ここで初めてボランティアをする者は、その毎日が目まぐるしく変わっていくことを感じるように思う。そのすべてはきっと言葉では表しきれないものであるだろう。
それはその一日、その瞬間に起こる出来事や出会う人、目に映るもののすべてから、否応なしに考えざるをえないテーマを投げかけられるからだ。
患者たちやボランティアたち、子供たちからとの関係も今までに感じたことのないようなものを感じる。そして、それはかなりのスピードで何かが変わっていくことを感じていくだろう。
その人自身が生まれて初めて感じる感覚がその人を覆う。
赤ちゃんの一日の成長のように、あらゆるものを吸収し、感じ、思い、何かに反応し、何かに反発し、何かに影響を受ける。見え隠れするものまでも、意識しきれないものまで多様にして有りえるだろう。
今の自分にはそうしたものの感覚が鈍くなりつつあることを感じる。そうした真新しい感覚を思い出すためにも出会うボランティアと時間があるときには話しをするようにしている。彼らから、いろいろと教えてもらうことを望んでいる。
愚かな自分は自分がどのように今まで来たかをすぐに忘れ、驕りにまみれる。今までどのような過程を経て、こうした今あるかを何度でも感じなおすことの必要性を感じている。
謙虚さ、柔軟さ、大切なことは充分に知っているが、そうした判っていることすら出来ない自分がいることも事実である。そのこともしっかりと判っていたい。
今日は二人病院で亡くなっていた。駅はとても静かだった。
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