カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

心配になる。

2012-01-31 12:36:52 | Weblog

 今日も多摩川の帰りにケンちゃんの田んぼに寄ってみた、もしかしたら、タヌキさんがいるかもしれないと思ったからだ。

 昨日の同じ場所であんは立ち止まり、タヌキさんが居たところを見た。

 やはり、居なかった。

 夜行性のタヌキが人の通りがある近くで日向ぼっこなどしないのが普通だろう。

 タヌキさんが出入りする下水の入り口を見てみると、ソーセージとリンゴがあった。

 誰かが置いてくれたのだろう。

 自分たちと同じように心配してくれた人があのタヌキさんのために置いたのは間違えない。

 それを見て嬉しかった、と同時にもう何も食べれなくなったのか、心配にもなった。

 いくら心配しても、何がどうこう変わる訳でもないが、こうして誰かの優しい思いに出会えることがあるようだ。

 自分は昨日と同じようにポケットのなかにあったササミをリンゴとソーセージがあるところから離れた下水の流れが見えるようになっているところ、これをなんと言えば良いのだろう、きっと分かるだろうが、これはあんがまだ小さかった頃、その上を歩いていたら足が挟まって嫌な思いをするようなことがあり、それから、その上は絶対歩かなくなったもので、でも、今では間の狭いのには「もう大丈夫、怖くないもん~」って言う感じで歩くところのものである。

 ここにはその狭いのはあった。

 そこに上から見えるようにササミを落としてきた。

 もし明日なかったら、食べてくれたと判断出来るが、下水道にはねずみも居るかもしれないし、それは分からないけど、食べてくれたと言うことを期待して止まない。

 入り口にあるものはハトやスズメ、カラスにも食べられてしまう可能性があるが、さて、どうだろうか。

 あのタヌキさんのことは、どうしても心配になる。

 この思いは自分の知らない誰かも同じような思いでいる。

 それが嬉しい。

 それがあたたかい。
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悲しきタヌキさん。

2012-01-30 12:46:42 | Weblog

 今日あんはあいちゃんと多摩川で遊んだ。

 あいちゃんの周りをピョンピョン走り回っていた。

 北風がとても強く寒いなかを。

 あいちゃんのお母さんに「寒いですね」って言うと、「家を出た時が一番寒いです」と答えた。

 それはほんとうで、玄関を出た途端、そのまま引き返そうかなと思うくらいの寒さを感じるが、歩いていくうちにその寒さもどうにかなってくる。

 多摩川に行くと風が強い。

 だが、風が止まった瞬間の暖かさが良く分かる。

 かがむと風を避けることができ、地面の草たちと一緒に寒さをしのぐことも出来る。

 そうしたことが面白い。

 今日もあんはたくさん多摩川を駆け回り、あいちゃんたちより一足早く帰ってきた。

 家の近くの踏み切りのところには、ケンちゃんちの田んぼがある。

 あんはそこで少し立ち止まった。

 あんの目線の先を見ると、田んぼに続く下水道の入り口近くで、タヌキさんが日向ぼっこしていた。

 タヌキさんが日中から、人目があるところでそんなことはしないものであるが、そのタヌキさんは瀕死の状態であった。

 酷い皮膚病になっていて、両目を見えていないようだった。

 あんのためにあった鳥のササミをタヌキさんの近くに投げてあげると、やはり見えていないことが分かった。

 鼻をクンクンしながら、ササミの場所を探し当て食べてくれた。

 こうしたタヌキさんに餌をあげることは良くないことであろうが、もうそのタヌキさんの命は長くはないことが分かったので、ササミをあげた。

 あんも自分が大好きなササミを投げ与えているのに、欲しがったりもせず、吠えたりもせず、大人しくそのタヌキさんを見ていた。

 あんもあまりにも可哀想だと思ったのかもしれない。

 そこにあいちゃんとあいちゃんのお母さんも多摩川から帰ってきた。

 「タヌキがいますよ」と言うと、「多摩川に行く前から居たんですよ」。

 「そうですか、酷い皮膚病ですね」。

 「どうすることもできないですね」。

 「・・・、ササミは食べましたよ」。

 「そうですか、良かった」。

 そこにトイプードルと散歩していた女性が来た。

 「タヌキが居るんですよ」。

 「そうですか」と言い、珍しそうに見ていた。

 そして、自分たちがその場を離れた後、ケイタイで写メを撮っていた。

 家に着き、タヌキのことを母親に話すと、三日ぐらい前に家から30メートルほど離れた石坂が働く山口板金の前でタヌキの親子が交通事故で亡くなったと言っていた。

 前から家の近所にはタヌキさんが居ることを知っていたが、この寒さで食べるものがなく、厳しい生活をしていたのだろう。

 胸に詰まる思いを感じる、何をどうすることもできないが、ただ今あるものを感謝し、慈しみ、大切にしていくことの意味を良く考えるようにと、誰かに言われたような気がした。

