とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

斐川三山が見える

2013-03-06 22:46:58 | 日記
斐川三山が見える



出雲市斐川町の仏経山(2013.3.6)

 出雲国風土記には「神名火山」(神奈備山)は意宇郡、秋鹿郡、楯縫郡、出雲郡の4カ所にあるとされている。その位置は宍道湖を取り囲むように配置されている。近年最も注目を浴びているのは、出雲郡の神奈備である「仏経山」である。というのも、この山の東約2.5キロの場所で、一か所で全国のこれまでに発見された銅剣の数を上回る358本という大量の銅剣が発見された荒神谷遺跡があるからである。標高は366mで四つの神奈備山の中では一番高く、最も目立つ山である。銅剣と神奈備山。私は何かの因果関係があると考えている。頂上からは斐川平野、島根半島、日本海が一望できる。『出雲国風土記』は頂上に曽支能夜社(そきのやのやしろ)が鎮座すると記しているが、今はその社は山のふもとにある。この山の東には、荒神谷遺跡やウヤツベという天降った女神を祀る神代神社や、タケミナカタを祀っている諏訪神社・兵頭神社などがある。『古事記』中巻の垂仁天皇本牟智和気王(ホムチワケノミコ)の段に「曽宮(ソノミヤ)に坐(イマ)す葦原色許男大神(アシハラ シコヲノオホカミ)」とある曽宮というのは仏経山だと言われている。



出雲市斐川町の大黒山(左の頂上がとがった山)と高瀬山(右のもっこりした山)(2013.3.6)

 この地は古代、薬草の里であったと言われている。出雲風土記には豊富な薬草の記述が残されている。大国主命が出雲一帯を眺め降ろしたという伝説のあるの大黒山周辺には今でも多数の薬草が自生している。頂上の社には大国主命が祀られている。高瀬山は高瀬城のあった山である。城主の米原氏は出雲の戦国大名尼子氏の重臣で、尼子十旗の第六旗に位置づけられた有力武将であった。・・・仏経山、大黒山、高瀬山、この三山が連なる山裾をかつて新川が流れていたのである。


 無謀にも彼の日本画壇の重鎮の一人である小仲渓川画伯に電話した私は、その後反省すること頻り。しかし、事態は意外にも大きく進展していきました。何と画伯ご夫妻が遊木氏の自宅に出向かれたのであります。勿論笙子さんも一緒でした。後で分かったことですが、実父の小室さんが渓川画伯に私が縁談のことをお話しした後で連絡をとられ、この度の縁談を強く勧められたそうです。話はすべて旨くまとまりました。そのことを渓川画伯からの電話で知りました。


 やあ、畝本さん、先日はありがとうございました。気にかかったので直接家内と出雲に出かけました。・・・部屋から出雲平野の南の由緒ある山が眺められ、心がすっかり清められました。・・・もう私たちの気持ちは動きません。・・・いいご縁をいただきました。

 えっ、それでは、笙子さんは・・・。

 ええ、笙子はお宮で信吉君と共に神にお仕えします。

 それで、絵の方は・・・。

 勿論続いて描いていくと思います。巫女を描くと言っていました。

 巫女の絵ですか。

 そうです。タケミナカタの命にお仕えする姿をこれから描いていきます。よろしくお願いします。

 あっ、いや、・・・こちらこそよろしくお願いいたします。

 美術館には優れた学芸員がおられると聞きました。

 坂本龍太郎さんですね。素晴らしいお方です。

 中村仙女さんのご主人とか・・・。

 あっ、ご存知でしたか。

 ええ、テレビ見てました。

 そうですか。・・・私としましても最善を尽くします。どうか、どうか、よろしくお願いいたします。

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