橡の木の下で

俳句と共に

平成24年「橡」8月号より

2012-07-27 10:00:06 | 俳句とエッセイ

  梅雨の街    亜紀子

 

佳境かな無頼鴉の子育ても

夕うぐひす山の端に日のすべり入る

子と二人茅花流しの旅ひと日

百畳の厨に梅雨の煙出し

梅雨の街誰も一人の櫂を持ち

黒鳥は国なき王子さみだるる

青梅雨や獣舎いく百しづもれる

梅雨暗き馬屋に縞馬尻並べ

フラミンゴ泥壺の巣に卵抱く

煙りの木梅雨の最中を花盛り

荒梅雨や青鷺の眉一文字

合歓の花をりをり鳰の水走り

家庭訪問吾が早口のやや暑き

 


「蜂と四十雀」平成24年『橡』8月号より      

2012-07-27 10:00:04 | 俳句とエッセイ

 蜂と四十雀     亜紀子

 

 梅雨台風四号が明日接近という予報が出たその晩、二階の寝室がいつになく蒸し暑い。夜中の寝苦しさに目が覚め、階段の踊り場の、普段は閉め切りの小窓を開けて網戸にする。途端、ぶんぶんと大きな音が立った。寝惚け頭には一瞬何が起きたのか見当がつかない。ブイブイを起こしたのかしら。家の壁に蔦を巡らしており、小窓の上の廂からも窓を覆い隠すようにぶら下がっている。その蔦の青葉がドウガネブイブイという名の黄金虫の好物なのだ。この虫は飛び立つ時にぶいーっと大きな羽音を立てる。レースのカーテンを持ち上げて窓外に目を凝らす。真っ暗な硝子窓は壊れたブラウン管テレビの画面で、走査線の雑音が走っているように見えた。ブイブイではない何かが居る。

 灯りを付けると、廂の下に丸いソフトボール大の蜂の巣が見えた。雀蜂。硝子窓が当たって一部壊してしまったようだ。中で幼虫らしい白い尻が動いている。ぶんぶん音を立てているのは慌てふためいた働き蜂。きっと火のように怒っている。急いで窓を閉めて考える。明日の朝までそっとして専門業者に駆除を頼もう。しかし、夜が明けても騒ぎが収まらなかったら恐い。ふと思い付き、消灯して少しばかり窓を開け、網戸越しに殺虫スプレーを噴射。蜂はさらに騒然となる。起き出して顔を覗かせていた中学生の息子が、蜂が入ったと叫ぶ。老眼の私には気がつかなかった一匹が踊り場で唸っていた。子供を部屋に戻し、もう一度窓を閉じ、一匹に集中砲火のスプレーでなんとか仕留める。思ったより小型で、キイロスズメバチらしい。

 翌日、朝から次第に風が強まる。保健所で紹介してもらった駆除業者と電話で交渉する。巣の駆除は巣内に居る女王蜂と丸ごと一緒に取り除かなければ意味がないのだという。昨晩の私の仕業は最悪らしい。一部が壊れただけであれば再び蜂が巣を修繕するので、完成を待って駆除するのが望ましいとのこと。しかし薬剤噴霧で蜂は怒っているだろうから、それまで私が待てるかどうか。市販の薬は殺虫効果が長時間残留しないように作られている。一晩で既にその薬効は消えているだろうと言われ、どうも恐ろしい。夜になってから駆除に来てくれることになった。

 その間に激しい風に煽られたのか、巣の外皮一枚がすっぽり落ちてしまう。蓮の実の莢形の基盤が剥き出しになった。少し大型の蜂が一匹、しきりに幼虫の世話をやいている。これが女王蜂か。蔦が辛うじて雨風を防いでいる。件の業者に連絡すると、明日まで待ってその時にまだ女王蜂がいるようなら来てくれるという。巣を放棄する可能性大らしい。夕刻、女王は子供の世話を止め、巣の付け根にじっと留まり自分が嵐に耐えるのに精一杯の様子だった。台風の去った翌朝蜂の姿は消え、雨が乾く頃には幼虫に小さな蟻が群がっていた。

