カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

晴れの風。

2016-04-29 11:52:40 | Weblog

 天気が良いので、今年の緑のカーテンとなる場所の周りの草むしりをした。

 そこに夕顔の芽であるだろう、可愛い双葉を見つけた。

 昨年のうちにとっておいた夕顔の種はもう随分前にまいたのだが、その辺りからはまだ芽が見えない、いま地の中でどんな思いでいるのだろうかと思いめぐらし、またせっせと小さな草をむしった。

 そのすぐ近くにあるミカンの花の香りが何とも香しい、開花を始めていた。

 甘夏の花も開花を始めている。

 シークアーサーはまだほんの数個、蕾を持ち始めたばかり、ユズはまだ蕾もない、だがシークアーサーもユズも新芽は勢い良く太陽の方に向かって伸びている。

 だが植え替えたレモンは新芽も出てこない、さて、いつ新芽を見せてくれるのだろうかと話し掛けている。

 晴れの風が強く吹いている、その心地良さを全身に浴びながら、小さな新芽を見つける旅をしている私がいる。

 さて、あのトイプードルの子はもう家族に逢えただろうか、ほんとうに可愛い子だった。

 家に帰りたくてしょうがなかっただろうけど、私が「お座り」と言うとちゃんと良い子にしてお座りをしていた愛らしい姿がまぶたの裏に残っている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨のなか。

2016-04-28 13:14:38 | Weblog

 あんは雨のなかの散歩は大嫌いである、と言うか、雨が降っていると散歩に行きたがらない常である。

 私はそれはもう十分知っているが、寝る前にウンチをしないと食べてしまうことがあるのであんには「ガンバレ!ガンバレ!」と言って、私も胸を痛めながらも先導し、あんのトイレを探しに行くのである。

 昨夜の雨のなかもそうだった、やはりどことなくウンチをしたいのであろう、あんの仕草を読み取り、晴れの夜と同じようなあんのトイレの場所まで先導するとあんは最適なトイレを探し回るようにし、こことぞと決めた落ち着いた場所を定め、腰を降ろし、身体を固め、チラッと私を見てウンチをした。

 その姿に私は一安心し、「良かった!えらいね!ウンチしたね!さぁ、帰ろう!」と言って、あんと一緒に家路に急いだ。

 すると南武線の踏み切りの近くの電柱を嗅ぎまわっている何かがいた。

 何だろうと思い、近寄ると、首輪もしていない雨の濡れたトイプードルだった。

 「あぁ、どうしよう・・・?あん。この子、迷子だよ・・・」

 そのトイプードルは私とあんが近寄っても逃げることもなく、必死に電柱の匂いを嗅ぎまわり、その電柱の周りにマーキングをしていた。

 「おいおい、おいで!どうしたこんなところで!」そう言って近づいても逃げることなく、私を見ては短い尻尾をフリフリしていた。

 {さて、どうしたものか?このまま見て見ぬふりをして家に帰って晩酌しても、それは美味しくなんか絶対にない、それに絶対にこの子のことを忘れることなんか出来ない。もしあんが同じように迷子になっていたら、間違えなく誰かに保護してほしいとあんのことを心配に心配して泣いている自分がいるかも知れない。それと同じようにこの子の飼い主さんもこの子がいなくなって、どれほど哀しみにくれ、心配しているだろう}声には出さなかったが、一瞬にして全身を駆け巡った。

 あんは雨に濡れて早く帰りたがっていたが、私はやはり迷っていたがその場を離れることが出来ず、「おいで!」と言って一度その子を抱っこしてみた。

 すると激しく嫌がることもなく、静かにしていた、もしかしてこれならば保護出来るかも知れないと思った、同時にもし家が近くに会って一人で帰れるようであれば、私が降ろしてから、家路に向かうのではないかと思い、一度降ろしてみたがやはり電柱の周りを嗅いでいる。

