カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月の予定です。

お別れ。そして、ありがとう。

2008-03-31 19:55:27 | Weblog

今朝、マザーハウスではお別れの歌を歌われることを避けた。
その間、一人でこっそりとマザーと話しをしていた。きっと、自分はみんなから歌を歌われれば泣いてしまうだろうことを感じていた。そして、もし、自分が涙を流せば、病院の訪問を落ち着いて、出来るかどうかがよく判らなくなる感じがしていた。だから、シスターカリーナ、シスタードルシアには申し訳なかったが、歌われることを避けた。

病院はほんとうに落ち着きながら、全員とお別れが出来た。言葉なんかでは到底表せない、愛というものよりも強いものを暖かく感じ合い、彼らとお別れが出来たと思う。それは生きていることはなんて素晴らしいということを心と身体で感じ得ていたのだと思う。

もちろん、亡くなったからと言って、それが素晴らしくなくなる訳ではないとも思う。ただ、今、生きていることを感謝し合えることの意味を感じた。

こんなどこの馬の骨かも判らない自分を大切に思ってくれた彼らは神によって支えられている。

手に触れ、身体に触れ、ただ、ありがとう、そう胸のなかで何度も唱えた。

ディスペンサリーでは、みんなから歌を歌われ、真っ赤なハイビスカスの大きな花輪を首にかけてもらった。

言葉が見当たらない。胸が熱くなった。

プレムダンに別れを言いに行った。
昼食前、会話の出来る患者にはすべて別れを伝えた。

長テーブルにご飯が用意されたので仕事をしようと外に出ようとすると、サドゥーがプレムダンに咲いていた花を自分に持ってきた。そして、何人か患者たちとマーシーたちが花をくれた。そして、お別れの歌をみんなで歌ってくれた。

これには参った。想像していなかった。それゆえ、涙が溢れてきた。右上にあったジュリアンの写真も眺めた。涙が増した。

ほんとうにプレムダンは暖かな場所。

そして、自分は幸せ者。

次にいつ来れるかは判らない。しかし、先のことは誰にも判らない。だから、その時を、今を大切にしていきたい。ここでそうしてきた。

この三ヶ月間、無事に働けた。働かせてもらった。ほんとうに自分へのご褒美だった。

幸せとはなるものではなくて、気付くもの、感じるものだと思う。そうしたことを良く感じ考えた日々だった。

日本に帰ったら、このブログも読み直し、書き直してみたいと考えている。その前に、桜をぼんやり眺めよう。多摩川にも行こう。

ここに書いてきたことがすべてではない。書けなかったこともたくさんあった。それは良いことも悪いこともそうだった。そのことも想像して欲しい。

今夜はお別れのパーティーがある。ほんとうに嬉しい。そして、悲しく寂しい。それら全部ありがたい。

ここで出会ってくれた人たちに感謝する。ありがとう。

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大切なもの。

2008-03-29 19:35:02 | Weblog

今日、病院では五人の患者が退院する。
退院するその朝はお互いにほんとうにうれしい。

「ここにはもう入院しないように。身体には気をつけて。おめでとう!」そう笑顔で話し、強く握手をする。

今朝、長い間、入院していた老人が退院する。彼のところにはいつも息子が見舞いに来ていた。右足をすねのあたりから切断されていた。彼はとても痩せていたので、いつもご飯をしっかり食べて、もっと太って!そう言い続けていた。彼と息子は、それを聞くとほんとうに優しい笑顔で笑っていた。

「あなたのことは忘れない。明日、これからもずっとあなたのために祈るから、ほんとうに身体には気をつけて欲しい」と伝えた。
すると、息子が財布を出して、中から何かを取り出した。異国のコインだった。それを自分に渡してくれた。感謝の意を伝えてくれた。
きっとそのコインはずっと彼が財布の中に入れ、大切にしてものに違いない。それを自分にくれた。
彼の思いが体中を暖かくした。感謝した方が良いのは自分の方です。家族のあり方をほんとうに示し現して見せてくれた。やせ細った父親はきっとこの息子のことをほんとうに大切に育て、愛情を与え続けていたのだろう。それは手に取るように判る。

