カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

一人ひとり。

2011-01-31 17:11:57 | Weblog

 昨日はブログをネット屋が閉まっていて書くことが出来なかった。


 今朝もバーニーと二人で病院に行った。

 病院では二人の患者が亡くなっていた。

 一人は亡くなったばかりだった。

 奥さんらしい人は泣きながら病室を出て行った。

 両足のない患者には15歳くらい息子が見舞いに来ていた。

 列車で一時間ぐらい掛かるところから来ているらしい。

 父親と話す訳でもなく、ただベッド脇に立っていた。

 今朝、父親はいろいろと自分に話しをしていたが浮腫もある顔から発せられる言葉がうまく聞き取れず、ほとんど理解できなかった。

 バーニーともいろいろと相談した。

 その患者にはもう少し足を切らなくてはならないだろうことや、またもうすぐに亡くなるかも知れない状態であること、どうしたら良いかを話し合ったが、なかなか答えが出なかった。

 病院では八時を過ぎると掃除などが始まるため、見舞い客は出される。

 今日はガードマンが自分達のところまで来て、とても丁寧な言い方でもう時間なので出てくださいと言ったあとに握手を求めてきた。

 他のガードマンは声を荒立てて見舞い客を出していた。

 この病院では以前ライフルを持った警官が病棟に入り口にいた。

 そうした警官に追い出されたこともあったが、行くうちに彼らも自分のことを認めてくれ始め、訪問も続けることが出来た。

 今はもう時間以外の問題は何もなく、訪問出来ている。


 今日は駅の訪問を終えて、みんなそれぞれの場所にまた向かった。

 ホープファンデェーションへはアイリッシュのジョンとイングリットが行き、また病院の壁にビニールで屋根を付け、そこで生活している結核女性の患者の新たな検査をしにバーニーとコラムが向かった。

 ティオをマザーハウスから、そのままサダルストリートに戻り、足の切断を必要とする患者をカーリーガートに運んだ。

 自分とスペイン人のメルセデスはプレンダンに患者を一人列車で運んだ。

 この患者はヒドュラー{オカマ}だったのでディスペンサリーでは男性病棟に運ぶか、女性病棟に運ぶか、どうするかをマーシーやシスターと話し合った。

 もちろん、女性病棟に運ぶと自分は言い切り、マーシーのルパーリも賛成した。

 そうした話し合いをしているとき、メルセデスは患者のところにいた。

 彼女を呼び、この患者がオカマであることを伝えると信じられないと驚いていた。

 その患者は女性よりも女性らしく、汚れきったサリーであれ、身を隠すように気にかけ続けた。

 「病院ではきれいなベッドもあり、洋服もあり、ご飯もちゃんと食べれる。お金も掛からないしに何の心配も要らない」と優しく声を掛けると彼女は自分の両足に触れ、自分に向かって手を合わせ感謝の意を伝えた。

 プレムダンでは数日でも良いから少しここに居させて欲しいとシスターにお願いすると、ベッドはないと言いながらもちゃんと引き受けてくれた。


 昨日病院の外で生活している女性の結核患者と話しているときに感じたことがある。

 この女性に六人子供居て、小さい男の子と女の子は彼女のそばで寝ている。

 毎朝、この家族にエッグトースト三つとバナナ、オレンジ、ゆで卵を与えている。

 子供はロレット修道会のフリースクールに通えるようにサポートもしている。

 すでに母親は二ヶ月前から結核の薬を服用していて、これからまた違ったメディケーションを始めるので、その薬の服用の説明をしていると近くにいた女性が糖尿病らしく、どうか助けて欲しいと頼んできた。

 しかし、それを自分は断った。

 そのときに感じた。

 マザーは一人ひとり目の前の人をケアすることの大切さを伝えてきたが、これには隠された厳しい痛みがあるように思えた。

 それは目の前の一人を助けるということは、それ以外の人を助けることが出来ない痛みを受け容れる覚悟も必要とされているのではないかと感じた。

 きっとマザーもこうした痛みは何度も何度も味わったことだろうと思う。

 どれほど胸が引き裂かれるような痛みを感じたのだろうか。

 だが、それゆえに、そこでまた何かを見失ってはいけないことと自己の無力さを認める必然を実感したのではないだろうか。

 