 
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久しぶりの山谷。

2012-01-29 13:00:47 | Weblog

 土曜の山谷を風邪のために二回休んだので、昨日は久しぶりの山谷になった。

 昨日はカルカッタで一緒にボランティア登録をしていたちよちゃんの双子の姉のさよちゃんが来ていた。

 彼女と会うのは二回目、山谷のクリスマス以来であったが、顔はもちろん、声までそっくりなので、ちよちゃんと話しているような感じになり、カルカッタのことを良く知っているのかもしれないと思ったりしてしまうほどだった。

 さよちゃんも15年前からカルカッタのマザーハウスに行きたいと思っていたらしい、そんなことも話した。

 彼女は11時半に浅草の仕事場に戻らなくてはならなかったので、白髭橋のおじさんたちに自分と一緒に挨拶をしてから帰っていった。

 フランスでホームレスの人たちのボランティアをちよちゃんとしたことがあると言うことでおじさんたちに挨拶するのは大丈夫とのことだったが、ほんとうにそうだった。

 まったく面白いもので、ちよちゃんと話しているみたいだった。

 でも、案外そうかも知れないと思う、さよちゃんの身体を通して、彼女の双子のもう一人の自分であるちよちゃんがそこに見えるような感覚、二人で一人のような存在であるのか、テレパシーを自分も使い、その場に居ないちよちゃんに語りかけているのではないか、と思えるほどであった。

 その面白さを楽しんでいた。

 おじさんたちに挨拶すると久しぶりに会う自分を冷やかすように、「下駄は履かないの?」と何人かのおじさんたちに言われる。

 「さすがに寒いでしょ!」と笑って答える。

 そんな会話も良いものである。

 人に会うことによって、会話が生まれ、その会話は何の意味を持つのか、不必要なものではない、必然必要なものとして、会話は生まれる。

 その会話を愛あるものにするために意識を使う。

 祈りの助けを借りて。

 必然必要な祈りの助けを借りて。

 また一つの呼吸するように愛してみる。

 
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40周年。

2012-01-27 12:38:17 | Weblog

 久しぶりに優子ちゃんからメールが来た。

 アサダの両親が来月結婚40周年になるから、それをサプライズで祝おうために集まろうとあった。

 そのメールを読んで、優子ちゃん、優しいなって思った。

 アサダが亡くなって、もう10年以上になる。

 ここ何年かは命日しか集まることをしていなかった。

 だから、こうして集まる理由があること、それはアサダの家族を思い続けていること、天に先に行ったアサダをずっと思い続けていること、大切にしていることに違いない。

 歳を重ねていく上で、人はいろんなものを背負い込み、忙しくなり、大切にしたいものすら大切に出来なくなっていたり、またそれに言い訳して誤魔化したりとしてしまいがちになる。

