カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

業務スーパー。

2011-10-31 12:33:13 | Weblog
 
 業務スーパーは面白い。

 面白いと言うより、否応なしに目を引くものに目を引かれっぱなしになってしまう。

 業務スーパーの思いのままになってしまい、ついつい買い物が増えてしまう。

 前回に初めて行ったときにフライドオニオンを買い、それがとてもお気に入りになったので、今回もそれと少し何かと思い向かったところ、すべては想像を超えた。

 紅しょうがが一袋87円、一キロの紅しょうがで298円、さて、どっちを買うか、二三度手にとっては87円のにしたりと、こんな感じのことを何度も繰り返した。

 ドレッシングも安い。

 パスタも安い。

 トマト缶は58円だ!などなど、ついウキウキしてしまう。

 鳥の皮があったので、何かつまみを作ろうとカゴのなかに入れたが、もう少し歩くと豚肉のところに豚軟骨が「おすすめ品」としてあった。

 鹿児島のスーパーには普通にあったものだが、こっちに出会うのは初めてだった。

 豚軟骨のトマト煮を作ることを決め、そうなると鳥の皮はさようならとなり、元の場所に戻された。

 ほんとうにいろいろとあって、全部を見たいと思ったが、実際のところ80%ぐらいしか見ていないだろう。

 それでも十分見た感じにはなっていた。

 それは心が満足になっていた証拠である。

 ちなみにじっくりと時間を掛けて作った豚軟骨のトマト煮はとっても美味しく出来上がり、芋焼酎の良い友となった。

 

