カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

ハビィと二人。

2011-03-31 18:06:32 | Weblog

 今日はボランティアディーがあったので、たかしくん、クレア、アイリーンたちは、それに参加した。

 マリオはバーニーが良く行っていたダイナアシュラムに黙想に行った。

 マリオとは今朝が最後の別れになった。

 マザーハウスで会うと、彼は自分の手を引き、マザーのお墓の前に連れて行き、そこで二人で祈った。

 彼が自分の手をつかんだ瞬間から分かった。

 一緒にマザーに祈りたいと言うことが。

 昨日から、いや、その前からずっと彼は自分とそうしたいと思っていたに違いなかった。

 何度も、今日自分がマザーハウスに来ることを彼は自分に聞いていた。

 彼の隣で祈りながら、彼との思い出が走馬灯のように溢れ出してきた。

 自分は知らぬ間に微笑んでいた。

 マザーへの祈りが終わると、今度はマリア様のところに自分を連れて行き、繋いだ手は離さないままで片方の手をマリア様の銅像に手をあて、スペイン語で祈りだした。

 自分も片方の手をマリア様にあて、祈りだした。

 それと同時に彼の声を耳を済ませた。

 彼は間違えなく自分のために祈りを捧げてくれていた。

 自分のうちはあたたかなもので満たされていることを知った。

 そして、祈りが終わると長いハグをした。

 嬉しすぎた。

 その表現では到底足りぬ感謝の思いが溢れてきた。


 今朝のセントメリーのミサにはハビィとアイリーンが来てくれた。

 きっといつも自分がどんなところで祈っているのかを知りたかったことと、自分との時間を少しでも保ちたかったのではないかと思ったりもした。

 マザーハウスの方が彼らが住んでいるところから近いのに、わざわざ来てくれたことがほんとうに嬉しかった。

 ミサの間、彼らの後ろ姿を見ては、ずっと微笑んでいた。


 たかしくんたちがボランティアディーに行ったあと、マリオは一人でタクシーを拾っていた。

 それもダイナアシュラムまでだったが、どのタクシードライバーも、その場所を知らず、ただマリオは住所の書いてある紙を見せていた。

 そして、仕舞いにはバスでシアルダーまでのバスに乗った。

 無謀とも言えるその行動にハビィとずっと笑っていた。

 駅で彼を見たら、パンとバナナとゆで卵をあげようと言って笑い、たぶん、たどり着けず、夕方のアドレーションには居るのではないかとまた笑った。

 ほんとうに彼はたどり着けたのだろうか・・・。

 そんなマリオも神父になることを考えたりするとても祈る人である。

 彼が大好きなった。


 今日はハビィを病院に連れて行った。

 彼はほんとうに患者たちの痛み苦しみをしっかりと感じていた。

 そして、心から彼らに祈りを捧げていた。

 病院を終えてから、彼といろいろと話した。

 病院の訪問は明日でお終い、と言うと、どうしてお終いにするの?と彼は聞いた。

 そこではほんとうにいろいろなことに気を付けなければならないし、また言葉も大切、そして、とても苦しいことを目にするだろうし、またそれに耐えられなければ、患者たちに良くないと伝えると深く考え込んでいた。

 そして、あなたがNOと言うなら、自分がそれに従うと言ってくれた。

 このことはまた日本でゆっくりと時間があるときに書きたいと思う。

 ハビィはほんとうに心の優しく、また貧しい人々を深く思いやる心の持ち主である。

 そんな彼にも出会えたことが嬉しくてたまらない。


 今日は二人で駅を回った。

 暑さもあり、持つ荷物{食べ物}の多さもあって、少したいへんではあったが、自分の心は喜びに満ちえていた。

 それから、二日前に約束していた患者がディスペンサリーに来ていたので、その彼を病院に連れていった。

 彼の全身の皮膚はあかくただれ剥けきっていたその痛ましい状態だった。

 皮膚科の専門医に会いに行った。

 その途中、インド人の女性が患者がいると言い、自分を呼んだ。

 付いていくと、一瞬見た目にはほんとうに死にそうな患者だった。

 脈をとってみると、わりとしっかりとしていたので、すぐには亡くなりそうではなかったが、これが木曜日でなければ、間違えなく運ぶ患者でもあった。



 このつづきは日本で書こう。

 アドレーションに行く時間になった。

 ゆっくりと祈りたい。
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ドゥッワ。

2011-03-30 11:53:10 | Weblog

 昨日はドゥッワのお別れパーティーだった。

 かなりの人数が集まった。

 マリオはかなり飲んで、これぞまさしくスペイン人と言う陽気さで、みんなに声を掛けていた。

 なかでも今日まで思い出し笑いしてしまうのが、「マイ イングリッシュ パーフェクト! ベリーベリーピィーポー!」と声を掛けていたり、ドゥッワが歌っているところをスペイン人の子が写真を撮っていると、写真はダメ!と言う身振りをして笑わせたりもしていた。

