昨日はブログをネット屋が閉まっていて書くことが出来なかった。
今朝もバーニーと二人で病院に行った。
病院では二人の患者が亡くなっていた。
一人は亡くなったばかりだった。
奥さんらしい人は泣きながら病室を出て行った。
両足のない患者には15歳くらい息子が見舞いに来ていた。
列車で一時間ぐらい掛かるところから来ているらしい。
父親と話す訳でもなく、ただベッド脇に立っていた。
今朝、父親はいろいろと自分に話しをしていたが浮腫もある顔から発せられる言葉がうまく聞き取れず、ほとんど理解できなかった。
バーニーともいろいろと相談した。
その患者にはもう少し足を切らなくてはならないだろうことや、またもうすぐに亡くなるかも知れない状態であること、どうしたら良いかを話し合ったが、なかなか答えが出なかった。
病院では八時を過ぎると掃除などが始まるため、見舞い客は出される。
今日はガードマンが自分達のところまで来て、とても丁寧な言い方でもう時間なので出てくださいと言ったあとに握手を求めてきた。
他のガードマンは声を荒立てて見舞い客を出していた。
この病院では以前ライフルを持った警官が病棟に入り口にいた。
そうした警官に追い出されたこともあったが、行くうちに彼らも自分のことを認めてくれ始め、訪問も続けることが出来た。
今はもう時間以外の問題は何もなく、訪問出来ている。
今日は駅の訪問を終えて、みんなそれぞれの場所にまた向かった。
ホープファンデェーションへはアイリッシュのジョンとイングリットが行き、また病院の壁にビニールで屋根を付け、そこで生活している結核女性の患者の新たな検査をしにバーニーとコラムが向かった。
ティオをマザーハウスから、そのままサダルストリートに戻り、足の切断を必要とする患者をカーリーガートに運んだ。
自分とスペイン人のメルセデスはプレンダンに患者を一人列車で運んだ。
この患者はヒドュラー{オカマ}だったのでディスペンサリーでは男性病棟に運ぶか、女性病棟に運ぶか、どうするかをマーシーやシスターと話し合った。
もちろん、女性病棟に運ぶと自分は言い切り、マーシーのルパーリも賛成した。
そうした話し合いをしているとき、メルセデスは患者のところにいた。
彼女を呼び、この患者がオカマであることを伝えると信じられないと驚いていた。
その患者は女性よりも女性らしく、汚れきったサリーであれ、身を隠すように気にかけ続けた。
「病院ではきれいなベッドもあり、洋服もあり、ご飯もちゃんと食べれる。お金も掛からないしに何の心配も要らない」と優しく声を掛けると彼女は自分の両足に触れ、自分に向かって手を合わせ感謝の意を伝えた。
プレムダンでは数日でも良いから少しここに居させて欲しいとシスターにお願いすると、ベッドはないと言いながらもちゃんと引き受けてくれた。
昨日病院の外で生活している女性の結核患者と話しているときに感じたことがある。
この女性に六人子供居て、小さい男の子と女の子は彼女のそばで寝ている。
毎朝、この家族にエッグトースト三つとバナナ、オレンジ、ゆで卵を与えている。
子供はロレット修道会のフリースクールに通えるようにサポートもしている。
すでに母親は二ヶ月前から結核の薬を服用していて、これからまた違ったメディケーションを始めるので、その薬の服用の説明をしていると近くにいた女性が糖尿病らしく、どうか助けて欲しいと頼んできた。
しかし、それを自分は断った。
そのときに感じた。
マザーは一人ひとり目の前の人をケアすることの大切さを伝えてきたが、これには隠された厳しい痛みがあるように思えた。
それは目の前の一人を助けるということは、それ以外の人を助けることが出来ない痛みを受け容れる覚悟も必要とされているのではないかと感じた。
きっとマザーもこうした痛みは何度も何度も味わったことだろうと思う。
どれほど胸が引き裂かれるような痛みを感じたのだろうか。
だが、それゆえに、そこでまた何かを見失ってはいけないことと自己の無力さを認める必然を実感したのではないだろうか。
ほんとうに無力である。
自分の力などはない。
神さまの力に頼るばかりである。