カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

宝物。

2009-08-31 12:20:29 | Weblog
 
 小さな背中を丸め、片手にアルミ缶が入った袋を持ち、片足を引きずるようにしてあの喋れないおじさんが歩いていた。

 すでにカレーは食べ終わって、どこかへ行く途中だった。

 「おじちゃん、おじちゃん。」

 彼は自分の声に反応し、振り返って笑顔を見せた。

 「もうカレーは食べた?」そう聞くと、頷きながら握手を求めた。言葉を発することの出来ぬ彼には握手と言う行動が親しみと感謝を表すものとしてあるのだと感じていた。

 彼のポケットにはタバコがなかったので、周りに人がいないかを見回したあと、タバコを一本あげ、ライターで火をつけてあげた。

 元気そうな顔を見せていた。しかし、靴はどこかでもらったであろう、彼には大きすぎる靴を履いていた。

 タバコ一本吸い終わる時間、彼のそばにいた。

 また食べ終わった容器をもらい歩いていると、彼は公園のつつじのなかに入って何かをしていた。

 近寄って見ると、彼は自分のアルミ缶をつつじのなかに入れ、枯れた枝でそのアルミ缶を隠していた。

 自分の宝物を取られないようにするためだった。お金に換算しても100円にも満たないであろうアルミ缶が彼の生きる糧になっている。

 誰も友達の居ない彼は自分の持ち物を見ていてくれる人がいない。木々の助けを借りなくてならなかった。

 「そこに隠していたんだ。」孤独のなかに生き抜くためにはそうせざるを得ない姿だったが、愛らしくも見えたその姿に微笑みながら語り掛けると、彼は照れていた。

 またタバコをあげようとすると、彼は一度断ったが、自分は彼の胸のポケットのなかに3本のタバコを入れた。

 彼は濁音の声と右手を差し出した。

 自分は、どうか無事で居てくださいと祈りを込めて、彼の右手に自分の右手を合わせた。それが自分の宝物になっていた。

 そして、彼は大きすぎる靴を引きずり、音を鳴らしながら、どこへ向かって行った。

 台風が来ている今日、彼はどこで何をしているのだろうか?
 
 どうか無事でいてくださいと祈る。
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よしこちゃんの笑顔。

2009-08-30 11:35:49 | Weblog
 カレーを白髭橋まで持っていくために、車に積んでいると、缶酎ハイを手にしたよしこちゃんが陽気に歩いてきた。

 「どうしたの?よしこちゃん、久しぶりじゃない。元気にしていた?」

 「元気にしていたわよ。もう、・・・・・・。・・・。・・・・・・・・・・。・・・・。」
 少し酔っ払っていて、注意深く聞いていたが、なかなかその話が分からなかった。それでも、よしこちゃんは楽しそうに話し続けていた。

 話しを聞き続けていると、自分の住む場所が決まったことで、それを喜んでいた。そういえば、髭もしっかり剃っていて、身奇麗にしていた。

 その間も「私、まだまだきれいでしょ。もう63になったのよ。」なども何度か口にしていた。

 話しをまとめるようにして、こう聞いてみた。
 
 「生保がもらえるようになったんだ。良かったね。それで住む場所が出来たんだ。」

 「そうなのよ、もう2ヶ月掛かったわ。」

 「そうか、そんなに掛かったんだ。でも、良かったね。」

 「うん、良かったわ。私、きれいでしょ。まだまだ。まだ62なのよ。」

 「あれ、63になったんでしょ?」

 「あっ、そうそう。私、きれいでしょ?」

 「うん、きれいだよ。とっても可愛いよ。」

 「ありがとう。それじゃ、久しぶりにカレーを食べに行こうかしら。」

 「うん、また向こうで会おう。」

 終始笑顔で陽気に酔っていた。

 彼女の陽気さは自分を陽気にさせた。穏やかな秋の日差しが気持ち良かった。

 山谷という場所で陽気に生きることはなかなか難しい。彼女の素晴らしさは微笑みをまわりに与え続けていること。その素晴らしさに心は魅了される。

 それは見返りなどを気にしていない彼女の内から生まれてくる天から授かった無償の愛だろうと感じていた。

 
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ライオンの子達。

2009-08-29 08:09:31 | Weblog
 今日は山谷に「風に立つライオン」の旅に参加したこのみちゃん、あやちゃん、コージーを連れて行く。

 みんな、何を感じるのだろうか?
 このみちゃんとコージーは初めての参加になる。生まれて初めて600人以上のおじさんたちを目の前にすれば、そこで激しく複雑にいろいろなものが彼らの内に生まれてくるだろう。

