と切れなく春日に回る洗濯機 亜紀子
辛夷 亜紀子
辛夷まづひらく道なり選み行く
嫁ぎきしより好みたるあをさ汁
枯葦の水黒々と春兆す
帰りたげなり白腹も鶫らも
臘梅や四隣明るく住みなせる
春一番朝の予報士知己のごと
辛夷の芽いまかいまかと総立ちに
渡りゆく目白一座に入りたし
春鴉何か告げをり聞き入りぬ
春落葉髪もあるやも梳る
良き声す辛夷の下の蟇
耳慣れぬひと節はさみ囀れる
老いたれば切に春待つ五体かな
午からの日ざし待たるるひゝなの日
鶯 亜紀子
米国大統領選挙の戦況が面白く、ついつい覗いてしまう。野次馬根性である。イスラム教徒排斥、メキシコとの国境には万里の長城よろしく壁を造らせる等々差別主義者的発言でことごとく物議を醸す不動産王のトランプ氏が目下の主役だ。歯に衣着せず、白黒はっきりとものを言い、絶対に退かないところが大衆受けするらしい。現在の大勢を占めている、既得権に縋り付いた企業癒着型政治家と一線を画している点など納得されるところもあって、なおのこと人気を博しているようだ。自己演出、メディアの扱い方に長けていてあれよあれよという間に人気者になってしまった。敵が多い事さえも自己宣伝に利用して凹むことがない。落ち着いて仔細に聞いてみると、白黒はっきりしているようでいて反対者につけ込まれぬよう上手に逆の逃げ道発言も用意しており、また本当にまずいことは曖昧に濁すこともあって、まあ、顕示欲の強い普通の人なのかなとも思わせられる。しかしアメリカ国民は不思議なくらい熱狂している。強い米国、米国の父性、リーダーシップというような括りでトランプ氏に期待する人々が多いのかと見える。かのブッシュ氏も初めは人気者だったのだから驚くには当たらないのかも。
しかし政治が大上段から自分の思い通りに人をリードするものではなく、自分以外の全ての人々を下から支えることに心砕き、それが政治家の天職と考えることのできる候補者を理想とすると、現況は誰が何を言ってみたところで舌先三寸の舌戦に過ぎず、問題はいざ実際に世の中のために何をするかである。
父星眠は俳句の選が早かった。白黒というと語弊があるけれど、まるで白黒をつけるようにさっと次々に投句葉書をめくって選をした。ところで二月号に紹介した『俳句入門のために』を読むと、星眠がどんな句であれそれぞれの句の句因、中心にある詩心を大事に汲み取っていることが分る。選句の場面では完成度という観点から白黒決着できるけれども、実際には十七文字の中に何かしら見所、心惹かれるものがある。父の選句の早業の中にも外からは見えなかったけれど、そうしたまだ磨かれぬ宝物に心残す気持ちがあったろうと想像できる。
この世に絶対といえるものはない。流行の健康食など「絶対に良い」と言われるとかえって疑いたくなる。良くない部分もちゃんと見えている方が安心だ。俳句にしても、政治にしても、他人の「絶対」に引きずられていくだけでは駄目なのだろう。最後に決めるのは何事も自分である。
それにしても星眠先生の仕事ぶりに今更ながら驚いている。橡誌の投句葉書は現在の倍以上の数があった。プラス新聞の俳句欄の選が全国紙、地方紙合せて三つ。各地の句会指導、週末は吟行。そのうえ生業の診療は定年がなかったのだから。もちろんいずれも真面目に取り組んでいた。そうして何より自分の俳句の向上に打ち込んでいた。本人は呑気に好きなことをやっているだけだよと言っていて、実際そんなふうに見えていたのだけれど。
何をどうやっても到底及び難い境地である。これはもともとの人の力の違いなのである。一番に学びたいのは俳境を高めるということだが、もともとの限界があるのが分る。修練を続けていくしかないのだろう。できることはそれだけで、修練には終りや限界はない。自分がやるだけである。