 ほんとうに無力である。

 自分の力などはない。

 神さまの力に頼るばかりである。
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ダムダム。

2011-01-29 17:35:35 | Weblog

 今朝は病院にティオも連れて行ってみた。

 バーニーが居なくなったあと、ティオが病院の訪問が出来るかどうか、したいと思うかどうか、を自分ひとりではなく、バーニーにも一緒に見てもらいたかった。

 ティオはほんとうに優しく、心の平穏を保てる男だが、やはり入り込みやすいところがあった。

 病室に入る前に自分に着いて来るように伝えたが、うまく患者との距離を取ることが出来ず、苦しい状態にいる患者に要らぬ力をつかわさせてしまったりもした。

 患者達にはなるべく同じ時間で接するようにしなくてはならない。

 それは一人の患者に長く時間を使えば、他の患者も同じように時間を使ってもらいたいと考え始める可能性もありえてしまうからだ。

 患者のなかにはお金を望むものもいる。

 そうした人に言葉が分からないと曖昧に誤魔化すことは、それをしっかりと断ることもよりも相手を傷付けることになりえてしまう。

 そして、若い修道士である彼が苦しんでいる人にNOと言うことの厳しさも相当だろう。

 また少し時を置いて、ティオにはどう感じたかを聞いてみようと思う。


 今日からダムダムにも行くようになった。

 今日はコラムとアイリッシュのジョンが向かった。

 今日は患者を三人施設に運んだ。

 自分はイングリットとプレムダンに二十歳の男性患者と年老いた女性患者を運んだ。

 二十歳の男性患者はドラックをやっていたが、もうやる力もなくなった骨身だけ身体で「もう死ぬ、もう死ぬ」とディスペンサりーに来た。

 コラムとジョンはライ病患者をチタガールに運んだ。

 昨日の午後シアルダーのディスペンサリーからプレムダンに運んだ患者はすでに亡くなっていた。

 バーニーとティオは病院の両足のない患者のケアをしてもらうように病院に行った。

 その患者ももう亡くなるかもしれない。

 シーツもなければ、ズボンもはいていない。

 少しでも良い状態で最後を迎えさせてあげたいと考えての行動であるが、うまく行ったことを願っている。

 病院内で何かを患者にすると言うことはほんとうに難しい。

 誰もが何かをして欲しいと望むからである。

 今日も病院では二人の患者がお金がなくてどうにもならないと言っていた。

 その一人は泣いていた。

 自分はその患者の痛みに心を合わせることも出来ず立ち去った。


 自分はその罪を忘れてはならない・・・。
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少し。

2011-01-28 12:49:05 | Weblog

 昨日アドレーションのあと、コラムと一緒に帰ってきた。

 その途中、急にコラムが自分の名前を呼んだ。

 「Tetsu, Tetsuは神父にならないの?」

 「自分はまだカトリックにもなっていないからならないよ」

 「自分は少し考えているんだ。神父になろうかと・・・」
 
 「凄いね!MCの神父になりたいの?」

 「うん、少し感がているんだよ」

 コラムのこうした思いを知ったのは初めてだった。

 ミサのあとも、アドレーションのあとも、最後までチャペルにコラムはいる。

 きっとずっと考えていたのだろう。

 少し考えていると言うのは、実はかなり考えていると言うことである。

 コラムはもうすぐバングラデェッシュにビザの更新に行くが、また二ヵ月後に帰ってきて三ヶ月間滞在するらしい。

 そのときにはまたもっと確実な感覚として神父になることを感じていくのだろうと思う。

 またそうではなくなる可能性も有り得るだろう。

 それは誰もが知っている通り、神さまのみが知っていることである。


 今朝の病院では4人亡くなっていた。

 明日にも亡くなるであろう人が何人もいた。

 両足のない男性のベッドにはシーツもなく、彼の切断された足は真っ黒になっていた。

 そして、彼のベッドには柵が今日あった。

 それは昨日彼がベッドから落ちたことを意味していた。

 その彼も近いうちに亡くなるかもしれないほど弱ってきていた。


 駅では裸の男性に会った。

 丸裸で寝ていた。

 ここでは、それを他人は何とも思わない。

