カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

べッティーとの最後の思い出。

2018-05-31 11:41:50 | Weblog

 これは昨年4月3日、私が日本に帰る前日のコルカタでの最後のボランティアだった。

 シアルダーの駅の仕事を終え、私とべッティーはプレムダンに運んだ女性患者デナーダスの見舞いに、彼女の友達ウドルと彼女の小さな娘と一緒に行った。

 ウドルは貧しい若い女性でデナーダスの友達であった、彼女が私に「どうか彼女{デナーダス}を助けてほしい」と懇願してきたのであった。

 ウドルは近くに住んでいるようだったがシアルダーのサウスステーションの構内で彼女らは生活していた。

 デナーダスを私たちはアイルランドのNGO病院ホープに入院させたが、数日後、何故かは分からないが彼女は尿道カテーテルを付けたまま、また同じ場所に一人で寝ていた。

 彼女には数人、ウドルのように面倒を看てくれる女性もいたが、歩けないデナーダスを介護をすることは彼女たちには不可能であった。

 デナーダスは随分前であるが以前入所していたことがあったプレムダンに入りたいと望んだ。

 私たちは彼女をプレムダンに運んだ、女性病棟の責任者のシスターやソーシャルワーカーは、この患者は病院のケースだとプレンダンへの入所を拒んだが、施設長のシスターの許可があれば、私たちは受け容れると言ってくれた。

 アイルランドの帰る前、ジョンが施設長のシスターと話しをし、どうにかプレムダンでデナーダスは居れることになった。

 プレムダンで働くマーシーたちも数人はデナーダスのことを知っていたので、「彼女のことをよろしく頼む」と私はマーシーたちに伝えた。

 女性病棟の責任者のシスターと話しをしていると、彼女もデナーダスと彼女の娘のことも知っていて、ダムダムに住んでいる娘に連絡してくれ、その後、娘も一度だけだがプレムダンに面会に来てくれた。

 デナーダスの娘は以前シュシュババンで働いていたことがあったようでシスターは知っていて、今はナースをしているそうだが、忙しくて母親の面倒を看ることは出来なかった。

 私はプレムダンに用事があり、行く度にデナーダスの見舞いに行った、そうしたことやデナーダスの様態をシアルダーの駅でウドルたちにいつも伝えていた。

 ウドルはいつも面会に行きたいと言っていたが、約束した時間にはいつも姿を見せなかった、彼女は「子供がいるから心配で行けなかった」と言い訳をし続けた。

 こうしたことが三度ほどあり、とうとう私の最後のボランティアの日になり、彼女に私が「日本に明日帰るから、もう今日が最後だ」と伝えると、彼女は「子供も連れて行って良いですか?」と聞くので「もちろん、良い」と言った。

 このウドルのことは前もって女性病棟の責任者のシスターにも話していた、「デナーダスの友達が子供を連れて見舞いに来たがっている」と、シスターは許可をしてくれていた。

 {つづく}


 

来週はライブ。

2018-05-30 12:19:12 | Weblog

 ライブの前なると、仕事に行く前に練習に行ったりするのでやはり忙しくなり、なかなかゆっくりとブログを書く時間がない。

 時間がない時に限って、いろいろとやりたいこと、やった方が良いこと、やらなくてはダメなこと、などなどが目立ち始め、やらなくても良いことまでもしたりするので、時間が流れがいつもよりも早いような気になってしまう。

 神谷氏の「生きがいについて」は読み進めている、昨夜は彼女の翻訳したマルクス・アウレーリウスの「自省録」とストア派の哲学者エピクテトスの「語録・要録」をアマゾンで買ってしまった。

 一冊本を読むと、どうしてもそれに付随して何冊か読みたくなるものである、そうでなければ、もったいないと言うか、作家の思いを深く知ること、または作家側から見てのその著作への思いを感じられないような気もする、いや、私はそれを感じたくなってしまうのかも知れない。

 「生きがいについて」を読みながら、私はやはり20年以上付き合っている山谷のおじさんたちのことを感えずにはいられない、彼らの生きがいとは何か、彼らのうちに存在する生きがいとは何か、彼らの暗闇のなかにある光りは何か、思い出せるだけのおじさんたちの顔を思い出し、彼らのそれを祈りのうちに願い思ってしまう。

