カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

天気。

2008-04-30 12:18:04 | Weblog
 昨日もとっても天気がいい。
 庭に出て花たちを見ていた。

 今、このとき、会えない友たちの空が晴れているといい。そして、こころも晴れていれば嬉しい。花を見る余裕があれば嬉しい。ほっと落ち着くその瞬間があってほしい。

 そう思いながら、花たちを見ていた。みんなの笑顔を思い出していた。

 誰かと会うたび、天気への意識が変わるときがある。見える景色が変わるときがある。
 
 雨は今までの雨ではなくなる。彼は雨に濡れていないだろうか。寒さに震えてはいないだろうか。雨と寒さが孤独と空腹を増させてはいないだろうか。
 それまでの雨とは違うものとして、雨が目の前に現れる。

 静かな優しい雨として、彼のもとにあってほしいと祈る。

 そして、太陽の日差しも同じように変わる。
 このあたたかさを喜んでいるだろうか。爽やかな風を心地よく吸い込んでいてほしい。優しい風は彼らの寂しさや孤独を洗い流してくれるのだろうか。このあたたかな太陽に微笑んだりしているのだろうか。
 このあたたかな太陽を楽しんでいることを願い、こころのなかへあたたかさを今まで以上に重ね増していく。

 冷えたく固まった心があるのであれば、優しい日差しのあたたかさがそれをとかし、生きる力に変えれてはくれないだろうか。そう祈る。

 同じ空のしたにいる者として祈る。

 部屋には庭に咲いていたジャスミンを飾った。

繋がり。その2。

2008-04-28 12:00:45 | Weblog
 彼は最近の自分自身のことをゆっくりと話し始めた。カレーは四分の一残して。

 彼は以前、脳梗塞をしていた。今は腰が張り、手がしびれ、自分の手ではないような感じのときもあるとのことだった。

 周りにはほとんど誰も居なくなっていたが、少し離れていたところにいたもう10以上前から知り合いのおじさんが、その場に近寄ってきた。

 額に傷があり、指には包帯をしていた。

 「どうしたの?その傷は。」
 「23日にやられたんだよ。あのヒゲの長い奴、知っているだろ。おいつがサバイバルナイフで急に斬りつけてきたんだよ。・・ちゃんなんて、もう少しで失明するところだったんだ。」
 「酷いね、怖かったでしょ。ほんとうに・・・」

 その失明されそうになったおじさんも近くに寄ってきた。目の上をナイフで切りつけられ、その周りにはアザもあった。
 「怖かったでしょ・・・」
 「うん、気が狂っていた奴は、すぐに来た警察にも襲い掛かって行ったからね・・・バカだよ・・・ほんとよ・・・」
 「誰でも良かったんだろうね・・・。でも、酷いね。酷すぎるね・・・」
 「うん、月曜に抜糸できるけど、ほんと、参ったよ・・・」
 「そうか・・・そうだよね・・・」

 通り魔のような事件だった。テレビの取材も来て、新聞にも載ったらしい。犯人には幻覚幻聴も見え聴こえていたのだろう。不安や恐怖から何もかも壊してしまいたくもなったのだろう。

 山谷には孤独のうちに統合失調症を発病してしまう人もいる。笑顔で声を出しながら挨拶することの大切さをほんとうに知る。ほんとうに小さなことだが、その意味の重要性は計り知れない。

 彼らがどういった現状にいるか、どんな日々を送っているのか、どんな不安とどんな恐怖を感じているのか、恨みを重ねなければ生きていけないその現状をも感じながら、会う必要があるのではないかと考える。そして、ときにはその自己の思い込みを捨てながら、そのとき、その瞬間の彼らの心を観て行きながら話しを聞きていくこと、その物として自分が在れるようにありたい。そう望む。

 ナンクルナイサーのおじさんには少し申し訳なかったが、彼らの話しを聞いた。彼らの不安と恐怖をしっかりと向き合いながら聞くことをした。短い時間だったが、彼らとの会話を大切にした。

