橡の木の下で

俳句と共に

「足音」平成27年「橡」9月号より

2015-08-28 05:23:52 | 俳句とエッセイ

 足音     亜紀子

 

 星眠の名のとおり、父は良く眠る人だった。処女句集『火山灰の道』を繙く。

 

日出づと雲海よぎる鳥﨧し

翅澄みて蛾は春暁の野にかへる

凍天を焔つらぬく日の出前

 

朝の佳句に触れるので、若かりし頃は早朝吟行、深夜吟行どちらも精力的にこなしていたのかもしれない。

 

夜蛙や高嶺をめざす人に逢ふ

暮れかねて白樺淡き蛾を放つ

お花畑ゆふべ眞紅の霧を噴く

短夜の昻に降る花はみな白し

手袋に息つゝみ立つ夜の落葉

春星やしみじみ暗き蜑の露路

湖凍り林をのぼるオリオン座

 

それでも『火山灰の道』の印象深い作品は圧倒的に夕暮以降の時間帯に多いように思われる。私の知る父は早起きは好まぬのんびり屋であった。

 

  故群青君の植ゑし一本あり

天あふぐゆうすげに汝が星灯れ(営巣期)

 

 あるいは父はひと日の終り、夕菅の花の開く時間帯からの、もの寂しい鎮静した情趣を好む体質のようなものを持っていたのかもしれない。情趣云々はともかく、寝坊助の体質は息子、即ち私の弟に遺伝した。弟は朝が遅いのはもちろん、昼間でも暇さえあれば眠っていた。お互い家庭を持ち、往き来も疎になって久しいのでその後どうなったかは不明だが、多眠体質は私自身の息子にも及んでいるようだ。受験生の今は悩むところだが、眠りが足りないとどうにもならないらしい。体質は仕方がない。

 

新聞配達春の夜明の靴の音  葉貫琢良

             (平成二七年六月号)

 

 少しづつ夜の明けるのが早くなりつつある。床の中にあっても厳しい寒さが緩む気配を感ずる。ああ、春だな、夢うつつながらも小さな喜びと安堵の心。東北福島の春。近づく足音はいつもの新聞配達人。その耳慣れた靴音さえも春を運んで来るような。想像するに琢良先生も朝は得意ではないのでは。

 

白地着て燭に圍まれ新発意   葉貫琢良

             (平成二五年十一月号)

 

この句を発表された頃、弟子を持つと寝坊ができないから大変だよと笑っておられた。早朝のお勤めから何から面倒を見られるそうであった。

 

焦げ臭き法の燻る戻り寒  小野宏文

             (平成二七年六月号)

 

 鼻をつく硝煙の匂い。宏文先生の句に聞えてくる靴音はざっくざっくと重く禍々しい。夏休みを前にして、高校三年の息子個人宛に防衛省から自衛隊のリクルート案内が届いた。驚いた私に、息子は自分には興味はないしお母さんが慌てることではないでしょうと笑う。いやいや、笑って済む子たちは幸いである。進んで志願する子たちもまた幸いである。糊口を凌ぐために進む子たちを想像する。焦げ臭い法が罷り通る中でのその子らの将来を憂う。現在多くの若者たちが学費稼ぎ、生活費稼ぎのために働いている。大人の夢の風船は弾けて、若い人達のアルバイトや派遣が支える世の中となった。その上さらにことが起これば先ず身を挺することになるのはそうした若者たちなのではと。

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