「オレはいつも最後でいいんだ」と彼はいつもカレーの列の最後に並ぶ。
そのため私たちが来るまでの間、時間をぼんやりとつぶしカレーが配られる直前になってから急いで列に並んでいる。
彼は路上生活をしながも、必ずヒゲは剃ってくるし、いつも身なりも清潔にしている。
昨年の夏はしばらく見ないと思うと、ケンカで御用となり、俗に言われる臭い飯ではなく、路上生活者にとっては快適な空間のなかで三度の有り難い食事をいただいていた。
「その時も彼は自分がいけないんじゃない、相手がふっかけてきたんだよ、オレは嫌だったんだ」と事情を苦々しく話してくれた。
だから、今年の夏も私は冗談で「そろそろ快適なところに行きたいんじゃないの?」など言って彼を笑わせた。
「もうそんなの一年前の話だよ」と彼は言ったが私は「いや、ずっとこれから言われるんだよ」と言うともう勘弁してくれと笑った。
私はそんな彼と話をするのが好きであり楽しみにしている、それは彼も同じのようだ。
私が4月にカルカッタから帰ってきて、初めて白髭橋の炊き出しで彼に会うと、「あぁ、これで来るのが楽しみだよ」と言ってくれた。
私は彼になぜか魅かれる、背はさほど大きくないが力があるいい顔していて身なりはいつも綺麗だし、いつも自分をわきまえ、私を拘束しようと無理な語り方もしない、そして、私がカレーの容器などを集めている時など彼は「大将にそんなことをさせていけない」とまで言ってくれるほどである。
きっと酒を酌み交わし、話をすれば、人生の先輩として苦労を重ねてきたであろう彼は私にどんなに為になる話をしてくれるのだろうかと考えずにはいられない。
しかし、私は今のままでのある種特殊のバランスのままの関係を彼が望んでいるのかも知れないとも思えるのだ。
言いたくないこと、教えたくないことも彼にはあるはずだろう、家族のことなどは彼から一切聞いたことがないのであるから・・・。
彼が一番後ろに並ぶ理由の一つは私とゆっくりと話を少し出来るということもあるだろう、一週間に一度ほんの短い時間であるが、それを楽しみにしてくれている彼にとってはかけがえのない時間かも知れない。
先週彼は「正月はだけはさ、ドヤに入って過ごすよ。今までずっとそうしてきたから。だから、来週から少し働きに行ってくる。しばらく会えないけど、よい正月を」と笑いながら言った。
「そうか、それじゃ、よい正月を」
私は冬の路上の寒さから解放され、壁の薄い小さな部屋のなかであるが寒さに肩を力を入れることもなく、正月をのんびりと新年を迎える彼の姿を想像した。
「今日は元旦だから、いつもよりも酒がうまい」なんて一人呟いているのかな。