 そして、私たちの帰り道の方に歩いて行った、それも私たちから逃げるのではなく、辺りを必死にクンクンしながらであった。

 私は覚悟を決めた、出来ることの中で最良のことをしよう、それは神さまに美しいことをすること、私の心は決まった、それは{保護しよう、この子の飼い主さんはほんとうにこの子のことを心配しているあろう。この茶色のトイプードルの男の子のことを。綺麗にカットされたその姿は雨に濡れていても大切にされていたことに違いないことを証明していた。それにこの子も家に帰りたいだろうと思ったからだ}

 家に帰り、玄関内でその子にリードをつけた。

 家を探しに外に出たいのだろう、その子はワンワンと心細く泣いた。

 あんはその子を怖がり逃げたがっていた。

 すぐにあんをお風呂場に連れて行き、足を洗って身体を拭いてあげた。

 その子はクルクル回って、どうすれば良いのかも分からないようでワンワンと言っていた。

 私は悩んだ挙句、もうこれしかないと思い、ダメもとで110番した。

 するとすぐに向こうは受話器を上げた「事件ですか?事故ですか?」

 あぁ、、やはりこんなことは頼めないかも知れないと思ったが、やはり私は言うしかなかった。

 「すいません、そうではないんですが犬の迷子を保護したんです・・・。私の犬と散歩していたら、首輪もない犬がいて、どうしても飼い主さんも捜しているだろうと思い、保護しました」

 「小型犬ですか?大型犬ですか?」

 私はきっと緊張していた、トイプードルとは言えず、「小型犬です」とだけ答えた。

 「分かりました。では連絡を取りますので待っててください」

 「ほんとうですか、来てくれるのですか?ありがとうございます!」私はそっけなく断れることを考えていたのであまりにも嬉しくなった。

 いつ来てくれるのか、分からなかったが私は信じて待った。

 寝ていた母親もワンワンの声に二階から降りて来た。

 母親もその可愛い子を見るとやはり飼い主さんが心配しているだろうとその子に声を掛けていた。

 その間に私はシャワーを浴びた。

 まだ来ない、だけど信じるしかない、私は自らを落ち着かせるためにビールを飲み、チーズをツマミにし、そこの子のいる玄関にお話をした。

 あんはテーブルの下でふて寝をしていた。

 40分ぐらい経っただろうか、玄関を誰かがノックした。

 警官が三人いた。

 私は「ありがとうございます!」とその子を渡した。

 警官の一人が「この子ですか、可愛い。じゃ、行こうか」と言って連れて行ってくれた。

 その子は拾得物して扱われた。

 その子は生まれて初めてパトカーに乗って行った。

 これが私が出来る最良のことであった。

 ホッとした、それから早く家族に逢えるようになることを祈った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクも同じ。

2016-04-26 12:44:09 | Weblog

 南千住の駅で待ち合わせたヒデ君とMCに行く途中、初めて会うMさんを紹介したりした後に私はヒデ君に言おうとしていたことを思い出だした。

 「ヒデ君、ちょっと良いニュースがあるんだけど・・・」

 「えっ、それって。ちょっと待ってください。ボクも同じだと思うんですが・・・」

 「へぇ、そうなの」と私は驚き言ったものの、まさか、そんなことはないだろうと考えた。

 「たぶん、同じですよ」とヒデ君はニコニコして言った。

 ほんとうに、そうなの、まさか、でも、ヒデ君もそう考えていたなんて、と言う答え合わせが頭の中で浮かび上がってきたが、これでもし違うようなら、ちょっと恥ずかしいような気もし躊躇もしたが、ヒデ君の表情を見て、ささっと計算した当たりの確率は喜びとともに上昇もし、言いたいことが喉元まで上がって来た。

 「ほんとうかな、実はね。ヒデ君、来年冬にカルカッタに来ないかな?って思ったんだよ。カルカッタで会おうよ」

 「当たりです!ボクもそう思っていたんですよ。この前カオルコさんに会った時もその話しをしたんです。ボクたち三人は同じことを考えていたんですね!」

 私は来年一月の初めにカルカッタに帰る予定をしている、現在は三年に一度三ヶ月間カルカッタに行っているので次の冬はカルカッタで過ごす予定をしていた、そのことを知っていたカオルコまでも同じことを考えていたとはまったく驚いた。