 そして、ナンクルナイサーのおじさんには山友会{山谷にあるフリークリニック}に一緒に行こうと誘った。

 歩きながら少し彼と話しがしたかった。彼は自ら山友会に行くような社交性を持てる人ではなかった。
 誰かが何かをして、何かが繋がれば、そう望みながら安心できるようにほんの少しのことをする。自分が居なくても、またそこに安心して行けるように願いこめながら付き添った。山友会で働く人たちにも優しく声をかけてもらい回りを整えていく。一つひとつを丁寧に行う。

 石垣出身の彼は酒が好きだった。その日、少し飲んでいた。
 「お酒は美味しく飲めた?」
 「お酒なんか、もう長い間、美味しくなんて飲んでいないよ。ただ寝れないから飲むんだ。眠るために飲むんだよ。沖縄ではとぅーちゃん、かぁーちゃんと飲んだ酒は美味しかった・・・」そう言って両手だけで彼は少し踊ってみせた。

 「そうか、向こうで飲んだ酒は美味しかったんだね。」
 「うん・・・」

 「ナンクルナイサー」そう言う彼はナンクルナイときなどないのかもしれない。ただナンクルナイと思う気持ちが彼を生きさせているように思った。

 その気持ちを大切にしたいと思った。

 診療を終え、次に来る日をゆっくりと彼に伝えた。あたたかいお茶を山友会でもらい、彼に渡した。残っていた四分の一のカレーを食べながら、彼は言った。

 「こんなに優しくしてもらったのは生まれて初めてだよ。ありがと・・・」

 想像していなかった。この言葉を待っていた訳ではなかった。ただ彼が彼自身のなかのもので生きれるように支えてあげたいと思っていた。

 「神さまのために美しいこと」自分がそうあれるように願っていた。

 あたたかい思いは自分のなかにも生まれ、彼のなかにも生まれ、それを感じれることが何よりも有り難い。彼が居たから、こうしたものを授かった。感謝せざるをえないのはこの自分だった。

 また逢えることを約束して、彼と別れた。

 あたたかい思いを胸にその場を離れた。大切な愛の贈り物を貰って・・・。

繋がり。その1。

2008-04-27 12:51:27 | Weblog
 ずっと心配していたナンクルナイサーのおじさんに昨日会えた。

 久しぶりに会った彼はかなり汚れていた。彼は身なりをきれいに出来る人だった。だが、どうしたのだろう?歩き方もおぼつかず、唯一の持ち物であるリュックもしっかりと背負えないでいた。

 「どうしたの?カラダの調子はよくないの?」
 彼に声をかけても、目もしっかりと開けられずによたよた歩いていた。

 「あとで少し話しをしよう。またあとでね。気を付けて歩いて」そう言って彼ももとを離れた。

 カレーを配るときには、まず自分は並んでいる全員に挨拶をしに向かう。その途中だったので、その場を離れ、列の最後まで向かった。

 挨拶を終えると、彼を探しに行った。
 彼は座りづらい体制で腰をかなり曲げながら座り、カレーを食べていた。

 彼の左横に座り、彼を少し見上げるようにして、ゆっくりと声をかけた。浅黒くなっていた顔から少し笑顔を生まれた。

 ゆっくりとカレーを食べてもらうため、「またあとで来るよ」声をかけ、また違うおじさんに声をかけながら、腰を上げた。

 たくさんのおじさんたちの前で、彼一人と時間を取ってしまうと、他のおじさんが心を騒がしてしまうことがある。
 自分も話しがしたい、自分も大切にしてもらいたい、彼一人なぜ大切にされるのか、こうした思いから、その場に近づいてきては、自分が話しているおじさんより、自分の方へ意識を持たせたたがったりしてしまうことが多い。そして、自分から決して他人に話しなど出来ない弱い人、その人を傷付けてしまうことがある。