 すぐにディスペンサリーに行って洋服を取りに行き、彼に渡すと普通に来て、少しにニコッとして、また座った。

 そして、今日はダムダムステーションにティオとアイリッシュのジョンを連れて行った。

 近いうちにダムダムも始めるので、どこをどうやって回るかを教えた。


 この前のボランティアディーでジョンが長いボランティアの名前を呼んで、みな何年前から来ているかを応えた。

 アイリッシュのジョンは24年前から、バーニーは20年前から、自分は18年前からと答えた。

 それが終わったあとに話したこともないスペインの子が自分に歳を聞いてきた。

 他にも何人かが自分の歳を聞いてきた。

 もうすぐ40になるとは海外の人からは見えなかったようである。

 アイリッシュのイメルダは自分が30くらいに見えたと言っていた。

 悲しいことにもう髪の毛も薄くなってきて、今回は頭を剃ったりもしているし、髭には白髪もあるのだが若く見えるようだ。

 これは少し嬉しかった。

 この少しも実は少しではなく、かなり嬉しかった。

 でも、この嬉しいのは歳を取った証拠にもなってしまう・・・。


 今日から登録のボランティアを始める。

 たぶん、週に一回ぐらいから始めようと思っている。

 この仕事からも学びべきことはあるだろうと思っている。


 昨日、ティオが韓国人の子と話していた。

 ティオが自分に韓国語で「ありがとう」って何て言うの?と聞くので、とりあえず、「サランヘヨー」と教えといた。
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そろそろ。

2011-01-27 13:05:01 | Weblog
 
 昨日ホープファンデェーションの病院にはジュリアンの子供がいた。

 バーニーがそれを教えてくれた。

 ジュリアンはずっとパークサーカス近くに住むある家族の面倒を見ていた。

 そのことは知っていた。

 ジュリアンが列車事故で亡くなったあとは、ジュリアンの友達のスペイン人があとを引き続いていた。

 まだ十歳にもならない女の子だったが、ジュリアンの子だと思うと、愛おしさが溢れた。

 ジュリアンの命があり続けている証に触れた気がして嬉しくてしょうがなかった。

 
 今朝の病院も新しい患者たちがかなりいた。

 両足のない患者には子供が居るらしいがなかなか見舞いには来ないようである。

 彼の持ち物は自分があげたホリックスだけであり、腰に大きな床ずれもあるが治療はされていないままである。

 そして、その患者の斜め前の若い男性患者はメンタルな患者で、今日はベッドに座っていたが治療された足から血が床に滴り落ちていた。

 ビスケットをあげるとかなりお腹が空いていたようですぐに食べだし、ビニールまでかじって食べていたのでしっかりと袋をあげ渡した。

 彼の食べる姿を見て周りの患者たちも心を動かされていた。

 昨日泣いていた患者は今日も涙を流しながら「自分を連れて行ってくれ、自分を連れ出してくれ」とずっと言い続けていた。

 その痛みと苦しみが自分の内側に響き渡った。

 それでも、ここで治療していけば良くなると言い聞かせた。

 すぐには良くなるはずがないことを十分分かっていたが、自分は嘘を付いた。

 その罪悪感と彼の痛みを全身で感じた。

 そして、しばらく彼の瞳から目を離さなかった。

 彼の隣のおじいさんも今日は苦しみ泣いていた。

 どうか痛みが和らいでくださいと、それにすべてを捧ぐ思いでその瞬間に祈った。

 退院していく患者とは一緒に喜んだ。

 退院をあと数日後に控えている患者とはその日が来るのを一緒に待った。

 また亡くなりそうな患者の家族の背中を抱いたりもした。

 自分には何も出来ないが、何も出来ないそれに力を注ぐ。


 駅では運ぶ患者もなく、穏やかだった。

 今日はこっちにきて初めてぶどうを買ってみた。

 お茶と一緒に楽しもう。

 そして、明日の準備をしよう。

 
 来週あたりにはそろそろ一日しっかりと休みをとろうと考えている。

 部屋の大掃除もしたい。

 もう二月になる。

 ほんとうにあっという間にここでは時間が過ぎていく。

 そのなかでも日々、自分の未熟さ、甘え、汚さ、自惚れを感じて行けるように勤めて行きたい。
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シュシュババンから。

