母親として・・・②
「母と子」(パブロ・ピカソ 1922年 油彩)
ビカソの母子像は他にもあるが、私はこの作品が好きである。抽象を嫌っている訳ではない。素直に私に入ってくるからである。
・・・私は若いころ出雲にきたことがございます。私の劇団の地方公演を松江で行ったときでした。一畑電車に乗って出雲大社にお参りしました。その時、車内から眺めた宍道湖の景色が非常に印象的でした。阿国ゆかりの出雲に将来何かの形でご縁が生まれるような予感がしました。それほど私には全国にない美しい景色に見えました。・・・しかし、その頃は舞台での仕事は端役ばかりでしたので、行きたくても行くだけの余裕がありませんでした。それが今やっと実現して喜んでいます。
そうですか、地元に住んでいるものとして光栄です。と長柄さんが応じました。
郁子が先にご縁をいただきましたが、これも何か引き合うものがあったからだと私は思っています。
郁子さんも演劇関係の仕事をなさっていたとか聞きましたが・・・。私が話の接ぎ穂を出すと、中村さんは私をじっと見つめて急に黙ってしまいました。
郁子さんに私たち助けていただいています。と長柄さんが助け舟を出してくれました。
ええ、そのことなんです、演劇で躓いていたところ、みなさんに助けられ大きな目標が出来て郁子も喜んでいるようです。・・・郁子と私は親子ですが、父親と私は・・・。そう言ってまた中村さんは黙ってしまいました。
結婚はなさっていない・・・。長柄さんがそう踏み込みました。
ええ、そうなんです。・・・父親は絵の商売をしていまして、私も絵描きの端くれですからいつも助けてもらっていました。
と仰いますと・・・。長柄さんがまた踏み込みました。
若いころ演劇では生活が出来なくなって困っていました。しかし、絵だけは描き続けていました。そういう時、画材の費用を出してくれたり、あちこち絵のセールスをしてくれました。・・・ですから命の恩人です。・・・郁子が生まれたことを契機に演劇を止めて三人で暮らしたかったのですが・・・、止められました。演劇の道に賭けなさいと強く勧めました。・・・そう言われて、私も決心しました。郁子を育て、この人に恩返しをしたいと思うようになりました。
郁子さんは、冴子さんをお母さんと思っていたとか・・・。
そうなんです。冴子さんにも随分お世話になりました。演劇の稽古とか地方公演に追われていた私の代わりに郁子の世話をしていただきました。だから、郁子は私より冴子さんと接する時間が多かったと思います。
で、冴子さんと貴方はどういうご関係ですか。長柄さんが続けて尋ねました。
ええ、冴子さんは画家の家系を継ぐ立派なお方です。私はごく普通の家の生まれですが、やはり二人とも絵に関係していたのでお会いする機会がよくありました。知り合いに絵の紹介をしていただいたこともあります。そのことと、・・・実は二人は同じ町の出身です。
えっ、どこですか。と私は咄嗟に何かを感じましたので、そう尋ねました。
諏訪です。
諏訪市ですか、あの諏訪大社のある。私は確認しました。
そうです。
やっぱり。
えっ、どうしてですか。
冴子さんが諏訪の出身だということは誰かから聞いていましたので、そのことからの推測です。
おい、おい、話が変な方向に・・・。と長柄さんが言いましたので、私はそれ以上そのことには触れませんでした。
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「母と子」(パブロ・ピカソ 1922年 油彩)
ビカソの母子像は他にもあるが、私はこの作品が好きである。抽象を嫌っている訳ではない。素直に私に入ってくるからである。
・・・私は若いころ出雲にきたことがございます。私の劇団の地方公演を松江で行ったときでした。一畑電車に乗って出雲大社にお参りしました。その時、車内から眺めた宍道湖の景色が非常に印象的でした。阿国ゆかりの出雲に将来何かの形でご縁が生まれるような予感がしました。それほど私には全国にない美しい景色に見えました。・・・しかし、その頃は舞台での仕事は端役ばかりでしたので、行きたくても行くだけの余裕がありませんでした。それが今やっと実現して喜んでいます。
そうですか、地元に住んでいるものとして光栄です。と長柄さんが応じました。
郁子が先にご縁をいただきましたが、これも何か引き合うものがあったからだと私は思っています。
郁子さんも演劇関係の仕事をなさっていたとか聞きましたが・・・。私が話の接ぎ穂を出すと、中村さんは私をじっと見つめて急に黙ってしまいました。
郁子さんに私たち助けていただいています。と長柄さんが助け舟を出してくれました。
ええ、そのことなんです、演劇で躓いていたところ、みなさんに助けられ大きな目標が出来て郁子も喜んでいるようです。・・・郁子と私は親子ですが、父親と私は・・・。そう言ってまた中村さんは黙ってしまいました。
結婚はなさっていない・・・。長柄さんがそう踏み込みました。
ええ、そうなんです。・・・父親は絵の商売をしていまして、私も絵描きの端くれですからいつも助けてもらっていました。
と仰いますと・・・。長柄さんがまた踏み込みました。
若いころ演劇では生活が出来なくなって困っていました。しかし、絵だけは描き続けていました。そういう時、画材の費用を出してくれたり、あちこち絵のセールスをしてくれました。・・・ですから命の恩人です。・・・郁子が生まれたことを契機に演劇を止めて三人で暮らしたかったのですが・・・、止められました。演劇の道に賭けなさいと強く勧めました。・・・そう言われて、私も決心しました。郁子を育て、この人に恩返しをしたいと思うようになりました。
郁子さんは、冴子さんをお母さんと思っていたとか・・・。
そうなんです。冴子さんにも随分お世話になりました。演劇の稽古とか地方公演に追われていた私の代わりに郁子の世話をしていただきました。だから、郁子は私より冴子さんと接する時間が多かったと思います。
で、冴子さんと貴方はどういうご関係ですか。長柄さんが続けて尋ねました。
ええ、冴子さんは画家の家系を継ぐ立派なお方です。私はごく普通の家の生まれですが、やはり二人とも絵に関係していたのでお会いする機会がよくありました。知り合いに絵の紹介をしていただいたこともあります。そのことと、・・・実は二人は同じ町の出身です。
えっ、どこですか。と私は咄嗟に何かを感じましたので、そう尋ねました。
諏訪です。
諏訪市ですか、あの諏訪大社のある。私は確認しました。
そうです。
やっぱり。
えっ、どうしてですか。
冴子さんが諏訪の出身だということは誰かから聞いていましたので、そのことからの推測です。
おい、おい、話が変な方向に・・・。と長柄さんが言いましたので、私はそれ以上そのことには触れませんでした。
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