カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

人間性。

2016-11-29 12:44:58 | Weblog

 

 先週の土曜日は月末のこともあり、白髭橋の炊き出しには多くのおじさんが来ていた。

 その炊き出しの列を見て、これはカレーが足らないかも知れないと思った。

 いつものようにカレーの列に並ぶおじさんたちに挨拶をしていった。

 一人ひとりのおじさんたちの表情を見ながら挨拶していくなか、列の後方に粋な帽子をかぶり、作務衣を身にまとい、素足に雪駄を履いてくるおじさんの顔を見つけた。

 私は彼に近づき、お互いに寒さに負け、彼はランニングシューズを履き、私の足元はブーツだった。

 それを見て、彼は向島の芸者の話しをし始めた、向島では粋な芸者は冬でも素足に下駄であると笑いながら話していた。

 ふと大きな指輪のある彼の右手の小指が目に入ると、半分になっていた。

 彼と出会ってから、数年になるが、初めて小指を詰めていたことに気が付いた。

 私は何を見ていたのだろうか、彼はどんな人生を送って来たのだろうか、そのようなことが脳裏に渦を巻いていった。

 {つづく}


いつも。

2016-11-28 18:02:42 | Weblog

いつも思うことだが、ほんとうに自分は目の前の人に最良の行いをしたのであろうかと、どうしても問わずにはいられない。

もっとこうしたら良かった、もっと出来ることがあったのではないかと、やはり思わずにはいられない。

突然の永遠の別れ、死を前にして、そう思わずにはいられない。

この問いに、いつになったら答えられるのか。

 

 


今日は。

2016-11-22 12:39:46 | Weblog

 

 雨上がりのとても良い天気で何より、それに導かれたように私の身体も風邪から解放され、少し快復しているような気がする。

 昨夜はこのブログに写真も載せるのかなと思い、ちょっと載せてみた。

 気が付けば、もう10年になるこのブログだが、写真を載せたのは初めてである。

 「あれ、日本人は居なのではないか?」と思われた人がいるかも知れないが、写真に写っている東洋人は私である。

 シュシュババンでの日本人のためのオリエンテーションでは日本語で話しているにも関わらず、「ほんとうに日本人ですか?」と聞かれたり、インド人のシスターからも「あなたはインド人に見える」と言われたりもしたが、もしカルカッタで会ったら、怪しまないで欲しいものです。

 ただインド人らしく見える私は路上で働く場合、やはり働きやすい、路上で生活する貧しい人たちは西洋人が接するより、インド人らしく見える私が接する方がやはりソフトである。

 また写真のように髭を伸ばし、あのカルカッタの街を歩くと思うと、あたたかな部屋のなかでパソコンを前にしている私からすると、つかみどころのない非現実的な感じもするが、それも私であり、そこに帰るのである、私の心の故郷であるあの街に。

 


テスト。

2016-11-22 00:54:16 | Weblog

 

 写真も載せれるものかと、休肝日なので、ちょっとテストしてみました。

 この写真は前回のカルカッタでの私のチームです。

 日本に帰る直前だったと思う、マザーハウスの前での撮影です。


なかなか治らない。

2016-11-21 13:00:45 | Weblog

 風邪が思うように治らない、ほんの少し良くなっている気がするが、まだ身体が少し重く感じている。

 土日は無理に外出せずにゆっくりと過ごしたが、このありさまに困っているのだが、ふとマザーのカレンダーに目を向ければ、こうあった。

 「神の愛は無限ですが、あなたが直面している問題は有限です。無限によって有限を克服しなさい」

 「はい、そうです」と私は答えて、祈りに身を包む。

ゆったりと。

2016-11-18 12:51:38 | Weblog

 今週は風邪気味から風邪に成長した身体を身にまとい、細々とゆったりと暮らしている。

 いつもの調子ではない身体でも、無事に仕事をこなし、ライブの前の歌の練習にも行けたことに感謝している。

 近いうち、成長した風邪は私の身体を通り抜けて行くだろう。

 ただ体幹トレーニングだけは休んでいる。

 ズル休みではない、まあ、少しそんな気もするが、ただ無理しないようにしているだけと自分に言い聞かせ、日曜日辺りにトレーニング出来るようになっていればと考えている。

 パソコンのプリンターも買って、昨日一人で繋げることが出来た、これは機械の弱い私にとっては褒めるべきことであり、無事に接続出来たことに大いに満足している。

 次は安いシムを買い、スマホをインドに行く前に使えるようにしようと思っている。

 スムーズにストレスなく、文字が書けるように練習の特訓中である。

 随分遅れたスマホデビューになるが、にも関わらずオールドルーキーを望むが、まだまだレギュラーになれず、ベンチをあたためているようなものであるが、なかなか楽しくしている。

