カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

出発です。

2009-03-21 10:21:28 | Weblog

 いつもエアーインディアで行っていたので、この時間までゆっくりとしていることはなかった。

 タイ航空で行くから、のんびりと朝食もとれたし、頭をしっかりと丸めることが出来た。

 余裕を持って出かけられる。

 向こうではブログを今回は更新できるかどうかはまだ分からないが、いずれにしろ、自分が感じたものは言葉にしていくつもりである。

 短い滞在になるが、心はそれに囚われないように深く静かに祈りのなかに落ち着かせてありたい。

 あとは笑顔で働いてくる。

 今日も桜のつぼみは、その大きさを増し、姿を変え、花咲く喜びに満ちている。

 その満ちた想いを心に移しながら、今を喜ぶ。

 気を付けて行って来ます。
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パッキング終了。

2009-03-20 19:18:25 | Weblog

 パッキングも無事終えた。
 随分、少ない感じだった。

 気が付いたら下着を入れていなかった。それでも、いつもよりはかなり痩せたバッグが出来上がった。

 今回は何があるのだろう。何があるのか分からないけど、それをありのまま受け容れることを試みる日々が用意されているだろう。

 ゆっくりと祈りたい。ゆっくりとマザーと話をしたい。

 向こうに着けば、その喜びに高揚した心をうまく抑えながら行動しなくてはならない。

 心に落ち着きを保っていなければならない。その高揚した心は過ちを行うことにとても近くある。
 今回は自分一人の命だけではなく、学生の命をも守りながらあらなくてはならない。

 いつも以上になるべく早く心をカルカッタに合わしていく必要がある。

 それをどうやって自分はやるのだろうか?

 そこにはまた新しい自分との出会いがあるだろう。

 それも楽しみだ。

 さて、用意も済んだことだし、最後の晩餐を一人でゆっくりとやろう。
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タゴールの詩集。

2009-03-20 11:12:07 | Weblog

 今回はタゴールの詩集をインドへ持っていくことにした。
 短い滞在なので、本はあとベンガル語の教本を持っていくかどうか考えている。

 ベンガル語の読み書きが出来るようになるのは間に合わなかった。だが、以前とは違う感覚にもなりえることだろう。また少しずつ勉強していこうと思う。

 タゴールの詩集を読んで強くその言葉を原語で読んでみたい思いになった。その響き、そのリズムはやはり原語で読むに他ないだろう。

 好きなタゴールの詩を載せる。これは英文で書かれた散文詩である。どうぞ読んで見てください。

 ギーターンジャリ 95

 私はこの生涯初めて足を踏みいれた刹那のことを何も知らなかった。
 真夜中の森のつぼみのように、私をこの広大な神秘のふところに咲かせてくれたのは何の力であったのか。
 朝になって光りを仰ぎ見たとき、たちまち、私は気が付いた、私はこの世に来て余所者ではなく、名も形もないあのふしぎな方が私の母となって私を抱き上げてくれたのだった。
 それと同じように、死ぬ時にも、その見知らぬ方が、私の昔なじみとして姿を現してくれるだろう。そして、私は今の生命を愛しているのだから、きっと死をも同じように愛するにちがいない。
 母が子供を右の乳房から離すと、子供は泣き出すが、ただちに左の乳房を含ませらせて安心するのだ。