 もちろん、話しをしに来てくれる人も大切である。その彼もどんなに孤独でいるかは計り知れないだろう。しかし、どう、それをうまく乗り切れるかはいつも問われる。簡単ではない。

 にも関わらず、話すその瞬間を逃してしまうようなことが予想される場合は覚悟を決めて、その人の前に立ち続けることもある。

 昨日は彼のそばを離れた。彼がまだその場所にある時間は居られることを感じたからだ。

 一通りの仕事を終え、また彼の左横に座り、ゆっくりと声をかけた。

 つづく。
 

二枚のビスケット。

2008-04-24 18:54:35 | Weblog
 友達が話してくれた。

 朝、サダルストリートからマザーハウスへ行く途中、彼女は路上で寝ている人のもとに何かがあるのに気が付いた。

 そこには二枚のビスケットが置いてあった。

 彼女はマザーハウスに向かいながら、次々と寝ている人のもとを見てみた。すると、すべてのひとのもとに二枚のビスケットが置いてあり、はっとした。

 マザーハウスに向かう誰かが路上で寝ている人のために置いていったことを知った。

 渡す相手に気付かれぬように置いていったのだろう。そして、それは感謝されるために行ったことではないことがあからさまに判ったのだろう。

 彼女はその朝、それを見て胸が騒いだだろう。誰かの優しさを感じただろう。自分のことを省みたかも知れない。その行いに驚いて、自分の気持ちも一瞬わからなくなったかもしれない。

 ただの二枚のビスケットが語るものは純粋な愛である。

 その純粋な愛を目にすることにも大切な意味がある。出会うために出会った純粋な愛のように自分は感じる。
 そうしたものを目に出来るように神さまが彼女のために仕掛けたものかも知れない。

 その話しを聞きながら、そう思った。

 ビスケットを置いた人はどんな思いで置いたのだろう。前の日から、次の日の朝を思い、どんな思いでビスケットを用意したのだろう。思い描けば、その人の思いが胸に映り、移る。

 路上生活者に面と向かって物をあげることは簡単なことでは決してない。いつでも、その相手が喜んでくれるとは限らない。そして、自分自身がその人にどんな影響を与えてしまうかも判らない。相手を傷つけてしまうかも知れない。
 それでも、何かを出来ることはないか、切なる思いで考え、何も出来ないがせめて、ほんの少しだけど、そう何度も考え悩みながら、祈りを込め、謙虚な思いによって、行動を起こしたのだろう。とても勇気がいることである。

 これは純粋な愛である。そして、大きな愛である。

 自分たちはほんとうによく相手からの感謝の言葉を待ってしまう。感謝されなければ、逆に相手を否定しまうことすらしてしまう弱さがある。そして、その弱さすら知ろうとはしないこともしてしまうだろう。

 それは「何に恐れて。誰に認められたくて。何にしがみついて。」自分たちはいるのだろうか?
 
 マザーはこう言う。
 「静かなところで神さまの声を聞きなさい」

 自分はこう願う。
 自分の内なる声を聞いてほしい。大切にしてほしい。

 自分を知るということは簡単ではない。それでも、深い問いの前に立つ勇気を持ってほしいと願う。
 その答えのない問いをあたため続けていけば、何かが変わる。

 二枚のビスケットに気付いた彼女はそうした問いを自分でも気付かないところで、実はずっと大切にしてきたのだろう。だから、見ることが出来たのだろう。

 いつも、必ず、誰かがそばにいること、誰かが大切に見守っていることを、誰もが感じてほしいと思っている。

 二枚のビスケットの話しをしてくれた彼女へ、自分は感謝を忘れない。

 

