カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

心の在り処。

2010-09-30 07:56:43 | Weblog
 胸に手をあて、心の在り処を探す。

 今日一日愛を持って歩めたか。

 愛はどこに在ったのか。

 誰かを見下しバカにしなかったか。

 なぜ、見下しバカにしたのか。

 そうする他なかったのか。

 その心の奥では何を望んでいるのか。

 謙虚であれたか。

 謙虚で在れぬ時には何があったのか。

 よくよくそれを見詰めよう。

 何を恐れ、何に傷付いたのか。

 よくよくそれを見詰めよう。

 何をどう痛み苦しんだのか。

 十分に味わい、痛み苦しみの形をゆっくりと変えよう。

 今日何に微笑んだ。

 すべてを認めてあげ、大切に抱きしめる。

 微笑みかえす。

 分かるのはほんの少しの心の在り処だが、それでも、よくよく見詰めよう。

 丁寧に。

 ありのままに。

 
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思い出してくれた。

2010-09-29 12:21:55 | Weblog
 昨夜、夜の散歩の途中であいちゃん{雑種犬}に会った。

 あんはあいちゃんのことが大好きで「おぅ~~!」と声を出し、尻尾を振る。

 これは「遊ぼうよ~!」と訳して間違えないあんの言葉である。

 だけど、あいちゃんはいつも知らぬ顔、嫌がる訳でもないが、あんを相手にしてくれない。

 あいちゃんのお母さんは両前足を上げてはしゃいでいるあんを見て喜んでいる。

 あんはあいちゃんのお母さんも大好き、頭を撫でられ嬉しそうにしていた。

 「最近涼しくなったから多摩川に行っていますか?」

 「いや、二回ほど行ったのですが、すぐに帰りたがるんですよ。一番最後に行った日に花火の空砲を聞いて、それがすごく怖かったみたいで、未だに怖がってしまうんですよ・・・。」

