とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

赤い繭  阿部公房

2024-04-17 18:27:57 | 創作
赤い繭

安部公房


日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐ時だが、おれには帰る家がない。おれは家と家との間の狭い割れ目をゆっくり歩きつづける。街じゅうこんなにたくさんの家が並んでいるのに、おれの家が一軒もないのはなぜだろう? …..と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら。

電柱にもたれて小便をすると、そこには時折縄の切れ端なんかが落ちていて、おれは首をくくりたくなった。縄は横目でおれの首をにらみながら、兄弟、休もうよ。全くおれも休みたい。だが休めないんだ。おれは縄の兄弟じゃないし、それにまだなぜおれの家がないのか納得のゆく理由がつかめないんだ。

夜は毎日やってくる。夜がくれば休まなければならない。休むために家がいる。そんならおれの家がないわけがないじゃないか。

ふと思いつく。もしかするとおれは何か重大な思いちがいをしているのかもしれない。家がないのではなく、単に忘れてしまっただけなのかもしれない。そうだ、ありうることだ。例えば…..と、偶然通りかかった一軒の前に足をとめ、これがおれの家かもしれないのではないか。むろん他の家とくらべて、特にそういう可能性をにおわせる特徴があるわけではないが、それはどの家についても同じように言えることだし、またそれはおれの家であることを否定するなんの証拠にもなりえない。勇気をふるって、さあ、ドアを叩こう。

運よく半開きの窓からのぞいた親切そうな女の笑顔。希望の風が心臓の近くに吹き込み、それでおれの心臓は平たくひろがり旗になってひるがえる。おれも笑って紳士のように会釈した。
「ちょっとうかがいたいのですが、ここは私の家ではなかったでしょうか?」
女の顔が急にこわばる。「あら、どなたでしょう?」

おれは説明しようとして、はたと行き詰まる。なんと説明すべきかわからなくなる。おれが誰であるのか、そんなことはこの際問題ではないのだということを、彼女にどうやって納得させたらいいだろう?おれは少しやけ気味になって、
「ともかく、こちらが私の家でないとお考えなら、それを証明していただきたいのです。」
「まあ…..。」と女の顔がおびえる。それがおれの癪にさわる。
「証拠がないなら、私の家だと考えてもいいわけですね。」
「でも、ここは私の家ですわ。」
「それがなんだっていうんです?あなたの家だからって、私に家でないとはかぎらない。そうでしょう。」

返事の代わりに、女の顔が壁に変わって、窓をふさいだ。ああ、これが女の笑顔というやつの正体である。誰かのものであるということが、おれのものではない理由だという、訳の分からぬ論理を正体づけるのが、いつものこの変貌である。

だが、なぜ……なぜすべてのものが誰かのものであり、おれのものではないのだろうか?いや、おれのものではないまでも、せめて誰のものでもないものが一つくらいあってもいいではないか。時たまおれは錯覚した。工事場や材料置き場のヒューム管がおれの家だと。しかしそれらはすでに誰かのものになりつつあるものであり、やがて誰かのものになるために、おれの意志や関心とは無関係にそこから消えてしまった。あるいは、明らかにおれの家ではないものに変形してしまった。

では、公園のベンチはどうだ。むろんけっこう。もしそれが本当におれの家であれば、棍棒をもった彼が来て追いたてさえしなければ….. たしかにここはみんなのものであり、誰のものでもない。だが彼は言う。

「こら、起きろ。ここはみんなのもので、誰のものでもない。ましてやおまえのものであろうはずがない。さあ、とっとと歩くんだ。それが嫌なら法律の門から地下室に来てもらおう。それ以外のところで足をとめれば、それがどこであろうとそれだけでおまえは罪を犯したことになるのだ。」

さまよえるユダヤ人とは、すると、おれのことであったのか?

日が暮れかかる。おれは歩きつづける。

家….. 消えうせもせず、変形もせず、地面に立って動かない家々。その間のどれ一つとして定まった顔をもたぬ変わりつづける割れ目….道。雨の日には刷毛のようにけば立ち、雪の日には車のわだちの幅だけになり、風の日にはベルトのように流れる道。おれは歩きつづける。おれの家がない理由が吞み込めないので、首もつれない。

おや、誰だ、おれの足にまつわりつくのは?首つりの縄なら、そうあわてるなよ、そうせかすなよ、いや、そうじゃない。これはねばりけのある絹糸だ。つまんで、引っ張ると、その端は靴の割れ目の中にあって、いくらでもずるずるのびてくる。こいつは妙だ。と好奇心にかられてたぐりつづけると、更に妙なことが起こった。しだいに体が傾き、地面と直角に体を支えていられなくなった。地軸が傾き、引力の方向が変わったのであろうか?

コトンと靴が、足から離れて地面に落ち、おれは事態を理解した。地軸がゆがんだのではなく、おれの片足が短くなっているのだった。糸をたぐるにつれて、おれの足がどんどん短くなっていった。すり切れたジャケツの肘がほころびるように、おれの足がほぐれているのだった。その糸は、糸瓜のせんいのように分解したおれの足であったのだ。

もうこれ以上、一歩も歩けない。途方にくれて立ちつくすと、同じく途方にくれた手の中で、絹糸に変形した足が独りでに動きはじめていた。するすると這い出し、それから先は全くおれの手をかりずに、自分でほぐれて蛇のように身に巻きつきはじめた。左足が全部ほぐれてしまうと、糸は自然に右足に移った。糸はやがておれの全身を袋のように包み込んだが、それでもほぐれるのをやめず、胴から胸へ、胸から肩へと次々にほどけ、ほどけては袋を内側から固めた。そして、ついにおれは消滅した。

後に大きな空っぽの繭が残った。

ああ、これでやっと休めるのだ。夕陽が赤々と繭を染めていた。これだけは確実に誰からも妨げられないおれの家だ。だが、家が出来ても、今度は帰ってゆくおれがいない。

繭の中で時がとだえた。外は暗くなったが、繭の中はいつまでも夕暮れで、内側から照らす夕焼けの色に赤く光っていた。この目立つ特徴が、彼の眼にとまらぬはずがなかった。彼は繭になったおれを、汽車の踏切とレールの間で見つけた。最初腹をたてたが、すぐに珍しい拾いものをしたと思いなおして、ポケットに入れた。しばらくその中をごろごろした後で、彼の息子の玩具箱に移された。
(http://language-assistant.org/cgi-bin/reading.cgi「LA READINGS」より転載。)

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