おじさんとの会話。

2016-11-15 12:59:29 | Weblog

 カレーの列に並ぶ、このおじさんはいつも何かを勉強している。

 聖書、歎異抄、この前などはマザーの列聖の新聞の切り抜きなどを持ち、それらを覚えるために紙の切れ端にメモ書きしてしている、その字は達筆である。

 それは何のためにと想像して見れば、深い深い彼の孤独や不安、死への恐怖、そこから抜け出したいと強く願う意志の意味と自らの存在理由を明かし、感じたいと切に願う心が伺えるのではないだろうか。

 彼はいつも朗らかであり、良く笑う。

 しかし、その向こう、その影には私の知り得ぬ何かが在るかも知れない、だが私はそれを覗こうとは思わない。

 ただ彼が炊き出しに来てくれたことを喜んで向かるだけである。

 「どうですか?元気ですか?」

 私がそう聞くと彼はニコニコして「元気を落しちゃいました」と川面を指さして言った。

 「それじゃ、拾いに行かないと」

 「うん、風がゆっくりと吹いているから、これから、川下に、後で行く」

 「そうですか、南風だから、大丈夫です」と何の根拠もなく私が答えると、彼は笑っていた。

 他愛もないこんな会話だが、彼の一週間にこんな一時がどれだけあるのだろうかと考えると、私はもっともっと彼を喜んで迎えるべきではないかと感じるのであった。

風邪気味です。

2016-11-14 12:43:08 | Weblog

 「風邪気味です」と、まず書いてみたが、すでにこう書いた次点で、私の身体はやはり風邪を引いているのであって、それを大げさにしたくない気持ちが「気味です」と言うことになる。

 昨日、目が覚めると、声がまず鼻声だった。

 それから、喉が少しいがらっぽい、鼻が片方詰まっていて、次第に少し鼻水も出て来た。

 だから、いつも日曜日にはゆっくりとする体幹トレーニングは止め、柔軟体操だけにした。

 昨夜から風邪薬を飲み、今日は体幹トレーニングもしないでゆっくりとしている。

 ただ時間は無駄にしたくないので、ちょうど駅前の旅行会社から土曜日にインドへのチケットが用意されたとの連絡があったので、今、チケットを取りに行き、海外保険にも入って来た。

 徐々にこうしてインドへ行く準備を整えて行く。

 土曜日は1994年にカルカッタで出会った医師に会い、薬をしっかりともらい、積もる話をたくさん交し合った。

 その前の土曜日はカルカッタで使うためにシムフリーのスマホも買った。

 こうしたことを一つひとつしていく度、私は私のうちに小心者の男と出会うのである。

 その彼は緊張している、今度は大丈夫かな、保険はその値段ので大丈夫かな、この先、インドへ行くまで無事に過ごせるだろうか、カルカッタでは今まで通り働けるだろうか、と小心者はいつも悩むのである。

 私はそれを無視したりはしない、こうした彼と対話をすることにより、祈りは深まっていき、私の根はそれを肥やしにし、育っていくようである。

 そして私は強くはないのである、その事実を通して、誰かのそれを感じ、またそのなかで自他の区別をもしようと試みるのである。

 「風邪気味です」とは、その症状のみであり、私のすべてではなく、流れ行くものの過程の一部でしかないが、その出会いは会って良しと思えるのである。

 それは私の一部であることに間違えはなく、私はその一部を忌み嫌うより、大切にすることを望む。

 なぜなら、そこにも「私が愛したように隣人を愛しなさい」との教えが形と姿を変え流れているからである。


あんのこと。

2016-11-10 12:55:05 | Weblog

 今日はあんと穴澤天神まで散歩に行った。

 玄関を出ると、すぐにまた玄関に戻ろうとするあんに「がんばれ!あん、散歩に行くよ。運動!運動!」と言って励ますが、ちょっとした瞬間にすぐに家の方に帰ろうとする。

 大通りの信号のところではブルブル震える次第だった。

 あんは身体が温まるまで時間が掛かるようだ。

 そしてオシッコ、その後、ウンチをすぐにした。

 そんなにオシッコとウンチをしたいのなら元気良く玄関を出て、「良し!散歩だ!」としてもらいたいものだが、あんはそうは行かない。

 散歩があまり好きではないようだ、いや、そうではなく、ただ家が好きだと言うことにしておこう、歩いているうちに身体が温まり、電柱などをクンクンしているうちにトコトコと歩き出すからである。