きっと彼らはこれから不自由な生活をするだろうけど、それは愛で乗り越えられることを自分は想像し、そして、祈る。

ジョアン、今朝、自分にこう話した。
自分が来る前までマザーハウスで朝食をとるのは週に一度か二度、週末、ジムが来る日くらいだった。それでも、自分が来てからは毎日マザーハウスに来ている。それはあなたに会うためだけ来ている。そう言って笑って自分を抱きしめた。

帰る今頃になって言うなんて、涙が出てきた。

ジョアンはいつも自分を愛してくれた。尊敬もしてくれた。他人に自分の息子だと自慢し続けてくれた。そして、信頼してくれていた。

ほんとうに母親のようだった。いや、理想の母親であり、彼女はこれからもずっと母親である。自分の人生が終わるその日まで。

少し前、マザーハウスの前でたばこを吸っていた。
すると、貧しい女性が道路からマザーのお墓に向かって、壁に額を付け祈っていた。そして、その壁にキスをした。

その姿はほんとうに美しいものだった。なかに入ることもせず、彼女はマザーを感じ祈った。きっと、マザーハウスを通る度にそうしているのだろう。

マザーは彼女にとって、ほんとうに大切なもの、神さまなのだろう。

イースターの夜のミサのあと、Srニルマラを見ていた。
彼女はミサを終え、チャペルから出る前に隣にいるマザーの手に触れ、その手を自分の口にあてた。
ただの置物ではない、彼女には尊い置物、いや、マザーそのものなのだろう。

それを見て、嬉しくなった。

今日もカーリーに患者を一人運んだ。
顔が腫れ上がり、左あご大きな穴があり、そこが腐り、骨が見え、うじ虫がたくさんいた。彼はカーリーに居れることが彼の安心につながったことが判ってほんとうに嬉しかった。
もう不安や恐怖、痛みを孤独の中で一人きりで味わうこともないだろう。彼が少しでも痛みが減り続けるように祈る。そして、出会わせてもらったことに感謝する。

そして、カーリーから患者を二人シアルダーに運んだ。カーリーを退院したということだ。複雑な思いを持って運んだ。これから毎日、彼らに会えることを願いたい。

あと、二日、有り難く働かせてもらう。

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神さまのために。

2008-03-28 21:46:18 | Weblog

 病院では半身不随の十代後半の患者が亡くなっていた。
 彼の母親はほんとうに献身的に彼の動かなくなった手や足をよくさすっていた。高熱が出ていて、もうどうにもならない状態だった。何日も前から、彼は亡くなることは判っていた。

 昨日も、母親がこう言っていた。
 「息子がここにいても治らないから、家に帰りたい、家に帰りたい、ずっとそう言うの」どうにもならない憤りをその表情から伝えてきた。

 自分にはかける言葉はいつもなく。いつも、すぐにその場から逃げ出したくなるような恐怖感や何も出来ない自己の無能感、虚無感を感じないようにするために心はそこにあり続けない日も何日もあった。それと反対に瞳からその思いを伝えようとも試み続けた。
 母親には無理をしないようにと言い続けていた。そして、母親のどうにもならない苦悩を聞き続けた。

 家に帰らしてあげたら良かったのか?いや、いま、家に帰ったのだろうのか?重くずっと身体の内側に何かがある。

 家族は自分の想像以上に嘆き悲しんでいるのだろう。

 死ぬその瞬間、彼は家に帰れたのだろうか?答えのない問いがさまよう。彼を思う。彼を思い祈る。

 明日、一人の男が病院を退院する。
 大きながっちりとした体つきの男だが、入院した当初はよく涙を流していた。
 「自分は五歳の子供がいて、自分がこんなところでいるから、ご飯を食べさせることが出来ない」そう言ってぼろぼろと涙を流してた。