 カオルコはカルカッタに来れるかは分からないがたぶん行きたい気持ちたっぷりになっているかも知れない、カオルコにとってもカルカッタは心の故郷のようなものであり、特別な場所であることを私は感じている。

 三人が同じように喜びを持って、同じことを期待し望み、考えていたことなど、有り得ないような気がしたが、そのことがまさに喜びを何倍にも増してくれた。

 その意識が繋がるかけがえのない今日にその生きた喜びは糧となり力を与えてくれている。

 あなたともカルカッタで逢えるかもしれない。

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やられた・・・。

2016-04-25 12:24:45 | Weblog

 土曜日は山谷にヒデ君とナースのMさんを連れて行った。

 彼らに話すチャンスのあったおじさんたちを紹介していった。

 「あの人も紹介しよう。とてもいい人だよ」公園の草むらで一人でカレーを食べ終えて歩き始めた彼を呼んだ。

 彼は公園の花壇の花を見ていた。

 私たちの近くに来た彼に花壇のなかにある二つの大きな花を見て、「あれはシャクナゲかな?」と私が言うと、彼は「あれは二百ナゲですよ。二本ですから・・・」とニコッとして言った。

 一瞬彼が何を言ったのか、私たちは分からなかったがすぐに分かった。

 彼はシャクナゲを百ナゲにし、二本あったから二百ナゲしたのだった。

 「やられた・・・」と思った、「もうちょっと、ほんとうにやられた。悔しい・・・。座布団もってこようか!」と私は良い、彼の頭の回転の速さと先に面白いことを言われたこと、その洒落た笑いを少し子供のように悔しがった。

 彼は始終ニコニコしていた。

 私たち三人も笑っていた。

 昨年の春は彼に公園内に咲いていたアンズの花を見て、「あれ、あの花のあと、一万円の札がなるんでしよ。鈴生りの一万冊が」と言って、私を笑わせ、今年は「二百なげ」で笑わされた。

 春の気持ちの良い陽射しが新緑を色濃くしていているその祝福が辺り一面に微笑ましく優しく抱いていた。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シスター純愛との再会。その4。

2016-04-21 13:04:15 | Weblog

 「私もTough loveなんて聞いたこともないです・・・」とシスター純愛は深く胸のうちにその言葉を感じていたようであった。

 それからシスターニルマラが亡くなった後にシスターたちに残されたシスターニルマラの自叙伝があることを教えてくれた。

 たぶんマザーテレサが福者になった後にシスターたちの願いによってシスターニルマラは幼い頃のことからカトリックの改宗したこと、マザーとの逸話などを残していたのだろう、そしてシスターニルマラの死後、それをすべてのシスターたちに伝えたらしい、私もいつかそれを読んでみたいと思った。

 「やはり物凄い人格者でした、シスターニルマラは。マザーが次の総長に選んだのは深い信頼があったのでしょう。自分はニルマラが沈黙してくれた時、ほんとうに救われると感じたんです。自分の苦しみを深く全身で受け容れてくれたように感じたんです。これが神さまと自分の関係であると。神さまは沈黙しているが、実はそうではなく、いつも深く見守っていてくれている、その実証をシスターニルマラが意図せずに現してくれたような気がするんです。あの沈黙のなかにあったあたたかな愛を、自分は神さまとの間にもあることをこれからもっと感じる必要があるように思うんです。そしてTough loveの言葉にはほんとうに勇気づけられました。」

 シスター純愛はなおも深くニルマラのそれを胸のうちに感じているように、ゆっくりと頷いてくれた。

 私たちの会話は到底五分では終わらなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シスター純愛との再会。その3。

