橡の木の下で

俳句と共に

選後鑑賞令和3年「橡」5月号より

2021-04-29 15:06:54 | 俳句とエッセイ
  選後鑑賞   亜紀子

江商の蔵幾世継ぎ梅も老ゆ  岡田まり子

 交通の要衝にある近江は古くから商業活動が活発で、時代が下るに従い国内外でより幅広く活動する豪商も現れる。近江あきんどという言葉には負のイメージもあるが、実際には「三方よし」に見られるように商売に対して独自の思想哲学を持っていた。ウイン、ウイン、ウインの考え方はこの現代社会にこそ求められているのだが。掲句、大商人の蔵こそ毀たれずに世を経てはいるが往時の勢いは今はない。老梅と言わず、梅も老ゆの措辞がその機微を伝えてくれる。弱肉強食、利益優先、貪欲がモットーの今の世を静かに眺めている目が何処かにあるような。

点滴を供にリハビリ夕永し  布施朋子

 術後の病院で。リハビリに入られているのだから手術は成功し、一段落されたのだろう。昔は安静ということが言われたが、現代の医療ではリハビリが肝心。寝てばかりいてはかえって回復が遅れる。掲句作者も長い廊下をそろそろと点滴スタンドを押しながら行ったり来たり。窓の夕日が季節を物語っている。我が身の災難に狼狽えた時は過ぎ、点滴をお供にと諧謔を持って受け止めている。これから季節はさらに良くなる。

まんさくの垣楽しみて友住めり 倉嶋定子

 早春、まだ木の芽も萌えぬ庭、まんさくの黄色の花は春到来をいち早く知らせてくれる。垣に仕立てたこの花に囲まれて住むご友人。コロナ渦中の今は会う事叶わず、あるいは電話か書状での知らせを受けたのかもしれない。作者の心も弾んだことだろう。通りをゆく人々もパッと目を楽しませてもらっているだろう。

吹き戻る紙笛めきてまんさく黄 森谷留美子

 ピロピロ笛、吹き戻し。子供の頃は飽きもせずよく遊んだ。クリスマスの紙製の長靴の中に駄菓子と一緒に入っていたのが懐かしい。だんだんと戻りが悪くなって巻きの勢いが失せてくる。掲句のまんさくの花はそんな状態ではなかろうか。それにしても、まんさくからピロピロ笛を連想するとは柔らかな発想を持つ作者。下五の留めも笛の動きにぴったり。

春愁やお百度を踏む人の影  永塩菊江

 作者の春愁、お百度参りする人の春愁。今のコロナ渦中、誰しも幾分かはきっと共感されるだろう。お参りの人の姿を詳しくは表現せずに人の影としたところ、趣あり。

川渡る電車そびらに蓬摘む  松尾守

 鉄橋を渡る電車。萌え初めた川堤。摘んだ蓬はお母さんがお団子にしてくれる。谷内六郎の絵を思い出す。

腰掛けてシニア筋トレ長閑なり  高沢紀美子

 筋トレというとジムに通ってバーベルを上げ下げする姿を思い浮かべるが、ここはシニア筋トレ。椅子に座って無理なくできるメニュー。テレビでも見ながら自宅で、あるいは一日三十分のシニア専用ジムで。季節も長閑なり。ただしこの筋トレが肝心なことは忘れまい。

菜の花やひかりちやんてふ鸛  田辺良子

 鸛は国内で周年生息し繁殖する個体は絶滅。現在は飼育下で繁殖させたものを放す努力が続けられている。個体識別し、GPS装着で位置情報を確認しているとのこと。それぞれ名前をもらい、ひかりちゃんというのは福井県生まれ。今年京都は城陽に飛来。一面の菜の花が一層眩しい佳き名なり。

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