橡の木の下で

俳句と共に

草稿05/26

2014-05-26 10:38:47 | 一日一句

梅雨兆す小窓にいつも空を見て  亜紀子


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草稿05/25

2014-05-25 10:22:53 | 一日一句

子を連れて鵯朝の試し飛び  亜紀子


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「イースター」平成26年「橡」6月号より

2014-05-25 10:19:43 | 俳句とエッセイ

 イースター     亜紀子

 

ぞくぞくと出で草引きも面白し

念入りに息整ふる初音かな

恋の尾を撥ねて柄長の宙返り

雨ながら花を挿頭に男山

油祖神に荏胡麻みどりの芽を揃ふ

バッターの片頬染むる春夕日

座禅布団棚に整列目借りどき

イースターこぼれ種から花殖えて

蟻の道かたばみ提灯ともりをり

はなみづき一町ほどを真白なり

気ふたぎの雨に濡れをり八重桜

蕗むらの憩ひの小陰蟻の国

黄金週間初蚊を打ちてこともなし

蟻の道関所まうけむ蟻殺し


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「大山崎山荘」平成26年「橡」6月号より

2014-05-25 10:16:13 | 俳句とエッセイ

  大山崎山荘     亜紀子

 

 大雪の二月、ボア句会のやすこさんから四月の吟行会のお誘いをいただく。吟行地は京都長岡京の隣り、乙訓郡の大山崎山荘美術館。平成十二年のちょうど同じ頃に主宰も訪れ、同年六月の誌上に「山荘美術館」という随筆を載せているという。芽吹きの美しい頃でしょうとやすこさんらしい結びの言葉に、早速旧い「橡」を引っぱり出してみる。

 大山崎山荘美術館は秀吉・光秀の戦で知られた天王山山麓にあり、もともとは昭和初期の実業家加賀正太郎が山から見下ろす淀川の景色を、欧州遊学の思い出テムズ川を望むチューダー城の趣になぞらえて造った別荘である。幾多の変遷後、美術館として復元整備された荘と、新たに建設された安藤忠雄設計の地下美術館とを合わせ、現在はアサヒビールの文化財団が運営。山荘内に民藝運動のコレクション、地下美術館にはモネの睡蓮などの絵画が展示されている。随筆の中で主宰は山荘への入口で見つけた張り紙の「ぽい捨てはこの秀吉が許さぬ」という標語について記し、そこから阿波野青畝の中七下五が「ぽい捨て御免合点だ」で終る句を思い出す。ついに上五は出て来ぬのだが、「ぽい捨て御免合点だ」とは大衆に浸透している感覚を自然に俳句にしたものか、あるいは標語が青畝の句に因っているのかと思い巡らし、どうしてこのような句が詠めるのかと驚いたことを綴っている。

 四月六日山崎駅に集合。寒い日が続いていたお陰か辺りはまだ桜の盛り。美術館への山道を辿る。なにか良い声が聞こえるなと思う間もなく目の前の高梢に鵤が止まって歌う。間近で見ると思っていたより大きな鳥ですなと、即座に自然科学の徒らしい甲葉さんの観察。筍は出ていないかしらと乙訓郡の篁を覗く人も。その向うからほう、ほほほと、音色、音調を確かめるような鶯の声。美術館の敷地に入る隧道の手前に「ぽい捨て」のポスターを発見。山道の脇のフェンスに括りつけられた、山火事防止、煙草のぽい捨て厳禁の消防局の訴えであった。十四年前に主宰と吟行を共にされた伊達さんは懐かしそうである。

 折からの小雨の中、山の傾斜に作られた庭園の草々、木々を眺め、四十雀、柄長の群に歩を止める。今年は梅、桜、山吹、花桃、果てはリラも一緒に咲いていて、どこか北国の春のようである。足許に菫の群落。他に十センチくらいの丈のカラマツソウに似た白い花が咲いている。ひ弱な佇まいで、花は五ミリあるかないかの小さなもの。あまりに小さく、それが可愛いらしく、かえって目についた。誰に聞いても名前が分らない。館内に入り、二階のテラスから雨に煙る乙訓のテムズを眺める。淀川に合流する木津、宇治、桂の三川の間の堤を背割り堤と呼び、その桜が満開であった。

 長岡京の駅へ移動して駅前の生涯学習センターで昼食、句会。釘宮さんがボールのような大きなおむすびを見せてくれる。爆弾と呼ぶそうである。三種類の具入りの、普通のおむすび三個分を海苔がくるりと真っ黒に包んでいる。山本さんが以前に爆弾むすびを詠んで二句欄に入選した話をされる。それは主宰の選であったかと聞けば、私の選だとのこと。私はどんな句か思い出せず、ご当人に伺っても咄嗟のことに上五が出てこない。後日その句をしたためた葉書をいただく。

