カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

病気。

2008-02-03 14:44:41 | Weblog

 ボランティアはほんとうにたくさんの人が病気になる。いや、ボランティアだけではなく、インド旅行者もそうだろう。

 いま、肝炎になっている人もいれば、下痢や吐き気、発熱、いろんなものがいろんな原因から起こり始める。

 長く何年もいるボランティアでさえ、下痢や嘔吐はする。長くいるボランティアの方が食べ物にほんとうに気をつけながら毎日を過ごしている。

 病気になり、不安や恐怖を感じながら、そして、学びながら、今まで来たからである。

 話をする機会のある人にはいろいろと話もするが、やっぱりかなりの人が日本へ病気を持ち込んだりしているのだと思う。

 長くいるボランティアは毎日の食事はだいたい同じものを同じ場所で食べることが多い。自分も食べるものは作りたて時間をみて食べにいく。そして、そのバランスもつねに考えながら食べる。日本ではそうしている人も多いだろうが、初めてインドに来る人たちはやはり珍しいものが目に付くのだろう。カラダのバランスや安全な食事のことも考えずにいてしまう。

 ある人は大丈夫でも、ある人にはまったく大丈夫ではないものもたくさんある。

 毎日、きちんとした生活をし、身だしなみを整え、仕事をするのが何よりだが、なかなかそうしたことまで気が回らない人が多いのだろう。

 残念なことであるが、傷つきながら学びしかないのかも知れない。ここで毎日ボランティアをすることは簡単なことでは決してない。

 そして、ボランティアとは放れたところでの感覚をも、ここのでの思い出になるのだろう。しかし、それをしっかりと区別し、判っているの者がどれだけいるのだろう。そんなことをよく考える。

 二月になり、日本人も増えてきたから、なおさら、そんなことを考えたりしている。

 今日はとってもいい天気。駅も静かだった。少しゆっくり休んで部屋の掃除でもしよう。
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嘘つき。

2008-02-03 00:26:20 | Weblog

 今日は病院で三人亡くなっていた。

 一人はやけどの患者、カラダのほとんどが黒く焦げていた。やけどの患者はほんとうに苦しみながら、痛みながら、ゆっくりと亡くなって行くその姿はほんとうに心苦しい。どうすることもできない。祈るだけである。そして、せめて、自分は記憶に残しておこうと思う。

 一人は首が砕けていた患者。彼がここまで生きれたことが不思議なくらい。首の三分の一はそぎ取られていた。治療は何一つされていなかったが、二日前にカーゼが巻かれていた。彼はカラダを丸めてずっといた。

 一人はもう自分が今回初めて病院の訪問を始めてからいた患者。最初に彼を見たときにはすでに死んでいると思った。彼の手と足を触ると冷たくなっていた。しかし、ゆっくりと見ると彼はまだかすかに息をしていた。となりにいる患者に話を聞くと、もうダメだろうと話していた。自分もそう思った。
 その二日後、家族が見舞いに来ていた。弟のようだった。彼のカラダをずっとさすっていた。そして、驚くことに彼は話ができるまで回復していた。

 その彼にはよくこう言った。
 「きっと良くなる。心配ないよ。前にあったときにはもうダメかなと思ったけど、今は話もできるし、笑顔にもなれる。きっとよくなるよ」
 彼はいつも会うたび、こう言った。
 「自分は良くなるの?大丈夫なの?」

 家族によって彼の顔にはしっかりと油が塗られいて毛糸の帽子もかぶっていた。

 そして、彼のその瞳には常に救いを求める意味が込められていた。瞳だけで会話もした。ほんとうに祈った。家族も励ました。ほんとうに良くなると思っていた。

 しかし、彼は亡くなった。静かに亡くなったのだろう。

 自分は嘘つき。そのことも判っている。実際、嘘もつく。

 なぜ、嘘をつくのか?それは励ますだけで精一杯になっている自分がいるからだろう。怖くて彼の痛みを共感できていない自分がいる。いや、共感など出来るわけがないが、それを試みようとする勇気が足らない。

 だから、嘘をつく。

 励ますだけ精一杯になっている自分をもっと知りたいと思う。


 駅の仕事を終えて、シャンティダンに行った。
 駅の郊外に住んでいる家族の子供が心臓が悪く、オペをするためにその体力を付けるためにシャンティダンにいる。路上では到底生きることは出来ないその子供のカラダは血液検査などをして、まだオペに耐えられる力がないとの診断が出ている。その子の母親の見舞いにシアルダーから付き添った。

 母親は子供の姿を見るなり花開くように笑顔になった。子供は言葉を何も話さなかった。母親にどうして聞くと、わたしの前では話さないと言った。

 どうしてだろう?どんな関係なのだろう?ずっと思った。しかし、三輪車に子供を乗せ、母親がそれを押したりしているときには笑顔になっていた。

 少し経って食事の時間になり、自分が母親と帰ろうとし、子供にそのことを話していると、彼は動くことをせず、ただその瞳から涙を落とし始めた。

 離れるのが辛いんだ。家族のもと、母親のもとにいたいんだ。母親を目の前にし、何かを思い感じ始めるために彼には時間が必要だったんだ。

 食事をする場所にも行こうと何度も行ったが、彼は動こうとせずに、涙だけを流した。母親に食事の場所まで連れて行くようにいった。やっと彼は動いた。しかし、母親が帰ること、ここからいなくなること、離れることを感じている彼は声を出して泣き始めた。

 自分も貰い泣きを少しした。とても切ない思いが自分のなかに溢れ出した。

 彼をボランティアに抱きしめてもらい、自分と母親はその場を離れた。

 母親の愛が何よりだ。そのことを思う。

 母親は子供のきれいな姿、きれいな場所、優しい人たちに囲まれていることに寂しさはもちろんあるが笑顔を見せた。

 帰り道、そうしたことだけを母親に話した。
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