 ほんとうに楽しい素敵な時間だった。

 いまも書きながら思い出し、少し笑った。

 自分は12時に帰ったが、その後もマリオやアイリーン、モダンロッジの泊まっているボランティアやハビィは2時まで歌い、また踊っていたらしい。

 それで、今朝マリオは駅には来なかった。

 だが、他のみんな疲れていたが、それでも昨夜のことを思い出し、ずっと笑っていた。


 今朝ティオがマザーハウスでドゥッワからの手紙をくれた。

 彼が自分に手紙を書くなんて、想像すらしなかった。

 チャイを飲みながら、手紙を開けるとわりと長い手紙だった。

 最初の二三行を読み始めて、もう泣けてきたので、すぐに閉まった。

 そして、マザーのお墓のところでゆっくりとそれを読んだ。

 あれだけ一緒にいたのに、随分話もしたのに、にもかかわらず、彼は彼の思いを形に残してくれた。

 これにはやられた。

 手紙を読んでは泣けてしょうがなかった。

 胸に深く何かを感じていた。

 それは言葉にならぬ感謝の感じに違いなかった。

 そして、その有り難さ、嬉しさを全身で味わった。

 自分はほんとうにかけがえのない友に出会えた嬉しさを感じた。

 惜しみなく感じた。

 そして、マザーに何度も「ありがとうございます」と伝えた。


 病院にはアイリーンを連れて行った。
 
 駅には運ぶ患者がいなかった。


 あと二日である。

 今日は最後のオリエンテーション。
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またここで。

2011-03-29 19:16:55 | Weblog

 今日はシスタークリスティーと話してきた。

 一時間半ほどゆっくりと話が出来た。

 最後には「またここで」と言う言葉を彼女が微笑みながら言った。

 「それは神さまが決めることですよ」と自分が言うと、「それではまたここでですね」と彼女が神さまの意思をも伝えるかのように言ったか、また必ずあなたはここに来るでしょう、ここに帰ってくるでしょうと言う確信のもとに語ったのだろう。

 それは外れてはいないだろうけど、それでも、やはり自分の先のことは分からない。

 クリスティーには今回のここでのことや、ここに来る度にマザーを深く尊敬してやまなくなってきたこと、そして、マザーの痛み苦しみ暗闇のほんの欠片であるだろうけれど、それをほんとうに良く感じたと話した。

 自分の謙虚の無さも語った。

 マザーのお墓の前に立ち、墓石に書かれた言葉が目に入るたびに恥ずかしい思いに包まれ、よくマザーに謝ったことも話した。

 クリスティーとこうした会話の時間を持つことも、ここからの別れの準備の一つであり、その準備がだんだんと進んでいく。


 今日は病院にクレアを連れて行った。

 彼女は4月1日から、Come and seeに入る。

 ダムダムで二週間ノビスたちと生活を共にする。

 もしかすれば、彼女はMCシスターになるかもしれない。

 もちろん、それは神さまのお決めになることであるが、それも楽しみである。

 
 今日はガンの末期の母親の面会に父親と娘をプレムダンに連れて行った。

 母親と娘との時間があとどれほど残されているかなど誰にも分かる訳ではない。

 母親の隣で一緒にご飯を食べる娘の姿がとても愛らしかった。

 だが、7歳の娘に母親が亡くなることなど理解できようが無い。

 たとえ、それを肌で感じるかも知れないが信じたくは決して無いだろう。

 その彼女の母親の隣で嬉しそうにしている姿が胸に痛みを感じさせた。

 
 仕事が出来る日もあと三日である。

 昨日強い雨が降ったせいもあるだろうが、この街が美しく見えてしょうがない。

 マザーが愛したこのカルカッタが美しく見えてしょうがない。

 ほんとうになんて美しいのだろう、そう思えてならない。
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ステーションボランティア。