 「ちゃんと覚えているんですね。それは残念。あんなに広くて良いところなのにね。」

 「そうなんですよ。また楽しい記憶をあんに足してあげないといけないんですよ。」

 こんな会話をして昨夜は帰ってきた。

 今朝休肝日開け、天気良好だったので多摩川に行ってみた。

 あんも案外嫌がることもなく、トコトコと多摩川に向かった。

 沿線道路を渡ると川から来る少し涼しげな風が気持ち良い。

 川原ではラクロスをしている学生たちもいた。

 あんにも「気持ち良いね~!」微笑みかけた。

 久しぶりにあんは多摩川を歩き始めた。

 見慣れた風景のなかにあんは喜んで入っていった。

 すると、運良くサン{パピオン}が遠くから来た。

 「あん!サンだよ!」

 あんはすぐにも飛び出して行きそうだった。

 そして、リードを外してあげるともう一目散にサンのところに走って行った。

 その足の早さをもう到底自分が勝てるものではなかった。

 随分成長したんだとしみじみ想い、その嬉しさをかみしめた。

 サンに逢うのはもう三ヶ月ぶり以上であろう。

 だが、ちゃんと覚えていた。

 二人でしばらくの間、辺りを勢い良く走り回っていた。

 サンのお父さんとお母さんも大喜びだった。

 サンのお父さんは言う。

 「やはり、サンがこれだけ遊ぶのはあんだけ。とても気が合うんでしょうね。」

 サンのお母さんは言う。

 「サン、友達に逢えて良かったね。」

 久しぶりに逢ったが、以前と何一つ変らない様子だったことが嬉しかった。

 あんはやっぱり忘れてはいない。

 多摩川が大好きなこと、サンが大好きなこと、サンのお父さんとお母さんが大好きなこと。

 そして、まだまだある大好きなことをきっと忘れていないことが分かった。

 花火の空砲の怖い記憶は無くなりはしないだろうが、それ以上の楽しい思い出をこれからも作っていってあげよう。

 安心して居られるように。

 この世のなかのすべてまで。
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放蕩息子。その2。

2010-09-28 12:26:01 | Weblog
 
 ママはいつも自分を友達に笑顔たっぷりで自慢してくれた。

 そんなことをしてくれるのはこの世の中で彼女一人である。

 無条件に自分を愛してくれている。

 カルカッタでは、自分が悩んでいれば、うまく行くように励ますアドバイスもくれた。

 思い出すたびに胸が熱くなり、脳裏には色鮮やかに馬路かに手に取るように、そのことを感じられる。

 その一つひとつが宝物であり、今も自分を勇気付ける糧と成り得ている。

 自分はいつまでも経っても悔い改めることの出来ぬ、愛のない放蕩息子であり、彼女はいつもその息子を迎える父のようである。

 メールには「変らずに素敵な笑顔で愛がいっぱいです。」とあった。

 簡単に想像が付く笑顔である。

 4度の入院はあったが元気そうと言うことで少し安心した。

 来月には手術をする予定ではあるが、そんなに難しくない手術だそうだ。

 だが、心配である。

 想い祈ることしか出来ないが、想い祈ることが出来る喜びを感じる。


「放蕩息子のたとえ」

15:11 彼(イエス)は言った,「ある人に二人の息子がいた。 15:12 そのうちの年下のほうが父親に言った,『お父さん,財産のうちわたしの取り分を下さい』。父親は自分の資産を二人に分けてやった。 15:13 何日もしないうちに,年下の息子はすべてを取りまとめて遠い地方に旅立った。彼はそこで羽目を外した生活をして自分の財産を浪費した。 15:14 すべてを使い果たした時,その地方にひどいききんが起こって,彼は困窮し始めた。 15:15 彼はその地方の住民たちの一人のところに行って身を寄せたが,その人は彼を自分の畑に送って豚の世話をさせた。 15:16 彼は,豚たちの食べている豆のさやで腹を満たしたいと思ったが,彼に何かをくれる者はいなかった。 15:17 だが,我に返った時,彼は言った,『父のところでは,あれほど大勢の雇い人たちにあり余るほどのパンがあるのに,わたしは飢えて死にそうだ!  15:18 立ち上がって,父のところに行き,こう言おう,「お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。 15:19 わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません。あなたの雇い人の一人のようにしてください」』。

15:20 「彼は立って,自分の父親のところに帰って来た。だが,彼がまだ遠くにいる間に,彼の父親は彼を見て,哀れみに動かされ,走り寄って,その首を抱き,彼に口づけした。 15:21 息子は父親に言った,『お父さん,わたしは天に対しても,あなたの前でも罪を犯しました。わたしはもはやあなたの息子と呼ばれるには値しません』。

15:22 「だが,父親は召使いたちに言った,『最上の衣を持って来て,彼に着せなさい。手に指輪をはめ,足に履物をはかせなさい。 15:23 肥えた子牛を連れて来て,それをほふりなさい。そして,食べて,お祝いをしよう。 15:24 このわたしの息子が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』。彼らは祝い始めた。

15:25 「さて,年上の息子は畑にいた。家のそばに来ると,音楽や踊りの音が聞こえた。 15:26 召使いたちの一人を呼び寄せ,どうしたのかと尋ねた。 15:27 召使いは彼に言った,『あなたの弟さんが来られたのです。それで,あなたのお父様は,弟さんを無事に健康な姿で迎えたというので,肥えた子牛をほふられたのです』。 15:28 ところが,彼は腹を立て,中に入ろうとしなかった。そのため,彼の父親が出て来て,彼に懇願した。 15:29 だが,彼は父親に答えた,『ご覧なさい,わたしはこれほど長い年月あなたに仕えてきて,一度もあなたのおきてに背いたことはありません。それでも,わたしには,わたしの友人たちと一緒に祝うために,ヤギ一匹さえ下さったことがありません。 15:30 それなのに,あなたの財産を売春婦たちと一緒に食いつぶした,このあなたの息子がやって来ると,あなたは彼のために肥えた子牛をほふられました』。

15:31 「父親は彼に言った,『息子よ,お前はいつもわたしと一緒にいるし,わたしのものは全部お前のものだ。 15:32 だが,このことは祝って喜ぶのにふさわしい。このお前の弟が,死んでいたのに生き返ったからだ。失われていたのに,見つかったのだ』」。
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放蕩息子。