 その彼もだんだんと元気良くなり、良くなるに連れて涙も流さなくなった。今朝、彼は自分にこう言った。
 「明日、退院するからチョコをちょうだい」 さて、自分はどうしようかなと思い、パントマイムをした。
 小さなエアーチョコを包み、それを彼の手のひらに置き、指を一本ずつ、そのエアーチョコを包むようにして曲げていくと、彼はその手を自分の口元に持っていき、大きな笑顔でそれを食べていた。自分もとっても笑顔になった。隣の患者も笑顔になった。それが嬉しかった。

 今朝、駅では一人亡くなっていた。
 一人の患者をカーリーに運んだ。これがほんとうにたいへんだった。タクシーのなかで自分にタンを吐くし、何もしていないサラの顔面をぶったり、ほんとうにどうしようかとほんとうに悩んだ。

 彼は服を何も来ていなく、ただ、汚いモーフを近く持ちえていただけだった。食べることもままならない、そして、歩くことも出来ない患者だった。
 しかし、運ぶ前には彼がそのように暴力を振るうような患者とは到底思えかった。そして、彼は施設に行くことも受け入れていた。しかし、ある程度のメンタルなところもあるのだろう。今日はほんとうに困った。

 カーリーの前では中に入ろうとせず、それを拒み、水をあげても吐き出す、食べ物をあげてもそうした。

 そして、自分に水を吐き、サラをまた打とうとしたので、自分は彼を起こり叱った。ほんとうに胸が痛んでしょうがなかったがそうした。笑顔を無くして、真剣に叱り起こった。

 彼はまだ到底外では生きれない状態だった。

 強制は出来ない。だがしかし、どこまで自分の意思でその人のことを、その人の命を、守れるようにしていいのか、どうなのか?その境目がほんとうに判らない。彼のようなメンタルな部分も持ちえる患者に対して、どうすれば、いいのか、ほんとうに胸を痛めた。そして、自分は自分の感情を超えることが出来ずに、それが自分を苦しめ、重く何かがのしかかるような感覚が残った。

 何よりも自分のしたことが神さまのために美しいことなのか、どうなのか?それも判らない。判らないことを自分は強く感じていた。

 それでも、ただ、静かにベッドで寝てくれたことを見て、少し心が落ち着いた。

 彼が愛あるケアを受けて新しい何かを感じれるようになれたら。そう思い祈る。

 
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別れの準備。

2008-03-26 16:15:19 | Weblog

 病院の三階の患者の数人には昨日、もうすぐ日本に帰ることを話した。少しずつここを離れることを言葉にして心を整えたかった。

 今日になると昨日よりも多くの人が自分が日本に帰ることを知っていた。来週の月曜が最後になることをしっかりと伝えた。

 とてもとても切なくなった。どうやって自分は彼らに別れを告げるのだろう。その日、どんな言葉で別れを言うのだろう。考えても考えても、結局は自分の想像を超えて、その日、その瞬間は来るのだろう。ならば、出来るだけ心を整えて、その日を迎えたい思いになる。やらなければならないこともたぶん残しているだろう。今、病院の廊下には以前カーリーガートにいた患者も一人いる。
 
 身体を洗うことも出来ずに一ヶ月ぐらい前にあげたジョアンから貰った赤いセーター一つだけ身にまとい、床にダンボールを敷いてモーフ一枚で寝ている。今日は彼に半ズボンとTシャツをあげた。彼をどこかの施設に送りたい思いはある。路上出れば食べ物に困るが、病院にいれば、それには困らない。このことはジム、マーティンに相談しよう。

 自分は今日ダムダムに行った。とても静かだった。シアルダーのディスペンサリーに結核であろう患者が自分で来た。かなり苦しい様態だった。彼は以前プレムダンにいたと話した。だから、もう一度プレムダンに行きたいと言っていたが、そんなに間簡単には彼を連れて行くことは出来ない。