今日から仕事です。

2008-04-22 11:21:38 | Weblog

 朝からとってもいい天気で気持ちがいい。まず、布団を干した。そして、朝ごはんを食べた。

 お弁当とお茶を作って仕事に行く。

 みんなに会えるのが楽しみである。

 予想されるであろう病気での日本での発病もなく、元気でいられていること、そのことにほっとしている。嬉しく思う。

 しかし、ほんとうの意味では心の持ちようと、そのあり方が、いつでも、問題になりえるだろう。

 静かに心を見詰めていく作業は祈りのように必要なものである。

 これを自己を苦しめるように否定的に行わない方がいい。肯定的に行った方がいい。
 見詰めたことがないのであれば、なおさら、ゆっくりとじっくりと根気強く観て行く方がいい。
 責めている自分がいるなら、そこを認め、受け容れ、許してあげることが何よりです。他人の行いも許せることを感じ学べる可能性がそこにはありありとある。

 そして、一人ひとりが違っていい。そのことを心に置き、あなたがあなたになっていくこと、ずっと自分は応援する。怖がらなくてもいい。あなたを応援している人がいることを感じてほしい。

 深く息をすれば、新しい空気が多く生きていく。深く悩んだのなら、それだけ幸せの意味も深くなるだろう。

 毎日は新しい。

 それでは、仕事に行きましょう。

 

風が強い日。

2008-04-20 11:59:55 | Weblog
 昨日は風が強い日だった。
 山谷でカレー配りに行く途中、白髭橋の橋の上、隅田川を強い風が流れていた。
 食べに行くために橋を渡るおじさんが風に流され歩けなくなるくらいの強い風だった。

 「北風と太陽」その北風のようだった。

 なんの力比べだろうか?

 生き抜く彼の力の方が限りなく強い。よろめきながらも彼は前を向いていた。今まで以上の強い風が吹き、二三歩風下によろめいて、橋のたもとに腰をかけた。

 そこで声をかけた。
 顔を見ると、とてもいい顔しているおじぃーちゃんだった。

 「風に飛ばされないように。ゆっくりと歩いてきて大丈夫だから。しっかりね。」

 彼は笑った。

 自分たちの間には、北風の力比べにも負けない意味ある意思がある。彼のような人に対して、優しくしない人はいないだろう。そんな笑顔を見せた。

 しかし、自分たちはいろんな壁を作り、何かを守り、何かを避け、気付かないうちに自分自身を生き辛くしてしまっていることが多いだろう。

 勇気を持って、その壁を乗り越えてほしいと祈る。誰のためでもないあなたがあなたのために生み出す勇気を持って、自己に立ち向かってほしいと祈る。

 そして、気付いてほしい。この世の中の美しいものに。

 ナンクルナイサーのおじさんにも、先週話をしたおじさんにも、会えなかった。

 この次があるかなんて判らない、未来に何が起こるかなんか判らない。ただ、今思う、今の気持ちを大切に、その思いを伝えたい人たちに伝えていく。

 自分の命が永遠では決してない。だからこそ、今を生きる。それをただ大切にする。

 そのとき、その瞬間に出来ることをしていく。その思いは変わらない。自分がどこにいても。

 悩みや不安も、もちろんある。それでも、それを目をそらさずに大切にする。それは大切な自分の一部である。そこに大切な意味もあるからだ。ゆっくりとあたためるように大切にしていく。いつまでも。

 そして、常に何かは変わっていく。

 庭にある二年前に買ったシーカーサーはまだあんまり大きくなってない。
 「いつ焼酎にいれる実を付けてくれるの?」そう話しかける。

 自分だけが笑っている。でも、そうでもない気もしてた。

 この肌寒さのいいところは春の花を長く自分に見せてくれることかな。

 あなたが北風に負けないよう、祈ります。

  

 

ガンガーへ。その5。

2008-04-17 12:58:47 | Weblog
 お香をたきながら、部屋を掃除した。
 まだコタツは出してある。このコタツで飲みながら、そのまま寝てしまうこともよくある。