 素晴らしい詩だと思う。
 
 あなたはどう感じるだろうか。

 さて、雨が上がるのを待って、買い物をしてこよう。

 
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今日で。

2009-03-19 11:26:36 | Weblog

 インドへ行く前の最後の仕事になる。
 落ち着いて仕事をしてこうと思う。

 忘れ物はまだあるかもしれない。そんな不安も今は穏やかにある。一度、今夜バッグに詰めてみよう。

 髭も生え揃わないでインドへ行くのは初めて。
 何か少し恥ずかしい気も感じたり、また、それを笑ったりする。

 今日はほんとうにあたたかで、外に出るのが楽しみ。
 桜のつぼみたちも膨らみを増すだろう。

 「あなたを待っている人たちがたくさんいるよ」そう語りかける。

 今年も健気に咲く桜に心を寄せる。

 きっとその想いはこの身体のなかを流れる血のなかにあるDNAからの作用かもしれないことを感じる。

 自分だけがそう心を寄せるのではなく、自分というものが今ここに立っているまで生きてきた所以なのか。

 今の自分がそれを喜ぶ。

 今日も喜びを持って丁寧に働く。いつもと変らず、がんばらず、ゆっくりと穏やかに、外からのあたたかさを内側に入れていく感じで身体を動かす。

 向こうから帰ってくる時には桜の満開のなかを帰ってくる。

 それも楽しみ。散歩でもしよう。

 さて、仕事に行こう。

 
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夜香木。

2009-03-18 11:39:54 | Weblog
 大好きな作家先生の家から11月に夜香木の枝を貰った。

 寒くなり室内に入れるということで、その枝を切っていた。それを少し貰った。

 11月には根はつかないと言われたが、それでも、ガラスのコップ二つに赤玉を入れて、その上に細かく砕いた竹墨をのせ、毎日ニコニコしながら眺めていた。

 葉はすぐに紅葉し、落ちた。

 楊枝のようになった枝一本が、クリスマス、正月を越えて、細々と立っていた。

 それに声を毎日掛けては、カーテンを開け、陽射しを浴びさせた。

 作家先生の息子さんからは「また夏前になればあげますよ。そうしたら、ちゃんと根がつくから」そうずっと言われていた。季節も季節だし、自分もそうかもしれないと少し思っていた。だが、願いを捨てていなかった。

 ガラスのコップに入れた夜香木はアクリルの水槽に入れ、下と回りにはダンボールにホイルを張り、光りをより多く取り入れられるようにしていた。

 何度も何度も、声を掛けた。「がんばれ。がんばれ」

 すると、ある日、葉の落ちた部分が少し大きくなったのに気が付いた。

 これはもしかして・・・と思いながらも、その作家先生の家に行き、応接間にある夜香木を見比べて見ても、さて、どうなっているのか、やはり、枯れてしまうのか、はっきりと答えの出ない歯がゆさを感じながら帰ってきたりもしていた。

 しかし、なんと一月の半ば、片方の楊枝のような棒から芽が出てきました。

 嬉しかった。やっぱり生きていた。

 自分はその生命力を信じていた。いや、信じていたかった。

 夜香木は寒さに弱く、一日寒さを誤って与えてしまうと、それで枯れてしまう。もちろん、この木が南の国の木であるから、それは仕方がない。育てることにはほんとうに注意した方がいいと言われた。

 この木はもともと作家先生のファンが戦争で弟が亡くなったミャンマーから、その想いを胸に持って帰ってきたもので、それを枝分けして、今では何本にもなり、いくつかの家に夜にだけ、その香りを漂わしている。

 その香りは神々しく優しい。

 奥さんは言う。
 「森の中で誰もいない夜に香りを漂わせるなんて、誰のためにそうあるんでしょうね」

 自分は言う。
 「きっと、そこには誰かがいるんですよ」

 二人は微笑み。
 「そうね、誰かはきっといて、その香りを楽しみ喜んでいるのでしょうね」

 うまく行けば、今年中にその香りを部屋のなかに漂わせることが出来るかもしれない。

 自分は粘り強く、それを期待し心待ちにしている。

 インドに行っている間に、どうか枯れないようにしてほしいと母親にはくれぐれもお願いした。

 インドへの準備はこうして進んでいく。

 その先にあるものへ繋がりを願い、期待していく作業もある。
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準備。

2009-03-17 11:36:23 | Weblog

 何回行ってもカルカッタへの準備には慣れない。
 いつも心がその期待と不安に戦いている。

 またそれを十分に味わっている。

 完璧に用意などは出来ない。いつも不十分であり、忘れ物もある。必要なときになって初めて思い出し気付くものもある。

 そうしたものは心のなかで自分が大切にしているものと同じようにある。

 そして、大切なのは、それからである。そこからどうするかが大切なのである。涙を流し嘆いてもいい、丁寧に見詰めなおしてもいい、ただそこから逃げないように、誤魔化さないようにすることがいいだろう。

 目が覚めて、また一日カルカッタへ近づいたことを実感する。夢から覚めて、また夢に向かう感じも残したままで、それを感じ味わう。

 日曜は二週間ぶりに連休だったので、青空のした、ミニのオイル交換をした。頭上には、ずっとしなくてはならなかったことが出来た安心感を現してくれているような青空があった。