2016-04-20 12:19:26 | Weblog

 シスターのところのミサはカルカッタと同じであった。

 ミサのあとの祈りはすべて日本語になっていたが、あの最後に歌う歌だけは英語のままであった。

 「Oh most pure and loving heart of my Mother and Queen. Grand that I may love thee, Love thee daily more and more. Grand that I may love thee, Love thee daily more and more」

 カルカッタで何度も何度も歌った歌、その大好きな歌を歌えた喜びが全身に駆け巡った。

 その余韻を味わいつつある時にシスター純愛が私の傍に来て「シスターニルマラの言葉は?あまり時間はありませんが・・・」と言った。

 「では五分で」と言い、私たちはチャペルの端にある長椅子に腰を降ろした。

 

 {ここからは以前書いた文章を載せることにする}

 

2015-06-29 12:43:42 | Weblog



 この言葉は私が今年のカルカッタの滞在中一番苦しかった時にシスターニルマラから教えてもらった言葉である。

 シスターニルマラとはマザーが1965年2月一番最初インド外のベネズエラに施設を作るために責任者として派遣したしたシスターであり、1976年に作られた観想会の最初の責任者でもあり、そして、マザーの次の総長になったシスターである。

 マザーがシスターニルマラをどれだけ信頼していたかが容易に想像できるだろう。

 現在彼女はシアルダーにあるセント・ジョン教会のなかにある観想会で祈りの生活をしている。

 体調が良い時には庭を付き添いのシスターに手を引かれ散歩をしているが、そうでない時はベッドにいることが多い毎日を過ごしている。

 私は彼女に聞きたいことがあった。

 それはマザーはカルカッタの路上でどうしても手助けが出来ない人たちをたくさん見て来ただろう、手助けしたくても出来ない、そんな時シスターたちに何を話していたかを知りたかった。

 祈ることはもちろんであるし、マザーがよく言っていたことは「目の前の一人のなかのイエスに接すること、それは一対一であり、そして一人ひとりであること」ではあるが、カルカッタの路上では不条理な現状に苦しむ者は絶えないのであり、否応なしに目の前の一人の他に目に映る苦しむ者が間違えなくあったであろう。

 時にその人から怒涛のように「どうか助けてください」と懇願されながらも、それに応えられなかったことも幾度となくあったであろう。

 その時に受ける激しい胸の痛みをどうシスターたちに克服するように語っていたかが知りたかった。

 私はシアルダーの仕事の後にシスターニルマラの姿を見れればと思い、何度かセント・ジョン教会に行ったがそのチャンスはなく、いつも教会内にある墓地に眠っているシスターアグネス{マザーの仕事に一番最初に参加したシスター}やシスターデイミア{アフリカに初めてMCを作った時の責任者のシスター。私はこの二人のシスターの葬式のミサに参加した}、他のMCシスターのお墓参りをしてからチャペルで心を整えるように少し祈り帰宅することがあった。

 疲れ切った身体と心をこの場所は外部の雑踏から切り離し、しばしの非現実の空間のようにあり、安らぎの沈黙を私に与えてくれた。

 帰国をまじかになった時、私は大きなミスを犯した。

 私の判断の甘さ、いや、まったくの愛の無さで路上で患者を亡くしてしまった。

 それはその前日に麻薬中毒者からある患者を助けてほしいと言われたが、私はその患者がすぐに亡くならないだろうと判断した。

 患者は国の病院から何らかの理由で出された患者であった。

 そうした患者の場合、MCの施設には運ぶことが出来ないケースである、喉元にあったガーゼには膿があったが過度の悪臭はなく、患者は激しく苦しんでいたが歩くことも可能であった、まだ危険な状態ではないだろう、と私は思った。

 私たちは駅の仕事を終えてディスペンサリーで集まった時に何度かアイルランドのNGO「Hope」の病院のケースワーカーに電話もしたが日曜日だったこともあり出なかったので時間を置いて連絡を付け、翌日その患者を病院に搬送することを決めたのだった。

 