2011-01-26 16:38:58 | Weblog

 今朝のミサにはシュシュババンから養子にもらわれる子達とその家族がいた。

 その子供たちの付き添いにMCシスターになったまことちゃんがいた。

 ミサを終え、パンとチャイを食べていると、ジョンが自分を呼びに来た。

 「いま日本人のシスターがいて、Tetsuのことを知っているみたいだから会いに行こう」と自分を彼女のいるマザーのところへと連れて行った。

 養子にもらわれる子達はいつもマザーのところで記念撮影をしてから各国に向かう。

 そこではもう喜び溢れた人たちによる撮影会が開かれていた。

 彼女に「まことちゃんでしょ?」と声を掛けると子供を抱きながら頷いた。

 記念撮影中だったので少し待ってくださいと言う顔して彼女は答えた。

 新しい父親たちがカメラを持って写真を写しているので、自分がカメラマンになり、父親も一緒に写るようにしてあげた。

 一人の父親は子供を抱きながら、カメラの方に子供の顔を向かせようとしても、子供は一秒も動きを止めることなどせず、ずっと動き回るので、とりあえず、シャッターを押したら、案の定、父親だけしっかりとカメラ目線だったが、子供は真横を向いていた。

 それを見て父親は微笑み、「やっぱり不可能だった・・・」と言いながらも満足した喜びに溢れた顔をしていた。

 他にも集合写真を撮ったりもしていた。

 少し落ち着き、まことちゃんと少し話をした。

 彼女はとっても元気で幸せそうだった。

 子供養子縁組のセクションで働いているので、いつも彼女は愛に溢れたものに触れ続けているのだろう。

 施設長のシスターポリタが優しくなかったら、自分に言ってね、優しくするように言いに行くからと冗談に混じりに話した。

 だが、彼女もシスターポリタを尊敬していて何の問題もなかった。

 彼女と一緒に働いているスペイン人のシスターは以前プレムダンで一緒に働いたことのあるシスターだった。

 その彼女はシスターになり、初めて配属された場所がプレムダンの男性病棟だった。

 それがどんなにたいへんだったかをまことちゃんに話した。

 彼女は着たばかりのときは良く泣いていたと・・・。

 するとまことちゃんはそのことを自分が止めるのも聞かず、嬉しそうにスペイン人のシスターに聞いた。

 スペイン人のシスターには「あなたの前では泣いたことがない」と言われた。

 自分はジュリアンが教えてくれたと答えると苦笑いをしていた。

 まことちゃんには彼女がどれだけ大変な仕事をしてきたか、言葉も習慣も何かも違う場所にいきなり配属され、また患者たちのなかには彼女を騙すものもいたし、甘く見るものもいた、それはほんとうに大変だったと思う、それでも、彼女は一年後見違えるほど素晴らしく成長したこともちゃんと伝えた。

 それを言うと、彼女のなかにそうした強く美しいものがあると彼女も分かっていた。

 まことちゃんはほんとうに幸せそうだったので安心した。


 今朝病院では昨日亡くなりそうだった患者の一人はすでに亡くなり、そのベッドには新しい患者がいて、同じように危険な状態だった隣の患者は今日は会話も出来るほど快復していた。

 病院には毎日新しい患者が入院してくる。

 今朝一人の新しい患者の前に行くと、その患者は泣き出した。

 あまりの痛みと不安からだろう、涙をぽろぽろ流していた。

 自分はゆっくりと彼に声を掛け続けると泣くをやめた。

 それから、他の患者たちに挨拶し続けていくと、またその患者が自分を呼んでいると見舞い客の一人が呼びに来たので、彼のもとに向かった。

 そうすると「助けてほしい、あなたの知っている病院があるのなら自分を連れて行ってほしい。どうか助けてほしい・・・」彼は言い続けた。

 それでも、自分はそうすることは出来ないと答えた。

 そこでも自分が引き受けてしまえば、周りの患者たちもそう望むだろうし、また彼には家族も居て、治療し始めていけば、その痛みや不安はきっと和らいでいくだろうことが想像できた。

 だがしかし、彼の苦しみは相当なものだっただろう・・・。

 それを断ざるを得ない痛みも激しかった・・・。


 今日は人数も足りえていたので駅には行かず、バーニーとコラムと一緒にプレムダンに行き、オペの必要な患者をホープファンデェーションに入院させた。
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リス。