 駅を終え、彼を連れてレントゲンを撮りに行った。きっと結核は悪くなっているだろう。彼の写真をSrアンドレアに診てもらい、通いの治療で済むのかどうかを決めてもらう。今日の夕方、ノーラとディブにそれをしてもらう。

 明日、自分はまた日本人のボランティアを血液検査に連れて行く。以前の検査の結果と今回のものをStマイケルに見比べてもらう。

 今日はStクリスティーと会い、話しをしてくる。これも別れの準備である。

 否応なし、時間は過ぎていく。当たり前であることは十分承知しているが、にも関わらず、何かをためらい、何かに地団駄を踏み、心が騒ぐ。それも続くことはしないであろうことも知っている。

 ここでの滞在は自分へのご褒美である。自分はとっても喜んで、そのご褒美をいただいてきた。それを満足しきれるように、あとの数日、ここで生きる。
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美しい朝。

2008-03-25 15:29:42 | Weblog

 この二日ほど、雨が降ったり止んだりしていた。激しい雨ではない、ポツポツとしっとり降っていた。少しこの空の汚れを落としてくれていた。

 今朝、空気が爽やかで朝日がとても美しい朝だった。昨日の慌しさをすべて美しいものに変えてしまえそうな日差しが自分をさしてくれた。

 今、残されたここでの日々を思いに思う。今まで顧みる。そうすれば、内なるものがあたたかに騒ぐ。見るものすべてが愛しく思える。ここに居れて嬉しい。ここに来れて嬉しい。マザーに会えて嬉しい。彼らに会えて嬉しい。この騒音や汚れた空気すら、静かな優しさをくれている感じさえする。

 自分はここで自分の知らなかった自分に逢った。それはかげがえのないもの、逢う必要があったのだろう。そして、今回もそうした自分の知らない自分に逢えた思いでいる。

 これはすべて必然であるということを受け容れる。そうすることをしてきた。そして、ここを離れるということも同じように受け容れる。とても難しいが受け容れる。

 まだまだ言葉にならない思いが胸のなかにある。そうしたものを丁寧に感じていきたい。

 山谷のおじさんたちにも会いたい思いにもなっている。桜を眺めたい思いにもなっている。

 とっても複雑に絡み合う心が今ある。深く深く、それを観ていこうと考える。

 今朝の病院も患者たちはほんとうに素晴らしい。彼らが自分に神の存在、感謝の意をいつも教えてくれている。
 それに心が騒ぎ、感動する。今日も退院する患者との別れを喜んだ。お互いに嬉しい思いに包まれた。

 駅は昨日とはまったく違い、とても静かだった。乾いた気持ち良い風が吹いていた。美しい朝だった。

 昨日、毒を飲んだ患者は病院に昨日入院した。二人、駅を終えて見舞いに行ってくれた。
 患者は生まれて初めて外国人の女性の暖かな優しさに感じているだろう。生まれて初めての経験を今している。

 マザーを通して。マザーからの贈り物を受けているのだろう。そして、ボランティアも患者から愛の贈り物をもらい、与え、患者も同じように、それをもらい、与えている。それを感じれることが何よりも嬉しい。

 駅を終え、Stジョンの教会に行った。Stアグネス、Srデイミアンのお墓参りをした。

 Stジョンのチャペルはほんとうに美しい場所。自分の好きな場所だ。静かなに少し祈った。

 これで最後になるかもしれないこと思い、さよならを心の中で言い、ありがとうを繰り返した。

 美しい朝だった。
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ガンガーへ。

2008-03-24 19:30:45 | Weblog

 さて、何から書こう。

 今、とても疲れている。今日はほんとうに疲れた。それも必然なのか?今日はあったことも見る必要、出会う必要があったのか、今の時点ではよく分からない。それでも、判ることは、今日は今日で精一杯に働いたこと。

