome and Seeを経験したいとの事だった。
もしかするとベッティーはいつかMCシスターになるかも知れない。
私はシスターラファエルと話すアポイントを火曜日の午後に取った。

一番最後まで残るベッティーにはほんとうにいろいろと教えてあげなければならない。
ベッティーもこのまま続けられるか、心配していた。
もし私がベッティーだったら、私も不安でしょうがないと、ベッティーに言うと、ニコッと微笑んでいた。

今日はこれから日本人のシェアリング、シスタークリスティーの話しを聞きに行く。
これも後二回になってしまった。
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ダニエルのミサ。

2017-03-25 17:49:28 | Weblog
今朝のマザーハウスのミサは、なんとダニエルが司祭だった。
タングラで最終誓願のブラザーたちを教えている司祭の姿が見えたので、もしかしてダニエルがいるのではないかと思い、侍者二人の後、フレンチの司祭、その後にダニエルの姿が見えた。
私はほんとうに嬉しくて、ダニエルを満面の笑みで見続けた。
これがダニエルのマザーハウスの二階での初めてミサだった。
少しだけ緊張しているようにも見えたが、それよりもダニエルは喜びに満ちていた。
ピィースディであり、ブラザーの会の創立記念日であったので、ミサは長く、七時半くらいまでになった。 
ミサの後のいつもの祈りを終えると、私はすぐに司祭の部屋に行った。
ちょうど総長のシスタープリマがいて「司祭は、あなたの兄弟ですってね。私は(ミサの時)あなたのビッグスマイルを見ましたよ。どうぞ兄弟と一緒に朝食をどうぞ」と言ってくれた。

その後、私のゴッドファーザーであるジムを紹介した。

喜びに溢れた朝だった。
念願だったダニエルのマザーハウスでのミサに出れた事がほんとうに嬉しかった。

病院にはイネスと行き、一人の女性患者をシュシュババンに運び、マッセンシアとベッティーが身体を洗った。

身体は疲れ切っていた、午後三時間寝た。
これで少し復活してくれると良いのだが。
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プスゥポの涙。

2017-03-24 19:35:34 | Weblog
今朝の病院は物凄い患者の数だった、足の踏み場もないくらいにベッドが部屋に並んでいた。
微笑むイエスに似た患者は退院していた、もう病院では何もする事が出来ないので退院になったように思う。
彼の身体は骨だけだった。

今朝もマザーハウスではシスターメルシーマリアがステーションボランティアに注意事項を話した。
シスタープリマからシスターたちに話された事も教えてくれた。

私はもう少し細かく最初の集合場所で話しをし、私の考えも話した。
それから、今朝はティックラとフロントを回った。
私は一人の老人の足の簡単な治療をした。
ティックラは集まってくるインド人たちに、どうも慣れず、とても嫌がっていた。
しかし、治療が終わった後にティックラに言った。
患者だけを見ていれば良い、もし怒りの感情があるのであれば、その時は愛を無くしている、愛を無くしては行けないと言うと、もちろんとティックラは答え、その後、何も話さなかった。
まず集まるインド人を嫌がるティックラの心を受け止めなくてはならなかったのか、と思ったが、仕方がなかった。
こうも言った、集まるインド人を嫌がる気持ちが生まれたら、マザーの事を思うと良い、マザーも同じような事に何度も合ってきた、マザーを思えば、必ず良くなるからと。

ディスペンサーではシスターとワーカーのピーター、カマルを交えてミーティングをした。

マッセンシア、ベッティーとシャンティダンに行き、シスターベネディクトに会い、いろいろと話した。
やはり彼女はほんとうに特別な素晴らしいシスターである。
私は日本人のオリエンテーションでは彼女の所でボランティアをし、彼女の働く姿を見ると良いと、機会がある度、話している。

それからタングラに行き、ダニエルに会い、昼食を一緒に食べ、プジャーに会って帰って来た。

シエスタする時間もなく、シュシュババンに行き、日本人のオリエンテーションをして、プスゥポに会いに行った。
プスゥポは涙を瞳にためていた。
私が傍に行き、話し掛けると、涙は小さな瞳からこぼれ落ち始めた。
いくら話してもプスゥポは笑顔を見せなかった。
仕方なく、手を繋ぎ、シュシュババンの公園内を歩いた。
その場を離れなければ行けなかったが、プスゥポはどこまで私に付いてきた。
ワーカーの傍にも、シスターの傍にも行こうとはしなかった。
ただ私に親の所に連れて行って言っていた。
シスターからは「あなたはここに来ない方が良い」と言われた。
私も納得した、私の姿を見れば、プスゥポは親のもとに帰りたいと思ってしまう、それが良く分かった。
プスゥポや子供たちにも会いたいが、しばらく我慢しなくてはならない。
私が離れ、その間にシスターやワーカーが入ると、プスゥポは地べたに仰向けになって、大声で泣き叫んだ。
私も泣きそうになった。
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