2011-03-28 14:26:11 | Weblog

 土曜日の夜はマリオとアイリーンの家の屋上に今いるステーションボランティア全員が集まった。

 ハウラーとシアルダーのメンバーが全員集まり飲んだのは、今回初めてだった。

 とてもいい夜だった。

 終盤になり、一人ひとりがみんなに今まで感じた駅でのことを語りう、それをシェアした。

 こうしたことがまたお互いの心を強く結びつけていく。

 そして、信頼しあい、尊敬しあい、仕事が出来る。

 その喜びを大きくし、またその悲しみをより良く分かち合えるようになる、とてもいい機会、いい時間だった。

 今回もほんとうに素敵な人たちに逢えた。

 感謝しても仕切れぬほどである。


 昨日はネットする時間がなかった。

 昨日も一日ほんとうにいろいろとあった。

 その中でも特別悲しいことがあった。

 シアルダーからプレムダンに患者の母親を息子の面会に連れて行った。

 その患者はもう一ヶ月半ほど前にドゥッワとコラムが運んだ。

 そのとき、彼に母親がいることなど何も知らなかった。

 母親をプレムダンに連れて行き、ワーカーなどに息子の名前を教え、息子を探すとまったく見つからなかった。

 探しても探しても見つからなかった。

 データにもなかった。

 最終的に分かったことは彼女の息子はすでに死んでいたことだった。

 それが分かるまで、いや分かってからも、彼女はずっと一人ひとりの患者の顔を必死に見ては息子を探し続けた。

 そして、また自分が息子が亡くなったことを告げると叫び泣き始めた。

 それはほんとうに悲しみと絶望の姿だった。

 駅まで連れて行くまで、彼女は座り込んだり、別れのうたを大声で歌ったりしていた。

 一緒にいたたかしくんは、それを見るのがほんとうに辛かったようだったので、自分が一人で母親の手を引き、駅のプラットホームまで見送った。

 自分も気を抜くと涙がこぼれそうっだ。

 何をどうしても、亡くなったものを生き返らせることなど出来るわけもなく、またそのあまりに大きな悲しみに寄り添える力がなかったのも事実だった。

 ただ明日も良かったらディスペンサリーに来れば良いとは伝え別れた。

 泣き叫ぶ彼女の周りには多くのインド人が集まってきた。

 それを何度も振り向きながら、またプレムダンに戻った。

 昨日はその他にもほんとうにいろいろとあった。

 それはまたいつか書こう。


 今日は今日でとても忙しい日だった。

 患者をアイリーンがプレムダンに運び、マリオとたかしくんがカーリーガートにあのガンの末期の患者を運んだ。

 すでにシスターマイケルを通し、カーリーガートの委員長のシスターグレンダの許可を得ていた。

 そして、今日はドゥッワの最後の仕事の日だった。

 すでにマリオ、アイリーン、たかしくんが出たあとだったが、シスターたちが彼のためにうたをうたった。

 うたをうたわれたドゥッワの顔がどんどんを赤くなり、そして、涙を流しはじめた。

 それを見ているともらい泣きしそうになった。

 それを見て、ほんとうに嬉しかった。

 それほどドゥッワがここを愛してくれた証のその姿だったからである。

 
 ほんとうはもっとゆっくりと書きたいが、また書きたいことがあるが、もうシュシュババンに行かなくてはならない。


 最後に一つ。

 もしかすると日本に帰ってから、わりとすぐに仙台入りするかもしれない。

 すでに25日にMCシスターとブラザーが仙台入りしている。

 山谷の炊き出しも4月2日まで休むようである。

 31日にブラザーノアスが仙台から東京に帰ってくるので、彼がOKすれば、自分はしばらく仙台に行く予定である。

 これもすべて神さまが決めることである。

 さて、どうなるのだろうか・・・。
 
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祈りありき・・・。

2011-03-26 16:51:01 | Weblog

 たかしくん、アイリーン、マリオが旅行から日焼けして帰ってきた。

 そこに何の埋め合わせか、クレアが下痢嘔吐発熱で休み、ドゥッワはマザーハウスに来なかった。

 それでも、ハビィもいたのでシアルダーには五人で向かった。

 久しぶりにこの三人に会うとまたにぎやかで嬉しかった。

 
 今日は休み明けだったが、アイリーンを病院に連れて行った。

 それまで旅行の楽しい話を聞いていたが、病院を終えるとアイリーンの顔が真剣な顔つきになっていた。

 「Welcome to Culcutta!」と自分が言うと、彼女は笑い出し、ここがホームだと答えた。

 やはり患者たちや駅のことは心のどこかにいつもあり続けていたのだと思う。