2011-01-25 17:36:04 | Weblog

 昨日はジェニィを空港までジョンと見送った。

 いつも人を見送るのは寂しいものだが、これがジョンとの別れだとしてらと思うと、まだ先のこととは分かっていてもつらくなった。

 今あるこのときをほんとうに慈しむように大切にしようと誓った。


 今日は朝からバーニーに「病院の患者たちが待っているからね」と念を押すと早く行かなくては急いでくれた。

 早く行けば、それだけゆっくりと患者たちとの時間を持てるからだ。

 バーニーはいつもいろんな人たちから声を掛けられるが、それが今必要なのか、あとでも良いのかをバーニーにも考えてもらいたかった。

 その期待通りバーニーはちゃんと考えていたが、それでも、いろいろと話していたがまずまずの時間を病院で今日は持てた。

 病院では二人の患者が死にそうだった。

 一人は弟が見守っていた。

 その患者は昨日少し話すことは出来たが、今日は白目で荒く呼吸をしていた。

 もう亡くなっているかもしれない。

 その隣の患者が両腕と両足を入院してから四日は経つだろう、縛られたままだったが今日はもう呼吸も浅く、体温も下がり、腕には浮腫があた。

 この患者ももう亡くなっているだろう。

 二人の患者の前で永遠の別れを意識しながら祈った。


 駅では昨日の転倒のこともあり、自分がイングリットと一緒に駅をまわった。

 それから、イングリットとドゥワットとプレムダンにシスターローズアルバに挨拶するのと患者に会いに行った。

 アイリッシュのジョンとバーニーはホープファンデェーションに向かった。

 ティオとコラムは休み。

 シスターローズアルバは外出していて会えなかった。

 六日前に運んだ女性患者に会いに行こうとしたら、昨日の朝に亡くなっていた。

 三日前に男性患者にプレムダンに運んだ時に彼女に会いに行こうと思っていたが、食事の時間だったので自分は会いに行くのを諦めていた。

 あの時に会いに行ってれば、その後悔の念に縛られた。

 自分たちは決して同じときを生きられない。

 いつもその時その時、その瞬間瞬間を大切にしているつもりであったが、やはりそれはつもりであったことを思い知った・・・。

 せめてもの救いは彼女が大切に扱われていたことを知っているだけである。

 それが今もこの自分の救いになっている。

 三日前の午後にコラムがカーリーガートに運んだ足にうじ虫がいた患者が見違えるほどきれいになり、とても幸せそうだった。

 自分に会うなり、両手を差し出し、握手を求めた後、自分の両足に触れ、感謝の意を伝えてくれた。

 彼の笑顔にも救われた。

 ハウラーからも患者一人運ばれてきた。

 ジョンとニナ、フランコが連れてきた。

 フランコは大きな身体をしていてスキンヘッド、腕には大きな刺青もある男だった。

 挨拶をすると自分は彼のことは知らなかったが、彼は自分のことを知っていた。

 強面だが、とても愛らしい笑顔でする優しい男で安心した。

 それから、一人でジュリアンスクエアでぼぅっとしていた。

 すると一匹のリスがヤシの木を上っていった。

 その姿がとても可愛かった。

 その姿に救われた。

 何日か前に三年前も会っているナースのなおみさんからプレムダンの女性患者で骨折をしている女性がいることを聞き、ずっと気になっていた。

 その患者のことと亡くなった患者を引き受けてくれたことへの感謝の意を伝えようと女性病棟の委員長を待っていた。

 そこでオペの必要な患者は自分たち駅のボランティアが引き受けるのでまた患者を運びますと約束した。

 そのシスターは快く承諾してくれた。

 その笑顔に救われた。


 今日はアドレーションに祈りに行こう。
 
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イングリット。

2011-01-24 16:44:32 | Weblog

 昨日は二時にちょうどマザーハウスに行くと、ジョンとジェニィに会った。

 MCシスターに頼まれ、女性患者一人AJC bose roadからシャンティダンに運ぶと言うので一緒に行った。

 シャンティダンに着くと、シスターたちのいる場所のベルを鳴らしても誰も出て来なかった。

 三年前は自分の良く知っているシスターデェミッツアが施設長だったが、今は誰が施設長かを知らなかった。

 ジョンが通りかかった一人のシスターに声を掛け、マザーハウスのシスターに頼まれ、患者を運んできたと伝えると、素っ気無い素振りで連れてきた患者も見もせず、今違うシスターを呼ぶと言って離れていった。

