とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」809 園まり・何も云わないで

2024-08-07 19:52:05 | 日記
えっ、亡くなられた!!! そうですか。またひとり懐かしの昭和のスターが・・・・。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

園まり・何も云わないで


園 まり(その まり、本名:薗部毬子〔そのべ まりこ〕、1944年4月12日 - 2024年7月26日)は、日本の歌手、女優。東洋音楽学校高等部卒業。

略歴
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身[1]。1954年10歳で安西愛子に師事しコーラスグループ“杉の子子ども会”を経て、キング児童合唱団へ入団。1956年、本名の薗部毬子名義で、キングレコードから「つゆの玉ころり」で童謡歌手としてデビュー。同時に岸惠子、有馬稲子と共にミシンの広告モデルとしても活動。

元々はクラシックの歌手を目指していたが、1960年11月NET『あなたをスターに』で優勝。1961年4月渡辺プロダクションに入社。1962年5月「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。7月フジテレビ『レッツゴー三人娘』で中尾ミエ、伊東ゆかりと『スパーク3人娘』を結成。『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)などに出演。

洋楽の日本語カバー「マッシュ・ポテト・タイム」「太陽はひとりぼっち」「女王蜂」「花はどこへ行った」がヒット。1964年「何も云わないで」がNHK”きょうのうた”で放送され、歌謡曲の初ヒットとなる。その後「逢いたくて逢いたくて」「夢は夜ひらく」「何んでもないわ」「愛は惜しみなく」 等のヒットも記録し、園まり節と呼ばれる歌唱法でヒット。また、「夢は夜ひらく」は藤圭子歌唱によるバージョンも存在する。これら3作は同名タイトルで日活で映画化された。『NHK紅白歌合戦』には1963年から1968年まで6回連続出場(1963年の「キューティ・パイ・メドレー」と1964年の「夢みる想い」は、中尾・伊東と三人娘で歌唱)。

1966年 - 1967年マルベル堂のブロマイド売り上げ女性歌手第1位。

その後、ディナーショーや女優としてのドラマ出演などで活動。1990年代に一時[いつ?]、芸能界を退いていたが、2001年7月にテレビ東京「第32回夏祭りにっぽんの歌」で芸能活動を再開。2006年に25年ぶりのシングル「2人はパートナー」(原曲:ペ・ヨンジュン主演・韓国ドラマ「初恋」挿入歌)を発売。「逢いたくて逢いたくて」は2007年、映画『歌謡曲だよ、人生は』の第9話(主演:妻夫木聡)の歌に起用された。

2009年3月4日放送、テレビ朝日『徹子の部屋』で、初期の乳がんだったことを告白。2007年に発見したが、翌2008年1月に手術して克服し、早期発見の大切さを訴えた[いつ?]。

2010年4月「アクティブシニア2010」園まりふれあいコンサートinナゴヤドーム、6月「大人の文化祭2010」園まりふれあいコンサート in 長野エムウェーブなどのシニア向けコンサートに出演。

2011年(2011年6月・7月NHK「ユアソング」)「もう一度逢いたくて」発売。

2019年、がんが再発。闘病生活を続けるかたわら、中尾ミエ、伊東ゆかりとの3人娘コンサートやテレビ出演を続けた。同年8月5日放送の『徹子の部屋』へは、伊東ゆかりと2人で出演した。年末の日本レコード大賞では功労賞を受賞。

2024年7月26日、急性心不全のため東京都内の病院で死去した。80歳没。訃報は翌月の8月1日に日本歌手協会より発表された。生涯独身だった。(Wikipedia)

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