2010-09-27 11:43:34 | Weblog

 カルカッタいるナオミさんからメールが来た。

 そのメールにはジョアン{ママ}のことが書いてあった。

 ママはこの一年の間に4回病院のお世話になったとあった。

 そんなこと何一つ知らなかった。

 三月にカルカッタに行けなくなってから、ママにはメールすらしていなかった。

 自分に逢えることをほんとうに楽しみにしていたママに残念な思いを与えたままだった。

 {つづく}
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ゲゲゲと筋肉痛。

2010-09-26 12:12:09 | Weblog
 昨日で毎日楽しみにしていたゲゲゲの女房が終わってしまった。

 多摩川や調布、深大寺など、自分の好きな場所が舞台であり、また鬼太郎も子供の頃大好きだったこともあったのでほんとうに楽しく見ていた。

 それが終わって、少し寂しさすら感じるくらいである。

 だから、昨日は深大寺に行って来た。

 と言っても、あんと深大寺にあるドッグランである。

 三ヶ月ぶりのドッグランだった。

 あんをミニに乗せるのも久しぶり、ドキドキしながらドッグランに行って見た。

 大型犬のところはあんは苦手、小型犬のところに行った。

 リードを離すとあんはすぐに遊び始めた。

 それも大はしゃぎ。

 前足を上げて二本立ちしたり、子鹿のようにピョンピョン跳ねて走り回っていた。

 楽しそうにしているあんを見るのがほんとうに嬉しかった。

 周りの人から「可愛い!」とか「この子、ハンサムね~!」と声があげる度に自分はデレェ~としていた。

 あんは走るだけ走り続けていた。

 こんなに走るのは、暑い夏が始まってからはない。

 久しぶりに大はしゃぎしていた。

 こんなに走れば、筋肉痛にもなるのかと思うほどだった。

 たくさん遊んで疲れ果て、もうあまり走らなくなってから、あんとドッグランを離れた。

 帰りのミニのなかでは、疲れたあんは静かにしていた。

 帰りは深大寺の前をゆっくりと走って帰ってきた。

 鬼太郎茶屋にも人がたくさんいた。

 ゲゲゲの女房でお客さんもたくさん来るのだろう。

 深大寺にも参拝客でにぎわっていた。

 あんにはまたゆっくりと来ようと言って、夕映えのなか、笑顔で帰ってきた。

 「だんだん」島根の言葉でありがとう。

 この言葉が好きになった。

 ちなみにあんは筋肉痛にはなっていないようだ。

 今朝もいつものようにトコトコと散歩に行った。

 「だんだん」
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夢。

2010-09-25 15:15:39 | Weblog
 今朝、1階にいるあんの「ごはん!ごはん!」のワンワン!で目が覚めた。

 目が覚める前、夢の中でアサダに逢っていた。

 そこは彼の病室で彼が自分を励ましていた。

 すぐに夢の続きを見たいと思い、もう一度寝てみたがアサダの夢は見れなかった。

 彼が亡くなって、もう八年以上になるが夢に出てきたのは今日が初めてだった。

 「Tetsuアニィ、大丈夫だよ。」

 そんな彼の声が聞こえたような気がした。

 彼は今も何も変らず、自分の親友であることを感じた。

 夢の中であれ、アサダに逢えたのは嬉しい限りである。

 二度寝から目覚めて、彼に「ありがとう」と言った。
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それでも。

