シスターのところのミサはカルカッタと同じであった。
ミサのあとの祈りはすべて日本語になっていたが、あの最後に歌う歌だけは英語のままであった。
「Oh most pure and loving heart of my Mother and Queen. Grand that I may love thee, Love thee daily more and more. Grand that I may love thee, Love thee daily more and more」
カルカッタで何度も何度も歌った歌、その大好きな歌を歌えた喜びが全身に駆け巡った。
その余韻を味わいつつある時にシスター純愛が私の傍に来て「シスターニルマラの言葉は?あまり時間はありませんが・・・」と言った。
「では五分で」と言い、私たちはチャペルの端にある長椅子に腰を降ろした。
{ここからは以前書いた文章を載せることにする}
2015-06-29 12:43:42 | Weblog
この言葉は私が今年のカルカッタの滞在中一番苦しかった時にシスターニルマラから教えてもらった言葉である。
シスターニルマラとはマザーが1965年2月一番最初インド外のベネズエラに施設を作るために責任者として派遣したしたシスターであり、1976年に作られた観想会の最初の責任者でもあり、そして、マザーの次の総長になったシスターである。
マザーがシスターニルマラをどれだけ信頼していたかが容易に想像できるだろう。
現在彼女はシアルダーにあるセント・ジョン教会のなかにある観想会で祈りの生活をしている。
体調が良い時には庭を付き添いのシスターに手を引かれ散歩をしているが、そうでない時はベッドにいることが多い毎日を過ごしている。
私は彼女に聞きたいことがあった。
それはマザーはカルカッタの路上でどうしても手助けが出来ない人たちをたくさん見て来ただろう、手助けしたくても出来ない、そんな時シスターたちに何を話していたかを知りたかった。
祈ることはもちろんであるし、マザーがよく言っていたことは「目の前の一人のなかのイエスに接すること、それは一対一であり、そして一人ひとりであること」ではあるが、カルカッタの路上では不条理な現状に苦しむ者は絶えないのであり、否応なしに目の前の一人の他に目に映る苦しむ者が間違えなくあったであろう。
時にその人から怒涛のように「どうか助けてください」と懇願されながらも、それに応えられなかったことも幾度となくあったであろう。
その時に受ける激しい胸の痛みをどうシスターたちに克服するように語っていたかが知りたかった。
私はシアルダーの仕事の後にシスターニルマラの姿を見れればと思い、何度かセント・ジョン教会に行ったがそのチャンスはなく、いつも教会内にある墓地に眠っているシスターアグネス{マザーの仕事に一番最初に参加したシスター}やシスターデイミア{アフリカに初めてMCを作った時の責任者のシスター。私はこの二人のシスターの葬式のミサに参加した}、他のMCシスターのお墓参りをしてからチャペルで心を整えるように少し祈り帰宅することがあった。
疲れ切った身体と心をこの場所は外部の雑踏から切り離し、しばしの非現実の空間のようにあり、安らぎの沈黙を私に与えてくれた。
帰国をまじかになった時、私は大きなミスを犯した。
私の判断の甘さ、いや、まったくの愛の無さで路上で患者を亡くしてしまった。
それはその前日に麻薬中毒者からある患者を助けてほしいと言われたが、私はその患者がすぐに亡くならないだろうと判断した。
患者は国の病院から何らかの理由で出された患者であった。
そうした患者の場合、MCの施設には運ぶことが出来ないケースである、喉元にあったガーゼには膿があったが過度の悪臭はなく、患者は激しく苦しんでいたが歩くことも可能であった、まだ危険な状態ではないだろう、と私は思った。
私たちは駅の仕事を終えてディスペンサリーで集まった時に何度かアイルランドのNGO「Hope」の病院のケースワーカーに電話もしたが日曜日だったこともあり出なかったので時間を置いて連絡を付け、翌日その患者を病院に搬送することを決めたのだった。
2015-06-30 12:42:23 | Weblog
翌日、私はまずその患者に会いに行ったが、患者は私たちが明日10時半に病院に連れて行く手はずを整えたことを伝えてから、4時間後、日中40度は超したであろう路上ですでに亡くなっていた。
患者のことを心配して、私にどうか病院に彼を連れて行ってほしいと哀願した麻薬中毒者たちはただ悲嘆にくれていた。
しかし、彼らは私のことを何一つ責め立てることはなかった。
私はやろうと思えば昨日のうちに患者を運べることも可能だったのに、それをしなかったこと・・・、悔やんだところでどうしようもないが悔やまずにはいられなかった。
私は足に力が入らなくなり、しゃがみこんだ。
いっその事、私を責めて欲しいと思った。
私の判断ミスだったことは間違えなかった。
ボランティアのなかでベンガル語を話せ、麻薬中毒者たちと話せるのは私しか居なかったし、彼らとのやり取りはすべて私だけが関わっていたのだ。
難しいケースだとは分かっていたが、そこに向き合う勇気と愛が私には足らなかったことは私が一番良く分かっていた。
抜け殻のようになりながらも駅の仕事を終え、シアルダーのディスペンサリーのティータイムで私は他のところを回っていたみんなにその患者の死を伝えた。
その場は一瞬にして通夜のようになり、誰も何も話さず、沈黙と哀しみだけが漂った。
「私は彼に優しくなかった」と私がつぶやくと、カナダ人のチャッドは「私もだ」と言い、私の肩に手を置いた。
しばらくしてから、私たちはディスペンサリーを離れた。
私は祈りたかった。
祈りにすがりたかった。
そうでもしなければ、私が壊れそうな気がしていた。
私は泣きたかった。