 それから、一向に誰も来なかった。

 そのシスターの態度にマザーの心を持っていないとみんな呆れていた。

 次に来たシスターは身体の大きなシスターだった。

 インド人の来客者に施設内を案内しているようだった。

 声を掛けると、患者の様態を確かめ、すぐにシスターたちのいる場所に向かい走り出した。

 みんなその姿に安心した。

 そして、また違うシスターが来て、メンタルではない患者だったがシャンティダンでは受け入れてくれた。

 それから、シャンティダンの施設内にあるマザーの写真を見た。
 
 マザーハウスに飾りきれないのでシャンティダンに飾ってるそうだ。

 それは美しかった。

 まだボランティアディーにボランティアは集まっていないので、ジョンとジェニィたちとシャンティダンの庭にあるブランコに乗って遊んでいた。


 ボランティアディーでは「なぜここにきたのか?」「何をここで感じるのか?」について国ごとにわかれ、シェアリングした。

 そこに来た日本人は五人だけだったのでゆっくりと話し合うことが出来た。

 それからアドレーションがあり、そのあと夕食だった。

 自分とジョンたちはとても疲れていたので夕食を取らず帰ってきた。


 今朝の病院では患者が二人退院するので一緒に喜んだりした。

 オペを終えた若い子の痛みが少しだけ良くなっていたり、両足のない患者も今日はベッドの上で座っていた。

 そうしたことが嬉しくてたまらなかった。


 今日からポルトガルの若い男性ドゥワットが駅に参加し始めた。
 
 だから、スイス人女性のイングリットには一人で駅を回るように伝えると、まだ出来ないという返事があったが、もう大丈夫と伝え、しぶしぶ駅に向かった。

 駅を回り終え、ディスペンサリーに戻るとイングリットが何か膝のあたりを触っていた。

 「だから、言ったでしょう・・・!」と彼女は言う。

 何を言っているのかと思えば、どうも彼女は駅で転んだらしい。

 自分が一人で行くように行ったことを少し責めていたらしい。

 ズボンが破けていたが、大きな怪我でなくて良かった。

 駅ではほんとうに注意して歩かなくては何か引かれたりしてしまう。

 もう少し慣れてからの方が良かったかなとも少し思った。

 
 イングリットには子供が4人居て、そのなかの一人の娘には87年にシュシュババンから養子として授かった子がいて、95年にはマザーに会いに来ていた。

 もう一人の娘はベトナム人であるとも話してくれた。

 こうしたことがとても自然なのであろう。

 ほんとうに素晴らしいことである。

 この言葉では到底足りるはずがない、彼女は神さまに美しいことをただしているだけなのであろう。

 そして、それが喜びに違いない。
 
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ボランティア ディー。

2011-01-23 11:05:41 | Weblog
 
 今日は病院の訪問がないので時間を気にせずに朝マザーハウスに居れた。

 病院に行く場合はなるべく七時半にはマザーハウスを出なくてはならない。

 八時を過ぎると病院では掃除が始まり、見舞いに来ている者も出されるからである。

 病院のガードマンたちは自分たちまで出そうとはしないが、掃除をしている人に迷惑が掛かったり、また自分達を知らないものを何を言い出すか分からないので、時間にはいつも気をかけている。

 
 今日はバーニーは休み。

 ハウラーに行くジョンも疲れたので午前中は休むと言って帰った。

 今日は午後にボランティアディーがあり、二時にマザーハウスに集まり、そこから歩いてサンティダンに行く。

 そこでマザーの映画を見たり、今日は韓国やスペインのボランティアが歌を歌う。

 それから、アドレーションもそこであり、そのあと夕食も出る。
 
 駅で働くみんなも行く。

 だから、今日は運ぶ患者もなく、静かだったので早く帰ってきた。

 行く前に少し横になろうと思う。


 今日はジョンの友達ジェニィがプレムダンで最後のボランティアである。

 昨夜もジョンと一緒に食事をしたときにジェニィは言っていた。

 患者たちと離れるのが辛いと、プレムダンでのボランティアはほんとうに楽しかった、カルカッタに来て良かったと言っていた。

 こうしてジョンがオーストラリアから友達{教会の信者さん}を呼ぶのは初めてあるが、さずがにジョンの友達だけあって、ジェニィはとてもかわいくてほんとうに良い人だった。