 「ガンガーへ。その5。」

 れい子ちゃんに「何か冷たいものでも飲もう」そう言って立ち上がり、彼の近くに寄っていった。

 「あと、どのくらい待たなくはならない?時間はどのくらいある?」

 「遺体が一つあるから、まだ一時間以上はある」

 「だったら、何か飲みに行こう。何か少し食べに行こう。時間はあるんだから、飲み物でも飲みに行こう」
 自分は落ち着きを持って笑顔で話しかけ続けた。

 彼もふてくされた顔がだんだんと笑顔になってきた。お互いの間の空気が和らいでいった。
 
 れい子ちゃんは彼に握手を求めるように手を差し出した。
 彼も手を差し出し、握手をした。
 れい子ちゃん、その繋がった手を離そうとせずに、彼を飲み物を飲みに行かせようと立ち上がらせた。
 ほんの少しことで自分たちの心はほんとうに和らいだ。自分はそのとき、「れい子ちゃん、Good Job!」 心のなかで思っていた。

 三人の間の空気が軽くなり、疲れも少し取れた気がした。ほんとうに些細なことで自分たちは相手を誤解したり、見下したりしてしまい、心の平穏をなくしてしまう。それがいかに大切なそのときですら、簡単にしてしまうことがある。
 
 自分たちが簡単に他者を誤解するように、他者からも誤解を受けることもありえる。そのとき、自身をどうあるか、どういう態度であるか、が問われる。

 そして、そこには無理やりに自分の心を押し殺して、行動するのでは決してない。内省し、深く反省し、心が満足・納得してから、行動に移すことが望まれる。
 自己の弱さ、醜さをも受け容れる勇気が必要であり、そこから謙虚さ・愛が生まれる。それはありのままのあなたから愛が生まれてくるということ、あなたの、あなたらしい、愛が生まれてくるということ、その可能性はない訳ではない。必ず、ある。胸の中にしっかりとある。

 過ちや失敗は、自分たちにとって、大切なものであり、必要なものである。それがなければ、心の成長、豊かな愛をどうして生み出して行けるだろうか?学びえるものから学べるような姿勢と柔軟さを育てること、日々、問われている。問いかけられているのだろう。

 自分は自分を彼から教わった。

 彼はその場を離れることはなかった。きっと、その場を離れられなかったのだろう。自分とれい子ちゃん、火葬場の前で冷たいものを飲みに行った。

 サラにも、彼と自分たちが変わった関係、穏やかな感情になったことを見せてあげたかった。患者を亡くし、なおかつ、困惑・混沌としたまま帰宅させるようなことよりは、何かをもっと納得し、必ず愛があるということを感じてから、その場を離れるようにしてあげたかった。明日、ちゃんと話しをしようと、そのとき、ずっと考えていた。

 れい子ちゃんには、そのことも伝え、そして、カルカッタで、マザーはどのように患者たちを見送ってきたのかを話し合った。
 死、そして、その過程、そのあと、どんな思いで、彼女は天に召された人たちを見送ってきたかをマザーの思いに、自分たちの心を寄せてみた。

 自分たちがケアしていった患者たちがどのように天国に旅立つかを知っていることの必要性も話した。

 自分たちがしているのことの繋がりを強く知ることにより、ほんとうに小さな些細なことにも愛を持って接することが出来るようになるのではないかと自分は思う。

 患者に水を持っていくこと、患者と手をつなぐこと、治療をすること、洗濯をすること、掃除をすること、、、一つひとつの小さな行いが愛であるということを感じ判り、知っていくことが大切である。

 彼女が焼かれるまでの間、今ここにいることの意味を話し合った。

 彼女は焼かれる番がきた。
 ほんの3時間ほど前までには息をしていた彼女が焼かれるそのことをどう理解すればいいか、時間が必要であり、確かな答えはないだろう。しかし、そのときの感覚は忘れないようにしておきたい。

 焼かれた後、彼女はガンガー{フーグリーもガンガーの支流であるから、インド人はガンガーと呼ぶ}に流される。

 瞬間に開けれた火の光が次の世界への道のように見えた。ここではない世界へ旅立つことを意味しているように感じた。ほんの数時間前には彼女は息をしていた。その彼女が、違う世界に行ってしまっていることを否応なしに認めるように誰かに言われているような気もした。そして、そのとき、自分はそれを恐れていることも感じていた。