 

万緑やばくだんといふ握り飯   山本安代

 

 昔子らと旅した紀州の「目はり寿司」は、高菜漬けを巻いた目を見張るほど大きいという意味のおむすびだった。きつい山仕事に携行したものという。それよりも昔暮した札幌で食べたのは塩漬けの筋子の一切れがごろんと入った、筋子の水分を包み込む必要からか、これも特大のおむすびだった。ばくだんは知らなかったが、安代さんの握り飯もすぐに合点したのを思い出した。

 山荘の庭の小さな白い花は携帯で撮った画像を植物に詳しい中里さんに送り、セントウソウという芹の仲間と判明。名前の由来は牧野富太郎も分らぬと記している。どんな小さな花にも名があり、古人の観察眼と記憶力に賛嘆する。知識と体験と記憶は出たり入ったりしながら、私自身ははなはだ心もとない心地がする。


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選後鑑賞平成26年『橡』6月号より

2014-05-25 10:12:57 | 俳句とエッセイ

  選後鑑賞  亜紀子

 

みちのくの復興希ひ種下ろす 根本ゆきを

 

 辺りの山々に辛夷の白い花が点じられ、農の一年が始まる。種おろし、すなわち籾蒔きをして苗床を作る。福島は有数の米の産地である。毎年永々と繰り返される農の作業。その当たり前の一つ一つが、復興への深い祈りと希望そのものなのである。震災から早三年を経過している。

 

手話の子ら花もひらひら舞ひ来たり 宮田早智子

 

 春の遠足の景であろうか。花のもとに集う子供たちは皆手話でお喋りしている。子供らの可愛い華奢な手指がひらひらと会話すると、桜の花も呼応するかのように舞い降りて来る。小さな人たちの屈託のない表情が見えてくる。

 

開かれて花人あふる乾門  山口外枝子

 

 この春、天皇の傘寿を記念して皇居乾通りの桜が一般公開された。四月四日から八日の期間中、延べ三八万人以上が訪れたそうである。花も人も溢れんばかり。常に歴史に翻弄されてきた皇室が開かれて六十九年目、陛下も無事に傘寿を迎えられたことはまことにめでたい。世界との調和の上を歩んで来た我が国の道のりの結実。

 

きびなごの撒き餌に鰹群がれり  平石勝嗣

 

 ぴちぴちと眩しく輝く生きの良いきびなご。これを撒き餌に鰹の群を水面へとおびき寄せる。たばしる水泡、初夏の光り。勇壮な一本釣が始まる。

 

歌劇の街刺もくれなゐ薔薇芽吹く 三宅三知代

 

 宝塚歌劇団の街、宝塚市。華麗な衣装に身を包み、歌と踊に日常を忘れさせてくれるタカラジェンヌはまさに花。葉の真紅の芽吹きのみならず、刺もくれなゐの措辞がこれから開くであろう大輪の薔薇の花を想像させて心憎い。

 

轟きて渦潮の芯くぼみけり   中村喜代子

 

 写真入りで鳴門海峡の渦潮が見頃との新聞記事が出ていた。干満の潮位の差が大きく、かつ南風が吹く春に大きな渦ができやすいという。自然条件の組み合わせによって起こる現象であるから、観潮船に乗って繰り出せば必ず渦が見られるというわけでもないようだ。幸運の作者は大きな渦に出会うことができた。船が出来るだけ近くに寄る。潮が渦巻く音、巻き込まれた海水の芯を大写しにして迫力がある。

 

隠沼の鴨もいつしか帰りけり  太田順子

 

 探鳥会などで水鳥を観るときは、多くの鳥の集まる名の知られた湖沼を目指す。しかし何気ない山歩きの際に渓流の小さな淀に数羽の鴨を見つけてはっとすることがある。掲句の隠沼は作者の住まいの近くだろうか。枯れ葦の茂った隙に水が見える程度の人知れぬ沼ではあるが、毎年鴨が渡って来て親しい所である。久しぶりにその辺りを歩いてみると、あの鳥たちはいつの間にか飛び立っていた。柳をはじめ岸辺の木々の緑が芽吹き初めているのである。

 

ざぶと入る汀に揚羽遊びをり  吉田暢子

 

 作者がざぶと入ったのは川だろうか、海だろうか。その汀に遊ぶ色鮮やかな揚羽蝶。蝶は地の水分を吸っては体温調節をしたり、ミネラル分の補給をしたりするそうである。じゃぶじゃぶ水浴びをする人に構わず、吸水しては飛び立ち、また降りては吸水する様子であろう。


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