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橡の木の下で

俳句と共に

「年の果て」平成31年『橡』2月号より

2019-01-28 11:10:56 | 俳句とエッセイ

年の果て  亜紀子

 

開戦日忘るまじきと年忘

斜に構へ街を眺むるクリスマス

蠅虎も暖房部屋に入り浸り

大泣きに泣かせる映画年の果て

滑り台きりなし落葉やむ間なし

小社に山と積まるる年木かな

初雪の鉢かづき姫万両は

師走満月往き交ふものの皆小さき

一斉にたちて仲良き冬雀

大窓はままや小窓を目張りして

鷹一羽去りて朝空残りたる

小さき笑み地よりこぼるる冬すみれ

木々の芽も冬日へ顔を上げてをり

前栽の落葉逐一手で拾ひ

暖冬は有り難けれどさりながら

 


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「マニュアル」平成31年『橡』2月号より

2019-01-28 11:07:50 | 俳句とエッセイ

マニュアル  亜紀子

 

 平成最後の年末年始、身に応える寒さだった。温かい湯にゆっくりと浸りたいところだが、なかなかそうもいかない。橡集のはがきにも、仕舞い湯の句が結構ある。家庭の主婦は一日の仕事を終えてからの入浴となるのだろう。独りのんびり浸かることができれば良いが、翌朝が早いのでそそくさと済ませてしまう。わが家はことに朝が早いので、私などは風呂に入るまでに疲れて床についてしまい、夜明け前の朝風呂となる。昭和四十年代に建てられた借家で、シャワーのないガス釜の風呂である。風呂場は寒く覚悟が要るが、睡眠が足りているせいかさほど億劫でもなく、ほぼ習慣化している。

 一昨年の冬にこのガス釜が壊れた。相当な年代物で交換部品がない。同じタイプの風呂釜も店頭には在庫なし、メーカー取り寄せということで十日ほど往生した。ようやく取り替え工事に来てくれた青年は、市内でこの釜を使っているのは古い公営住宅くらいで、めったにお目にかかりませんねと。それでも彼が工務店に就職した当時はメインの製品だったそうで、取り付けや、修理など目をつむっても出来るくらいに数をこなしたという。今の給湯式のIC制御の製品はマニュアルが複雑でむしろ苦手だという。ただしそうした製品は壊れたら即取り替えるだけだがとも。わが家の風呂桶との相性が微妙だったが、彼は手持ちの道具を使って器用に調整して半日ほどで釜を付け替えてくれた。私が感心すると、自分はとにかく現場で仕込まれて仕事を覚えたが、若い者(彼も十分若いのだが)はマニュアル通りのことしかできず、咄嗟の応用が出てこないと言う。しかし自分のそうした技術を今の若い者には教える気にならないとも言う。何故?曰く、この釜の取り付けは一年に一、二度あるかないかなので、せっかく教えても次の機会には忘れてしまっているからと。なある程。

 この世は複雑になっているので、マニュアルなしでは不便な分野も多いだろう。けれどコヒーチェーン店のスターバックスなどには接客マニュアルはないそうだ。接客の心の核となるものがあるだけで、実際は現場の店舗ごと、従業員個人ごとに考えて行動しているとのこと。これまでに度々利用した市立病院内のスターバックスがいつも気持ち良いところだったのは、客のほとんどが患者かその家族ゆえ、自ずから思いやりを持って相対してくれたからかもしれない。薄い色の生徒の髪を黒染めさせる校則などはその逆。社会の中で本来ヒュマニティ実現のためにある法律が、法の名のもとに人間を疎外する状況なども本末転倒といえるだろう。そうして転倒のいかに多い世の中であることか。

 マニュアルというのはある意味後付け的なもの。最初に基本がある。基本が体得されていれば、後は各々時に応じて動くべきだろうが、大勢のそれぞれ個性の違う人間が同じようには動けないから、条文化して基本の体現を目指すわけだ。釈迦は仏典を遺さず、イエスは聖書を書かなかった。芭蕉は俳論書を記さず、それを編んだのは弟子達だった。仏教もキリスト教も、蕉風も主死して後、大衆に広まった。そしておそらく、主死して本質は少しづつ変容していった。幸せなのは直接の教えに接することのできた弟子達だろう。

 いにしえの聖人ではないが、橡誌に掲載された「心に残る星眠先生の一言」が面白かった。その一言は俳句に直接拘わる言だけでなく多岐にわたっている。星眠先生が何を言ったかというより、各人が星眠先生のどの言葉を拾って胸に残したかということ。そして、その言葉をどのように咀嚼し理解したかということ。つぶさに学ぶことができて有り難かった。