 ほんとうにお別れだと誰かに言われている気がした。

 お別れがすべてではない。受け継ぐものは受け継ぎ、命は続く。魂は残るものである。自分たちのうちに。

 自分たちの仕事は終わった。
 彼と三人でチャイを飲み、別れた。

 精神と身体はほんとうに疲れきっていたが、今日この日、このことを知る必要性があったことを感じながら帰った。

 彼女を思い祈りながら帰った。


 

 

ガンガーへ。その4。

2008-04-16 15:03:31 | Weblog
 家の水槽を二つキレイにした。
 魚たちも気持ち良さそうだ。

 「ガンガーへ。その4。」

 何も判らないまま、火葬場に着いた。
 自分たちの仕事はそこでお終い、このまま救急車に乗って帰れると思っていた。

 しかし、カーリーのマーシーの様子が少しおかしかった。怒りを持って、自分たちに話しをしていた。

 まったく何がなんだか判らなかった。彼の怒りに自分も怒りを持って反応した。普段なら、静かに受け容れられることも出来たかも知れないが、そのときは出来なかった。

 彼は言った。
 「遺体を焼くのに、一人一時間かかる。誰かもう一人必要だ」感情的な口調で言い放った。
 それに自分はこう答えた。
 「なぜ、怒る。だったら、自分はもう帰る」
 彼は怒りを増してこう告げた。
 「あなたたちは死体を運んで、ハイ、さようならでハッピーだろうけど、あとの仕事はどうする?この後、仕事は自分一人では出来ない」
 自分も怒り増して答えた。
 「そう、怒るのであれば帰る」

 火葬場では、今、これから大切な人が焼かれる女性が泣いていた。周りにはその遺族もいた。そのすぐそば、自分たちはそんな会話をした。

 遺体が焼かれる列、自分たちの遺体を置くと、自分はシュシュババンの救急車の担架を持って、「もう帰る」そう言って、そとに出た。

 外では、シュシュババンのドライバーが間に入って、カーリーのマーシーに落ち着いてゆっくり話すように彼をなだめてくれた。

 自分たちは何もシスターから言われていなかった。サラもれい子ちゃんも困惑していた。かなり勢いで疲労が増していった。そして、雨も降ってきた。

 とりあえず、外でたばこを一本吸った。
 吸っているときに、自分たちの会話を気にしたインド人が心配して寄ってきた。
 「彼{マーシー}が何かお金を請求したんですか?」
 「いえ、大丈夫です。そんなことはありません。彼はマザーハウスのマーシーですから、そんなことはないですよ。ありがとう」
 そう言うと、彼は離れていった。

 自分がどれだけ感情的になり興奮していたのが、まわりにも伝わっていた。申し訳なかった。遺族を見送る最後の大切な場で。。

 シュシュババンのドライバーは仕事があり、戻らなくてはならなかった。もちろん、それは当たり前のこと、自分たちが急遽、彼を呼び出したのだから。彼も少し申し訳なさそうだった。
 彼にサラをマザーハウス{サラはマザーハウスの前のゲストハウスに住んでいた}まで乗せていってくれるように頼んだ。サラには自分が残るから大丈夫だと伝えた。

 患者を目の前で失い、その後、ほんとうに精神的にも疲れているだろう彼女にこれ以上を重い気持ちにさせたくはなかった。

 れい子ちゃんには自分と一緒に残ってもらった。そして、マーシーにも自分たちから、ここに残ることを話して、彼と少し離れたところで座った。
 火葬場は重い空気が漂っていた。心の中にも重い空気が漂っていた。

 自分は判っていた。
 なぜ、怒ったのか、感情的になったのか、それを認めるのに少し時間が必要だった。
 彼が自分に言ったことはほんとうにだった。
 「あなたたちは死体を運んで、ハイ、さようならでハッピーだろうけど、あとの仕事はどうする?...」
 自分はほんとうにそう思っていた。もう面倒なことはこれ以上したくないと思っていた。この影の感情を乗り越えることが出来ずに怒りとして表に現してしまった。その弱い自分を認めることが出来なかった。
 
 精神も身体も疲れていたのは事実だったが、怒りでは何の解決にもならない。愛が伝わるように、怒りも伝わってしまうし、伝えてしまう。

 何度も祈るように思い返さなくてはならない。この弱さ、思いやりのなさ、影の意味、そして、周りに与える影響を。
 何を自分たちは他者に与えたいのか?