2010-09-24 14:09:01 | Weblog
 夕方にはアピアにうたいに行く。

 その前に時間があったので、あんと二回目の散歩に穴澤天神の方に行った。

 この涼しさが心地良い。

 あんもトコトコ気持ち良さ気に歩いていた。

 さて、今日はライブだ。

 自分の身体は少し重く、腰も痛むが、出来るだけ心を込めてうたをうたおうと思っている。

 下手くそなうただが、せめて、その瞬間に集中し、魂を響かせてうたをうたおう。

 それでも、下手だと言われようが・・・。
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成長。

2010-09-23 11:52:11 | Weblog
 あんは来月で一歳になる。

 食べるご飯も大人用になる。

 今まで食べていた子供用のご飯ではなく、大人用である。

 それを買うのはとても嬉しく思えてならなかった。

 今は子供用と大人用を混ぜてあげている。

 味はどうなのか、気になる。

 だが、食いしん坊あんは今までと変らず勢い良く食べている。

 それを見て、安堵する。

 あんは酔いもせずに車を一時間も乗って、川に行ったりも出来た。

 着いた時は、もう地をはうようにして逃げようとしていた、どこをどう逃げても家には帰ることが出来ないのに、それでも、たぶん家に帰ろうと必死にしていた。

 「大丈夫だよ。」何度も声を掛け、頭を撫でて、ゆっくりと周りを落ち着くまで散歩させてあげたら慣れてくれた。

 また違う場所にも連れて行ってあげれると思うと、嬉しくなった。

 三日前、あんは初めて下水の網をジャンプして渡れるようになった。

 まだあんが散歩デビューしたての頃、下水の網に足が落ちたりして転んだりもしたことがあった。

 それ以来、下水の網を見ると警戒し、まず座り込んだりするようになった。

 そして、近くまで行き、幅5センチほどのコンクリのところを見つけて渡るようになった。

 だが、最近いつも散歩コースでその幅五センチのコンクリのところに車が駐車していたので通ることが出来なかった。

 そこはいつも自分が「ジャンプ!」と言ってあんを持ち上げていた。

 それをあんが自ら身体を勢い付け、ジャンプした。

 見た途端、嬉しくて堪らなくなった。

 その姿はとても愛らしかった。

 ジャンプに成功したあんをたくさん褒めてあげた。

 あんは最近自分がギターを弾き、うたをうたっていても部屋から逃げようとしなくなった。

 小さい時は一緒にうたうと言うか、「うぉ~うぉ~」と吠えていた。

 だから、あんの前ではギターを弾いてうたうことは出来なかった。

 だが、最近は確かに笑顔ではないが、じっと興味津々でうたを聞いている。

 その姿もとても愛らしい。

 ギターの大きな音になれてくれたことも嬉しかった。

 もうすぐ一歳になるあんだが、日々確実に成長している。

 それが嬉しく思えてならない。

 いまあんは自分のそば、座布団のうえで500のペットボトルを仕留めるようにして噛んで遊んでいる。

 いつも散歩コースには今朝彼岸花が咲き始めていた。
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運命。

2010-09-21 13:05:05 | Weblog
 1998年3月半ば、悲しい事件がインドで起きた。

 カルカッタのハウラーから、ビハール州パトナに物資を運んでいたマザーのブラザーの修道会ブラザールーク、運転手、マーシーがパトナ近郊でギャングに襲われて殺された。

 ビハールはインドで一番危険なところである。

 以前にも物資を運んでいたブラザーがギャングに拉致されることはあったが、解放され命まで奪われることはなかった。

 だが、最悪の事態になってしまった。

 その頃カルカッタにいた自分は現総長のブラザージェフやシスタークリスティーから、この事件のことを聞いて、胸を痛めていた。

 この間、そのことを不意に思い出し、新しく山谷のMCに来たブラザーセバスチャンに話した。

 するとなんと彼はその物資を亡くなったブラザールークと一緒に運ぶ予定だったと言う。

 だが、彼は前日下痢になったため、車での移動が二日ぐらい掛かるパトナまでは急遽行けなくなった。

 彼は日を置いて列車でパトナに向かい、殺されることはなかった。

 だから、今があって日本にも来れたと笑っていた。

 下痢をして助かったと安堵したと同時に仲間が殺された痛みを複雑に感じたのだろう。

 それは想像し切れるものでは決してない。

 また神さまによって生かされていることも感じたのだろう。

 その人生から問いかけられたものはなくなりはしないのだろうと思う。

 これが運命と言うものなのであろうか。

 身の回りに起こるすべての現象には何らかしらの意味がありえるのであろうか。

 きっとありえているのだろう。

 今日の陽射し、頬に感じる風、青空と白い雲からも何かしらは与えられている。

 それは何なのだろうか。

 唯一の答えなどはない。

 静かに感じていく他ない。

 そして、この人生に答えていく他ないのではないか。

 ただマザーがよく言っていた言葉のなかに何かがあるように思えてならない。

 「私たちがどんなに悲しんだり落胆したりしても、それが復活の喜びを阻み忘れさせるものであってはならない。」
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爪きり。

2010-09-20 10:42:13 | Weblog
 昨日、あんの爪きりをした。

 あんは爪きりが大嫌いで大騒ぎする。

 悪戦苦闘しながら、どうにかあんを押さえ込んで爪を切ったが、一つ失敗してしまい、出血させてしまった。

 嫌がるあんを無理やりに押さえ込んだ上に出血までさせてしまったことに胸が痛んだ。

 気が付くと、自分は自分の都合のみをあんに与えていたである。

 そこまで爪を切らなくても良いのも事実だったが、切らなくてはおさまらないような感じになっていた自分もいた。

 自分はまったく愚かである。

 あんには謝ったが、どうにかして逃げようと必死だったので、ただ舌をだして疲れていた。

 そして、あんはすぐに自分を許してくれた。

 嫌なことが終わったことに安堵して、出血までさせた自分を許してくれた。

 それはあんの態度で分かった。

 あんは嫌な記憶は爪きりだけに納めていた。

 それをしなくなった自分を今まで通り大好きでいてくれた。

 自分は申し訳ない思いになり、ほんの罪滅ぼしに鳥のささ身を買ってきて、茹でておやつにした。

 茹でた鳥のささ身はあんの大好物である。

 それを持って散歩に行った。

 自分は言葉には出さずに、あんの小さな背中、トコトコ歩く後姿に「ごめんね」と謝りながら、一緒に歩いた。

 あんは許すことを知っている素晴らしい柴犬である。

 誇りに想う。

 秋空の夕焼けが美しかった。
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