 そんな家好きなあんは猫のように寒がりである。

 この寒い時期になると、晩酌の友の役から解放されたあんは最初私のフトンの上で寝ているが、午前3時か4時頃になると、いつも私のフトンのなかに入って来る。

 それで熱すぎると、サウナのあとの水風呂のような形でいったん布団から出て身体を冷やし、またフトンのなかに戻って来る。

 6時半朝ご飯を食べに行って、まだ寝ている私のフトンのなかにまた入って来る。

 まったく猫のようだ。

 そんな猫のような柴犬のあんはやっぱり可愛いのである。

 もうすぐあんが家に来てから7年が経つが、あんへの愛が醒めたことなど一度もない、あんへの愛は増すばかり、あんを見て、私はいつも思う、どれだけあんが私の救いと癒しになっているかと言うことを深く感じる。

 だから、カルカッタに行く朝のことを考えるともうたいへんである。

 でも、やはりいまを大切にしようと、また思い直し、あんをこねくり回すのである。

詳しいこと。

2016-11-08 12:56:12 | Weblog

 グレッグからのメールは奥さんのタンが書いていた。

 二人とも私の無二の親友である。

 グレッグはメールなどは書かず、いつもタンが彼の変わりに書くのである。

 そんな彼なのでFBなどはやっていないし、まずやる気もないだろうが、私のことをいつも気に掛けていてくれることが、私には肌身に感じるように分かるのである。

 育った環境や習慣は違えど、まさに兄弟のようである、それはお互いの人生の終焉までそうであることを疑わない。

 グレッグは二月に仕事場が移動になるらしい、その合間に私がカルカッタにいる間だけ、自分は行こうと考えていると言うことだった。

 前回のカルカッタの滞在では、彼の家族には会えなかったが、彼だけ、私に会うために家族より一週間早くカルカッタに来てくれた。

 ほんとうに有り難く嬉しいことである、また今回も彼はそうしてくれるようである。

 グレッグは私に駅の仕事を教えてくれた大切な一人である。

 1997年12月、私は私に洗礼を与えてくれたジョン{当時はまだ神父になることを決めてはいなかった}に駅の仕事を手伝って欲しいと頼まれ、ジョンと私のゴットファーザーになったジムに連れられて始めた。

 一月の終わりにジョンがオーストラリアに帰り、交代するようにグレッグがドイツから来て、駅の仕事を始めた。

 グレッグはその数年前から駅の仕事をしていたベテランだった。

 彼は英語の不自由な私のことをいつも思いやり、笑みを絶やさず、柔和で、何よりも働き者だった。

 ほんとうに、ほんとうに、大切なことをたくさんを教えてもらった。

 一番と言うくらいに私の心に残る彼の言葉は「No rest」である。

 「休まない」と言うことであるが、当時駅の仕事はボランティアの休日である木曜も行っていた。

 空気が悪く、雑踏のなかをひたすら歩き回り、瀕死の患者たちと関わる駅の仕事はほんとうに疲れるものであったが、彼はいつも笑みを浮かべ、「No rest」と言うのであった。

 私にはそれが何だかとっても格好良く思え、それから、私もこの言葉を他のボランティアに言うようになった、そして「休みはもう十分に日本で取って来た」と付け加えたものだった。

 いま思うとマザーも休まずにひたすら神さまのために働いたのである。

 自らの体調や疲れ、感情を超えて、そうし続けてきた、そのことを私はもっと行いのなかで内省して、この身体を動かしたいと思う。

 私は何度も体調の悪さ、感じる痛み苦しみを理由に、大切なことを見過ごしてきた弱さがある。

 自己を捨てきれないゆえの、自己が作り出した罪がある。

 あの雑踏の街、心の故郷であるカルカッタでもう一度じっくりと祈りのうちに感じ考えてみたいと願っている。