 だが、そうした人ばかりでは決してない。

 優子ちゃんはもう学生の頃にこう言っていた。

 「一度友達になったら一生だよ」。

 彼女はその言葉に裏切っていない、それが嬉しい。

 人から信頼されるためには、「約束守ること、悪口を言わないこと、口が堅いこと」である。

 人からは信頼されたいと思いながら、実はこうしたことをしていなく、またその矛盾のなかにあることに気付かずにいる人は少なくはない。

 今からでも遅くはない、信頼される人になろう。

 それを意識し、自己を見渡していけば、きっと成長するだろう。

 なぜなら、今までしていなかったことをするのであるから、それも自分の弱いところを見詰めるのであるから、そこを修正しようとするのだから。

 だけど、間違っていけないことがある。

 これは演技ではないと言うこと。

 心の深いところで納得し、自らがそうあった方が良いと選択することにより、それは輝きだすだろう。

 信頼される人は愛を伝える人になりえるだろう、愛を与える人になりえるだろう。

 話を戻すと、こうして変わらずにみんなで集まることが出来るのは、アサダからのかけがえのない贈り物である。

 「テツアニィ、最近どうよ?」なんて、奴の声が聞こえて来そうだ。
 
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凧揚げ。

2012-01-26 12:39:57 | Weblog

 今日の多摩川グランドは小学生に貸し切りされていた。

 低学年の小学生100人ぐらいがいつもあんと遊んでいるグランドで凧揚げをしていた。

 それはなかなか圧巻の景色だった。

 うまく飛ばせている子や絡み合った糸を解いている子、先生に怒られている子、空には無数に白い手作りの凧があがっていた。

 あんは最初のその光景に戸惑い、すぐに帰ろうとした。

 これでは小心者のあんを助長させてしまうだけだと思い、あんを自分の傍に座らせ、一緒に凧揚げしている子達をしばらく見て、そして、あんの大好物の鳥のササミをあげた。

 あんも適応能力はあるので、だんだんその光景や子供たちの声も恐れないようになった。

 だが、やはりいつもとは違うような緊張感を感じていただろうことは歪めないあんには変わりなかった。

 違うところでボール投げをしても、楽しく遊ぶことは出来なかった。

 そんなときもあると、今日は少しだけいつもは行かない草むらを歩いただけで多摩川から帰ってきた。

 今はもうあんはのびのびして部屋のなかで日向ぼっこして寝ている。

 もしかすると「ゆーきや、こんこん」の夢を見ているのかもしれない。

 獣医さんから「猫のように育てると柴犬は良い子になりますよ」と言われ、今ではコタツが大好きで、自分の布団のなかまで入ってくるような猫タイプのあんになったけれど、やはり、「ゆーきや、こんこん」だったことが判明した。

 きっとその夢をあんは見るだろう。

 楽しかったことをあんは忘れない。

 「おいで!」で来ない時は「食べる~?」と言うと来る食いしん坊万歳のあんだけど。
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夢が一つ叶いました。その2。

2012-01-25 12:51:04 | Weblog

 「雪の日に多摩川にあいちゃんと行ったんですよ。一面の雪景色でほんとうに綺麗だったんです。誰もいなくて、そこに足跡つけたりして、ほんとうに楽しかったですよ」。

 これはあいちゃんのお母さんが以前話していたことで、それを聞いてから、いつかあんと雪景色の多摩川で遊びたいとずっと思っていた。

 
 あんは天宿公園で雪をつかまれようと遊んでいた。

 天宿公園から帰って来る途中にあいちゃんちがあるので、あいちゃんと会えないかなとあんと話しながら、あいちゃんちの近くを通って、家に戻ろうとしたが、あんはまだまだ遊びたい気分らしく、そこら中を楽しそうに歩き回りながらクンクンしていた。

 「もっと遊ぼうか!」

 あんにそう言って、自分が走り出すと、あんも着いてくるので、南武線の線路の向こうまで行くことに決めた。

 そこにはケンちゃんちの田んぼがあり、しっかりと雪が一面に積もっていた。

 これは行くしかない、思いっきり入り込むと、あんももうダッシュで田んぼのなかを走り回った。

 リードをつけたまま、あんを自由に走り回らした。

 あんは自分と追いかけっこしたいと尻尾をフリフリさせ、前足を伸ばして、自分を挑発してくる。

 そこへ「ウォー!」と言って、あんを追いかけるとあんは楽しそうに逃げ回る。

 辺りには誰もいない、雪が降るだけの静かな世界をあんと駆け回った。

 十分遊んでから帰ると、あいちゃんとあいちゃんのお母さんに会った。

 あんは大喜び。

 「寒いですね」とあいちゃんのお母さんは傘をさしながら言ったが、自分は「楽しいですね、雪は良いですね。あんも大喜びです」と答えた。

 「やっぱり雪が好きなんですね」とあいちゃんのお母さんは言った。

 あいちゃんはカッパを着ていた。

 あいちゃんがカッパを着ていると何かすました感じに見えるのは何故だろう。

 いや、色眼鏡を急にかけ、あいちゃんを自分が見ているだけなのか、普段は着ないあいちゃんがカッパを着ているあいちゃんのぎこちなさを自分が感じているのか、それは分からないが、何故か少しすました感じに見えるあいちゃんが面白かった。