弱っちぃーハナ。

2011-10-30 11:34:29 | Weblog

 昨日はあんと深大寺のドッグランに行った。

 色づく紅葉の美しい季節になった深大寺にはたくさんの人が来ていた。

 いつもミニを停める駐車場は一杯で、ドッグランの前の駐車場にミニを停めた。

 そこでコーギーのハナちゃんに会った。

 ハナちゃんはおじぃーちゃん、おばぁーちゃん、とその息子夫婦の4人で来ていた。

 あんはそのおばぁーちゃんの傍に座り、ずっと撫でられ、気持ち良さそうにしていた。

 それに焼きもちを焼いたハナちゃんはあんを挑発するが、あんがそれに対応すると、すぐにお腹を見せ「降参です」の形をとる。

 すると、それ以上あんは何も出来なくなり、ハナちゃんの家族一同「あぁ~・・・、弱っちぃーな~」になってしまう。

 もっと走り回って遊ぶと、家族の望むところになるのだろうか、ハナちゃんはそうは行かない。

 でも、それはきっと平和主義かもしれないと自分は思い、すぐにお腹を見せるハナちゃんはハナちゃんで可愛かった。

 あんはずっとおばぁーちゃんに「大人しくて良い子だね、こっちがうちの子みたい」と言われたりもしていた。

 そんなに可愛がってくれるのを見ると自分は嬉しくなっている。

 柴犬は飼い主に忠実と言われるが、あんは違う。

 また違って良い。

 それはあんはあんであんなりの平和主義者なのかもしれない、あんは自分を愛してくれる相手の穏やかな心が分かると、ずっとなすがままにされている。

 そうあることがあんの喜びでもあるのだろう。

 見ている自分は幸せになるのである。

 色づく紅葉を通って木漏れ日が差し込むなか、あんと落ち葉の上を歩くその音軽快で、何とも気持ち良い午後の一時だった。


分かっていることさえ。

2011-10-28 12:27:47 | Weblog

 分かっていることさえ出来ない自分がいる。

 その自分は何を考えているのか。

 その自分は何をしようとしているのか。

 深く観て行く必要があるのだろう。

 注意深く慎重にかつ、肯定的に観て行くことが望まれるのだろう。

 内省し、反省し、それでも、似たような過ちを繰り返していくせよ、その過程にはより良く変わっていける希望がうかがえるのではないだろうか。

 負を負に交わせ、そのスパイラルから抜け出せず、ただ自己を苦しめるばかりであれば、それは自己と周りを破壊していくことになりかねない。

 分かっていることさえ出来ない弱さと未熟さのある自分の一部を大切にしていくうえで、他者のそれを許せる謙虚さも育つのであろう。

 そうあれる、それを受け容れ乗り越えれる英知が授かるように祈る。

 頭ではなく、心と身体を伴い、そうあれるように祈る。

 太陽は今日もあたたかいではないか。

 それを忘れてはいけない。

失敗。

2011-10-27 12:41:27 | Weblog

 先週の金曜、仕事でミスをした。

 そのミスはあまりにも大きく自分の胸から痛みを放さなかった。

 そのミスはそこからかなりのことを語りだした。

 完璧だと思っているのか。

 また完璧だとは思っていないと自己防衛をしようとするのか。

 傲慢であった。

 傲慢であることを認めることが辛いと言うのか。

 最善の注意を最後までしなかった。 

 良い評価のうえの失敗に言い訳をし始める弱さ。

 家族から「許してあげなよ」と言われたその意味。

 些細なことにまで脅えるようにある家族の痛み。

 すべての矛盾。

 胸にヤリが刺さったような痛みととも溢れだすこのような思いたち。

 そのすべてをただただ祈りに祈った。

 恐れや不安の自己を超えたところで失敗は許された。

 そして、失敗は自分を正す大切なものであることを身を持って理解した。

 如何なるときも落ち着き穏やかに平和の道具と成りえるように祈り努めることにより、ゆっくりとあろうと成長し、変って行けるのである。

 あるがままのものが自己の成長の糧になりえるのである。

 負のものがそのもっとも良い成長の糧となりえよう。

 そこに祈りの水をあげれば、必ず活き活きとして芽が出てくるのだろう。

 目に見えぬとも、その変容はあり続けている。

 

ゴロゴロ、ゴロゴロ。

2011-10-26 12:41:45 | Weblog

 あんとホットカーペットの上をゴロゴロ、ゴロゴロしている時が何とも気持ち良い。

 そして、うたた寝、二度寝、何とも気持ちが良い。

 至福の時である。

 自分が家にいるとき、あんは大体自分と一緒にいる。

 仕事から帰ってきて、散歩に行き、それから、晩酌。

 あんにはこのところ小さく切ったリンゴをあげ、晩酌の友になってもらっている。

 ずっとリンゴの方を眺めているあんだが、終いにはそのまま不貞寝してしまう。

 そんなあんを撫でながら、一杯やるのも至福の時である。

 あんにとっても至福の時であれば良いのだが、さて、どうだろうか。

 あんにとっては食べている時が至福の時に違いない。

 それでも、ゴロゴロしたり、遊んだりしている時もあんと自分の至福の時なのかもしれない。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ、ずっとは出来ず。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ、だから、気持ちが良いのか。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ、もう少し。

 もう少しを何度か繰り返し、やっと起き上がる。

 あんと一緒に身体を伸ばし、起きる体制に身長を合わせる。

 あぁ、楽しかった。

 ゴロゴロ、ゴロゴロ。

 至福の時である。

 

犬の言葉。

2011-10-25 12:43:31 | Weblog

 かなちゃんはベッキー{ゴールデンレトリーバー}とニコ{フレンチブルドッグかな?}と両親と一緒に住んでいる。

 かなちゃんが日曜日に言っていた。

 以前、犬の言葉が分かる人にベッキーが何を言っているかを聞いたことがあると。

 中一から一緒に過ごすようになったベッキーはもう10歳ぐらいになると思うのだが、彼女はなんとかなちゃんを育ててきたと話したらしい。

 そんなことを言われると胸に詰まる思いになる。

 ベッキーはずっとかなちゃんを見守っていたことになるのだ。

 まったく凄いことである。

 犬の言葉が分かる人がいることを信じる信じないは個人の自由であるが、自分は分かる人がいても良いと思っている。

 細かなことまでは分からないが、自分はあんのある程度の言葉は分かる。

 「お腹空いたよ。遊んでよ。食べ物をちょうだいよ。早くちょうだい。怖いよ。寂しいよ。帰ろうよ。楽しい。嬉しい。連れてって。ミニに乗せて。出かけちゃうの。眠いよ。行きたくない・・・」などなどあるが、もっときっと心を通わせて暮らしている。