2015-06-30 12:42:23 | Weblog



 翌日、私はまずその患者に会いに行ったが、患者は私たちが明日10時半に病院に連れて行く手はずを整えたことを伝えてから、4時間後、日中40度は超したであろう路上ですでに亡くなっていた。

 患者のことを心配して、私にどうか病院に彼を連れて行ってほしいと哀願した麻薬中毒者たちはただ悲嘆にくれていた。

 しかし、彼らは私のことを何一つ責め立てることはなかった。

 私はやろうと思えば昨日のうちに患者を運べることも可能だったのに、それをしなかったこと・・・、悔やんだところでどうしようもないが悔やまずにはいられなかった。

 私は足に力が入らなくなり、しゃがみこんだ。

 いっその事、私を責めて欲しいと思った。

 私の判断ミスだったことは間違えなかった。

 ボランティアのなかでベンガル語を話せ、麻薬中毒者たちと話せるのは私しか居なかったし、彼らとのやり取りはすべて私だけが関わっていたのだ。

 難しいケースだとは分かっていたが、そこに向き合う勇気と愛が私には足らなかったことは私が一番良く分かっていた。

 抜け殻のようになりながらも駅の仕事を終え、シアルダーのディスペンサリーのティータイムで私は他のところを回っていたみんなにその患者の死を伝えた。

 その場は一瞬にして通夜のようになり、誰も何も話さず、沈黙と哀しみだけが漂った。
 
 「私は彼に優しくなかった」と私がつぶやくと、カナダ人のチャッドは「私もだ」と言い、私の肩に手を置いた。

 しばらくしてから、私たちはディスペンサリーを離れた。

 私は祈りたかった。

 祈りにすがりたかった。

 そうでもしなければ、私が壊れそうな気がしていた。

 私は泣きたかった。

 私は私を責めたかった。

 彼が苦しんだように私は苦しむ必要があると感じずには居られなかった。

 私の心は乱れるままに乱れ、生気を失い、しかし、救いを求め、とにかくセント・ジョンのチャペルに逃げ込むような思いで重い身体を引きずるようにして向かった。

 目には変わらない雑踏が映っていたが、耳には何も聞こえていないような気がしていた。

 私はチャペルまでの道を一心にして、他のすべてを遮断していた、そうせざるを得なかったのだ。

 

2015-07-01 12:37:26 | Weblog



 教会の門をくぐると、私は自分が息を切らして歩いて来たことに気が付いた、心も体も疲れ切ったその私を両手を広げてまっていたイエスが立っていた。

 そこにはそこまで歩いて来た時にも私を照らしていた同じ太陽が違った平安の顔を見せていた。

 イエスの前に立ち、私は胸に手をあて、粉々になっている意識をまとめ上げるように置いた胸の奥に疼く痛みを感じなおした。

 それから私は何かに引き寄せられるように、チャペルには向かわず、右手の方にあるMCの黙想会の施設の方に向かった。

 私はシスターニルマラに会えたらと思ったのだ。

 私は一人のシスターにシスターラファエルを呼んでもらえますかと頼み、大きなマンゴーの木の下で駆け回るリスを眺めながら、彼女を待っていると、ゆっくりとした足の運びをし、彼女は歩いて来た。

