これは昨年4月3日、私が日本に帰る前日のコルカタでの最後のボランティアだった。
シアルダーの駅の仕事を終え、私とべッティーはプレムダンに運んだ女性患者デナーダスの見舞いに、彼女の友達ウドルと彼女の小さな娘と一緒に行った。
ウドルは貧しい若い女性でデナーダスの友達であった、彼女が私に「どうか彼女{デナーダス}を助けてほしい」と懇願してきたのであった。
ウドルは近くに住んでいるようだったがシアルダーのサウスステーションの構内で彼女らは生活していた。
デナーダスを私たちはアイルランドのNGO病院ホープに入院させたが、数日後、何故かは分からないが彼女は尿道カテーテルを付けたまま、また同じ場所に一人で寝ていた。
彼女には数人、ウドルのように面倒を看てくれる女性もいたが、歩けないデナーダスを介護をすることは彼女たちには不可能であった。
デナーダスは随分前であるが以前入所していたことがあったプレムダンに入りたいと望んだ。
私たちは彼女をプレムダンに運んだ、女性病棟の責任者のシスターやソーシャルワーカーは、この患者は病院のケースだとプレンダンへの入所を拒んだが、施設長のシスターの許可があれば、私たちは受け容れると言ってくれた。
アイルランドの帰る前、ジョンが施設長のシスターと話しをし、どうにかプレムダンでデナーダスは居れることになった。
プレムダンで働くマーシーたちも数人はデナーダスのことを知っていたので、「彼女のことをよろしく頼む」と私はマーシーたちに伝えた。
女性病棟の責任者のシスターと話しをしていると、彼女もデナーダスと彼女の娘のことも知っていて、ダムダムに住んでいる娘に連絡してくれ、その後、娘も一度だけだがプレムダンに面会に来てくれた。
デナーダスの娘は以前シュシュババンで働いていたことがあったようでシスターは知っていて、今はナースをしているそうだが、忙しくて母親の面倒を看ることは出来なかった。
私はプレムダンに用事があり、行く度にデナーダスの見舞いに行った、そうしたことやデナーダスの様態をシアルダーの駅でウドルたちにいつも伝えていた。
ウドルはいつも面会に行きたいと言っていたが、約束した時間にはいつも姿を見せなかった、彼女は「子供がいるから心配で行けなかった」と言い訳をし続けた。
こうしたことが三度ほどあり、とうとう私の最後のボランティアの日になり、彼女に私が「日本に明日帰るから、もう今日が最後だ」と伝えると、彼女は「子供も連れて行って良いですか?」と聞くので「もちろん、良い」と言った。
このウドルのことは前もって女性病棟の責任者のシスターにも話していた、「デナーダスの友達が子供を連れて見舞いに来たがっている」と、シスターは許可をしてくれていた。
{つづく}