 先週の土曜日の山谷に一年ぶりに会う、コルカタで会った静岡のナツキちゃんを連れて行った。

 彼女はボランティアを終えた後に、「山谷はどうだったか?」と聞いた私にこう答えた。

 「みんな笑顔で優しい人たちで楽しかったです」と。

 その後、私は彼女を浅草に連れて行った。

 隅田川のフェリー乗り場の前で一人でずっと川辺を眺めているカレーをもらったホームレスのおじさんがいた。

 私は彼女に言った「あのおじさん、覚えているでしょ?彼はずっと独り、何もすることがなく、何の約束もない、何を思って、何を見詰めているんだろうね」と。

 彼女はしばらく沈黙した、彼女は自身を深める過程に入り、彼を思っていた。

 それは暗闇のなかから生きる愛の光りを見い出そうと言う思いに近いような気がした。

Good news。

2018-05-24 11:45:07 | Weblog

 目が覚めて、スマホの着信のサインの青いライトが点滅しているのに気が付き、スマホを手に持ち、電源を入れた。

 こちらも眠りから覚めたスマホの画面にはメキシコのべッティーからメッセンジャーでメールが着ていた。

 そこにはこうあった「テツ、元気にしていますか?私にはニュースがあります。私は大学を去り、6月7日にMCシスター{マザーテレサの修道会}に入会します。どうか、私のために祈ってください。私もあなたのために祈ります」と。

 私はすぐには覚醒していない頭を起こし、寝ぼけ眼を指でこすり、しっかりとその短いメールを何度か読み返した。

 そしてすぐに喜びの返信をした。

 私は昨年シアルダーの駅で約一ヶ月半彼女と働いた。

 その時も彼女がシスターなる思いがあることは知っていたが、それでも、すべては神さまの計らいに寄るものであるから、彼女がシスターになろうとなるまいと、私の大切な友達として仕事と祈りの内に見守っていた。

 彼女はコルカタに半年居て、メキシコに帰ってから一年くらい経つと思う、その間、彼女の心境はどんなものだったのだろう。

 私の誕生日には彼女はマザーの列聖式で使われた絵とともに素敵なメッセージをくれた・・・My dear friend! I hope this birthday could be all for Jesus and Mary... Mother and Kolkata changed your life and you changed mine with your lessons and example. Thank you, thank you, thank you very much for being my teacher in the service of Jesus in the poorest of the poor! Big hugs and blessings Tetsu. Still growing to the holiness・・・。

 彼女のメッセージはとても嬉しかったが、私はやはり何もしていない、すべては神さまがしてくれたのである。

 昨年3月の終りにとても哀しいことがあったプレムダンの帰り、泣きそうになりながら、彼女と二人で歩いたことをいま思い出している。

 その時のことをまた近いうちに振り返り、書いて見たいと思っている。

 とにかく彼女のGood newsは私も嬉しい、とても嬉しい、彼女の思いが今日の太陽のようにとても眩しく感じている。

1966年。

2018-05-23 13:30:27 | Weblog

 やっと加賀乙彦氏の「高山右近」を読み終えたので、すぐに神谷美恵子氏の「生きがいについて」を読み始めた。

 加賀氏の「高山右近」を読みながら、やはり遠藤周作氏好きの私は二人の右近像の違いはあるのかないのかどうかを気にしながら読んだのと、以前読んだチースリク氏の「高山右近史話」に書かれている史実を思い出し、どこが加賀氏の作家としてのフィクションと言うか、心入れと言うか、右近への愛情なのかを探していた。

 それは至るところに見つけるたびに、私はうんうんうなった。

 「生きがいについて」は1966年に出版された、書かれていた時代は戦後20年あたりになる。

 それを思うと、また感じ方が違ってくる、20年前のことなど、いまの私にとっては最近になるからである。

 そうしたことは少し前に再放送が終った私が好きなアニメ「坂道のアポロン」にも言える、1966年の佐世保が舞台である。

 最終話で主人公の一人千太郎が司祭になろうとしていることが分かると、彼はいつから司祭になろうとしていたかが急に気になり、もう一度見直してみたりした。

 戦後の20年と言うものは激動の時代であろうし、心の変容・価値観の変容が誰の胸の中にも否応なしに在り続け、復活・復興に向けての凄まじい勢いのなか、取り残され、まだまだ貧しい人たちも目に見えて多くいたのであろう、そうしたことを思うと、私自身を深めて、私をその時代に立たせ、読んだり見たりする必要があった。

 時は間違えなく動いているが、変わらない何かはあるのではないか、それは右近の時代からも、それよりも、もっともっと昔からもと、私は思わずにはいられない。

 「生きがい」と言うことについて、腰を据えて徹底的に考えるのであれば、そこに時代の流れは関係なくなっていくのかも知れない。

 そして、そこを旅するかの如く、ページを開いていくことに、私はありがとうと喜びを見い出している。

 

マザーテレサの司祭修道会。

2018-05-21 11:49:20 | Weblog

 マザーテレサを好きな日本人はたくさんいるのだろうが、マザーの修道会にどのようなものがあるのかを知っている人はコルカタにボランティアをしに来る日本人たちもあまり知らない。