 シスターラファエルには前からシスターニルマラの身体の調子が良い時には会わせてあげると言われていた。

 一月の終わりに私がマザーハウスで洗礼を受けた時にも、シスターラファエルは私にシスターニルマラからの祝いのカードを持って洗礼式に来てくれた。

 その私の洗礼の祝いもかねて、シスターラファエルは私をシスターニルマラに会わしてくれようとしていたようだった。

 その日のシスターニルマラの体調は良く、教会の仕事をしているワーカーの息子の誕生を今祝福しているので、それが終ったら呼んであげるとのことだった。

 私は観想会の中にある小さな部屋に待たされた。

 そこは少し薄暗い部屋ではあったが、私の心を母胎の中のような優しく落ち着かせる雰囲気に満ちていた。

 祈るような思いで部屋に静かに置かれていた大好きなマザーの写真やマザーが所持していたもの、各国の言葉で訳されたマザーの本たちを眺めた。

 しばらくするとシスターラファエルが彼女よりもゆっくりと歩くシスターニルマラを連れて来てくれた。

 そこでテーブルに座るように言われ、私はシスターニルマラの真向いに座り、右手にシスターラファエルが座った。

 まずシスターラファエルは私をマザーハウスで洗礼を受けた者として紹介してくれた。

 シスターニルマラは人間味溢れる深い満面の笑みで喜んでくれた。

 そして、シスターニルマラに聞きたかったことの的を外さなさいようにまず今日のシアルダーでの出来事を話した。

 それだけその時私は話さずには居られなかった苦しみが膨れ上がっていた。

 それは聞きたかったことと同じ質問のようだと思っていた、どうしようもない苦しみの時、マザーはどのようにシスターたちに伝えていたのかを知りたかったことと。

 
 2015-07-02 12:41:20 | Weblog



 私は胸の内にある疼くものを話し始めた。

 シスターラファエルはそれを訳して、シスターニルマラに伝えてくれた。

 シスターニルマラは両手をテーブルの上に置くと、そのまましばらく何も言わなかった。

 無音だけが響いていた。

 その時シスターニルマラは私の苦しみを全身で受けているようだった。

 私の話しを脳裏で感じているのではなく、身体の内に入れて深く感じているようだった。

 その沈黙に私は大切にされていると感じた。

 シスターニルマラの深い愛を感じた。

 マザーの思い「目の前の一人のなかのイエスに接すること、それは一対一であり、そして一人ひとりであること」の状態そのままであるシスターニルマラを感じ、そこにマザーの面影を見た。

 そして、沈黙を払いにのけ、シスターニルマラは身体の奥底から言葉を出すように静かな口調で「Tough loveが必要です・・・」と言ってくれた。

 私はそれまで誰からも「Tough love」などと言う言葉を聞いたことがなかった。

 その言葉が強烈に私に響いた。

 瞬時にそれはマザーのこと、マザーのすべての行いのなかにあったもの、まさにマザーの数々味わってきたカルワリオでの思いのそのものであることを直に知らされた思いになった。

 「Tough love」はどう訳せば良いのだろうか、いや、訳さずにそのままでも良いような気もした。

 私には十分すぎるほど、その言葉のあらゆる意味が全身を駆け巡り浸透してきた。

 もし訳すのであれば、それは「挫けない愛・折れない愛」となり、そこにはイエスが激しく傷付けられながらも、にも拘らず、十字架を背負い続ける究極の愛の姿が見えてくる。

 そして、その人のことを誰よりも愛そうとしたマザーのまた同じ姿が見えて来た。

 私はその姿を思い浮かべるだけで全身全霊がまた新たな愛で満たされていく思いになった。

 シスターニルマラはやはり崇高な人格者であり、マザーが後継者に選んだシスターであることを肌身で感じた。

 シスターニルマラは終始穏やかな口調で話してくれたが、その言葉の一つひとつは決して上辺だけの言葉ではなく、深い信仰と数々の愛の行いに裏打ちされたものから生まれていた。