 そうして生まれてくるものは、カルカッタの時と似ているものかもしれない。

 そこで何を感じるのか、まだ誰にも分からないが、また丁寧にその言葉にならぬ言葉さえも、曖昧なものさえも、言葉にして感じ考えてもらいたいと願う。

 物事を柔軟に、そして、柔和に。

 また、一人の人間として。

 愛を用いて。

 またその愛はどのようなものだったか?

 自己の内を丁寧に感じ見ながら、働いてもらおう。

 そして、また良く笑おう。

 不思議なことに今夜初めて、ベランダの夕顔は三輪、花咲かせるようにして、つぼみが膨らみ伸びている。

 彼らの心も、そっと静かに、また堂々と、闇に向かって、花咲かせるようにあって欲しい。
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お休み。

2009-08-27 11:20:36 | Weblog
 昨夜、ほんとうに大きくて綺麗な夕顔が二輪咲いた。

 もう咲き始めてから、一ヶ月も経っているのにまだ咲き続けてくれている。一日一輪ずつ、お休みの日もあった。二輪咲いた日は昨夜で三度目だった。つぼみもまだある。そして、大きな種も出来ている。

 夕顔はだんだんと小さい花になっていくと聞いていたが、それはほんとうではなかった。昨夜咲いたものが今まで咲いた中で一番大きかったように思った。

 こんなに長い間、自分を楽しませてくれるなんて思ってもみなかった。

 やはり、分かったつもりでいる自分が分かった。

 いつも想像を超えて、物事はやって来る。そこで気が付くのは小さな自分である。

 今夜、夕顔はお休み。

 ゆっくりと休んで欲しい。
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筋トレ。

2009-08-26 12:35:18 | Weblog
 最近、やけに腰が痛い、と言うか、ずっと痛かった。

 だましだまし仕事をしているが、このままではいい方向には向かないと思い立ち、しっかりと腹筋と背筋を鍛えていこうと心に決めた。

 そう、心も同じようなことが言えるだろう。
 だましだまし自分のよくないところを見ないようにしても、そこは悪くなるようになっても、良くなることはないだろう。
 そこを柔軟にし、そこに向き合い、そこを粘り強く鍛えていく他ないように思う。

 誰のために行うことでもない、自分自身のためにすることである。

 時に面倒だったり、逃げたくなったり、言い訳をしたりもするだろう。

 それも誰がしている訳でもない、自分自身が行っていることである。

 しかし、新たに強制するのではない。ゆったりとして思いで希望を持って行う。出来ることなら、楽しみにながらした方がいい。そして、何よりもし続けることが大切である。

 さて、もう少し筋トレをしよう。その前にゆっくりとストレッチもしてから。
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中谷さんの言葉。

2009-08-25 13:13:22 | Weblog

 公園の水飲み場の周りには4人のおじさんがいた。その一人ひとりが友達ではなく、話したこともない間柄の人たちだった。

 「カレーは食べました?どうですか?この夏は?どうにか乗り越えられそうですか?」

 「そうですね、暑いですが、まぁ、どうにか乗り越えられそうですよ。」照れながら、髪の毛を伸ばしていて、いつもきれいな格好をしているおじさんは答えた。

 向かいに座っていた70代の坊主頭の小さいおじさんは、「いつもありがと。ここのカレーさ、オレ、好きなんだ。昔、かぁーちゃんが作ってくれたカレーの味がしてさ。こんなのほかのどこに行っても食べられないよ。」ニコニコして言う。彼は声が高くて、その話し振りはとても愛らしい。