 今日は病院の訪問を終えてから、サウスステーションに行った。
 プラットホームから手と足を線路側に出しながら痙攣をしている男がいた。となりのプラットホームから線路に降りて、彼のところに行ってみた。

 すると、近くにいる若い男が彼を助けて欲しいと強く話してきた。
 彼は昨晩、毒を飲んだとのことだった。若い男の話から、それは飲まされたか、間違って飲んでしまったかは自分には理解出来なかった。しかし、痙攣している彼は間違って毒を飲んでしまうような感じの男ではなかった。
 自分は線路から「彼はここでは線路に落ちてしまう」そう若い男に言うと、彼は物凄く汚れている患者にも関わらず、その手と足を持ってプラットホームの中の方へ引きずってくれた。そして、彼の様態を詳しく話してくれた。ほんとうに激しい腹痛があり、痙攣をしていた。
 自分は彼にあと少ししたら、必ずここに車椅子を持って戻ってくることを約束し、その場を離れた。

 ディスペンサリーに戻り、彼を運ぼうと車椅子を用意している。サラ{アメリカ人のボランティア}が様態の悪い女性患者がいるから見て欲しいと話してきた。
 行ってみると死んでいるかのように寝ていた。もう少し状態をよく知るために近くにいた麻薬中毒者に彼女のことを聞いてみた。

 彼女は昨晩、酒を少し離れたところで呑んでいたらしい。そして、酔ってそのまま寝ているとのことだった。
 自分は迷った。ただ酔っているのなら、それは運ぶことは出来ない。しかし、様態はほんとうに良くない。
 仰向けに寝ていた彼女を膝を曲げて横に向けた。鼻から嘔吐したものが出てきていた。

 「どうしたらいいのだろう?」少し考えたかった。ほんとうに迷った。アル中患者は運べない。しかし、、、どうすれば。。

 もう少し経ってから様態を見てみたいとサラには話し、痙攣をしている患者をとりあえず、先にディスペンサリーに運ぶことにした。

 それから、コラムとサラがもう一度彼女を見に行った。それを待っている間に考えに考え、心に落ち着きを持って運ぶことを決めた。

 コラムに運ぼうと言われ、それを受け入れた。もう一度彼女の身体に触れてみると体温が下がっていた。
 車椅子に乗せても、もう首が据わっていなかった。タクシーにそのまま乗せようとコラムがしたかったのかもしれないが、自分はもう少しディスペンサリーで彼女のことを話したいと言った。

 ディスペンサリーでカーリーに運ぶことを決めた。しかし、様態があまりにも良くなかった。
 タクシーの中で患者を亡くすことはほんとうに問題になる。その可能性もかなり大きくなっていた。そして、彼女はそのまま静かに亡くなってしまった。

 何をどうすれば良かったのか、こう書いている今も判らない。ただ、今日はシュシュババンの救急車でカーリーに運び、そのまま火葬場に行き、彼女が焼かれるまで見続けた。

 焼かれた後、彼女はガンガーに流される。

 焼かれる火の光が次の世界への道のように見えた。ここではない世界へ旅立つことを意味しているように感じた。ほんの数時間前には彼女は息をしていた。その彼女が、違う世界に行ってしまっていることを否応なしに認めるように誰かに言われているような気もした。そして、自分はそれを恐れていることも感じていた。

 またいつか今日のことはゆっくりと見つめなおすためにも書き直したい。

 今は少し横になりたい。そして、静かに祈りたい思いになっている。
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必然として。

2008-03-23 17:43:55 | Weblog

 今日は小雨が降ったりしている。
 暑さも少しおさまっている感じだ。雨上がりの空気はやはり良い。ほこりも落ち着き、息もしやすい。そして、今日は日曜なので車がいつもよりも少ない。静かで良い。

 駅の仕事を終え、プレムダンに行くためにシアルダー駅のベンチで一人で座っていた。すると、以前、頭にうじ虫がいたあの患者が自分の方へ歩いてきた。

 すぐに判った。プレムダンを勝手に出て来てしまったことが。。彼女は二日前に出てしまったことだった。彼女は団体行動は取れないと思っていた。しかし、傷を治すためにプレムダンにしてくれると思っていた。いや、そう信じていたかった。