 神さまは私が挫けそうになっていたまさにその時に、シスターニルマラを私の目の前に現せてくれたのだった。

 苦しい時ほど、神さまは身近なところに居られることを知ると同時に、神さまは愛のない私に必要な愛を足してくださることも感じた。

 私は生涯シスターニルマラが教えてくれた「Tough love」を忘れることは決してないだろう。

 「Tough love」とはマザーの愛の行い、その根底に欠かせないものであったことを私は私の行いの内に顧みようとし続けるであろう。

 
 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シスター純愛との再会。その2。

2016-04-19 12:59:24 | Weblog

 久しぶりに菅沼さんを一目でもお会いしたかったが、またの機会にすることにして西新井のシスターにところへ向かった。

 この途中ガス会社で働いている南さんの携帯が何度も鳴った。

 地震の被災地への出張要請であった、ゴールデンウィークの予定をすでに立てていた南さんだが長い滞在なるとのことで一瞬のうちにして頭を悩ませていた。

 「三トントラックが三台、二トントラック一台、ユンボ・・・、六人ぐらいで・・・。あとはフェリーの方が良い」などといろいろと話していた。

 南さんは新潟の地震や東北の地震の時にも行っていたので被災地での仕事は何が大変なことなのかを良く知っていた。

 被災地でのガス会社の仕事は雨が降ってもずっと行われるとのこと、その話しを聞くと仕事とはいえ、やはり大変なことだろうと思った。

 車の窓越しに見る夕暮れの街並みがとても綺麗だと思った、誰かがのこのなかで哀しみに暮れているとのことを静かに感じながらも、やはり綺麗だと思った。

 夕方の渋滞にはまりつつある車がゆっくりと隅田川の橋を超していく時、睡魔も襲ってきた。

 南さんと和田さんの会話も耳では意識しているものの、それが遠のいたり、また近くになったりするのをぼんやりと感じながら、夕暮れの景色は流れて行った。

 それからすぐに西新井のシスターのところに着いた。

 ここに来るのはもう何年振りか分からないほど久しぶりだった。

 チャペルの十字架のイエスの横にはI thirst、我渇く、とある、すべてのマザーの修道会にあるこのマザーのシンボルの言葉を見ると、私はほっとした、そこにあることは分かりきっていたことだが、やはり何故だが分からぬがほっとするのであった。

 ミサに出て来る人が集まって来た、そこにシスター純愛の姿を見た。

 私の傍を通って行ったが、私には気が付かず、私が声を掛けようと思ったがシスターの用事があるだろうと、それを辞めたのを見た南さんがシスター純愛に向かって「シスター!」と声を掛けてくれた。

 「野田君です」と南さんが私を紹介してくれた。

 「久しぶりです!シスター」

 「いやー、久しぶり!」と言って彼女は両手を顔にあてて「歳をとったでしょ?」と笑いながら興奮気味に言った。

 彼女と会ったのは15,6年ぶりだった、最終誓願のためにカルカッタ滞在中の彼女がシアルダーのディスペンサリーで働いていた時に、一緒に働いて以来の再会だった。

 「今日ね、千葉監督の娘さんが来て、ちょうどてっちゃんの話しをしたのよ。彼女がマザーの列聖のために今度ビデオを作るからってね。だったら、私はてっちゃんが良いんじゃないのって、今日言ったばかりなの」そんなことを話しばかりのところに私が現れたことにもきっと驚いていたのだろう、噂をすれば何とやらである。

 「あっ、そうんですか。くららちゃん{千葉監督の娘}が来ていたんですか。それは奇遇ですね。千葉さんの家族とは全員知っていますよ」

 「そうですか」と未だ嬉しそうに返事を返してくれた。

 私のマザーハウスでの洗礼のことやその他いろいろと話すことは泉の如く湧き上がっていたが、ミサはそろそろ始まる時間にすでになっていた。
 
 私はゆっくりする時間はないと分かっていたが、前回カルカッタ滞在時のシスターニルマラからの言葉を伝えたいと思っていたので「シスターニルマラから、とても素敵な言葉を頂いんです。それは、では、ミサの後で」と言うと彼女はまたにっこりとした。

 {つづく}
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シスター純愛との再会。

2016-04-18 12:49:52 | Weblog

 土曜日は山谷の帰り、和田さんと南さんに誘われて西新井にあるMCシスターの夕方のミサに出た。

 山谷でロザリオの祈りを終えてからお茶をして、まだ時計は三時にはなっていなかった。

 「シスター純愛に会いに行きませんか?」と以前から和田さんには言われていたがどうしても自宅から西新井は遠く、また時間も空いていているので、私の足はいつも重かったが、その日は春の心地良い風が吹いていて、何故かちょっと行って見ようかと言う思いになった。