雛祭りの後、鶯の初音を聞いた。この辺りは戦災に会わなかったそうで、昔のままの細い路地が入り組んで、庭木、垣根など小さな緑が点在している。いくつかのお社も小鳥にとって手頃な休憩場所になっている。それから毎朝鳴いている。もう上手な歌い手で、既に谷渡りのくだりさえ入って佳境にあるようだ。座っていないで、外に出なさい。無い頭で理屈をこねていないで、とにかく外を見なさい。自分で歌いなさい。鶯になりたいものである。
選後鑑賞 亜紀子
夕づくや雪の大根一つ引く 服部幸次
立春を前にしてよく雪が降った。これまでめったに降雪を見なかった地方で案外に積もって驚かされた。掲句もそのひとつだろうか。おろしにするのか、汁の実にするのか、夕食に使う大根一本を庭畑に抜きに出た。雪の上に首を出し、大きく開いた青い葉にも雪を被ている。「大根一つ引く」に夕暮れ時のどこか侘しい静けさが伝わって来る。
立春や鳩のきらめき又翳り 田辺良子
気温より先に日差しが春めいてきた。鳩の群の旋回。一瞬光を受けて輝き、さっと翻って暗む。朝の空で折々みかける光景も、今日は立春ゆえに際立って見える。
浅春や日溜りに刈る夫の髪 買手屋一草
年季の入った夫婦の日常。日溜まりは縁側か、明るい窓辺か。外気はまだ冷たいのだが、二人を包む日光が眩しい。浅春が効いている。
古雛や古里こぞり街起し 柴宗平
雛人形による街起しは全国各地に広まっているようだ。その多くは城下町、宿場町など古い町並の保存されているところ。由緒のある雛人形も残されていて、町の至る所に飾られ観光客を楽しませる。作者とは愛知県豊田市足助町の雛まつりを吟行したことがある。飯田街道(中馬街道)の宿場町。山間の宿である。素朴な土雛も多かった。それこそお雛さんもこぞり出て過疎の地域興しを買って出ているようだ。
寒雀ねぐら談義のひとしきり 谷本俊夫
雀の塒は葉の茂っている樹木、竹薮などがほとんどだそうだ。しかしわが町の郵便局のビルの壁には日が落ちる頃になると雀たちが集まってきて姦しい。人口の建造物でも塒になるらしい。掲句のままである。ひとしきりお喋りが続き、いつの間に静かになると闇が落ちている。
寒念仏犬の遠吼えしてゐたる 窪田郁子
身を切るような寒の朝、鉦とお念仏の声、かぶさるようにどこかで犬が長鳴いている。現在の風景か、遠い日の思い出か。念仏と犬の遠吠えが雰囲気を伝える。
四囲の音消えて降り継ぐ牡丹雪 指宿エミ子
一月末、強い寒波に見舞われた日本列島、鹿児島も氷点下の気温記録を更新した。あちこちに記録的な降雪。鹿児島県は九州最南端に位置しているが、あながち雪が降らないわけではないようだ。しかし今年の降り方は特別だったのでは。周囲の音をみな吸い込んでしまうような春の雪。ことさらに耳を澄ます作者。
涅槃会の団子丸める座につきぬ 西野喜美子
涅槃団子悦びて艶出でにけり 星眠
涅槃吟行から戻る父が土産に涅槃団子を持ってきてくれた。緑、ピンク等、きれいな色の小さな団子。とうとう一緒に涅槃寺を尋ねる機会はなかったけれど、懐かしい思い出のお団子。掲句のように善女が寄り合って、各色に染められた米粉の団子を丸めるのだろう。
毎年顔馴染みのお仲間。手を休めることなく働きながらも、和やかなお喋りが聞えてきそうだ。
木の中に雪宿りせる雀たち 荻野光子
降り続く雪を避けている雀たち。時折羽を振う。何かしらと覗いてみた作者。思いの他の数の雀が隠れていた。木の中にと平易に詠い出し、雪宿りと優しく言い取って、小鳥に寄せる心が出ている。
椿厚く葺けば傾く花御堂 星眠
(営巣期より)
安中市松井田町の不動寺。一二四三年開山。吟行地の一つで、ご住職とも懇意であったようだ。素朴で美しい花御堂。赤い椿に心惹かれる。(亜紀子・脚注)