 それは自分も同じようにそうだからである。

 きっと日本に帰っても、ここの患者たちのことは忘れるまで忘れないだろう。

 忘れたとしても、それは忘れたと脳が感じているとだけで、この身体と心のどこかに静かに納まっているのだと思う。

 そして、バーニーがきっとこの病院の患者たちや駅の人たちのことを忘れずに祈っているに違いない。

 それを自分は信じて疑わない。

 疑える訳がない。

 彼女はほんとうに深い愛情を持った女性である。


 今日もサウスステーションに向かった。

 あの死んだドブネズミを食べている女性は昨日と同じ場所にいて、自分を見つけ、声を掛けてきた。

 彼女は話すことが出来ず、悲鳴のような声で自分を呼ぶ、それも満面の笑みで自分を呼ぶ。

 プラットホームの途中を歩いていたので、プラットホームの終わりまで来るように身振りで伝えると、笑顔で走って来た。

 とても愛らしい笑顔で自分の近くにやってくる。

 こうしたこともほんとうに愛おしく思えてならない。

 ディスペンサリーに戻ると、ハビィは一人の患者の治療の準備をしていた。

 その患者はブラウンシュガーをやっている男性、足には大きな傷が何箇所かあり、すねの骨は見える状態だった。

 彼のポケットの中身を見ようとすると、彼は絶対にそれを見せようとはしなかった。

 しっかりとブラウンシュガーが入っているので手で押さえ、ビリー{巻きタバコ}しかないとしらを通しきった。

 それでも、自分は彼には何度も「パター{ブラウンシュガー}は駄目だ!」と言った。

 最終請願のため、パークストリートから来ていたシスターが隣にいたが、彼女はパターを知らなかったので、詳しくそれを説明した。

 やはりドラックをやり続けていると傷が良くなりにくい。

 彼にはまた月曜に来るように伝えた。

 ハビィは汗だくになり、治療をずっとしていた。

 途中、あまりにも暑かったのだろう、頭から水道の水をかぶっていた。

 彼はグローブをしていたのでガーゼで顔の水を取ってあげた。

 さすがに日のあたっているところはほんとうに暑かった。

 最初に日陰で出来るように伝えるべきだった。


 患者を一人プレムダンに運んだ。

 歩けはしたがもうほんとうに骨身だけの男性だった。


 あのガンの末期の母親と父親が今日は来た。

 さすがに身体が痛むのだろう、母親は施設への入所を希望し、父親はそれを承諾していた。

 前回は渡すことをかなり拒んだ病院でのレポートも彼は自分に渡した。

 彼はまたお酒を飲んできていたが、酔っている感じではなかったにしても、会話に勢いが少しあった。

 それに押し切られぬように、しっかりと以前彼が言ったことと違うことも話した。

 彼はこのままでは彼女は死んでしまうと何度も言っていた。

 それは死んでは困る、死ぬ訳がないと思い込んでいる証でもあった。

 だが、自分はガンの末期の者にあまりにも優しくないと感じながら、その場にいた。

 それを常に感じながら、また何よりも母親が何を望むのかを確かめた。

 そして、二人にまずシスターに大丈夫かを聞いて、それから、明日か、月曜にはシャンティダンに連れて行くと伝えた。

 彼らはそれを納得してくれた。

 それでも、明日にはそれは変わってしまうかもしれないが、今日出来ることをただするのみである。


 そして、そこには何よりも、祈りありきである。
 
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今日と言う一日。

2011-03-25 12:13:51 | Weblog

 あと一週間の滞在になった。

 これからは毎日ブログを書くことが難しくなるかもしれない。

 こことの別れのためにいろいろと準備が必要になるからだ。

 自分が去ったあとも残されたものがしっかりと仕事が出来るように可能な限り、それを整えて行こうと思っている。

 一つひとつのその仕事がいまとても愛おしく思えてならない。

 シアルダーのメンバーは駅に向かう前に近くの子供たちと手をつないで一緒に祈る。

 今日も三人子供たちが誰が祈る祈らない、この歌を歌う歌わないで騒いでいた。

 結局一人の女の子がカトリックのベンガル語のうたを歌った。

 だが、それに物足りない男の子が、そのあとに自分とだけ手をつなぎ、また祈りだした。

 そのなかにはバーニーの名前も含まれた。

 彼はバーニーのために自分と二人きりで祈りたかった。

 こうした小さなことではあるが、そこに大きな愛を感じてならなくなる。

 ここから離れることはいつも難しい。

 あまりに愛に溢れている。

 それに惜しむことなく味わい、感謝し、そのときを生きた。


