昨日、カーリーガートに患者を一人運んだ。
朝からの雨で、その彼は病院のなかにある砂場に濡れたままで横たわっていた。
彼の顔を見れば、もうすぐ息絶えるような感じがした。彼の右足のすねは腐りきっていて骨も見え、蛆虫が流れ落ちていた。
その場でバーニーと二人で洋服を着替えさせ、彼の右足を新聞でくるみ、そして、ビニール袋をかぶせ、タクシーに乗せ、カーリーガートに自分一人で運んだ。バーニーたちは駅を行った。
カーリーガートではこんなことがあった。
日本人のボランティアとアイルランドの神父のボランティアに彼を洗ってもらおうと頼み、そうしてもらっているとイタリア人の年をとったボランティアが何も言わずに手伝い始めた。
三人は患者の体を洗うのに必要ではないので、神父のボランティアは静かに身を引いていた。
イタリア人の彼もしっかりと患者の体を洗っていた。その姿にほっとしていた。しかし、彼は患者を荒い終え、裸のまま、服を着せる前に、日本人のボランティアに、この患者と一緒に写真を撮ってくれと、デジカメを出し、ポーズまで決め、その足が写るように撮ってくれと言った。
日本人のボランティアは「この心理が判らない」そう嘆いた。
きっとかなりの人がそう思うだろう。しかし、こうしたことはかなりあるのも事実だ。あるものは足いる蛆虫を見て、悲鳴を上げながらさったりした人もいた。
自分がその相手にどんな影響を与えているかなどは何も考えていない行為だ。そして、人の中には「怖いもの見たさ」そうした影がある。自分ではない他人の不幸や不運などを見て、何かを誤魔化していくことを自然としてしまうこともあるのではないかと思う。
自分はイタリア人の彼を注意したりはしなかった。
彼はきっとその写真を誰かに見せ、こんなにも酷い状況の中で働いてた自分を他人に知って欲しい、判って欲しい、自慢したかったのだろう。
自分のなかにもほんとうによく何かを他人に自慢したくなったりする。実際、そうしていることが多いだろう。恥ずかしいことだがないとは到底いえない。
形は違うだけだと思った。心苦しかったが、そこから学びえることはあった。
今朝もすこし雨が降ったが、今は晴れ渡り良い風が吹いている。今日は自分はダムダムに行った。とてもいい気分転換にもなった。