とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」781 三木聖子 ♪ まちぶせ/1976

2024-02-29 17:07:58 | 日記
や、初めてかな? 探し当てたというか? 発見というほうが当たっています。認識不足でした。もし、もし続けて歌手してたら・・・・。ということを激しく思わせる歌手ですね。

三木聖子 ♪ まちぶせ/1976


三木 聖子(みき せいこ、1956年12月12日- )は、福岡県久留米市出身の元歌手、女優。1970年代後半、短期間活動の後に引退した。身長:156cm。明光学園高等学校卒業。

人物・来歴
中学1年生の時から茶道(表千家)と日本舞踊(花柳流)を習い始める。中学生時代3年間の部活は体操部。

クラスメートがNETテレビ(現・テレビ朝日)のオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』に写真を送り、1973年5月、同番組の決勝大会で準優勝。これはフリーパスの出来レースだったという。1975年、渡辺プロダクションに所属し、上京して数ヵ月で、沢田研二が三億円事件犯人を演じたTBSのテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』で女優デビューする。沢田扮する「可門良」の妹である「可門いづみ」を演じた。デビュー早々、ベッドシーン、暴行シーン、裸の入浴シーンに耐えた。

時を同じくして、荒井由実作詞・作曲による『まちぶせ』で歌手としてもデビューを果たす。代表曲は他に、松本隆作詞・大野克夫作曲の『三枚の写真』(1977年)がある。

計3枚のシングルと、オリジナルアルバム1枚を発表後、「近田春夫事務所」に移籍したが、喉を痛めて歌手活動を断念し、ほどなくして引退。その後、渡辺プロダクションから独立した大里洋吉が興した芸能事務所「アミューズ」に入社し、企画職・営業職として勤務。そして1991年にアミューズ仙台事務所の初代所長に抜擢され、仙台市に転居。仙台を第二の故郷とし、1994年に仙台市青葉区国分町にクラブ「MuMu 仙台店(本店)」(ムム)をオープン(2020年9月18日を以て閉店)。 私生活では、仙台市で結婚もし、3人の女児をもうけた。

2017年11月、東京都中央区銀座にクラブ「MuMu 銀座店」をオープン[9]。

2019年、MuMuのホームページを開設。(Wikipediaより)

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