 エンジンの音もいい、受ける風も心地良い、目に映るものを美しく感じられた日だった。誰かとドライブにも行きたい気持ちにもなった。

 この日でインドに行く大体のものを用意しようと思っていた。それでも、すべて揃わなかった。

 自分がインドへ持っていくものは、ものだけでは決してない、心を持っていく。

 その心の準備は、向こうへ行きたくても行けない友達の想い、そして、自分を大切に思ってくれるその想い、そうしたものの準備がより丁寧に心のなかで行われる。

 先のことは分からない。

 命の期限も分からない。

 今まで何百という死を目の前にしてきた自分は今を生きることへ焦点を合わしていく。だが、それをあまりにも恐れるのではないことも気に掛ける。

 そのバランスである。

 そのバランスを整えるのである。

 自分にとって丁度良いバランスになるように心を整え、それをより良く生かしていき、向こうでしっかりと働ける心と身体をアイドリングは少し高めであるが、作り上げていく。

 自分は支えられ、与えられながら、誰かに見守られながら、今を生きていることをしている。

 それを全身全霊で感じ喜ぶのであろう。

 準備はこうして整えていく。

 今日も丁寧に働こう。あなたの力を借りて。
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雨のなか。

2009-03-16 10:26:23 | Weblog

 山谷に着く頃には風は少し落ち着きを取り戻していた。

 強風のために京王線はかなり遅れていたので、ゆうたく君との待ち合わせた時間にも遅れてしまった。

 ゆかりちゃんも着ていた。彼女に山谷のことを少し説明しながら歩いた。

 MCに着けば、カレーは車のなかに積んだ後で、もう祈る準備をしていた。

 緊張していたゆかりちゃんには、その緊張を自分が分かってあげ、認めてあげ、見守ってあげるようにと話した。そうすれば、その緊張はそのままにあらず、柔らかいものに形を変えて行くかもしれないことを告げると、彼女は微笑んだ。

 今日のフランチェスコの平和の祈りを祈る。その祈りを全身にちりばめ、指の先までそう働けるように心がそれを見守るように感じていく。

 深く、深く、そうあれるように祈った。

 カレーは600ちょっと作ってあった。今日は十分に足りるだろうことが分かった。

 おじさんたちは雨なので首都高の高架下に並んでいた。

 「さぁ、行きますよ。おじさんたちの顔を一人ひとり丁寧にみて挨拶をしていくんです。そのなかに愛を込めてね。そして、自分のなかに生まれてくるものも丁寧に、それを感じて分かってあげるようにするんだよ」

 ゆかりちゃんに言った。

 そして、自分が先頭になり、次に彼女、ゆうたく君と三人で並んでいるおじさんたちに挨拶をしていった。

 この雨のなか、良く来てくれたと喜びを感じ持って、それを時に言葉にし、声にして、彼らに伝えていった。

 若い二人が自分のあとを挨拶していく。それをおじさんたちが一人ひとり違った感覚で受けていることを感じながらも挨拶していった。

 背中の方から聞こえる二人の挨拶する声が変らないかをも気にしていた。その声は柔らかいものであるように願っていた。

 350くらいだっただろう。やはり、あの風と雨ではあまり動けなかったのだろう。それをまたその場で感じ直していた。

 二人はしっかりと挨拶をしていった。ゆかりちゃんは終始笑顔で、彼女のその心が喜んでいるように思えた。ゆうたく君は少し固くなっていたように思えた。

 その日は聖心女子から中学一年生の女の子たち三人が来ていた。カレーを一生懸命に渡している姿を少し眺めていた。そして、言った。

 「あなたたち、笑顔でやるんですよ。元気良く、そして、丁寧に」
 彼女らは我を取り戻すように笑顔を取り戻していった。

 機械的な行動にはなってはならない。右から左にものをただ運ぶようにするようなことであってはならない。

 そこには愛がない。そして、愛がない行いをしている自分にも気が付かない。心を込めて、その小さな行いをする。

 それを何人かのおじさんはしっかりと受け取り、食べ物の以外にも生きる糧となるものを受け取って帰っていくことだろう。

 並んだ人数が少なかったので、多くの人が二つカレーをもらえた。その喜んだ笑顔を見るたび、自分も嬉しくなった。

 そして、自分は自分に問う。

 「驕りはないのか?」

 それに向き合いながら、また一人ひとりに声を掛けていく。

 おじさんたち、ボランティアたちに声を掛けていく。

 雨は小雨になり、空は少し明るさを取り戻した空のした、歩き続けた。
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オヤジ三人。

2009-03-15 23:06:46 | Weblog
 夜7時15分に山谷のボランティアの伊藤さんと浅草雷門の前で待ち合わせた。

 インドに行く前に好きな焼酎をたくさん飲んでもらおうと、自分が好きそうな店があるから連れて行ってくれるとのことだった。

 その前に山谷で小さく鍼灸院を開いたかなこに全身に針をしてもらった。パンツ一枚にされて何をされるのかおどおどしながら、生まれて初めての鍼灸をしてもらった。

 腰がずっと痛いこと、今日も美味しくお酒が飲めること、頭の毛が生えること、などなど言いながら、やってもらった。

 終わったら、身体は軽くなった。カルカッタでちゃんと働けるように、彼女はそう思いながらしてくれたことを疑わない。とっても有り難い。

 もう時間が待ち合わせのその時に近くなっていた。
 自転車で行けば山谷から浅草は10分ぐらいだが、歩いてゆっくりと向かう時間はすでになく、バスで向かった。

 雷門の前で夜に待ち合わせること、何かとっても情緒があって良かった。昼間の賑わいはないまでも、その門はきれいで、目の前を行きかう人たちもそれも情緒豊かに眺めていく。

 少し遅れて、伊藤さんが来た。

 浅草で床屋をしている知人から教えてもらった居酒屋に行くとのことだった。
 店に入ると「Tetsuさん、今日は誕生日ということで奢るから、インドに行く前に好きな焼酎をたくさん飲んで」と言われた。

 「すいません。ありがとうございます。飲みますよ!」

 店のなかに入った。炭火で焼き魚をやくいい香りが店中に広がっていた。自分の心は躍っていた。

 その店は雷門から200メートルぐらい歩いた通りを曲がったすぐにあった。

 その間、ホームレスのおじさんたちが閉まった店の前で寝ていたりしていた。一人のおじさんはビニール傘を枕にし、お尻を丸出しにして寝ていた。

 きっとズボンは濡れていただろうし、匂いもすごいのであろうことは分かった。それでも、そのまま、彼の前を通り過ぎていった。

 その現実を受け止めることを感じながら歩いた。

 思い出す。山谷に行き始めた頃、生まれて初めて立ったまま便をしている人を見た。それも大通りの歩道だった。

 その衝撃は今でも色鮮やかに心に映りなくなっていない。

 お尻を丸出しにしながら寝ているおじさんを見て、そんなことを思い出していた。

 店には遅れて、和田さんも来た。
 和田さんも自分の誕生日を祝うということで奢ってくれた。

 それから、伊藤さんの知人の奥さんがアメリカ人の床屋さんが来た。伊藤さんも奥さんがフランス人ということで、何かしら話しがあうと言う。

 その話は面白かった。

 伊藤さんは今、奥さんがフランスに帰っているということで、自分と毎週飲み明かしている。それはお互いにとって楽しいこと、面白くもあり、嬉しいこと。

 楽しく飲めば、時間が経つのは矢の如し。
 帰るつもりでは少しいたが、やはり浅草から、到底帰れない時間だった。

 飲み残した焼酎を自分は一番最初に出会ったおじさんにあげた。ダンボールで寝床を作っていたおじさんに、「おじちゃん、これ、良かったら飲んで」そう言って半分ぐらい残った焼酎のボトルをあげた。

 おじちゃんはとっても喜んで「ありがとう」と言っていた。

 三人で笑いながら歩いていた。

 カラオケ屋の前で、いきない、伊藤さんは歌おうと言い出し、このオヤジ三人でカラオケですか?と自分が言い、そう思いながらも、たまにはいいかなって思い直して、もうたぶん2、3年は行っていないカラオケ屋に入った。

 伊藤さん、のりのり歌を入れているけど、何を歌いだすんだろうと思えば、「ワインレットの心」だった。

 笑えた。

 ある意味、タイムな歌だと思った。

 伊藤さんは言う。
 「玉置は22歳でこの詩を書いたんだ。それはすごい」

 自分もそう思う。あの歌詞は22では掛けない、表せないものだと自分も思った。

 自分も久しぶりのカラオケを楽しんだ。
 「ジョージア オン マイ マインド」はかなりうまく歌えたと思った。自分的には心のなかでジェームスブラウンバージョン的な歌い方をした。

 和田さんはスピッツとか歌っていた。

 伊藤さんはエルトンジョンの「your song」を熱唱したり、フランス語のうたを歌っていた。

 最後に自分はサッチモの「What a wonderful world」を歌い、みんなで合唱していた。一時間の予定を30分延長して終わった。

 ほんとうにこの世は「なんて素晴らしい世界」だと思った。

 それから、ラーメン。

 ラーメン屋でも山谷やマザー、ボランティアに付いて、また熱く語り、伊藤さんちには着いたら3時近くになっていた。

 顔を洗って歯を磨いて、一週間前に寝たソファーに横になった。

 朝、目が覚めると二日酔いはまったくなかった。爽やか陽射しと同じように、心も身体もあった。

 すぐに分かった。

 これも昨日、かなこがしてくれた針のおかげであると。

 伊藤さんが寝ているのでさよならとありがとうと言わず、静かに家を出た。

 駅まで向かいながら、足はいつもより軽かった。

 こうした一つひとつの出来事がカルカッタへ旅立つ勇気になっていることをゆっくり味わいながら、青空のした、歩いた。

 「みんな、ありがとうございます」と言いながら、歩いた。
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歓迎。

2009-03-14 08:00:58 | Weblog

 風の音で目が覚めた。
 
 あることを少し考えながら眠りに付くと、そのまま夢のなかでその世界が広がっていた。

 夢のなかでも、未来と過去を行き来しながら、それを考えていた。

 しかし、昨夜の酒が少なかったのか、浅い眠りだったのか、春二番吹くの嵐に呼び起こされ、またあることを考えた。

 彼らは今、どこにいて、どうやって来るのだろうか?心のなかにいるあの人は今どうしているのだろうか?

 傘はさせないだろう。凍える寒さではないが、身体をゆっくりと休めることの出来ぬ彼らにとって、この風と雨は辛いものとなるだろうことを今度は感じていた。

 その先にあるあたたかな太陽を浴びるまで、もう少し辛抱して欲しいと願う。
 
 辛抱に辛抱を重ねた人へ、その以上の辛抱を願う自分は罪人に違いない。申し訳なく思いながらも、静かに想い祈る。

 春の嵐を乗り越えて、彼らは来る。

 自分を守るために。その命を繋ぐために。

 彼らを歓迎することもなく迎えるようなことは出来ようもない。

 「わたしはあなたを歓迎します」

 
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嬉しいこと。

2009-03-12 22:40:54 | Weblog
 嬉しいことがたくさんあった昨日だった。

 仕事を早めに上がり、たかし君ちに向かった。

 冷麺、青森ワイン、岩手ワインでパーティーをするということで向かった。それは美味しく頂いた。

 嬉しいことにケーキを用意してくれた。そのケーキの上には、ゆみちゃんが自分がギターを持ってうたっている姿をお菓子で作ってくれたそれはとっても愛らしかった。誕生日を祝ってくれた。

 自分は照れて喜んだ。

 ゆうたく君の繋がりで出会う友達がいる。
 なかなかインドで出会った友達から、またその友達と出会い、輪が広がっていくように友達が増えていくことは今までなかった。

 これもマザーの愛の贈り物に思えてならない。

 マザーは今も自分を素敵なものたちに出会わせてくれている。瞳を通して心に残るあたたかなものをしっかりと味わった。味合わせてもらった。

 久しぶりに大切な人の声も聞いた。メールも何通か来た。その文字から声が聞こえてくる。

 心はあたたかさを増し満たされていった。

 見上げた満月のお月さまがとってもきれいだった。

 「ありがとう」と囁いた。

 昨日一日生きた日、その時間すべてが誕生日プレゼントになった。
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