 良く三人で食事をした。

 ジェニィは二人の娘たちのことを恋しく思ったりもしていた。

 ジョンはこう言った。

 そうした想いがまた帰ったら、とても優しく接することが出来るし、彼女らへの愛を大きくなると。

 ほんとうにそうである。

 一昨日ジェニィとネット屋で隣に座った。

 ジェニィのフェイスブックに娘が画像を送ってきたのを見ると、カメラの前でずっと変な顔をしていた。

 それをジェニィはずっと笑っていた。

 自分も笑った。

 ほんとうに仲の良い親子なのだろう。


 ジョンとジェニィの朝を面白い、彼らはいつも一緒にマザーハウスまで行っているのだが、ジョンが歩くのが早く、いつもジェニィはそれに付いていけず、ジョンの後を走っていた。

 そして、ミサに行く前に立ち寄るチャイ屋に着く頃には汗をかいていた。

 その姿が面白くてならなかった。

 今朝も期待を裏切らず、ジェニィは汗をかいていた。

 きっとオーストラリアに帰ったら、いろんなことを家族や友達に話すのだろう。

 ジョンはオーストラリアで自分のことやカルカッタのことなどをミサのなかで話したりしていたらしく、ジョンが話していた自分に会えて良かったと言っていた。

 ジェニィとの別れも寂しい。

 でも、出逢えてほんとうに嬉しかった。
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少しずつ。

2011-01-22 18:05:59 | Weblog

 今日から病院内の訪問も火傷の患者の病室も訪問するようにした。

 少しずつ患者達も毎日と訪れる自分とバーニーを待っていてくれるようになってきた。

 バーニーもこの朝の病院の訪問をほんとうに大切にしてくれている。

 普段の仕事とは違ったものであり、祈りのなか、心の、魂の会話とでも言って良いだろう仕事である。

 それゆえに神経はいつもかなり集中力を必要とし、うわべだけの応対では必要とされないだろう。

 時に瞳だけでその思い、心を伝えていく。

 そして、彼らから常にすべてを見られている感覚を感じる必要があり、またそれに答えていくことも必要である。

 自分は彼らのなかに神さまを見る。

 この言葉では到底言い尽くせないものであるが、それを感じ、また信じて疑わない。
 

 シアルダーのディスペンサリーでは二人の小さな子どものいる母親が旦那が亡くなり、生活がどうしようもなくないと涙をぽろぽろ流していた。

 その涙に答える術のない痛みに締め付けられる。

 ただほんの少しの食べ物を渡すしかなかった・・・。

 今日はアイリッシュのジョンとシアルダーから男性患者を一人列車でプレムダンに運んだ。

 ハウラーから男性と女性患者が来た。

 ジョンから初めてハウラーのボランティアの二人を紹介してもらった。

 二人ともとっても熱意あるもの達だった。

 プレムダンからジョンと一緒に帰ってきた。

 ジョンは「今日は歩いていないから歩いて帰ろう」と言い出した。

 彼はいつも体力作りのためにハウラーからバブーガートまでフェリーを乗ったあとは、そこから40分くらい歩いてサダルまで帰ってくる。

 またここでジムにも毎日ではないが通っている。

 空気の良い街なら歩いて帰るのも悪くはないが、カルカッタは辛いものがあるが、仕方なしにジョンに付き合った。

 だが、今はもうそのくらいの体力もある。

 カルサでジョンと一緒に昼食を取っているとバーニーとコラムが来た。

 コラムがまた午後三時にシアルダーのディスペンサリーに戻り、患者を運ぶと言う。

 その患者は毎朝訪問している病院の患者で昨日退院した。

 今朝その患者のことを周りの患者達に聞くと、家族もいるとのことだった。

 だが、その患者は60代のメンタルな患者で足にある傷はずっと治療されていないようだった。

 その患者が自分がプレムダンに行ったあとにディスペンサリーに来たらしい。

 彼の足の包帯を取ると何百匹ものうじ虫がいたと言う。

 メンタルな患者だったので治療もされないでいたのだろう。

 時間も遅かったので午後三時にまた待ち合わせ、カーリーガートに連れて行くことにしたようだ。

 認知症かもしれないが、そうした場合はその病院では治療されないままである。