 さてその次の日の午後、庭の草陰に一羽の四十雀が跳ねていた。淡い灰青色が美しい、まだ飛翔おぼつかぬ巣立ち子である。野鳥には人間は手出しをしてはいけないと聞いたことがある。親鳥とはぐれたようで可哀相ではあったが、ひとり茂みに隠れるままにしておいた。翌朝早く、部活の練習で家を出た息子がまだ玄関で私を呼ぶ。くだんの四十雀の子が冷たくなっていた。なぜ助けてやらなかったと問われて、それが自然の掟と返答する。あんたは人間の子で良かったねえと言うと、少年はふんと鼻を鳴らして出て行った。まだ生きているような鳥の骸にも小さな蟻が群れている。路地の向かいの電線で鴉がこちらを見下ろして首を上下に振って鳴いている。鴉は実に利口だ。自然の掟であれば彼に任せるべきだろうが、やっぱり忍びなくて人の手で片付けてやる。

 その後、晴れた日にはまた蜂の姿を見かけるようになった。葉陰の芋虫を適当に間引いてくれる。ジュジュジュと四十雀の声もする。あの時の蜂と四十雀と関係があるかどうかは分からない。

 


選後鑑賞平成24年『橡』8月号より

2012-07-27 10:00:02 | 俳句とエッセイ

橡8月号 選後鑑賞  亜紀子

 

吾子にはや人妻の香や洗ひ髪  後藤八重

 

 スイッチ一つで湯が沸き、いつ何時でもシャワーで髪の洗える現代、洗い髪という季語の情緒は昔の暮らしのそれとは異なるかもしれない。そんな環境下にあって、掲句は且つての洗い髪の趣を濃厚に伝えている。

嫁ぐことの決まった娘の、まだ乾かぬ洗いっぱなしの髪。そこにはや人妻の艶を嗅ぎ分けるのは同性の母親ならでは。母娘の関係の微妙なあわい。じきに人妻同志分かり合う同盟が結ばれていくのかもしれない。

 

青梅に紅ほのかなり東慶寺   金子まち子

 

 緑滴る鎌倉、松岡山東慶寺は北条時宗の妻覚山志道尼を開祖とし七二〇年の歴史を持つ。別名、縁切寺。妻からの離婚の認められなかった近世封建制度下で、女人救済の寺として知られた。境内は四季折々の花が美しい。そのなかに、若葉の陰の青梅に目が留る。よく張った実にほんのりと紅色がのっている。この寺の由来と、青梅に帯いた淡い紅とが匂い映り合う。

 

 

雛急かせ小綬鶏谷を移りけり  篠崎登美子

 

 良いところに出くわした。数羽の雛は母鳥の後ろをぞろぞろと付いて行くのだろう。庭に飼っていた矮鶏が姿を消した後、いつの間にか雛を連れて出てきた光景を思い出す。未熟な子供たちを連れ、横断歩道を渡るかのように、谷一つ越えるのは危険な一時であろう。急かせの語が効いている。谷を移りの表現で、谷間一帯の緑の瑞々しさが浮かび上がってくる。

 

黄鶲や若葉わかばの山歩き   鏡秀美

 

 近所の大学キャンパスの林に黄鶲が立寄り、ひとしきり囀っていった。こんな街のなかでまさかと、夢を見ているようでうっとりと聞いた。野鳥に詳しい人の情報によると、今年は黄鶲が多く見られると言う。また関西の人に聞いたところ、関西では街中で見かけることも稀ではないそうだ。掲句の黄鶲は所を得ている。若葉一色の山中の何処かで、我を忘れて夢中になって歌うのだ。

 

鵯の子の羽ばたき復習ふ小雨なか 市川美貴子

 

 鵯の子の傍らには親鳥がいて、羽ばたく練習をしている。あるいは羽ばたきで餌をねだっているのかもしれない。もう親と見紛うばかりに成長している。そぼ降る雨に、これも親鳥と同じく灰色の頭がもさもさと濡れているのがいじらしいようだ。忙しい日常の中にあって、ふとした観察怠らぬ作者である。

 

王宮の庭果てしなく薔薇の風  菅原ちはや

 

 何処の国の宮殿だろうか。広大な庭に咲き誇る薔薇の数に圧倒される。花の盛りに来合わせたのは幸運である。果てしなくと思い切って詠い、王宮の栄華を目の当たりにする。香り高い薔薇の風が効果をあげている。

 

黒海の風の頬さすチューリップ 山本安代

 

 チューリップというと先ずオランダを思いだすが、調べてみると原産国はトルコである。トルコには野生のチューリップが見られるそうである。作者は黒海に面したこの国を旅されたのだろう。黒海沿岸は温暖な気候ゆえ昔からリゾート地として開発されてきたが、早春の花チューリップの頃は寒さを覚えることもあるのだろう。あるいは保養気分に浸りきれぬ何かが感じられたのか。このところのトルコとシリアの衝突を思わせられるのは偶然の一致か。