 だが、さすがに「育てる」と言うことになると少し話しが違ってくる。

 さて、あんはどう思っているのか。

 と同時にあんにどう思われるかを心配しながら付き合うこともない。

 ただ愛するだけである。

 ただ大切にするだけである。

 自分の都合をあまり押し当てたりせずに、あんと一緒にいることである。

 それで自分は十二分に祝福を受けているからである。

 あんが「私は天使で、あなたを見守るためにあなたの傍にやってきた」と言うようなことを言っても、自分は何の不思議もないと思えるのである。

 言葉を言わぬものの言葉を聞けるように。

 それは自己のうちにある言葉になる前の言葉も同じように。

 それに耳を澄ませ、向き合える時を持てるように。

 それは祈りに成りえる。


あん大はしゃぎ。

2011-10-24 12:16:10 | Weblog

 昨日はうちで飲み会をした。

 かなちゃん、のりちゃん、出口君、まほちゃんが来てくれた。

 もうあんは大はしゃぎ。

 かなちゃんとのりちゃんの間にご機嫌で座っていた。

 だが、テーブルの上のから揚げがどうしても食べたかったらしく、二度くわえた。

 一度目も叱ったのだが、それでも、また食べようとしたところには、あんには堪らない匂いだったのだと思う。

 それは仕方がないことだろう。

 罪を憎んであんは憎まないことにしよう。

 あとはずっと良い子だった。

 あんはほんとうに人好きである。

 これは絶対成る人への信頼感の証しでもありえよう。

 あんの楽しそうな姿を見ているのは嬉しい限りである。

 今日は大人しく、ずっとあんの低位置の座布団で寝ている。

 昨日ははしゃぎすぎて疲れたのであろう。

 楽しくて楽しくてしょうがなくて疲れるまで遊んでもらったあんは幸せそうである。

 その幸せはみんなに行き渡る。

 あん、ありがとう。

 そう言って、今日もあんを撫でてあげる。

 

安心したこと。

2011-10-23 11:35:28 | Weblog

 昨日の山谷は450人ほどのおじさんたちが雨のなか、カレーをもらいに来てくれた。

 リーさんもノビルのおじぃちゃんも来てくれた。

 だが、あの恩返しの彼は来てくれなかった。

 またどこかで恩返しをしていたのだろうか、それはそれで良いのかもしれないとも思える。

 思えば思うほど、祈りに祈る。

 彼はきっと見守られているだろう。

 安心したことがあった。

 ノビルのおじぃちゃんは施設に入ることが出来た。

 おじぃちゃんも安堵していた。

 これからの寒い季節、足の悪いお年寄りにはテントなしの暮らしは厳しすぎる。

 もうホームレス狩りに来る若者たちにも恐れることはない。

 おじぃちゃんの安心した顔が自分に移り、ほっとした。

 中国残留孤児のリーさんの周りには台湾人のボランティアやブラザージョジョなどがそばにいてくれた。

 彼に何かサポートは出来ないかと話していた。

 リーさんのことを心配してくれる人たちが増えていくことに安心し、嬉しく思った。

 帰り際にMCに持って帰るゴミを入れるために、ボランティアの伊藤さんの車のトランクを開けると、紙袋のなかにおじさんたちに寄付しようとしていた服があった。

 伊藤さんはそれを見て、「あっ、忘れていた。MCに寄付しようとしていた服だ」と言うので「リーさんにあげて良い?」と聞くと「もちろん」と言うことだったので、リーさんに伊藤さんの紙袋のなかにあったシャツやマフラー、手袋、Tシャツなどを渡すことが出来た。