 彼女は自分を見ると笑顔を見せた。頭の傷には治療していた場所から血がにじんでいた。まだまだ、そとで生活できるような状態ではないことは判った。とりあえず、持っていたオレンジをむいて、彼女にあげた。
 そして、ゆっくり彼女に聞いてみた。
 「治療をしてもらいにプレムダンに行く?」そう聞くと、彼女はうなずいた。

 一度自ら出た患者をまた受け入れてくれるとは限らないと思っていたが、その傷があまりにも良くはなく、これはシスターに何を言われるか、判らないけど、連れて行こうと決めた。

 彼女は素直に列車に乗り、プレムダンについて来てくれた。彼女の手を引きながら歩いた。
 プレムダンではジョアンが治療してくれた。彼女は喜んで患者を治療してくれた。

 しかし、治療を終え、昼食を食べ終わると、彼女は「ここには居たくない。出て行く」そう言って歩き始めた。

 マーシーやボランティア、自分が何度も言い聞かせても聞いてはくれなかった。シスターは。。

 彼女はまた出て行ってしまった。もう二度とプレムダンには運べないことが決まってしまった。そうシスターが話したとジョアンから聞いた。

 シアルダーのディスペンサリーで彼女を治療することを試みるが、しかし、彼女はきっと治療時間には来れないだろう。それは誰にも判った。

 また手助けをするチャンスが無くなった。また頭蓋骨が見えるところがあり、その周りは大きな傷になっている。そのままで何日かすれば、またうじ虫が湧いてしまうだろう。

 さて、どうしよう。マザーの施設以外のNGOに運ぶことも考えている。それでも、今度はいつ彼女に会えるかは判らない。

 また今日のように会えるのだろうか?今日、彼女に会えたのはほんとうに不思議だ。自分は会えて嬉しかった。日本に帰らなくてはならない日が近づいて、少し寂しくなっていたそのときに彼女は現れてくれた。そして、自分を嬉しくさせてくれた。

 もちろん、悩みもくれたが、それはそれ。まだ何か出来ることはないかと考えさせてもくれている。

 そして、いつも思う。ほんとうに他人に出来ることは少ないということを。何度も何度も学ばさせてくれる。それは彼らが自分にそうさせてくれる。

 いろいろとあるが、自分は彼女に会えたことを嬉しく思っている。また会えるのを楽しみにしている。

 プレムダンでは以前自分が運んだ麻薬中毒者が元気な姿でビッグスマイルで自分のことを呼んでくれた。
 彼はイースターのための真新しい洋服を着て、歩けない患者たちのためにご飯を配っていた。

 それを見ているだけで涙が出てくるほど、嬉しかった。
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アミ クシィ アチ。

2008-03-22 14:51:13 | Weblog

 95年、自分が三度のインドの時からベンガル語を勉強するようになった。
 今は自分が話すベンガル語を他のボランティアがまったく解らないのを知るときにふと不思議に感じる。きっと、そうした変わりように、自分のなかの小さな自分が驚いているし、少し誇らしげにしているかもしれない。その自分のなかの小さな自分を抱きしめるようにして話し合う。

 マザーにベンガル語で話しかけたことを昨日、よく思い出した。

 「アミ クシィ アチ{私は幸せです}」そうマザーに声をかけると、マザーは「クックシ アチェ{とても幸せですね}」と言ってくれた。

 そう、自分はこの場所でマザーに会い、幸せを感じれるようになった。もちろん、それ以前にも幸せを感じていただろうが、その色を増して、今、幸せを感じてられている。

 このことが意味することはほんとうに大きい。

 別れ、悲しみ、苦しみ、死、憤り、驕り、怒り、憎しみ、、それらを何度も感じ味わい、意味多き愛を色濃くしてきた。だが、また何度も愛を見失うことも繰り返した。それでも、また愛の大切さを学ぶ。それが嬉しい。