 マニュアルというものは存在するだけでは使いこなせないのだろう。最後は自分で考えて、自得しなければ始まらない。同じ条文も十人いれば十色の理解の仕方と発現があることだろう。

 

 

 

 

 


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選後鑑賞平成31年「橡」2月号より

2019-01-28 11:05:18 | 俳句とエッセイ

選後鑑賞   亜紀子

 

干鰯場のなごりの煉瓦石蕗の花  中村喜代子

 

 干鰯(ほしか)は脂を搾った鰯を干したもの。江戸時代、乾燥肥料として農業の発展に大いに寄与した。もとは半農半漁の民が余った魚を干してほまちの畑の肥料にしたのが始まりだそう。後の時代、商品作物の生産増大に供い肥料の需要も増大、軽くて効果の高い干鰯が重宝され、商品として流通するようになったとのこと。大問屋が成立し、干鰯相場は農民にとっては死活問題であったようだ。最初は上方中心に普及していたが、やがて東国へも波及、千葉のあたりは大生産地として長らく名を馳せたとのこと。

 掲句の干鰯場址はどこのどのようなものなのか。なごりの煉瓦、石蕗の花の語のつながりが床しく、日差しに映える黄の花咲く遺構を是非見てみたいと思わせる。

 

裏谷の風に瑠璃増す臭木の実   市村一江

 

 臭木の名前は少々残念だが(葉に独特の匂いがあるそうだ)、白い花には甘い香りがあり蝶や虫がよく集まる。赤紫の萼に縁取られた実は紺色が鮮やか。谷風が冷えてくる頃、瑠璃の実も美しさを増すという掲句の通り。

 

吹き溜る桜落葉のかをりけり   松尾守

 

 今夏はあまりの暑さで街路樹の葉は早々に勢いをなくし、紅葉も期待できぬと思っていた。それが案外に

十一月も遅くなって、どの道もどの家も美しい紅葉を見ることができた。その季も過ぎ、落葉が吹き寄せられた道の片隅。吹き溜りではあってもまだ色を残す桜紅葉。仄かな香りも感じられたようだ。桜落葉であるからこその情趣だろうか。

 

秋灯や夫の留守待つ座椅子あり  遠藤静枝

 

 入院中のご主人を待つ、空の座椅子。秋の灯火のもとで独り夫の帰りを待つ妻の姿そのもの。

 

看護士の素顔の知らぬマスクかな 遠藤忠治

 

 掲句、素顔を知らぬマスクかな、の言い方が本来かもしれない。とはいうものの、「の」の措辞が理に落ちるのを食い止めて、何とはなしに、しっくり来るような気もする。いずれにしても句意は明らか。素顔は見る機会はないものの、十分な看護を受けていることも感じられる。マスクを外した顔を見たいもの。

 

大仏の膝にのぼりてすすはらひ  西野喜美子

 

 お釈迦様の掌に居る私たち、煤払の時にはお膝にも上らせていただく。

 

マスクしてマスクの人を避けてをり 上中正博

 

 風邪の季節。電車に乗ればかなりの人がマスクをしている。予防のために着用している人の割合も高そうだが、実際に風邪を引いている人もあるだろう。掲句の作者は予防派と思われる。私はマスクはあまり使わないが、マスクをしている人を避ける傾向はある。こう言われると、季節の日常の一端が見える。

 

初霜や入れ忘れたる鉢ひとつ   南雲節子

 

 霜注意報の発令に、たくさんある鉢物はすべて室内に取り込んだつもりが、一鉢だけ忘れていた。草木を愛好する作者が感じられる。

 

沼の雨音ともならず冬に入る   斉藤泰夫

 

 淀んだ空、鼠色の沼の面に吸い込まれるように降る雨。冬に入るが効いて、初冬の絵になっている。


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平成31年「橡」2月号より

2019-01-28 10:54:13 | 星眠 季節の俳句

渚踏むごとし寒夜の看護婦は  星眠

            (青葉木菟より)

 

わが身にも魔女の一撃冬に入る 

 ぎっくり腰で一月十八日入院。

遷子忌をあすの入院寒波来る

 ナース靴のひたひたと行く音を独り聞く夜。

               (亜紀子脚注)


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草稿01/28

2019-01-28 10:50:55 | 一日一句

鶲にも今朝の挨拶舌鳴らし  亜紀子

 


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