 今日はドゥッワを病院に連れて行った。

 彼はこの前、彼の胸のうちを打ち明けてくれた。

 それは「なぜ自分を病院に連れて行ってくれないのか・・・?どうして、アイリーンなのか・・・?」

 ずっとそう思っていた。

 そして、またそうしたことを考えることは馬鹿げたことであること、自分{Tetsu}がより良く考えた上で行っていることも知っていると、そうは分かっていても・・・と話してくれた。

 自分はずっと彼を悩まさせていた。

 彼はずっと心の中で葛藤していた。

 それはもちろん当たり前のことでもあった。

 自分は病院内のことはあまりみんなに話さなかった。

 それは誰でもが行ける場所ではないからであるのと、表現は良くないが興味本位では決して行けない場所であり、そこではほんとうに人が苦しみ抜いている。

 彼らにとって良くないであろうと思えば、自分はその人を選ばない。

 また以前コラムや他のボランティアも連れて行ったが、最後までは一緒に自分についてはこれなかった。

 そこにはいろいろな理由があると思う。

 病院の訪問は他の仕事とはかなり違うものである。

 それゆえ自分はある意味、その孤独をも受け容れなくてはならなかった。

 誰かに話すことが出来なかったからである。

 だが、ドゥッワを悩ませてしまったそれには、自分にその非があることは違いなかった。

 だから、昨日そのことをゆっくりと彼と話した。

 そして、今日は襟の付いたきれいな服を着てボランティアに来た。

 彼が病院で何をどうを感じたのかは終ったあと、あまり話さなかったが、かなり思いつめた表情し、それでも、「ありがとう」と自分に言った。

 そこを見れば、どうして自分が連れて行かなかったが良く分かったのかもしれない。

 またもっと早くそこに行きたかったかもしれないとも思ったかもしれない。

 そして、今度はクレアも連れていくことになる。

 ここに問題が生まれてくるが、それでも、それを受け容れていく必要が自分にはある。

 これも別れの準備である。


 駅からは一人プレムダンに運んだ。

 パークサーカスに住んでいる者だがあまりにも傷が大きくて、午後の週三回のディスペンサリーでの治療では追いつかない患者だった。

 
 今日と言う一日はあまりにも愛おしい。

 
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愛と感謝。

2011-03-24 10:57:44 | Weblog
 
 「これで良いのかな?」

 今朝のセントメリーのミサで大きなイエスの像に向かって聞いた。

 人が他人にこう質問するときには、多くの場合、「それで良い」と肯定的な答えを望む。

 そのことも感じ考え、内なる声に耳を澄ませ、ずっとイエスの像を見詰めていた。

 すると、ゆっくりと「これで良いのかな?」の問いから、「これで良い」の答えに変わって行った。

 自分が座っているところから、五列ほど前にママが座っている。

 あと何回この景色を目にすることが出来るのだろうか。

 その問いかけに胸が熱くなった。

 必ず終わりが来る。

 そのことを痛いほど死より学んできた。

 だからこそ、この今を健気に生きる。

 そして、出会ってきた者たちのことを胸のうちに蘇らせて行く。

 またしばらくじっとイエスの像を見詰めていると、この胸、この内が愛と感謝で満たされていった。

 それが眩いほどに美しく、驚くほどに嬉しく、そのときを頂いた。

 「これで良い」その声は愛と感謝に変わって行った。

 ミサが終わり、ママと一緒に教会を出て、いつものようにココナッツを飲んだ。

 今日のココナッツはとても美味しかった。

 そして、ママと思いっきりハグをして、マザーハウスに向かった。

 歩きながら、「ありがとうございます」と何度も呟いた。


 今日もとても暑い。

 みんなだんだん疲れが溜まってきていた。

 クレアがかなり疲れていたので、今日は休みを取って貰い、駅にはドゥッワとハビィで向かった。

 病院には一人で行った。

 マザーの写真をあげた脊髄損傷の患者は今日も激しく苦しんでいた。

 「小さな子供が二人いる。彼らがとても心配だから、家に帰りたい。でも、足も手も動かない・・・」涙目で彼は語った。

 自分は瞳をそらさず、彼を見続けた。

 自分には到底耐えられぬ痛みと不安であろう。

 小さな子供たちをどう育てていけば良いか、また自分の身体が治ることすら信じ切ることも出来ずにいるその痛みは如何なるものなのか・・・。

 その命すべてをかけて子供たちを守りたいだろうに、子供たちを抱きしめたいだろうに、子供たちと普通の生活がほんとうにしたいだろうに・・・、限りなく彼の希望が見え感じた。