 シスターのところのミサは五時半だったので、まだまだ時間があった。

 ならば茗荷谷にあるシドッティ神父の遺体が発見された場所に南さんの車で行くことにした。

 ニュースで報道されていたシドッティ神父の遺体が発見されたマンションの駐車場はすぐに分かった。

 その前方50メートルぐらいにある切支丹屋敷跡の石碑がある辺りには歴史散歩をしている人たちであろう、15人ぐらいの人たちがいたので、そこでは車を降りず、キリシタン坂を左に降りてシドッティ記念館の近くで車を降りた。

 このシドッティ記念館は菅沼さんちのなかにあり、私は以前二度ほどお邪魔したことがあったので、何のアポイントも取ってはいなかったがベルを鳴らしみた。

 しかしお留守のようで誰も出てこなかった。

 {つづく}

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何気ない日々のなかで。

2016-04-14 13:07:33 | Weblog

 このところ一週間がとても早く感じられる。

 たくさん遊んだ子供のころのあの長い一日を思うと胸にじんとくるものから憧れすら感じる次第である。

 あの時の一時間と今の一時間は、あの時の一日と今の一日、その時間に違いはないのだろうが、歳を重ねて行くごとにどうしても速く感じてしまうようだ。

 物事を吸収処理する能力が固まりつつあるのか、どうなのか、新たな発見や創造するものが足らなくなってきているのか、どうなのか、また満たされているということなのか、どうなのか、それらすべて私のことであるが私には分かりかねることであり、ならば、そこに何らかしらの、常に何かが待っている、そのものがあるのではないのだろうかと思える。

 ユングは言う「私の一生は無意識の自己実現の物語りである」と。

 私はそれに期待し、右に同じと言いたい、時間の流れを速く感じようとも、私の人生も今、無意識の自己実現の物語りを描いている最中なのかもしれない。

 その物語りの主人公は今日何を思うのか。

 何気ない日々のなかで。

 こちらからはすべてを肯定していく意味を深めてほしいと祈り願うばかりである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水面に。

2016-04-12 12:42:55 | Weblog

 今朝の散歩は三沢川に行った。

 この時期毎年海から産卵のために上がって来るマルタウグイの群れを見るのを楽しみに行った。

 先週土曜日同じようにこのマルタウグイの群れを楽しみに三沢川に行ったのであるが水面がすべて桜の花びらで覆うわれていたので川の中を覗き込むことが出来なかった。

 この時は食べそこなった食パンをコイにあげようと持って行ったのだったが勢いよく食パンをむさぼり食べる私の理想の姿はあまり見えなかった。

 今朝は食パンはなかったが、その代り、もう水面には桜の花びらも少なかったので良く川底が見えた。

 マルタウグイが毎年群れを作る少し流れのゆっくりとした場所には体調40センチぐらいのが100匹ぐらいはいただろうか、私は今年も良く来てくれたと喜んで、それを眺めた。

 川岸を良く見るとカメが気持ち良さそうに川面を見ながら日光浴をしていた。

 しかしこのカメはきっと産卵後のマルタウグイの卵を今から虎視眈々と狙っているのだろうと思うと自然の摂理の小さな担い手であることを感じずにはいられず、またそれをも覚悟で無数の卵を産卵し、子孫を残し、また春にこの場所に健気に戻って来るマルタウグイのドラマのなかにはやはり再生と復活があるのだとしみじみと思った。

 春はやはり再生と復活の季節であり、それを私は私の記憶以外のところと、きっと魂からも全身全霊で感じられる喜びのなかにいることをゆったりと感じた。

 しかし私はそれをすべてすくう網をもっていない、私の網は目が粗い、だが目の粗い網であれ、かけがえのないものが残るのである、焦りながら網の目を必死に小さくしようとはしたくないし、またする必要もないだろう、すべてをすくう網の目を持っているのはあの方だけであると安心しきるにたりる陽射しが注がれているのだから。

 水面にはもう多くはないがまだ桜の花びらが揺れながら流れていた。

 どこに行くのかも知らずに、その身を任せて、ありのままで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする