今は人に祈りについて話すことがある私であるが、私が真剣に祈り始めたのは1995年1月から三ヶ月間のマザーテレサのボランティアをしていた時である。
それまでに1993年、1994年と二度短い期間であるがボランティアをしていた、その時には祈りについて何も考えはしなかった。
ただマザーやシスターたちが祈る姿を見て、何でそこまで祈れるのだろう、祈りとは何なのだろう、外の大通りから激しい雑音が聞こえてくるマザーハウスのチャペルではあるがこの静けさは何なのだろう、と代わる代わる脳裏に浮かんでくることを疑問に思うばかりで、私自身は疑問のその壁を超えることなく、祈りのなかに入れず、いや、入ろうとも考えず、ただの見学者のようなだった。
しかし1995年、初めての長期滞在、それもある患者との出会いと別れがあったことで変わったのでないかと、祈りの必要性をこの身に刻んだのではないかと思う。
その患者は両手はどうにか動いたが背骨のほとんどが褥瘡の悪化により見えていて、仙骨ももちろん見え、その近くにも信じられないほどの穴が開き、じん帯なども見えていた。
私はそのような患者を今まで見たことがなかった。
ただシスターからはそのケアを頼まれ「ハエが寄らないようにしてあげて」と言われた。
それは治療とは言えない、もう手遅れであり、ただ膿を拭ってあげ、薬を塗り、ガーゼをあて、身体を綺麗にしてあげるだけであった。
だが、私はその患者ととても仲良くなった。
彼は自分がそんな身体であるにも関わらず、とてもユーモアがあった。
彼のケアで一日のすべてを使った。
そして疲れ切った身体を引きずるようにしてマザーハウスの夕のアドレーション{礼拝}に行った。
私は彼のことをひたすらに思った、その日の彼との会話を反芻した、そして明日やるべきこと、どんな思いで接すれば良いのか、可能な限り想像し、また反省をもした。
何故かは分からなかったがフランチェスコの平和の祈りのこの箇所を何度も惹きつられるように読んだ。
「主よ、慰められるよりも慰め、理解されるより理解し、愛されるよりも愛することを求めさせてください・・・」
私は今までこの祈りの真逆を望み生きて来たと思った。
{つづく}