 その彼の痛みに自分が寄り添えるなんて到底言えない。

 無力・・・。

 ほんとうにそうである・・・。

 それでも、彼の額に手をあて、彼の瞳を見続けた。

 祈るほかに何もない。

 昨日自分の夢を見たと言ってくれた男性は寝ていた。

 ぐっすりと寝ていたので起こさなかった。

 いい夢を見ていて欲しい。

 火傷の部屋には新しい患者が二人来ていた。


 駅では運ぶ患者は居なかった。

 だが、メンタルな患者で片目が落ちている男性にあった。

 パンとバナナ、ゆで卵をあげた。

 いつも思う。

 それで良いのか。

 ほんの少しで食べ終わってしまう食べ物しか与えることが出来ずに、いつもほんとうに申し訳ない思いに包まれる。

 それでも歩き続ける。

 今まで出会ってくれた素晴らしい友たちの思い出たちが、この街を限りなく美しく見せてくれる。

 愛と感謝に包まれて、また歩き出す。
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小さなことに。

2011-03-23 11:33:31 | Weblog

 登録のシスターは二人居る。

 一人はアメリカ人のシスターメルシーマリア。

 もう一人は韓国人のシスターマーガレット。

 メルシーマリアは元アメリカの軍隊にいた。

 だから、いつもテキパキと仕事をこなして行く。

 マーガレットはお地蔵様のような可愛い顔をした穏やかな女性である。

 オリエンテーションでは、この二人のやり取りが面白い。

 テキパキとおっとりなので、二人を見ているとボケと突っ込みのようにも見えてくる。

 だが、この二人の仕事はかなりたいへんである。

 世界中から、いろいろなボランティアが来る。

 そのなかにはいろいろな思い込みを持って来る人たちもいるので、それに合わせて行くのがほんとうに大変だろう。

 この前はこんなことがあった。

 一人の日本の女性が一泊3000ルピーのところに泊まっていて、それをどうか考え直して欲しいとメルシーマリアはかなり長い時間を使い説得していた。

 そこに自分も呼ばれ、その子が納得するまで、詳しく説明した。

 メルシーマリアは{ I feel very sad }まで言っていた。

 そこまでお金を使うのなら、誰かに何かを買ってあげた方が良いとまでも言っていた。

 これはもちろんマザーの考え方と同じである。

 メルシーマリアは真剣に、そして、丁寧に彼女にいろいろと話していた。

 その姿もマザーらしく微笑ましかった。

 マーガレットはとても可愛らしいシスターである。

 ある朝、彼女はボランティアたちに朝の祈りを知らせるためのベルを「チリリン~チリリン~」と鳴らしていた。

 それが終ると彼女は微笑み、「今日はうまく鳴らせることが出来た」と言って喜んでいた。

 その言葉と彼女の姿を見て、自分は喜び感動した。

 ほんの小さなことであるが、そのなかに喜びを見出せる彼女は幸せになる達人だと感じた。

 自分を含む多くものたちが、もっとこうならなくては、もっとこれが出来れば、あれがあったら、自分がこうだったら、それがなかったから・・・、など、いつも満足することをせず、常に欲求不満状態にある。