私は私を責めたかった。
彼が苦しんだように私は苦しむ必要があると感じずには居られなかった。
私の心は乱れるままに乱れ、生気を失い、しかし、救いを求め、とにかくセント・ジョンのチャペルに逃げ込むような思いで重い身体を引きずるようにして向かった。
目には変わらない雑踏が映っていたが、耳には何も聞こえていないような気がしていた。
私はチャペルまでの道を一心にして、他のすべてを遮断していた、そうせざるを得なかったのだ。
2015-07-01 12:37:26 | Weblog
教会の門をくぐると、私は自分が息を切らして歩いて来たことに気が付いた、心も体も疲れ切ったその私を両手を広げてまっていたイエスが立っていた。
そこにはそこまで歩いて来た時にも私を照らしていた同じ太陽が違った平安の顔を見せていた。
イエスの前に立ち、私は胸に手をあて、粉々になっている意識をまとめ上げるように置いた胸の奥に疼く痛みを感じなおした。
それから私は何かに引き寄せられるように、チャペルには向かわず、右手の方にあるMCの黙想会の施設の方に向かった。
私はシスターニルマラに会えたらと思ったのだ。
私は一人のシスターにシスターラファエルを呼んでもらえますかと頼み、大きなマンゴーの木の下で駆け回るリスを眺めながら、彼女を待っていると、ゆっくりとした足の運びをし、彼女は歩いて来た。
シスターラファエルには前からシスターニルマラの身体の調子が良い時には会わせてあげると言われていた。
一月の終わりに私がマザーハウスで洗礼を受けた時にも、シスターラファエルは私にシスターニルマラからの祝いのカードを持って洗礼式に来てくれた。
その私の洗礼の祝いもかねて、シスターラファエルは私をシスターニルマラに会わしてくれようとしていたようだった。
その日のシスターニルマラの体調は良く、教会の仕事をしているワーカーの息子の誕生を今祝福しているので、それが終ったら呼んであげるとのことだった。
私は観想会の中にある小さな部屋に待たされた。
そこは少し薄暗い部屋ではあったが、私の心を母胎の中のような優しく落ち着かせる雰囲気に満ちていた。
祈るような思いで部屋に静かに置かれていた大好きなマザーの写真やマザーが所持していたもの、各国の言葉で訳されたマザーの本たちを眺めた。
しばらくするとシスターラファエルが彼女よりもゆっくりと歩くシスターニルマラを連れて来てくれた。
そこでテーブルに座るように言われ、私はシスターニルマラの真向いに座り、右手にシスターラファエルが座った。
まずシスターラファエルは私をマザーハウスで洗礼を受けた者として紹介してくれた。
シスターニルマラは人間味溢れる深い満面の笑みで喜んでくれた。
そして、シスターニルマラに聞きたかったことの的を外さなさいようにまず今日のシアルダーでの出来事を話した。
それだけその時私は話さずには居られなかった苦しみが膨れ上がっていた。
それは聞きたかったことと同じ質問のようだと思っていた、どうしようもない苦しみの時、マザーはどのようにシスターたちに伝えていたのかを知りたかったことと。
2015-07-02 12:41:20 | Weblog
私は胸の内にある疼くものを話し始めた。
シスターラファエルはそれを訳して、シスターニルマラに伝えてくれた。
シスターニルマラは両手をテーブルの上に置くと、そのまましばらく何も言わなかった。
無音だけが響いていた。
その時シスターニルマラは私の苦しみを全身で受けているようだった。
私の話しを脳裏で感じているのではなく、身体の内に入れて深く感じているようだった。
その沈黙に私は大切にされていると感じた。
シスターニルマラの深い愛を感じた。
マザーの思い「目の前の一人のなかのイエスに接すること、それは一対一であり、そして一人ひとりであること」の状態そのままであるシスターニルマラを感じ、そこにマザーの面影を見た。
そして、沈黙を払いにのけ、シスターニルマラは身体の奥底から言葉を出すように静かな口調で「Tough loveが必要です・・・」と言ってくれた。
私はそれまで誰からも「Tough love」などと言う言葉を聞いたことがなかった。
その言葉が強烈に私に響いた。
瞬時にそれはマザーのこと、マザーのすべての行いのなかにあったもの、まさにマザーの数々味わってきたカルワリオでの思いのそのものであることを直に知らされた思いになった。
「Tough love」はどう訳せば良いのだろうか、いや、訳さずにそのままでも良いような気もした。
私には十分すぎるほど、その言葉のあらゆる意味が全身を駆け巡り浸透してきた。
もし訳すのであれば、それは「挫けない愛・折れない愛」となり、そこにはイエスが激しく傷付けられながらも、にも拘らず、十字架を背負い続ける究極の愛の姿が見えてくる。
そして、その人のことを誰よりも愛そうとしたマザーのまた同じ姿が見えて来た。
私はその姿を思い浮かべるだけで全身全霊がまた新たな愛で満たされていく思いになった。
シスターニルマラはやはり崇高な人格者であり、マザーが後継者に選んだシスターであることを肌身で感じた。
シスターニルマラは終始穏やかな口調で話してくれたが、その言葉の一つひとつは決して上辺だけの言葉ではなく、深い信仰と数々の愛の行いに裏打ちされたものから生まれていた。
神さまは私が挫けそうになっていたまさにその時に、シスターニルマラを私の目の前に現せてくれたのだった。
苦しい時ほど、神さまは身近なところに居られることを知ると同時に、神さまは愛のない私に必要な愛を足してくださることも感じた。
私は生涯シスターニルマラが教えてくれた「Tough love」を忘れることは決してないだろう。
「Tough love」とはマザーの愛の行い、その根底に欠かせないものであったことを私は私の行いの内に顧みようとし続けるであろう。
{つづく}