 与えすぎてしまうことに彼の思いの何かを踏みにじってはいないかと注意深く感じようと試みたりもした。

 だが、これも神さまのお導きであろうことに静かにすべてを受け容れた。

 いつも自分が何かをしているのでは決してない。

 神さまがノビルおじぃちゃんもリーさんも、恩返しの彼を見守っているだけである。

 彼らは愛されている。

 そのことを有り難く感じさせてもらっている幸せな自分である。

証明。

2011-10-21 12:21:58 | Weblog

 今朝は肌寒く布団から出るのに時間が掛かった。

 あんはすでに朝ごはんを食べ、母親と散歩から帰ってきて、自分の部屋のあんの定位置の座布団の上で二度寝をしている。

 そんなあんを見ているともう少しこの安息地、あたたかな布団のなかから、なかなか出ることを拒む甘えん坊の身体があった。

 出ようかどうしようか、しばらく悩んだ末に、覚悟を決めて、外を出る。

 だが、まだ甚平を着ていたこの身体は衣替えをしていない後悔を感じつつ、定位置で寝ているあんを撫でながら、「おはよう」と言う。

 窓を開け、外気を入れると、ベランダには「おはよう」と言うように自分の部屋の方に向かって、朝顔が五つ六つ咲いている。

 その姿に目が留まり、その姿に感謝し、その姿に畏敬の念を抱く。

 「ありがとう」と伝え、しばらく、その姿を眺めた。

 肌寒い朝であれ、あるものはあると言わんばかりの健気な朝顔が愛を証明しているように思えた。

 しばらく、その朝顔を通して祈った。

 その花が祈りを教えてくれた。

 あんは座布団の上で二度寝を決め込んで丸まっている。

 体感する温度とは別にあたたかなものは傍にいつもあることを証明していた。

 ありがたいことである。

いつかジョニーが。

2011-10-20 12:33:15 | Weblog

 昨日は毎月の集まり、石坂と和田とニカウで焼き肉を食べた。

 この焼き肉はいつもお腹一杯に焼き肉を食べれる。

 石坂の嫁の実家はお肉屋で、そのビルの上に弟の同級生のカズキの焼き肉屋で食べるので、自分たちが行く前に肉をたくさん用意していてくれる。

 昨日はこんな話が出た。
 
 最近小六の石坂の娘マオがギターを弾き始めたらしい。

 CMで宮崎あおいがブルーハーツの「リンダリンダ」を弾き語りしているのを見て、マオも「リンダリンダ」を練習しているとのことだった。

 小六からギターを弾き始めるなんて、自分たちの間には誰も居なかった。

 それはすごいということになり、自分は石坂に言った。

 「いつかマオがジョニーを連れてくるようになるよ」。

 一同爆笑。

 和田もニカウもマオはいつか金髪にするだろうと言う。

 石坂はそれでも良いと笑う。

 自分は重ねて言った。

 「マオが菅村に、わたしの彼と言って、金髪のジョニーを連れてくるようになるよ」。

 「そうだ、そうなる」と一同一致。

 まぁ、そんなことは誰にも分からないが、石坂はマオにギターを教えることが出来て嬉しいらしい。

 そうした関係が持てることが楽しく嬉しいらしい。

 それで良いと思う。

 子供の興味が持てることに「NO」と言わない親が良いと思う。

 マオは小学校に行く前にも練習、帰ってきてからも練習の末、もう「リンダリンダ」は弾けるらしい。

 次は何を弾くようになるのか、楽しみでもある。

 石坂が楽しみのように自分も楽しみである。

 いつかジョニーに会えるかどうかなどは分からないが、好きなことを見つけ、それをやり続けて欲しいと自分は思う。

 焼き肉をたらふく食べた。

 美味しかった昨日を思い出し、今日も元気である。