 またその状態にあることすら分からないでいる。

 これではいつまでも幸せにはならない。

 たとえ、幸せだと感じた瞬間があったとしても、次の瞬間には、あれもこれも、またそれもと考え始める。

 小さなことに喜びを見出すこと、小さなことに大きな愛を注ぐことにより、自分たちの人生は、それ以前よりも豊かになっていくのではないだろうか。

 どんなときであれ、幸せになることを諦めては欲しくない。


 今日はジャネットの希望で病院の訪問に彼女を連れて行った。

 行く前に彼女にはこう言った。

 「神さまに逢える。患者たちはほんとうに素晴らしい」。

 病院を終え、彼女と駅を回っているときに、彼女はこう言った。

 「あなたの言っていたことがほんとうだと分かった」。

 彼女はとても深いところから、その言葉を表に出していた。

 病院では亡くなった女性患者が三人運ばれていた。

 二つの遺体は重ねあって運ばれていった。

 それがあまりにも悲惨に目に映った。

 昨日もう会えないと思った患者には、やはり会えなかった。

 彼の隣の患者に聞くと、12時亡くなったと言った。

 息子が食事介助をしている火傷の患者は今日もとても優しかった。

 彼は昨夜自分が夢のなかに出てきたと微笑んでいた。

 それを聞いた息子も自分も笑顔になった。

 爆弾によって火傷した男の子は今日新しく治療があると言っていた。

 そして、自分が「明日はかなりその手が痛むね」と苦笑いをしていた。

 その姿もとても愛らしかった。


 駅は運ぶ患者もなく穏やかであった。

 ここでの残された日々もあと少しになってきている。

 それを感じれば感じるほど、この上なく愛おしくこの街がこの瞳に映り、また胸のうちにはあたたかなものが溢れてくる。

 惜しみなく慈しむことを試みる。

 
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シンナー。

2011-03-22 17:14:50 | Weblog
 気が付けば、ほんとうに多くの貧しい子供達はシンナーを吸っている。

 腕に傷を作り、そこにブラウンシュガーを塗りこむやり方でドラックするよりも安いのだろう。

 今日も駅で自分にパンがちょうだいと言ってきた12,3歳の男の子はガムチャによって隠された右手にビニール袋を持っていた。

 それでシンナーを吸っていた。

 もう一人の男の子と一緒に居たが、その子はもうかなりハイになっていた。

 ベンガル語でシンナーをビィシュンと言う。

 ビィシュンは良くないと真剣に叱ると、彼らは逃げて行った。

 真剣にとは、そこに感情的と言う意味をその時には含んでしまった。

 感情的になり、叱ったところで何があるのだろうか。

 また感情的にならずに、パンを与えて何になるのだろうか。

 だが、後者のうちに悩み尽くす方が良いだろう。

 そして、そこに解決を求めない勇気も必要である。

 そこに深い思いやりがあり続けた方が良いのだろうが、そこに行くまでの答えもなく、ただ胸を痛める。

 自分に彼らを変えることなど出来る訳がない。

 その現実を何度と無く問いただす必要だけが残されているのかもしれない。


 今日も病院には一人で向かった。

 明日には逢えないであろう患者もいた。

 ただの行事にならぬように。

 ただの繰り返しにならぬように。

 一足一足、また目線の先へも集中し、心の深いところから祈る。

 激しく苦しむ患者のその呼吸と自分の呼吸を合わせ、目で会話をする。

 心を伝えていく。

 何も出来ない無力の自分が無力のまま、そこに向かい続ける。

 神さまのために美しいことをしようと試み続ける。


 今日は旅行から帰ってきたハビィもシアルダーに来た。

 ジェネットはハウラーに向かった。

 プラットホームから二人の患者をディスペンサリーに連れてきた。

 一人の患者は治療の必要な患者。

 もう一人は4階から落ち、骨折は無いようだがかなりの痛みを全身に感じ、高熱も出ていた。

 その患者は二日目に国の病院に行ったが出されてしまったらしい。

 お金は一ルピーだけ持っていた。

 ドゥッワとハビィにホープの病院まで運んでもらった。

 自分は以前病院から逃げ出してしまった患者のために買った薬をプレムダンに持って行った。

 4000ルピー以上掛かった薬だったが、その患者が逃げ出したために何も使わずにあった。

 それをプレムダンのメールサイド治療にあたっているママにあげると喜んでいた。

 チャージのシスターローズメリーは居なかったので、くれぐれもシアルダーで働いている私の息子が持ってきたと伝えてとママには言った。

 いつもほんとうに患者を運んでばっかりなので、それを少し冗談交じりに伝えて欲しかった。


 昨日は37度あった。

 ものすごく暑かったし、オリエンテーションを終えたときにはかなり疲れていた。

 そして、心配していた太陽アレルギーが少し出始めてきた。

 以前はこれで入院もした。

