とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 (番外)「日本代表ロコ・ソラーレ」本橋麻里の決断!【カーリング】

2018-02-22 14:32:31 | 日記
本橋麻里氏。すごい組織力、牽引力、決断力。まさに素晴らしきリーダーであります。初めて私は知りました。だからこそ準決でせめて3位に届いて欲しいと思っています。

「日本代表ロコ・ソラーレ」本橋麻里の決断!【カーリング】


本橋 麻里(もとはし まり、1986年6月10日 - )は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)出身のカーリング選手。身長160cm。体重56.5kg。血液型A型。右利き。マリリンの愛称で知られる。趣味はバドミントン。2006年トリノ冬季オリンピック、2010年バンクーバー冬季オリンピック、2018年平昌冬季オリンピックカーリング競技女子日本代表。青森明の星短期大学卒、日本体育大学体育学部体育学科卒業、NTTラーニングシステムズ株式会社所属。


2008年

2月、第25回日本カーリング選手権優勝。同年3月に開催される第30回世界女子カーリング選手権の日本代表権を獲得した。
2月、軽井沢国際カーリング選手権大会2008準優勝。

3月、第30回世界女子カーリング選手権出場。最終順位は4位。
4月、アドミッションズ・オフィス入試により日本体育大学体育学部に入学。

2010年

2月、バンクーバー冬季オリンピックカーリング競技女子の部に出場(セカンド)。8位入賞。
3月、第32回世界女子カーリング選手権出場。サードスキップを目黒、フォースを本橋が務めることもあった。最終順位は11位。
5月1日、札幌市で行われたイベントで、2014年ソチ冬季オリンピックに向け現役継続を示唆した。

6月10日、自身の24歳の誕生日に所属のNTTラーニングシステムズと2年間の契約更新を発表し、2014年のソチオリンピックを目指す意思があることを明らかにした。

8月16日、記者会見にてチーム青森からの脱退を発表した。同時に新チーム『ロコ・ソラーレ(太陽の常呂っ子を意味する造語)』を結成すること明らかにした。チームは常呂町を拠点とし、メンバーにはいずれも常呂町のカーリングチームである「ECOE」の馬渕恵と江田茜、「ROBINS」の吉田夕梨花と鈴木夕湖の4人が参加する。

2013年

9月、どうぎんカーリングスタジアムで行われた全農カーリングソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦の予選リーグで3勝3敗、タイブレークとなった中部電力との試合で2-10と敗れて、4チーム中3位となり、3大会連続のオリンピック出場を逃した。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 (番外)岡崎朋美 長野五輪女子スピードスケート500m 銅メダル

2018-02-22 11:44:21 | 日記
今のオリンピックで解説を務めています。この岡崎朋美氏は選手当時明るいスマイルで人気がすごかったですね。そこでこの機会に銅メダルの滑りを振り返りたいと思いました。


岡崎朋美 長野五輪女子スピードスケート500m 銅メダル



岡崎 朋美(おかざき ともみ、本名:安武朋美【旧姓:岡崎】 1971年9月7日 - )は元スピードスケート選手。都留文科大学特任教授。
1998年長野オリンピックスピードスケート女子500メートル銅メダリスト。1994年リレハンメルオリンピック、1998年長野オリンピック、2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピックと、5度の冬季オリンピックに出場。2008年北京オリンピック日本代表(自転車トラックレース女子スプリント)の佃咲江選手(北海道網走郡美幌町出身)は、北海道釧路星園高等学校(スピードスケート部)の後輩である。


略歴

北海道斜里郡清里町生まれ。実家は酪農業。小学3年生でスケートを始め、清里中学校、釧路星園高校を経て、名門・富士急行へ。それまではインターハイでも4位と無名だったが、富士急スケート部の監督だった長田照正が高校2年の岡崎を見てその素質を見抜きスカウト。先輩である橋本聖子選手とともに練習を重ね、才能を開花させる。

1998年長野オリンピックで日本女子短距離として初めてメダル(銅)を獲得し、「朋美スマイル」で全国的な人気者となった。その後は椎間板ヘルニアに悩まされるもカムバック。

2002年ソルトレークシティオリンピック500メートルで当時の日本記録を樹立。2005年1月には通算7度目となる日本記録の更新(37秒73)を達成。社業でも1998年長野オリンピック後に富士急行の課長代理に昇進。その後日本新記録を出して課長、記録更新で次長代理となり、最終的には宣伝部次長まで昇進している。

2006年トリノオリンピックでは、日本選手団の主将を務める。風邪による体調不良のハンデを背負いながらも、500メートルでは1本目、2本目共に38秒46をマークし、4位入賞を果たした。同年12月の全日本スプリント選手権では年齢による体力の衰えを感じさせないスケーティングで9年振り3度目の総合優勝を達成。表彰式のプレゼンターは岡崎が尊敬する富士急の元先輩・橋本聖子(当時日本スケート連盟会長)で、表彰状授与式で橋本が「表彰状・・・優勝、岡崎朋美。35歳!」と、岡崎の当時の実年齢までアドリブで読み上げ、会場内の笑いを誘う一幕もあった。

2007年8月27日、元アスリートの安武宏倫氏との婚約を発表。11月24日、所属する富士急行系列のハイランドリゾートホテル&スパにて結婚式を執り行った。

2009年12月、長野市・エムウエーブで行なわれた2010年バンクーバーオリンピック代表選考会で総合2位となり、冬季オリンピックの日本女子で最年長、最多の5大会連続出場を果たした。2010年バンクーバーオリンピック開会式にて日本選手団の旗手を務め、競技では500メートル16位、1000メートル34位となる。スピードスケート人気の高いオランダでは岡崎朋美ファンクラブがあり、オランダ国外の大会にも遠征するほどの熱心なファンが存在した。(「Wikipedia」より)