 あんはあいちゃんとも遊びたかったに違いない、あいちゃんとあいちゃんのお母さんの後姿をしばらく見ていた。

 月曜日はいつも休肝日にしていたが、今日は雪が降っていると言うこと、それは雪見酒が出来ると言うことで、こういう時は臨機応変に行こうと自分の都合良い言い訳を勝手に思いつき、あたたかな晩酌をした。

 あんは家に帰ってからも、まだ雪のなかで遊びたいらいく、「ヒュ~ン」と言ってた。


 次の日、九時に起きるとあんがいつも違い、コタツのなかから出てくると玄関に行き、散歩に行きたい様子で待っていた。

 「良し!多摩川に行こう!」

 すぐに用意して、あんと多摩川に行った。

 あんは雪の上を歩くのが面白いらしく、サクサクと雪の上を歩いていた。

 多摩川に行くと一面の雪景色、誰も居なかった。

 あんと二人の貸切の多摩川グランドだった。

 もうグランドに降りると、あんも嬉しそうに雪の上をピョンピョン走り出した。

 ボールを投げると全速力で走り回り、ボールをくわえたまま、グランドを大きくダッシュしていた。

 その姿は物凄く美しく、ケイタイでたくさん写メを撮ってみた。

 撮った写メにはウォーリーを探せ的な小さいあんが遠くを飛び跳ねているのが撮れた。

 それを見て笑った。

 とにかくたくさん写メを撮りながら、あんと雪景色を祝福するように遊んだ。

 夢が一つ叶った。

 ずっとこうして遊びたかった夢が叶った。

 自分の夢が叶っただけでなく、あんの夢が叶ったようにも思えた。

 それはあまりにも楽しそうに走り回るあんの全身から雪景色のグランドに描かれていた。

 あんも自分も大満足で多摩川に「ありがとう」と言って帰ってきた。


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夢が一つ叶いました。

2012-01-24 12:23:04 | Weblog

 最近の天気予報は凄い、昨夜も予報通り九時頃に雪になり、すぐに吹雪いて来た。

 一件仕事を終え、九時半に外に出るともうあたり一面真っ白になっていた。

 これがいつも来ている家の周りの景色なのか、疑うほどの雪景色に圧倒された。

 同時に内心物凄く嬉しくなっていた。

 なんかワクワクしていた。

 去年はインドに居たし、こんな雪景色、久しぶりだった。

 さて、もうお分かりの人もいるかもしれない、自分はこの雪のなか、あんと散歩に行くのがすでに楽しみでしょうがなくなっていた。

 そして、車の運転もほんとうに注意しながら、仕事場まで戻ってきた。

 十時になり、タイムカード押して、自転車に乗って帰ってきた。

 雪のなかの自転車も楽しかった。

 この道に先には楽しい散歩が待っているところへ繋がっていることを感じながら、ペダルを必死にこいだ。

 もちろん、滅多に見れない雪景色も楽しんだ。

 一回ぐらいは転ぶかなと思いながら帰ってきたが、これがなかなか調子良く走り、転ぶことなく帰ってきた。

 だが、一度だけチェーンが外れた。

 家に着き、あんはいつものようにコタツのなかで寝ていて、お迎えに来てくれない、この間に晩酌やお風呂の用意などするのである。

 昨日は石坂に電話しみた。

 「何している?」

 「風呂入っているよ」

 「そっか、んじゃ、まぁ、散歩行こう!凄い雪だぜ!」

 「雪は知っているけどよ。チョコ{ミニチュアダックス}はさ・・・」

 「チョコは雪ダメか?」

 「あんは柴犬だから大丈夫だけど」

 「そうか、残念だな、こんな雪、滅多にないよ。んじゃ、ちょっとあんと散歩に行って来るよ。またね」

 「おぉ~、またな」

 石坂とチョコも居れば、あんは大喜びになると思い、誘ってはみたが残念ながら無理だった。

 あんはこんなに雪の降っている夜に出かけるのは生まれて初めてだろう、家を出た瞬間少し固まった。

 だが、すぐにブルブルして雪の上を歩き始めた。

 歩き始めると足に感じるその感触が面白いようでじゃれ始めた。

 あんは草の上、枯葉の上、土の上、砂の上に続いて、大好きなった雪の上を大喜びで走り回った。

 時折あんもきっと驚いたのだろう、毎日見てきた世界がいつもとまったく違っていることに頭をかしげていたように見えた。

 それはそうだろう、夜なのに不思議なほどあたり一面明るかった。

 そして、もう一つ違うのは音、あんは聞いたことのない音を聞いていた。

 雪が雪に落ちる音。

