橡の木の下で

俳句と共に

平成27年「橡」7月号より

2015-06-27 10:48:44 | 星眠 季節の俳句

郭公や道はつらぬく野と雲を  星眠   (火山灰の道)

 高原の一筋の道が白雲湧く空へと延び、彼方の森に繰り返す郭公の唄声。涼しさと緑の匂い、空気が格別である。

この地の自然の丸ごとを愛した星眠。掲句が墓石に刻まれた。          亜紀子・脚注


「椋鳥の親」平成27年「橡」7月号より

2015-06-27 10:36:28 | 俳句とエッセイ

 椋鳥の親     亜紀子

 

明易の唄ひとくだり四十雀

人絶えて白雲木の花垂らす

干し物も風に翩翻端午なる

歳々になまる節ぶし初蚊出づ

雲かづきつつ肌見する皐月富士

六月の乙女晴れたり曇つたり

葉巻ほど太る豌豆箱詰めに

街薄暑玻璃戸に年は隠せざる

子雀に甍広場のだだ広き

椋鳥のいよよ濁声巣をかばふ

形ばかり大きくなつて巣立鳥

隣り家も南天ひそと花こぼす

巣を狙ふ鴉間合ひをはかりをり

椋鳥の親と鴉の根くらべ

巣をめぐる均衡椋鳥が崩しけり


「汝自身を知れ」平成27年「橡」7月号より

2015-06-27 10:30:20 | 俳句とエッセイ

汝自身を知れ   亜紀子

 

部屋に椅子ひとつあるのみほとゝぎす

驟雨来ぬたやすくけぶる落葉松に

汗の胸葛のあらしの沁みとほる

夜蛙や高嶺をめざす人に逢ふ

綿蟲や日は焼岳にけぶり落つ

暮れかねて白樺淡き蛾を放つ

お花畑ゆふべ真紅の霧を噴く

とりかぶと霧の奔流湖に消ゆ

星合を明日に貧しき沼の星

白樺のしゞまに堪へず雪降るか

             堀口星眠

 

 五月十日、俳句大会に続く「お別れの会」は全国から大勢の方にお集まりいただき、父に一番相応しい形で偲んでいただいた。遠方をおして、あるいは体調をおして参加いただいた方々、感謝に堪えない。そうしてそこに父星眠の姿があって久闊を叙していただけたらと詮無い思いを止めることができなかった。

 挨拶の辞で遠藤先生が以前書かれた、星眠の処女句集の解説を紹介した。当日参加いただけなかった方もたくさんいらっしゃる。先生の了解を得て、そのご文章をもう一度紹介したい。

 

  「道」  遠藤正年

 

 たとえば〈茅潜喨々と夜を好むらし〉。この調べ、身について忘れることがない。たまたまの吟行、また普段でも思わず口を衝いて出てくる。そういう句の宝庫が私にとっての『火山灰の道』である。

 序、水原秋櫻子。跋、石田波郷。瀟洒な伊藤廉画伯の装幀。著者が「生涯の道を決定した」秋櫻子との出合い。相馬遷子、大島民郎、岡谷公二、それに秋櫻子、波郷も加わる軽井沢「森の家」句会。高原派の共著句文集『自然讃歌』の刊行などが、収録四百七十五句の背後に併行してある。

 槍ヶ岳の頂上に著者と藤田湘子ら、乗鞍岳剣ケ峰の頂きに秋櫻子と民郎といった人たちが、打合せもなく同時刻の午前五時に、俳句を詠むために立ったという叙述に始まる序文は、しばしば引用されるが、著者への期待と、尊敬があらわれていて感動する。沈思孤独に拘わらず作品の明るいことを称え、芸道に優れた人に多く見られる型の人だという。これは秋櫻子の理想具現の句集であったといえる。また、跋で波郷の述べるように純粋に全人格を自然に投入させた句は、誦していると居ながらにして自然のふところ深く迎え入れられる心地がする。「エレガントな感覚」「ダンディな詠みぶり」これらは愛誦はすれど到底倣うことの出来ないものである。

 巻頭に挿入された著者若き日の影像は、雪嶺を背に右方の空間へ視線を向けている。俳句文庫の近影は偶然同じ装いで左方を見る。これに思うのは「詩は高い道徳とならねばならない」という著者後年の言葉だが、『火山灰の道』にすでに托されていたのである。

 秋櫻子の『葛飾』はいうまでもなく、誓子の『凍港』、草田男の『長子』などのように、處女句集がすぐれた作家を決定する場合がある。これらは古典として永く読み継がれる。『火山灰の道』もすでにこの領域にある。

       『最初の出発』平成五年刊・東京四季出版

 

 ここに『火山灰の道』の位置づけ、ひいては星眠俳句の価値が明確に表されている。肉親ということを抜きに、まこと大きな人を無くした思い。さあ、これからどうしたらいいのか、どうしようもないではないか、正直な気持ちである。

 「汝自身を知れ」この古人の格言を銘に、とにもかくにも前を向いて行くのが自分の務めだと考える。