 それは愛である。
 マザーは「あなたは神に愛されている」そのことを伝えることのみのために働いた。
 自分にその瞬間にあった感情は、このかけらもない。反射的に怒りを怒りで返してしまっていただけだった。
 自分のいやらしい感情を見つけられ、それに反応しただけであった。弱さも認めることも出来ず、その自己の感情を乗り越えることも出来ず、相手を思いやることなど、到底出来ていなかった。

 彼も昼食の時間に遺体を火葬場に運ぶ仕事などしたくないと思うのは当たり前だった。そして、一人ではどうにもならない仕事がだった。

 彼を思いやる心がなかった。そして、自己を正当化するのみの心で怒りを表し、思うようにならないことを思う通りにしようとしていた。

 ほんとうに情けなかった。彼が悪いのではない。この自分が、愛が無かっただけだった。この自分が、心の落ち着きをなくしていただけだった。この自分が、楽な方へ逃げるために勝手に考え思い込み、その思い込みを捨てることが出来なかっただけだった。
 
 自分はその場を立って、彼に近づいていった。

 「つづく」

ガンガーへ。その3。

2008-04-15 12:10:46 | Weblog
 二日続けてカルカッタの夢で目が覚めた。
 静かな朝日も少し胸を切なくさせた。

 「ガンガーへ。その3。」

 カーリーガートに向かう救急車のなかでは担架の上に遺体を乗せ、腹部に一つタイトしただけだった。
 救急車が曲がるたびに遺体が動いた。力の入らない人間のカラダはもののようにあってしまう。当たり前のことはあるがその違和感は常に付きまとう。死を受け容れるということはこうしたことを客観的に視野から受け容れることも必要なのだろう。
 どうしても、手で押さえることが出来なかったので、足で担架が動かないように支えた。遺体は両手が胸の上にあり続けることは出来なかった。腹部のそばに赤いハイビスカスだけは添えておいた。

 カーリーまで誰もあまりは話しはしなかった。
 自分は周りの景色、町並みをみていた。遺体を見続けることを避けていたのかもしれない。深く悲しみことを避けていたのかもしれない。
 まだしなくてはならないことへ力を整えていたのかもしれない。

 カーリーまで30分以上は救急車でもかかった。
 カーリーについて、まず、シスターたちに話しをした。基本的に遺体を運ぶ仕事などはない。しかし、こうせざるをえなかったこと、シュシュババンの救急車で来ていることなどから、どうにか受け入れてくれた。

 彼女の身に付けていたものから、ヒンドゥーであることが判った。
 彼女はマザーのメダイもしていた。何度か、ディスペンサリーやシュシュババンには来たことがあるに違いないと思っていた。

 メダイを見るたび、切なさが増した。彼女にとっての神は彼女に何を与えていたのか?救いはこの瞬間なのか?
 ならば、出来る限りの愛を持って最後を送ってあげたい思いになっていた。

 救急車のなかでカーリーのマーシーとれい子ちゃんが彼女の服を着替えさせ、白の布で遺体を包んだ。

 れい子ちゃんはその日が生まれて初めてカルカッタで遺体を目にした日だった。一つひとつの行動を丁寧にする暇もなく、感情を言葉に出させてあげることもなく、仕事は進んで行かなくてはならなかった。

 どんな思いで彼女に触れていたのか?どんな思いでその仕事をしたのか?どんな思いが今までの人生のなかから、そのとき、その瞬間、彼女に何を問いかけていたのか?聞いてあげる時間がなかったこと。それは辛い仕事だったろうと、今でも思っている。

