今日も多摩川の帰りにケンちゃんの田んぼに寄ってみた、もしかしたら、タヌキさんがいるかもしれないと思ったからだ。
昨日の同じ場所であんは立ち止まり、タヌキさんが居たところを見た。
やはり、居なかった。
夜行性のタヌキが人の通りがある近くで日向ぼっこなどしないのが普通だろう。
タヌキさんが出入りする下水の入り口を見てみると、ソーセージとリンゴがあった。
誰かが置いてくれたのだろう。
自分たちと同じように心配してくれた人があのタヌキさんのために置いたのは間違えない。
それを見て嬉しかった、と同時にもう何も食べれなくなったのか、心配にもなった。
いくら心配しても、何がどうこう変わる訳でもないが、こうして誰かの優しい思いに出会えることがあるようだ。
自分は昨日と同じようにポケットのなかにあったササミをリンゴとソーセージがあるところから離れた下水の流れが見えるようになっているところ、これをなんと言えば良いのだろう、きっと分かるだろうが、これはあんがまだ小さかった頃、その上を歩いていたら足が挟まって嫌な思いをするようなことがあり、それから、その上は絶対歩かなくなったもので、でも、今では間の狭いのには「もう大丈夫、怖くないもん~」って言う感じで歩くところのものである。
ここにはその狭いのはあった。
そこに上から見えるようにササミを落としてきた。
もし明日なかったら、食べてくれたと判断出来るが、下水道にはねずみも居るかもしれないし、それは分からないけど、食べてくれたと言うことを期待して止まない。
入り口にあるものはハトやスズメ、カラスにも食べられてしまう可能性があるが、さて、どうだろうか。
あのタヌキさんのことは、どうしても心配になる。
この思いは自分の知らない誰かも同じような思いでいる。
それが嬉しい。
それがあたたかい。