 「良かった。身体、大事にしてくださいね。」

 「このカレー、どこで作っているの?」小さなおじさんが聞いた。

 「これはセンターの横のところで作っているんだよ。」

 「あぁ、クロちゃんのところか。」

 山谷ではMCのことを「クロちゃん」と呼ぶ人が多い。インド人のブラザーがずっといるからだろう。場所のことを「センターの横」と言えば、ほとんどの人が分かる。

 「あぁ、あそこで作っているんだ。知りませんでした。あそこによく米軍の車が止まったりしているでしょ。何をしに来ているんですか?」髪の毛の長いおじさんは聞いた。

 「米軍の人たちはいつもお米を寄付してくれたり、手伝いに来てくれているんですよ。うん、毎週ね、100キロぐらい、お米を使うんだよ。その他も食べ物はすべて寄付なんですよ。優しい人たちが居ますよね。」

 「いつもほんとうにありがとうございます。助かっています。」

 「良いですよ。自分たちは好きでこうしているだけでね。自分たちの好きなことにおじさんたちに付き合ってもらっているんですよ。」

 この言葉はもう10年以上前にフランチェスコの神父の中谷さんが自分に話してくれた言葉、そのままだった。

 この言葉は嘘ではない。今の自分はただそうしているだけ、好きで山谷に行き、好きで彼らに会っているだけである。

 神さまのために美しいことをすることも、好きだからしているだけのことです。

 おじさんたちは照れながら微笑んでいた。

 もちろん、自分も同じようになっていた。
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情報提供。

2009-08-24 08:46:18 | Weblog
 この時期、暑い日が続くと自分たちも夏バテしやすくなる。彼らは自分たち以上に夏バテしてやすい状況にいる。

 炊き出しに来ているおじさんたちも痩せている人が目立ったように感じていた。

 食べ終わったカレーの容器を集めていると、手持ちの荷物は何もなく、痩せこけ、汗だくになり、立っていることがやっとな感じで歩いていたおじさんと会った。

 「カレーは食べたの?」彼は頷くだけだった。

 「ご飯は一日二食は食べれている?」

 「一食だけだよ。」

 「そうか、一食だけか、いい?ちゃんと水も飲むんだよ。向こうに水道があるからね。」

 「うん。」

 「それでね、今ね、自分たちが炊き出しをやっていた場所で午後に食べ物を配り来る団体があるからね。そこで待っているといいよ。」

 「パンかな。」

 「それは分からないけど、パンとか、野菜や果物かもしれないよ。」

 「うん、ありがとう。」

 「うん、身体を大事にするんだよ。」

 「うん。」

 その日、その場所では午後にチャリーさん{もう10年以上前になるが、MCでも一緒にボランティアをしていた人}のセカンドハーベストジャパンが食べ物を持ってきてくれる日だった。30人ほどおじさんがそれを待っていた。

 セカンドハーベストジャパンは素晴らしい活動をしている。MCにもよく寄付をしてくれている。
 「日本ではまだ食べられる物の3分の1が捨てられている。分け合うことも出来るのに。」この問いを問い続け、その答えを出し続けている団体である。

 そこに並ぶ人は名前を登録し、番号の入ったカードをもらう。番号が一番から配るときもあれば、次は例えば25番からともらえない人を少なくし、食べ物がなるべく平等に行き渡るようにしている。

 もちろん、自分の名前など言いたくもない人は並ばないだろうが、命が関われば、それは問題にならないだろう。偽名を使うことも可能である。

 山谷には人との関わりを持ちたくないと言う人も多い。そこにも一人ひとり違った深い問題がある。

 自分が出会ったおじさんはその後、ちゃんと水道まで行き、水を飲み、チャリーさんたちが来る場所に向かってくれた。

 彼にも食べ物が行き渡るように願った。

 先週池袋の炊き出しで会ったおじさんにも会えた。彼はまた同じことを自分に聞いていた。そして、彼は池袋での炊き出しがなくなることを嘆いていた。

 目の前の人に対して、親身になり、思いやりを持って、丁寧に接することが何かを変えていく。長い年月を掛ければ、深い問題をもほんの少しでも和らげられるものへ近づけるようになるかもしれない。

 そこには願いと祈りがある。
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ひたむきに。

2009-08-23 11:24:14 | Weblog
 カレーを配り終えてから、あの喋れないおじさんを探しに彼がいた公園に向かった。

 ベンチや木陰には彼の姿は見えず、今はどこで何をしているのだろうと彼のことを考えていた。

 トイレの前のゴミを市の清掃局の人たちが掃除をしていた。その前でポツンと座っている小さな男性が見えた。

 近寄ってみるとあの喋れないおじさんだった。
 彼はまたトイレの前のゴミから出るアルミ缶を待っていた。挨拶をすると柔らかい笑顔を見せた。
 あまり汚れていない洋服を着ていたので安心した。それでも、彼はカレーを食べに来ていなかった。ただ、トイレの前の清掃から出てくるアルミを清掃している人の邪魔にならないように待っていた。