 死者を看取る側にも大切なその瞬間であることに違いはない。そして、死者からの伝えられるものを受け継ぐ、大切なときであることをも自分たちはシェアした方がいいだろう。ほんとうに大切な意味がそこにはあるからだ。

 衣服を着替えが終わり、マーシー{ルビー}に言われ、その遺体をカーリーのなかに運んだ。しかし、シスターは、そのまま火葬場に行くから、遺体を戻しなさいと言った。

 そのまま、カーリーの男性マーシー一人と自分たちは火葬場に向かった。そこにはもう10年以上前に一度行ったことがあるくらいだった。
 ドライバーも初めていく場所なので、マーシーが道案内をしていた。

 サラもれい子ちゃんも自分も、何も判らないまま、火葬場に向かった。
 
 彼女が息を引き取ってから3時間もまだ経っていなかった。

 「つづく」

 

ガンガーへ。その2。

2008-04-14 19:53:00 | Weblog
 3月24日の「ガンガーへ。」
 そのことをもう少し詳しく書いてみる。

 彼女は何も言わず、静かに車椅子に乗ったまま息を引き取った。

 死を目の前にして、誰もが言葉にならない感情を持つ、しかし、誰も悲しみを口にすることすら出来ず、うまく泣くことすら出来ずにいた。

 自分は少し離れてたばこを吸った。心の内側を感じながら、その景色を眺めた。
 命の儚さ、たばこの煙、まわりの空気に溶け合うようにしてなくなるそのあり方が似ているようにも思えた。
 死のなかに生もあり、生のなかに死もありえる。そう見出しながらあっても良いのではないか。深く考えた。

 命がなくなるその瞬間への立会い。
 そこに居合わせた者たちは何を望み、何を拒否し、何を恐れ、何を願い、何を祈るのか?祈れたのか?
 心がつかめないような時間が漂う。

 しかし、そこでも、自分たちに出来ることをする。

 サラにはシュシュババンに電話してもらい、救急車の手配を頼んだ。この電話での内容は書かないが、サラはシスターとの会話で傷付いた。患者を看取り、悲しみのうちにいるのに、サラには辛い仕事を頼み、申し訳ない思いになっていた。

 デヴァンとモリッサには毒を飲んだ患者をプレムダンに運んでもらった。
 コラムは病院に患者を連れて行かなくてはならなかった。
 皆それぞれ動いてもらった。

 救急車を待つ時間がかなりあった。
 サラとれいこちゃんに患者をキレイにしてもらった。自分は赤いハイビィスカスを彼女に持たせた。

 砂にまみれの顔、嘔吐で汚れたままの顔では、天国への旅立ちに申し訳ない。キレイな顔で髪の毛だけでもせめて整えて送ってあげたい思いがあった。

 ディスペンサリーで働いているピーターは「カーリーガートでするから、そうしたことはしなくていい。」とサラたちに話したが、自分は「NO」と答えた。

 今出来ることをしっかりとする。亡くなったから、その人へ思いを伝えられないのでない、亡くなっても大切な人、その人へ思いをしっかりと行動に移すことが看取った人たちが、その後の後悔を少なくさせることが出来る。

 キレイにしながら祈ることも出来る。触れることによって命を感じれるし、死を感じれることもある。その大切な行いの一つである。

 だから、はっきりと「NO」と言った。傲慢のように思われたかもしれない。それでも、仕方がないとも思っていた。

 シュシュババンの救急車を待つ間、あんまり話しをしなかった。いや、気が疲れていた。話しは出来なかった。ただ死を見詰めていた。

 救急車が来て遺体を乗せ、自分たちも乗った。
 シアルダー周辺を混雑を抜けるためにドライバーはサイレンを鳴らした。

 それが死者を送る音のように思えた。三人は顔で話しをするくらいだった。

 「つづく」