 コルカタの日本人ボランティアのオリエンテーションをしていた時にはいつもマザーの修道会が五つあることを話した。

 シスターの会、ブラザーの会、シスターの観想会、ブラザーの観想会、あと司祭の会である。

 まずブラザーと言うのは知っていますかと聞くと、カトリックの人の除く、ほとんどの人は知らない。

 そこで私はこう言う、「シスターは修道女、ブラザーは修道士」と伝えると、すぐに理解してもらえる。

 観想会はまず知らない、「観想会は祈りする会」と教えた。

 そして司祭の会はそのまま司祭の会であることが理解してもらえることが多いが、やはり信者ではない日本人ボランティアのなかには司祭も知らない人も少なくはない。

 しかし、そうしたことを知らないにもかかわらず、マザーに個人的に興味を持ち、ボランティアをしたいと思い、コルカタまで行く人たちがいることはマザーの偉大さを物語るものではないだろうか。

 最近、と言うか、数年前からフェイスブックのなかにもマザーの司祭の会があり、時折写真などもアップしている。

 まだフォローしている人は3200人くらいしかいないので是非興味のある方はフォローしてみてはどうだろうか。

 ファイスブックをしていない人もMissionaries of Charity Fathersと検索すれば見れると思うので是非見てください。

 日本人ではいま一人だけマザーの司祭の会の神父がいます、現在コルカタにいるので向こうでは会えると思います。

 先週山谷で元MCブラザーの友達が教えてくれました、「マザーの神父たちは結婚式や葬式のミサは無料で行う」と。

 マザーはそうしたことからお金をもらうことを好まなかったのである。

 私も知らなかったことではあったが、やはりマザーだと思わずにはいられなかった。

愛犬の死。

2018-05-17 11:53:37 | Weblog

 先週シカゴにいるケンの愛犬パグのブルーディー{14歳}がガンで亡くなった。

 突然の知らせで私は茫然とした。

 ケンがどれだけブルーディーを愛していたかは良く知っていたからである。

 ケンはイースター休暇の時に実家に帰った時がブルーディーとの最後になってしまった。

 ケンはブルーディーのいない実家に帰るのが少し辛くなるだろうと言っていた。

 ケンのニュージャージーの実家の母親とケンがビデオ通話をしている時はいつもブルーディーにも声を掛けていた、すると、少し前のことであるがブルーディーはケンの声が聞えてくるスマホを舐めていたと言う。

 私は私の愛犬あんとの別れを考えざるを得なかった、もしあんが亡くなったら、私はどうなるのだろうか、たぶん、たくさん泣くだろうし、何もする気がなくなり、抜け殻のようになり、時間が流れて行くのをひたすら耐えるだろう、そうしたことは考えたくはないが、いつか必ずやってくることに違いない。

 だからこそ、やはり今を大切にするのが一番であろう。

 まだ来ぬ未来の問題に私は生きるのではなく、今、あんと一緒にいれるこの瞬間を惜しみなく慈しみ愛そうと切に思うのである。

 思い切り愛したその後には別れの哀しみもあるだろうが、それは必ず時が癒し、哀しみが深い感謝の思いになっていくのだろう、ケンとケンの家族がそうなってくれるように私は祈るばかりである。

 死を感じた時に、強く生を感じる、しかし、その前に生を惜しみなく味わうことは可能であり、そうすれば感謝の思いが生まれてくる、どんなに小さなことのなかにでも慈しみと喜びが見出させるのではないだろうか。

 

「土壌」

2018-05-16 11:23:59 | Weblog

 神谷氏の「生きがいについて」が家に届いた、昨日は嬉しさのあまり読んでいた本があったにもかかわらず、早速少し読んでみた。

 一番初めに「亡き父にささぐ」とあった、これは100分de名著のテキストには何も書かれていないことだったので、この神谷氏の自叙伝とも言われる本を父親に捧げたかった、その意味はとても深いと思わざるを得ない。

 「生きがいについて」を読み続けていくうちにその意味の何かを知ることが出来るのかも知れない。

 どんな境遇でも、生きがい、それ自体は無くならないと神谷氏はハンセン病患者たちから真摯に教わった、「なぜ私たちではなく、あなたが?」と言う深い隣人愛のうちに。

 私の心にも人間の痛み・苦しみのうち、その深みから大いなるものを感じさせたハンセン病患者志樹逸馬の「土壌」と言う詩を紹介したい。

 {わたしは耕す 

 世界の足音が響くこの土を

 ・・・・・・・・

 原爆の死を、骸骨の冷たさを

 血の滴を、幾億の人間の

 人種や 国境を ここに砕いて

 かなしみを腐敗させていく

 わたしは

 おろ おろと しびれた手で足もとの土を耕す

 泥にまみれる いつかの暗さの中にも延ばしてくる根に

 すべての母体である この土壌に

 ただ 耳をかたむける。}


 