 彼は自分の顔を見ると微笑んで右手を出し、握手を求めてきた。久しぶりに見る彼の顔をよく見た。一ヶ月前と変らない様子だった。
 
 彼の胸のポケットを見るとタバコはなさそうだったので、周りに人も居なかったので自分のタバコを一本あげ、自分も一緒に吸った。

 そして、清掃員のおばさんに「アルミはもうありませんか?」と聞いて、彼と一緒にアルミを探した。そのおばさんは不思議な顔をして、少し引いていたが、自分はそれを感じながらも、気に留めるのをやめて、アルミを拾っていた。

 それは喋れないおじさんの心、そのもののようにも感じていた。大切なもの、生きるためには気にしてはいられない。

 その様子を見ていた近くにいたおじさんも一緒になってアルミを見つけては、おじさんの足元に投げてくれた。

 汚いゴミのなかから、僅かなお金になるものを集めることで命を繋いでいる。不自由な身体で、そして、独りでしている。

 アルミはすでにもうなくなっていた。おじさんはタバコの灰などを出しては右足で踏み潰し小さくしていた。

 「おじさん、もうあと4本ぐらいしかないけど、たばこをあげるよ。」そう言って、持っていたタバコをあげた。

 「ありが・・。」彼は濁音の声で感謝を伝えてくれた。

 彼が言葉を出すのは、どのくらいぶりなのか。それは到底分からないが滅多に言葉を発そうとはしないことだけは分かる。

 その意味は・・・。自分との小さな関わりが何かになればと願った。

 ただひたむきに生きているおじさんの姿は忘れることは出来ない。その姿は今も言葉にならぬものを語りかけている。

 それを大事に感じていようと思う。

 「来週はカレーを食べに来てね。」そう言って握手をして別れた。

 彼はまだくわえタバコでただひたすらに丈夫な右足でアルミを潰していた。
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小さな子。

2009-08-22 08:07:02 | Weblog

 自分のなかにいる小さな子は、今日は自分に何を語りかけて来るのだろうか?

 その子は何を満たそうとしているのか?何を認めて欲しいとしているのか?

 よく話しを聞いて見たいと目覚めてから思った。

 分かってあげられていないところがたくさんあるように感じている。

 歩きながらでも、電車に乗っているときも、山谷のおじさんたちにあっているときも、その小さな子と話し合って行こうと今日は思う。

 夢からの啓示のように、それを大切にしようと思っている。

 
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新さんま。

2009-08-21 13:09:56 | Weblog

 昨夜の晩酌の肴は新さんまだった。
 これがとっても美味しかった。熱闘甲子園を見ながら、黒霧島の水割りを飲んでいたが、酒もよく進んだ。

 ベランダに昨夜一輪咲いた夕顔は可憐でいて、これも肴になり、酒がよく進んだ。

 熱闘甲子園は大好きな番組の一つ、この番組は否定的なことを何一つ言わない。それが心地良い。酒がよく進んだ。

 自分たちの生活のなかで、何もかもを肯定するのはある意味危険と言わざるを得ないが、あまりにも否定的なことが多い世のなかに生きているように感じてしまうことがあるだろう。

 しかし、ほんとうはそうではない。この世のなかはそんなに悪いものではない。それはあなたのなかもそうである。美しいものが必ずある。もちろん、それは他者と比べるようなものでない。

 自己のなかにある否定的観念、肯定的観念を知っている方がいいと思う。

 そこで否定的観念との対話をし、自らそれに問い、そして、どういった思考になっているかを知り、それが自分をより良くしていくものかどうかを見出し、良くないものを捨て、より良いものを選べはいい。それは自由である。

 その自由をまずはつかもうとして欲しい。

 新さんまをとっても美味しい。それがどれだけ素晴らしいかを感じれる、感じれないかは自由である。

 自由であるがゆえに選んで欲しい。より良いものを。

 ゆっくりと。

 そして、またより良いものを誰かに分け与えられるようになる。

 ゆっくりと。
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