とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

伝えたいこと

2013-03-10 15:40:31 | 日記
伝えたいこと





 出雲市斐川町直江の法華塔(2013.3.9)

 昭和9年9月、斐伊川支流の新川が、旧直江村法華経堤防決壊のために氾濫し、下流域の直江村、荘原村に大被害をもたらした。上の写真は、その決壊箇所に建てられた法華塔である。 『斐川町史』によると、その時の水害の模様を次のように記している。

 9月21日朝紀淡海峡を襲った台風は西日本全域に大きな被害を与え、・・・斐伊川水系では続々被害が出はじめた。出西阿宮地区でも本流の決壊が10か所以上に及び、・・・洪水量のほとんどが新川に流入することになって午前8時ごろから各所で堤防決壊の危険が生じた。そして午前11時直江村の法華経堤防が切れた。洪水は直江村結地区を走って、山陰線の築堤で一時せきとめられたが、まもなく荘原村の吉成地区湾曲部でこれを破壊して、上庄原、ついで下庄原へと押し寄せた。
 23日正午現在で県がまとめた被害は、橋梁流失破損170、堤防決壊破損513、道路崩壊982、・・・家屋浸水5132、死者16、・・・被害見込み総額は1000万円に達した(県全体の被害の総計)。このときの雨量は19日午後から20日にかけて出雲東部で360ミリに及んだ。この水害が起こる前に新川廃川は決定していた。しかし、この大水害は早期廃川を実行させる大きなきっかけとなった。

   死滅した河川

 壮大な石英砂群の堆積に
 天保の開削人夫の
 埋もれた声を聞く
 湖岸に溢れた砂は
 沃野と化し
 ほとばしる水音は
 歴史の中で消された

 <流緩に水清し、舟筏通ぜず>
 その斐伊川大派流も
 今は人々の口にのぼらない
 破れた法華経堤防を
 出雲結 大川倉
 連台で固めた
 あの時のことも

 新川川床の
 光を放つ砂粒の死者たちは
 かたくなにもだすのみ
 「山崩し」の歌声を残して

 廃川はひたすらに
 川敷に重い
 昭和十五年一月のことだ

             (昭和48年7月14日 中国新聞掲載)



 神戸川への放水路の工事(2013.3.9)

 この光景を見ていると、江戸期新川開削の山崩しの難工事を髣髴とさせる。歴史は繰り返すのである。斐伊川治水の難しさを物語っている。斐伊川本流を決壊から救う難工事はこの日も続けられていた。



 斐伊川から神戸川への放水路航空写真(島根県のHPより拝借)

 この放水路工事は、平成6年5月から建設事業着手、平成8年9月開削部の掘割工事本格着手、平成9年12月拡幅部の堤防工事本格着手、平成21年4月分水堰工事着手という経過を経て、現在はその大治水事業が完成に近づいている。写真上が西方で、放水路取り付け口の対岸に奇しくも新川廃川地が確認される。


 私は治子のことが気がかりだったので、翌日電話をしました。


 冴子さんから聞いたけど、あの絵をどうしようと・・・。

 千恵ちゃんが急に私のところへ来て、自分の絵を描いてくれと言うので、訳を聞いたら何も言わないでとにかく描いてと言うんです。

 ああ、そう。それで・・・。

 一日かけて描きました。

千恵子はその絵を出雲画廊に持って行かせたんだね。どうしてそんなことを・・・。

 千恵ちゃんは寂しかったんじゃないのかしら。・・・このまま死んでしまうのではないのかと・・・。

 そんな・・・。千恵子はこの前うちに来たときは元気そうだったけど・・・。

 もう、お父さんは鈍感なんだから。千恵ちゃんはバレーが生きがいだったでしょう。それが出来なくなるし、志乃ちゃんの転校のことも随分心配してたみたい。それから、三朗さんが自分から離れていくような気持ちになったんでは・・・。

 いや、自分には自分の考えがあると言ってた・・・。

 それは意地をはってただけじゃないかしら。

 そうか、分かった。・・・しかし、絵を描いて貰ってそれを誰かに見せたかったというのはよく分からない・・・。

 私にはよく分かる。元気なときの姿を残しておきたかったんではないかと・・・。

 それを画廊に出すというのは理解に苦しむけど・・・。

 お父さん、自分の絵を自分の家の中に飾ってどうするの・・・、誰かたくさんの人に見てもらいたかったんじゃないのかしら。

 分かった。・・・治子はそこまで追い込まれていたんだ。

 その言葉もあまり当てはまらない気がするけど・・・。

 じゃ、どうすればいいのだ。

 あの絵をよく見ると分かると思う。

 そうか。

 千恵ちゃんの病気、見通しが立つようで立たない・・・、それが苦しめているような・・・。

 そうか。・・・お母さんと一緒に千恵子の気持ちを聞いてみよう。

 ぜひそうして。

 話変えてもいいか。

 なに・・・。

 いやね、小仲画伯が治子の絵を褒めていたんだって。

 小仲。・・・ああ渓川さん。・・・嬉しいわ。

 それから・・・、あの脚本書いた長山新一郎さんを紹介してくれないか。ぜひ伝えておきたいことがある。

 分かった。明日にでも来ていただくわ。

 ・・・長山真一郎さんに私が伝えたいこと・・・。それは新川の氾濫のことでした。あくる日の午前、長山さんは来てくれました。私は、直江の法華塔や神戸川への放水路を案内しました。長山さんは法華塔は初めてご覧になったようで、しばらく感慨深げに佇んでおられました。

 そうですか。ここが決壊したんですね。・・・死滅した河川、これから生まれようとする河川。・・・歴史は重いですね。これを舞台でどれだけ表現できるか・・・。

 
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