 きっと自分たちは何度も治癒することを繰り返せる。それは罪を許されることでもありえるだろうし、いかなる苦しみをも乗り越えられることを意味するのではないかと問い続けたい。

 そうしたものをこのうちに持つ。

 今朝、病院では二人亡くなっていた。
 一人の患者は一昨日オレンジをむいてあげた男だ。彼には誰も見舞いにきてくれる者はいなかった。治療されることも遅かった。激しく痛み苦しみ、自分にも助けを求めた。

 彼の同じ部屋にいる患者から、「あなたがあげた食べ物を食べてから亡くなった」そう告げられた。

 過ぎてしまってから考えても何も変えることは出来ない。過去を変えることは出来ない。しかし、いつも、この胸に重くのし抱えるものを感じる。それを自分はどうすればいいのか、丁寧に考えなくてはならない。

 彼の顔が何度も脳裏に浮かぶ。自分がしたことが、してきたことが、十分なことであったのか?ほんとうに申し訳ない思いにもなるが、それもそれで、自分の勝手な思い込みと驕りではないかとも考える。

 ただただ、丁寧にその瞬間を働いて行きたい。そうさせて欲しいと祈る。

 駅はとても静かだった。ホーリーで休みが多いのだろう。

 今夜のミサ、しっかりと祈りたい。

 
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暑い暑いと。

2008-03-20 17:09:59 | Weblog

 今朝は何度も言った。言っても言っても暑さはどこにも行かない。自分が急いで日陰を探して休むしかない。体力を温存させるためにもそうしている。だが、やはり、今はほんとうに暑くなってきた。

 病院の火傷の患者二人は退院していた。家での治療が続くだろう。そして、誰も火傷の患者は居なくなった。

 半身不随の患者が「今日は元気だ」そう笑顔で言った。今日の彼の笑顔は入院してから一番の笑顔だった。そして、よく話していた。それをうなづきながら笑顔で聞いた。

 その自分達の間には何があるのか?神が通うのか?愛が与え合い、受け合うのか?うまくはとても表現は出来ないが、有り難いものが、そこにあると思う。お互いに嬉しいという思いを感じあっている。

 もう一人半身不随の若い患者がいる。彼はもう亡くなるだろう。母親は深く悲しみを漂わせながらも、彼の自由の利かない足をずっとさすっていた。祈るようにさすっていた。
 自分は彼女の方に手を置いて、無理をしないようにと話した。それ以上、言葉が浮かばなかった。あとの思いは身体で話した。
 彼は今、死をどう感じているのだろう?生をどう見ているのだろう?不安と恐怖、痛みにがんじがらめされて、心を捕らえることは出来ないのだろうか?母親の愛は彼をどのように勇気付けられているのか?
 次から次へと問いは溢れる。そして、彼を目の前にした自分は何を問われているのか?ゆっくりと感じ考えようと思う。

 駅では一人患者をプレムダンに運んだ。明日から月曜まで午後の治療がイースターのため、休むになるので、昨日、治療に来れなかった者を何人か治療した。

 何日か前に来た足を犬に咬まれた男も今日、あの治療をした日以来、初めてきた。またうじ虫が居座っていた。また土曜の朝に来るように伝えた。

 一人の女性のメンタルな患者をサウスステーションから連れて来た。かなり汚れていた。左の耳から小さいうじ虫がわいていた。髪の毛を剃り、身体を洗い、新しい服を与え、耳を治療した。これ以上を状態が悪くなれば施設に運ぼうと決めている。

 今日も警官がこん棒を振るいながら麻薬中毒者を駅から追い出していた。そして、貧しく弱い者をも同様にそうしていた。ほんとうに見るに耐えられないものがる。人間とは悪にもなりえるものということを知る。そうしたものが自分のなかにもあることを考える。

