とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 346 真冬の帰り道  星由里子/ザ・ランチャーズ

2018-05-20 17:48:10 | 日記
同世代のヒロインとして私は憧れていました。不思議なご縁を感じたのは「富士山頂」の映画です。石原裕次郎の恋人役で登場するのです。いや、そのことではなく、石原裕次郎が過酷な仕事ー富士山に測候所を作る事業ーのために病気になるそのときに恋人の星由里子が見舞いに行く場面です。手提のバッグが組み立て式の竹製のものだったのです。そのバッグは出雲の職人錦織増蔵さんが考案し当時ヒットしていた手提げなのです。写真を載せておきます。






で、その職人さんの息子さんと私は同窓生なのです。しかも私と父は錦織さんから手渡されたその手提げの試作品を見ました。ただ父は手で触って確かめただけでしたが。そして、その手提げは彼の小倉遊亀画伯が「径」という作品の中に描いています。・・・そんなこともあってこの度の訃報には驚きました。哀しいです。大変。大変。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。(敬称略)


真冬の帰り道   ザ・ランチャーズ


星 由里子(ほし ゆりこ、1943年12月6日 - 2018年5月16日)は、日本の女優。東京都千代田区鍛冶町出身。身長164cm。千代田区立今川中学校を経て精華学園女子高等学校卒業(吉永小百合は1年後輩)。所属事務所は東宝芸能。


来歴

1958年、東宝が宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集したミス・シンデレラ娘で優勝したことをきっかけに芸能界入り[1]。
「八重歯のシンデレラ」をキャッチフレーズとし、1959年に映画『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー、同名のレコードで歌手デビューも果たす。

1960年には同時期にデビューした浜美枝、田村奈巳とともに「東宝スリーペット」として売り出された(控えめで大人しい雰囲気の田村、明るく活発で女殺し屋やスパイ役もこなす浜のちょうど中間に位置した星は、清楚ながらも現代的な気の強さも持ち合わせた役柄を多くこなした)。

成瀬巳喜男、岡本喜八、福田純監督作品に度々起用され、文芸作品からアクションまでをカバー。
特に1961年から始まった『若大将シリーズ』で演じたヒロイン・澄子役は当たり役となり、人気を博した(当時の加山雄三の出演する映画には必ず星の姿があったほどで、加山との共演作も多い)。「澄子」の名は星の代名詞となった。

また、世相を映したファッションや明るいイメージが広く支持され、癖のない庶民的な美貌で「清く正しく美しく」を社是とする東宝の健全なお嬢さんイメージを代表する1人とされた。同路線の先輩には司葉子がおり、映画衰退期に差し掛かったこともあったが、怪獣映画にも出演したことから子供たちにも親しまれ、二十代半ばを過ぎてからは悪女的な役柄にも意欲を示した。
1964年の『モスラ対ゴジラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』で立て続けに出演しており、根強い特撮ファンの後押しを受けて2000年の『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』にて怪獣映画へ復帰した。

女優として人気絶頂期だった1969年に財界人で買収王で名を馳せた横井英樹の長男と結婚。だが、その長男とは性格が合わず80日余りで離婚。1975年に脚本家の花登筐と再婚するが1983年に花登と死別。その後1990年には会社役員と再々婚している。

星と加山は1968年作品「リオの若大将」を最後に映画・テレビ共に共演作品が途絶え、二人揃ってマスコミに登場することがなくなったが、1975年、「同心部屋御用帳 江戸の旋風」(フジテレビ)による星がゲスト出演で7年ぶりに共演し、以降、CMなどを含め共演する機会が増え、団塊世代の大きな支持を得ている。2007年8月にNHK BS2で放映された『永遠の若大将 加山雄三』に出演し「今でも同世代の人たちから、澄ちゃんと声をかけられる」と青春時代を語っている。
晩年はテレビドラマで母親役や通販番組出演などを中心に活動した。

第28回菊田一夫演劇賞受賞。

2018年5月16日、肺がんのため京都市の病院で死去。74歳没。(「Wikipedia」より)

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