 もちろん、家族からも見放されていたのだろう。

 うまくカーリーガートに居てくれれば良いがどうなるだろうか・・・。

 
 明日は病院の訪問は日曜日なので休みにする。

 日曜はセントジョンに居る黙想会のMCシスターが病院の訪問をしているからだ。

 そして、週一回は病院の訪問は休んだ方が自分達も良いように思う。

 いま、セントジョンに、マザーの次に総長になったシスターニルマラがいる。

 この前マザーハウスで会ったほんとうに穏やかな笑顔をしていた。

 また機会を作ってセントジョンに会いに行ってみたいと思っている。

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パグラ。

2011-01-21 16:29:40 | Weblog

 4ヶ月何もされないまま病院にいた患者は昨日コラムとアイリッシュのジョンがアイルランドのNGOの病院のホープファンデーションに連れて行ってくれた。

 何事も無く望み通りに行ってほんとうに嬉しい。

 今日も病院では一人の患者が亡くなっていた。

 その彼はもう骸骨のような顔をしていたが昨日は少し微笑んでくれた。

 彼の死を胸の奥で静かかに感じている。

 両足の無い患者は痛みが激しくほんとうに辛そうである。

 明日は彼にホリックスを持っていく約束をした。

 その隣の若い貧しい男性患者には新しいルンギを持っていく。

 その彼はシーツを変えてもらうお金がなく、ダンボールをベッドの上に敷いていた。

 うまく排泄が出来ず、着ているルンギを濡らしていた。

 自分達に出来ることはほんとうにゼロのように少ない。

 出来ることのなかで最良のことが出来ているだろうか。

 何かすることにより、誰かを傷つけてはいないだろうか。

 いや、生きている限り、他人を傷つけないものなどいないだろうが、それでも、その混沌としたなかでも、可能な限り最良の行いをと試みる。


 駅は運ぶ患者もなく平穏だった。

 MCファーザーになるブラザーたちが来て、駅に住む何人かのインド人の髪を切ったり、身体を洗ってあげていた。

 ディスペンサリーでそうして身体を洗い終えた人たちに着せるトレーナーをバーニーとティオと買いに行った。

 どこかの国から寄付されたものがブラックマーケットを通して路上で売られている古着トレーナーを50着買い、ディスペンサリーに置いた。

 たまに日本からの古着もそこでは売っている。

 今日は駅を終えたあと、ティオとイングリットがホープファンデェーションに向かい、退院する患者と昨日入院した患者の見舞いに行った。

 
 昨日ホテルギャラクシーの前を通るとモダンロッジからゴミを出しに来たインド人がいた。

 その先にはゴミのなかから再利用出来るものを探している貧しい男がいた。

 ゴミを出しに来た男は「オォーパグラ!{バカ}」と彼を呼びつけた。

 彼は背中を丸め、そのゴミをあさりに来た。

 胸の痛む光景だった。

 ゴミをあさるものは一生その仕事をするカースト外のものである。

 人から人のようには扱われず、食べるものよりもドラッグを使い、痛みを癒している。

 ホテルギャラクシーの横のゴミ捨て場では彼は注射器を使い、ふくらはぎにドラッグを注射している。

 自分がそうした人たちに出来ることは死ぬ寸前に施設に運ぶことと、彼らが一人でいるときに食べ物をあげるくらいである。

 何人かまとまっている場合、食べ物を与え切れなかったり、、またドラッグにより飛んでいるときには危険だからだ。

 ほんとうに何も出来ないのである。

 ただただ胸を痛め祈るだけ・・・。


 昨日来たばかりの日本人の女の子が昨日ホテルで泥棒にあったらしい。

 ちょうど壊れている窓から、その子が寝るを待ち、長い棒を使い、外から部屋のなかのものを取ろうとしていたところで、泥棒と目が合ったらしい。

 ほんとうに怖い思いをしただろう。

 そのホテルの従業員はその話をまったく信用はしてくれなかったらしい。

 その子は以前二ヶ月ボランティアをしたカルカッタ二日目の子だが、これでここを嫌いにならないように、怖かった思いをしっかりと聞いてあげようと思う。
 
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