笑顔のチカラ。

2018-05-14 11:53:49 | Weblog

 山谷方面から白髭橋を渡り、左に行くと数段の階段があり、その先のカレーの炊き出しの場所に向かう前に隅田川の川沿いに降りる大きな階段がある、その近くの首都高の高架下で彼はいつも焼酎を飲んでいる。

 以前、彼は彼の友達と一緒に私を待ち、私に挨拶してから友達と飲むことにしていた、それを彼の友達はエチケットと笑って言っていた、可笑しなことに私に挨拶をしてから飲むのがエチケットだと言うのである。

 彼の友達はカレーを食べに来るが彼は決してカレーを食べに来ない、ただいつも同じ場所で数人の友達と焼酎を飲んでいる。

 医者からは焼酎二本まで言われているようで、炊き出しの行きと帰りに私が挨拶するたび、赤い顔をしながら右手の人差し指をあげて「まだ一本」と私に笑みを浮かべ教えるのであった。

 先週の土曜日、炊き出しの帰りにも彼に会った。

 彼は自転車のペダルを漕いでいる私の姿を遠くに見つけると、すでに酔っていて重たそうな腰をゆっくりとあげ、私が通る近くのところまで歩いて来た。

 「どうですか?元気ですか?」と私が声を掛けると彼は「どこかに行ったりしない?」と言った。

 「うん、当分、どこにも行かないよ。ちゃんと毎週来るよ」と言うと彼は安堵の笑みを浮かべた。

 「飲み過ぎてはダメですよ」と言うと、彼は照れて右手で頭を掻いた。

 ここのところ、私が岩手に行ったり、ゴールデンウィークで炊き出しが休みだったことで隔週しか来れなかったので彼は心配になったのかも知れない。

 私が一週間一度土曜日、炊き出しの行きと帰りに手を振り挨拶する数秒が、彼には、彼にとっては、どのようなものなのか、私はもっともっとその意味を知らなくてはならない、感じなくてはならない、と思ったの同時に、私こそ与えられているのだと実感せずにはいられなかった。

カミナリで。

2018-05-10 12:25:10 | Weblog

 「ゴロゴロゴロォー、ゴロゴロゴロォー」

 鈍色の厚い雲の上から地響きのようなカミナリの音が聞こえた。

 しかし、しばらくすると鈍色の雲はどこかに流れて行き、白い雲が見え始めると、雨はやみ、すでに空は明るくなり、もうすぐ太陽が顔を出してくれそうである。

 仕事に行く準備をしに一階に行くと、あんは冷蔵庫の前で小さく丸くなっていた。

 そこはあんの避難場所の一つ、カミナリの音が怖かったのだろう。

 「あん、怖くないよ、もう大丈夫。あんにはカミナリは当たらないからね」と言いながら抱っこして、私はあんをこねくりました。

 あんは「ホントなの、ホントなの?」と言うように私の顔を覗くようにして上目遣いに見ていたが、自慢の尻尾はやはりだらんと垂れていた、あんは気持ち良いコタツの方に行こうか、まだ冷蔵庫の前に居ようか、迷っていた、そんな小心者のあんを私はとても愛おしく思った。

 もうすぐ雨上がりの青空がやってくる、それを楽しみにしながら仕事に行くことにしよう。

 

 

「生きがいについて」を。

2018-05-09 14:24:35 | Weblog

 一昨日の夜、友達から今夜やっていた「100分de名著」はとても良いと言うメールをもらった。

 「そんなに良いのなら、その本を買うよ」とすぐに返信した。

 とりあえず、「生きがいについて」の著者神谷美恵子氏のことを簡単に調べ、昨日まず「100分de名著」のテキストを買い、半分読んでから、今再放送を録画したものを見た。

 なるほど、これは私も読みたいと思う本だと直感した。

 神谷氏が言う、生きがいとは簡単に言葉に出来るものではない、敢えてしなくても良い、がしかし、徹底的に考える必要があり、腹の底から自然と湧き上がるもの、などなどと、それらの言葉は私の興味、心の何かを騒がせてくれた爽快感が残った。

 録画したものを見ながら、生きがいのことをもし河合隼雄氏が言うのなら、どんな言葉になるのかと不思議と私は考えていた。

 まだ実際に「生きがいについて」を読んでいない現在であるが、今の時点で私のうちにはこんな言葉が浮かんで来た。

 河合氏であれば、生きがいとは「魂の喜び、魂が喜んでいる状態」と言うのではないだろうかと何となく思った。

 魂のことも言葉では表現することは不可能であろうが、それはどこかに必ずあるものであるからと、私は思った。

 さて、4話すべてを見てから、「生きがいについて」を買おうと思ったが、すぐに買いたくなったのでアマゾンで注文してしまおう。