今、一人の若いボランティアの男の子に今日、黄疸が出ているがはっきりと判った。彼は保険には入っておらず、今までなかなか自分の言うことを聞いてくれない患者さんだった。
他人を変えることは出来ない。そのことをまた強く感じた。
恐怖心を煽り、その人を対人操作するようなことは避けたかった。そこには常に上から目線があり、「私の言うことを聞かないと愛さない」そうした脅しが含まれている。病人である相手を意識せずに見下している。そうしていて、自分がその人に愛を与えていると、どうして言えよう。しかし、人はそうした過ちを気付かずにしてしまうことも多いだろう。
病状が長引くにつれて、彼の中の恐怖心が生まれ、どうにかなると思う幼稚さが失せ、どうにもならないことと思うことから生まれる不安がだんだんと彼を素直に真剣にさせてきた。
人は傷付きながら学ぶ。
彼が彼自身のために、彼の中から生まれる力を待ちたい。そうしたものを信頼していきたい。彼が今まで見詰められなかった彼のなかの成長を待ち続けている一部、そこをほんの少し支えてあげたい。
ほんとうに他人にしてあげられることの少なさに学び直す。
しかし、もう黄疸が出てしまっているので、マザーハウスのDrのシスターに診てもらおうと思う。日本へ帰ることを進めるつもりだ。そして、彼の話をゆっくりと聞きたい。
今日はとても暑い。
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