 今日はHoly thursday、5時半に白のシャツを着てマザーハウスに行く、ミサのなかで足を洗ってもらう。これは4年前と同じである。嬉しいこと。

 今夜はミサのなかでも、いろいろと考えてみたい。

 明日はホーリー。外出はしない。今日のうちに明日の分の食べ物を買い揃える。明日はゆっくりと心と身体を休める。それは自分のホーリーであり、Good Fridayになる。
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あたたかな場所。

2008-03-19 15:14:59 | Weblog

 この前、プレムダンに以前運ぶの大変苦労した頭にうじ虫のいた女性に会いに行った。

 彼女は治療を拒むが、治療をしてほしいとも考えているらしく、いつも何度か、治療の場所には行くが、一、二度はすぐにそこから逃げてしまい、三度目にやっと治療を受ける。そんな感じだそうだ。

 彼女を治療をしているボランティアに自分が会える場所まで連れて来てもらった。{以前は女性病棟にも入れたが管理のシスターが変わってからは男性が入ることが許されていない}

 彼女は自分を笑顔を見せた。
 木陰に座り、少し話しをした。彼女は自分を気遣い、隣に座るように指を指した。あいがと、そう言って、そこに座った。
 彼女は終始笑顔で自分と話した。彼女も幸せそうだった。自分も幸せを感じた。

 もう何匹ものハエに追い払うことも必要なくなり、ゴミのようなものを食べる必要もなく、誰かにバカにされることもなく、きれい静かなところで眠ることが出来る。表にはヤシの木があり、花があり、小鳥もいる。やさしいボランティアもいる。彼女の傷を治療してくれるボランティアもいる。

 彼女の笑顔を見ていると胸が熱くなった。そこはあたたかな場所である。プレムダンはとてもあたたかな場所である。

 そこはお互いに愛の贈り物を与え合う場所である。プレムダンの意味は愛の贈り物。そうしたものを自分たちは彼らから頂いている。胸が熱くなる。

 食事の時間になり、彼女は自分の手を引いて、一緒にご飯を食べようと誘う。一緒にご飯は食べないが、とりあえず、彼女の横に座る。

 彼女がご飯を食べている姿を見るだけで涙が出てきそうになった。ほんとうに嬉しい。彼女はメンタルな分、そこでも、少しは問題を起こすが、それは気にはならない。問題を起こすことも事実であるように、彼女が愛を他人から受けているのも事実。それに触れ、感じれるだけで、神に感謝をする。

 病院では一人亡くなっていた。前日は瞳を合わした。老衰に近いだろう死だったが、やはり悲しい。心は重くなった。

 レントゲンを撮った約束をしていた患者は待ち合わせには来なかった。それでも、彼はまた来るだろう。

 駅はとても静かだった。警官がたくさん居たためだ。彼らが貧しいものを棒でたたき駅から追い出していた。それはほんとうに見るに耐えられないものがある。

 暴力では何も解決しない。今、ダライラマを思う。ほんとうに暴力では何も解決はせず、怒りと恨みを生むだけだ。

 自分たちは愛と平和で持っていかなくてはならない。暴力のあるところへ愛と平和を持っていかなくてはならない。

 しかし、自分のなかにも、そうした暴力がある。認めざるをえない影がある。他人はバカにしたり、見下したりする暴力がある。そうした自分のなかの暴力へも愛を持っていかなくてはならない。

 明日はHoly thursday、ミサでは足を拭いてもらう。もうその練習もした。もう一度、いや、何度でも謙虚さを学ぶ。その意味を大切に持つ。

 Good fridayはホーリーなので一日中部屋にいるつもり。ミサには残念だが出ることは出来ないだろう。

 その日が久しぶりの休み。そして、最後の休みになるだろう。

 ここを離れる日が近くなればなるほど、今までのすべての滞在の日々が思い出されてくる。

 自分はマザーに会えて、ほんとうに幸せである。彼女を通して、すばらしい人たちに会えた。
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