 あんは降って来る雪を捕まえようとしたが、雪に落ちた雪を見つけることが出来なくて戸惑っていた、でも、自分が笑っているので、また雪を捕まえようとしていた。

 それを見て、また自分は笑っていた。

 {つづく}

 
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昨日も。

2012-01-23 11:43:31 | Weblog

 昨日も大人しくしていた。

 だけど、あんの散歩は一時間ぐらい三沢川を歩いた。

 自然遊歩道へ上がる方へあんは行きたがったが、まだ調子が良くないからと言い聞かせ、平らな道だけ、ゆっくりと歩いた。

 山を横手に深呼吸するように歩くと、また気持ち良いもので、普段見ないような角度から天神山を眺めたり、植物を丁寧に見てみると、きっと脳が活性化されるのであろう、新たな発見への喜びを生み出していく。

 それが面白い。

 いろんなものに気付く。

 見ていたものは見ていただけのものではなく、その裏もあれば、横もあり、光りが差せば、違う顔を見せ、頬を寄せれば、その香りを伝えてくる。

 見ていたものは見ていただけに過ぎず、触れて、感じて、待って、思って、愛してみると、それはそれまでものでなくなり、何とも愛しいものになり、一体化するようにその世界に溶け込むことが可能になるような気さえする。

 トコトコ歩くあんは自分をいつもその世界に連れて行ってくれる。

 三沢川から帰る途中、今まで一度も歩いたことのない道を少し歩いた。

 あんは見知らぬ道を歩くのを楽しむ。

 それは縄張りを増やしていくと言うことになりえるのだろうか、分からないが新たなクンクンをたのしんでいるのだろうと思う。

 ゆっくりと歩いた。

 体調が悪くなった感はなかった。

 あんにも風邪はうつっていないようで安心した。

 今日は身体も楽で鼻水ももうあまり出ない。

 健康であることの意味を学ばせてもらった日々はもうすぐ終わるだろうが、それは決して忘れてはならぬもの、祈りとして、日々あるものへ感謝をしよう。

 一つの呼吸にまで。

 
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良く寝た。

2012-01-21 17:18:56 | Weblog

 今日は大人しくしている。

 午前も午後も良く寝た。

 良く寝る方の自分だが、こんなにも寝たのは久しぶりだと思うくらい良く寝た。

 やはり身体がそれを欲していたことを知る。

 雨が降っているので、あんの散歩もウンチ散歩のみになった。

 ちなみにウンチ散歩とは、ウンチをしたら帰ってくることである。

 あんもそれを良く分かっていて、ウンチをすると家の方向へ歩き出す。

 体調はぼちぼちで、今は寝過ぎのせいか、ぼぅーっとしている。

 まぁ、これだけ寝れば、快復していくだろうと期待する。

 明日も仕事は休みだし、雨も降るので、散歩もウンチ散歩になり、あんは家の中で走り回ることになるだろう。

 今日は今さっきにエアコンに外部のフィルターをかえ、部屋を拭き掃除し、空気を入れ替え、観葉植物にシュッシュと水を吹きかけた。

 これでも、少し気分が良くなる。

 さぁ、ご飯しっかり食べよう。

 その前にあんのおしっこをさせに行こうかな。
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参った参った。

2012-01-20 12:11:48 | Weblog

 どうにも調子があまり良くならないと思っていたら、今朝はとうとう発熱してしまった。

 昨日は立派な鼻声だった。

 さて、どうしよう。

 こうした身体的に辛い時に、自分がどうあるのか、良く観察してみようと思う。

 ある人は医者でもなければ、何かの検査結果すら知らないのに、その人の内在する恐怖心から相手が望んでもいないのに、勝手に診たて、決め付け、病気の患者本人を追い詰めるように恐怖付けてしまう人がいる。

 これが厄介なことにまったく罪悪感なく、その口を開いてしまう。

 その人を許せるのか。

 その人を大切に思えるのか。

 その人の癒されていない傷を思えるのか。

 ありのままを静かに受け容れられるのか。

 その人の恐怖に巻き込まれないように、注意深くこの内を観よう。

 そして、それを楽しむのである。

 せっかくの風邪である。

 その価値も高めよう。

 
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