 しっかりケアをしようと注意している。
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家族。

2011-03-21 13:12:04 | Weblog
 ホリーの日は誰にも会わずに、誰とも会話もせず、一人部屋にいた。

 そして、ほんとうに良く寝た。

 この身体がかなり疲れていたことを改めて知った。


 昨日はシスタークリスティーに頼まれ、山谷のことを日本人のボランティアたちに話した。

 その前、彼女が言ったことは。

 「やはり、被災により、ボランティアが少ないようです」。

 確かそうだとも思ったが、昨日は50人ほど来ていた。

 先週の方が多かった。

 そこで感じた。

 被災された方のなかでも、このマザーハウスに来たかった方がいただろうことを・・・。

 そして、一人の女性のことも思い出した。

 彼女はここにずっと来たかったが自殺し、その夢が叶わなかった。

 もちろん、自分は自殺を認めないが、そこまで苦しんだその子の思いを深く思いやることは可能であるし、そうしたい。

 マザーのお墓に額をあて、彼女のことを祈った。


 今日は二日ぶりに病院に一人で向かった。

 やはりホリーカラーの新しい患者が運搬用のベッドの上で点滴を受けていた。

 他にも新しい患者が何人かいた。

 ある患者の見舞いに来ていたものは、自分にお金を渡そうとしてくれた。

 自分はその思いだけ十分と、それを断った。

 ある家族は自分の姿を見ると呼び、その母親はどうか息子の身体に触れ、身体を良くしてやって欲しいと願うように自分に言った。

 自分はそんなものではない。

 そんなに純粋なものではない。

 不純であり、神さまの近い存在でもなんでもないのに・・・。

 ただフェイクになのに・・・。

 どうして・・・。

 そんな問いが身体を縛るように包みあげる。

 だが、そうした問いのなかにいる自分は、自分が何かしようと試みる、自分に何か出来ると思い込む自分でしかない。

 やはり、自分には何も出来ない。

 神さまがしていることであることをまた深く感じ観る。

 この魂を神さまに委ねて、また歩き出す。

 火傷の患者にはまた息子が来て、食事介助をしていた。

 そして、また彼は同じように自分を家に招待したいと言った。

 公園で遊んでいて、そこにあった爆弾が破裂し、火傷をおった男の子はとっても元気になり、部屋中を良く歩いていた。

 二日間来なかったことをどうして?と聞いて笑っていた。

 彼はもうすぐに退院できるだろうが指は何本か無くなっているかもしれない。

 だが、ほんとうに可愛い笑顔を見せてくれる。

 その笑顔に触れるだけ、自分のなかにある痛み悲しむ苦しみが和らいでいくのを感じた。


 今日もジェネットと一緒に駅を回った。

 彼女も病院の訪問に行きたいと言うので、自分が日本に帰る前には一度連れて行こう。

 駅は平穏でとても静かだった。

 だが、今日しなくてはならないことがあった。

 それはこの前ホープの病院に運んだ母親が末期のガンのため、手術出来ずに退院させられ、その父親と子供二人、10歳の女の子と12歳の男の子と話し合いを持たなければならなかった。

 母親の最後をどうするか、シスターとも話し合ったが、やはり家族全員で話し合うことが必要だと金曜日に話し合っていた。

 今日は父親は酒を飲んできて、シスターの言うことも聞かず、ただ薬が欲しいとだけ何度も言ってきた。

 母親はさすがにかなり苦しそうで、マザーの施設に入りたいと言っていた。

 だが、父親はそれを認めず、一緒に居たがり、結局のところ、父親が強く欲しがっていたホリックスを買い与え、それで彼らは笑顔になって帰っていった。

 子供たちは母親の命が短いことを知る由もなかった。

 末の女の子はほんとうに甘えっ子ですぐにクレアやジェネットに十歳なのに抱っこを求める。

 愛情不足なのか、どうなのか、ただ胸を痛め、その光景を目にしていた。

 ドゥッワやクレアはきっとその父親の行動には理解不可能だったと思うが、自分は今の段階では、こうせざるを得ないことを告げた。

 そして、母親がほんとうに痛み苦しむ時に備え、マザーハウスのシスターマイケルに相談し、シャンティダンへ入ることをも準備をした。

 ほんとうに何も出来ないのである。

 ただ今出来ることを丁寧に行うだけである。

 そして、そこには惜しみなく、それをするということである。

 自分の思い通りにならないからと言って、相手を否定し、馬鹿にし、笑顔をなくすのではなく、相手の望むように、そして、またそこに自らの願いを足して行う。

 自分たちには何も出来ないが、何も出来ないかもしれないが、惜しみなく愛することが出来るのではないだろうか。

 今そうできるのであれば、ただそうしていこう。

 それはきっと連鎖する。

 愛は必ず連鎖する。

 惜しみなく愛して欲しい。

 
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